痛みを識るもの   作:デスイーター

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神田忠臣③

 

「今日はご馳走様でした。弓場さん」

「ゴチになったで~。あんがとなー弓場ちゃん」

「おう、良い食いっぷりだったぜ」

 

 お好み焼き屋『かげうら』から出た所で、七海と生駒が揃って弓場に礼を告げると、弓場は笑みを浮かべそう答えた。

 

 生駒隊の面々は口々に弓場に礼を言いながら、各々で帰路に就く。

 

 今此処に残っているのは、弓場隊と那須隊のメンバー、そして生駒だけだ。

 

「そんで、何の話があるんや弓場ちゃん? さっきの目配せ、俺だけ残れいう事やろ」

 

 生駒隊のメンバーが帰ったのを見送るなり、生駒はそんな事を言い出した。

 

 それを聞いた弓場はニヤリ、と口元に笑みを浮かべる。

 

「察しが良いな生駒ァ。ちと相談してぇ事があんだがよ。お前と、七海にな」

「俺に……?」

 

 ああ、と弓場は七海の言葉を肯定し続ける。

 

「正確にゃあ、俺じゃなくて神田が、なんだがよ。ちィと話聞いてやってくれや」

 

 弓場はそう告げると一歩下がり、代わりに神田が前に出る。

 

「ごめんね。少し、悩んでいた事があったんだ。良ければ、聞いて貰えるかな?」

「構へんで」

「構いません」

 

 即答する二人に神田はありがとう、と礼を告げ、真剣な表情で口を開いた。

 

「忍田本部長────いや、迅さんから通達があった『合同戦闘訓練』の事なんだけど。俺はそれに、参加するべきかどうか迷っている」

「おん? なんでや?」

「俺が、今期を以て弓場隊を抜けるからだ」

 

 神田の発言に生駒はキョトンとなり、言葉の内容を理解するとあんぐりと口を開けて驚愕を露わにした。

 

「なんやそれっ!? 聞いてへんでっ!? 自分、なんでそないな事になっとるんやっ!?」

「簡単に言えば、大学受験の為なんだ。俺が目指す職種に就く為には、どうしても県外の大学に受からなければならない。その為に、今期終了と同時にボーダーを辞める事にしたんだ」

 

 驚く生駒に、神田は丁寧にそう説明した。

 

 ボーダー隊員はボーダーと提携している学校であれば推薦等が受けられるようになっており、他ならぬあの太刀川はこの推薦枠で大学に入学を果たしている。

 

 学業と任務を両立出来るように、ボーダーは可能な範囲で学生の隊員への援助を行っている。

 

 ボーダー提携校であれば任務のシフト等にも理解があり、公休もスムーズに取る事が出来る。

 

 だが、ボーダーの力が及ぶのはあくまで三門市内での話。

 

 県外の大学等には当然推薦等は出来ず、そちらへ進む場合はボーダーの助力は期待出来ない。

 

 故に大学受験を期にボーダーを辞める隊員は、一定数いるのだ。

 

 生駒や弓場は市内の大学に通っているが、神田はその道を選ばなかった。

 

 これはただ、それだけの話なのだ。

 

「成る程なぁ。びっくらこいたけど、そういう事なら仕方ないわな。そんで、なんでそれが合同戦闘訓練に参加せん、って話になるん?」

「今回の合同戦闘訓練は、事実上のA級昇格試験だ。そして、近い将来起こる大規模な侵攻への対抗措置でもある。そして俺は、その時にはもうボーダーにいないんだ」

 

 そう、迅の予知によれば大規模侵攻の時期は年が明けて暫くした後。

 

 その時には既に、神田はボーダーを除隊している。

 

 今回、神田が引っかかっていたのはそこなのだ。

 

「来るべき時に戦場にいない俺が訓練にだけ参加していては、逆に不義理なんじゃないか。俺は、そう考えている。本番にいないのに練習にだけ参加すれば、本番の時のシミュレーションが充分に出来ない可能性もある」

