痛みを識るもの   作:デスイーター

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七海と那須⑤

 

「……ふぅ……」

 

 七海は自室に入り扉を閉めると、ベッドの上に腰かけ息を吐いた。

 

 弓場隊の面々と別れた後、七海は熊谷と茜を家に送り届けた上で那須と共に帰宅した。

 

 現在時刻は、21:00。

 

 茜と熊谷の家は那須邸から少々離れている為、二人を送っていたらこんな時間になってしまった。

 

 最初は那須を先に帰らせようとしたのだが、どうせなら一緒に送りたいと那須が話した為それに従った形となる。

 

 生身であれば絶対に許可しなかったが、幸い那須は日常用のトリオン体で外出していた。

 

 故に特に断る理由はなく、那須の同行の下で二人を送迎したのだ。

 

 二人を送っている最中那須は茜や熊谷と他愛もない話に花を咲かせており、単に二人と別れるのが名残惜しかったのだろうと七海は判断した。

 

 もしかすると、神田の一件を見ていて何か感じ入るものがあったのかもしれない。

 

 道中二人と話す那須は、何処か無理に元気に振舞っているような、言うなれば空元気のような印象を