 

 大規模侵攻が起こった時、弓場隊は神田を除く三人になっている。

 

 ならば、神田がいたまま合同戦闘訓練に参加しては、神田がいない場合の戦術シミュレーションが出来ないのではないか。

 

 神田は、それを危惧しているのだ。

 

「それに俺の除隊の事は、既に上層部には話を通してある。その俺が昇格試験に参加していては、弓場隊は減点を受けかねない」

 

 そして、本番の時に神田が既にいないのであれば、弓場隊の評価内容は相応の減点を受ける可能性がある。

 

 神田がいなくても、A級に相応しい部隊であるかどうか。

 

 そのあたりは、厳しくチェックされる筈だ。

 

 場合によっては、大幅な減点を行って尚A級に上がれるかどうかを判断されかねない。

 

 様々な意味で、自分が参加する事はデメリットが大きいのではないか。

 

 神田は、そう考えていたのだ。

 

「そうなると俺が弓場隊の為に取るべき最善は、次の最終ROUND終了を以て一足先に除隊する事なんじゃないか。そう考えているんだ。けれど────」

「…………そいつがおめェーの意思なら、止めはしねぇよ。けどな。此処に来る前に言った通り他の連中の意見も聞いておけや。結論を出すのは、そっからでも遅くはねェーだろうが」

 

 ふむ、と七海は思案する。

 

 今回弓場が自分達を食事に誘ったのは、これが本題かもしれない。

 

 見れば、帯島が何か言いたげな眼でこちらを見据えている。

 

 外岡は無関心を装っているが、ちらちらとこちらを見て来るあたり、気になって仕方ない事が分かる。

 

 隠密特化の狙撃手も、苦楽を共にした戦友の一大事とあれば取り繕う事は出来ないらしい。

 

 きちんと考えて、答えなければ。

 

 七海は、そう決意した。

 

「うん? そんなん、どっちでもええんと違うか?」

「……は……?」

 

 ────────だから、生駒のその発言には度肝を抜かれた。

 

 考えた末の結論なら、まだ分かる。

 

 だが生駒は、明らかにノータイムで今の答えを即答していた。

 

 流石の弓場も生駒のそんな発言には額に青筋を────。

 

「え……?」

 

 ────浮かべては、いなかった。

 

 弓場はただ黙って、生駒の様子を見守っている。

 

 そんな弓場の様子を知ってか知らずか、生駒は話を続ける。

 

「問題は、神田がどうしたいかやろ? 残るのが心苦しいなら自分の言う通り辞めるのもええし、参加したいならすればええ。神田は、どうしたいんや?」

「俺は…………弓場隊の為に……」

「ちゃうちゃう、んな事聞いてるんやあらへんで。俺が聞いとんのは、()()()()()()()()()や。色々うっちゃって、正直に話せばええんや」

 

 生駒はそう告げ、じっと神田の眼を見据えた。

 

 神田は言葉に詰まり、立ち止まる。

 

 それだけ、生駒の問いかけは神田にとって想定外のものであったらしい。

 

 そんな神田の様子を見て、生駒は更に話を続ける。

 

「あんな、俺は知っての通りボーダー隊員やっとるんは何も高尚な理由があるワケやあらへん。ただ、ガチで斬り合い出来るいうからやっとるだけや」

 

 だから、と生駒は告げる。

 

「七海みたいに立派な理由があるワケやないし、弓場ちゃんみたいに色々としっかりしとるワケやあらへん。ただ、()()()()()()やっとるだけや」

「やりたいから、やっているだけ……」

 

 そや、と生駒は神田の呟きを肯定する。

 

「勿論A級は目指しとるけど、それもやるなら上を目指したいだけで、大層な信念があるワケでもないんや。神田はどや? なんでボーダー隊員やってたん?」

「俺は、自分の力を活かす場があればと。それから……」

「────()()()()()から、じゃないんですか?」

 

 ふと、帯島が会話に割り込んで来た。

 

 神田と生駒の視線がそちらに向き、弓場は成り行きを見守った。

 

「弓場隊として戦っている神田先輩はいつも笑顔で、楽しそうでした。私に指導してくれてる時も、ランク戦で戦ってる時もいつも全力で、楽しんでいました」

 

 少なくとも、私にはそう見えたんです、と帯島は告げる。

 

 それを聞いていた外岡が、口を挟む。

 

「そうっすね。俺から見ても、神田さんは楽しそうに見えたっす」

「自惚れでなければ、弓場隊は神田先輩の大切な居場所だと、そう信じてます。だから先輩が辞めるって聞いた時は寂しかったですけど、それでも将来の夢の為だから、って事で納得しました」

 

 でも、と帯島は続ける。

 

「それなら、ギリギリまで弓場隊の一員として最後までやりたい事をやってからお見送りしたいです。私も、私達も、最後まで神田先輩と一緒に戦いたいです。先輩は、どうですか? 私達と一緒に、最後まで戦うのは嫌ですか……?」

 

 上目遣いで、帯島が告げる。

 

 それは、彼女なりの懇願だった。

 

 大好きな先輩と、一秒でも長く共に駆け抜けたい。

 

 そう願う少女の、切なる願いだった。

 

 神田は、揺れている。

 

 あと一歩だと、七海は感じた。

 

 ならばその一歩を押すのは自分の役目だと、七海は悟る。

 

「神田さん。違う部隊の俺が言うのもなんですが、弓場さんは神田さんの思う通りにやって欲しいと思うんです。迷惑をかけるとか足枷になるとか、そういう事じゃなくて。単に神田さんがどうしたいか、を聞きたいんだと思います」

「でも、それだと……」

「親友からの受け売りですけど、迷惑なんて幾らでもかければいいんです。仲間ってのは、迷惑をかけあって生きていくものです。むしろ気を遣って身を引く方が、仲間としてはきついものですよ」

 

 俺も最近まで、気付いてなかったんですけどね、と七海は告げる。

 

 七海は、長年の負い目から自分の価値を過剰に低く見る傾向があり、それがどれだけ仲間に負担をかけていたか、あの敗戦の後に思い知った。

 

 だからこそ、七海は言うのだ。

 

 迷惑をかける事など、気にする必要はないと。

 

 真に心の通じ合った仲間同士なら、迷惑をかけあう事など気にしない。

 

 むしろ、悩みを相談せずに一人で抱え込まれる方が、余程心労が溜まる。

 

 それを実感させられた七海だからこそ、その言葉は説得力を持つ。

 

 他ならぬ七海自身がやらかした、明確な失敗談なのだから。

 

「俺は、戦う理由に貴賤はないと思っています。楽しいから、って理由でも全然問題ありません。だって、他ならぬ攻撃手一位(太刀川さん)もそうですしね」

 

 流石にあれは行き過ぎですが、と七海は補足する。

 

 太刀川は常日頃から「気持ちの強さは関係ない」と言い切っており、勝負を決めるのはあくまで実力であるとも言っている。

 

 戦う理由に、貴賤はない。

 

 それは、七海も同意するところだった。

 

 確かに七海は、過去の大規模侵攻で多くのものを失い、守る為の力を得る為ボーダーに入った。

 

 しかし、自分が悲惨な境遇にいるからと言って、そうでない人々を軽く見て良いという事にはならない。

 

 たとえ崇高な意思があったとしても、結果を残せなければ何の意味もないからだ。

 

 理由よりも、結果。

 

 それが、七海がこのボーダーの中で学んだ事だった。

 

 どんな理由であろうと、結果を出す者は評価され、そうでない者は評価されない。

 

 それはこの世の真理であり、気持ちの介在する余地はない。

 

 頑張ったけど出来ませんでした、よりもやってみたら出来ました、の方が評価される。

 

 此処は、そういう組織だ。

 

 全ては、結果次第。

 

 極論、結果さえ伴っていれば、その過程はどうでもいい。

 

 だから、楽しいから、という理由で戦っても、問題など何も無いのだ。

 

 きちんと結果さえ残せれば、誰も文句は言わない。

 

 それに、気持ちに強さは関係ないが、モチベーション、というものがある。

 

 やりたい事をやっている時ほど、人は気負わず自然に結果を残せるものだ。

 

 無理やりやった勉強よりも、趣味で読んだ小説の内容の方を覚えている事が多いのも、同じ理屈だ。

 

 人は、興味を持てなければ効率的には学習出来ない。

 

 ならば、興味を持った事に全力で打ち込むのはなんら間違った事ではない。

 

 中途半端に終われば、しこりが残る可能性すらあるのだから。

 

「それに、やりたい事をやってから勉強に移った方が、きちんと頭の切り替えも出来て効率も良くなると思いますよ。後悔があると、そちらに意識を裂かれるのはどうしたって避けられませんから」

 

 よく、ゲームを取り上げれば子供は勉強すると勘違いする親がいるが、それは違う。

 

 ゲームを取り上げた場合、子供の思考は「じゃあ勉強しよう」ではなく「次はどうやってうまく遊ぶか」になる。

 

 興味のあるものを強制的に取り上げられれば、無理強いされた事への反発は勿論あるが、より強く取り上げられた興味対象を意識する。

 

 やりたい事をやらせた後に勉強に移らせた方が、能率は上がるものなのだ。

 

 我慢は体に毒、と言うがまさにその通りである。

 

 無理にやりたい事を抑えつけるより、やり切らせた方が作業効率はぐっと上がる。

 

 ストレスが溜まった状態で興味の薄い事をやった所で、上手く行く筈がないのだから、

 

「だから、俺は神田さんがやりたいようにやればいいと、そう思います」

 

 生駒や帯島が感情に訴えかけたのとは逆に、七海はそういった理論で神田を促した。

 

 事の成り行きを、全員が見守っている。

 

 神田は暫く考え込んでいたが、帯島に服の裾を引かれ────────困ったような、笑みを浮かべた。

 

「…………そうだね。確かにそうだ。弓場隊での日々は俺の生き甲斐だし、出来るならばギリギリまで一緒に戦いたい。それが、偽らざる俺の本音だ」

「じゃ、じゃあ」

 

 ああ、と神田は頷く。

 

「合同戦闘訓練に、俺は出るよ。無責任かもしれないけど、最後まで弓場さん達と戦いたい。前言を翻すようで申し訳ありませんが、最後までやらせて下さい」

 

 お願いします、と神田は弓場に頭を下げる。

 

 そんな神田を見据え、弓場は笑みを浮かべた。

 

「最初から、そう言やァいいんだよ。最後まできっちり面倒見てやっから、おめェーも手ぇ抜くなよ」

「はいっ! ありがとうございますっ!」

 

 二人にやり取りを見ていた帯島が、感極まって神田に抱き着いた。

 

 それを弓場と外岡が微笑まし気に見守っており、一部始終を見ていた生駒は満足気にうんうんと頷いている。

 

 成り行きを見守っていた那須達も、温かい目でそのやり取りを静観していた。

 

 尚、その直後神田は帯島ごと上機嫌な藤丸に抱き締められ、「ぎぶぎぶ」と言いながら彼女の巨大な胸に埋もれる事になるのであった。





 ちと神田というキャラを考察した時、こういう事気にするかなー、と思って今回の話を書きました。

 割と責任感強そうなイメージですし、除隊してまで県外の大学受けるくらいだから意識も高いと思いますしね。

 将来の事もしっかり考えてそう。髭と違って。

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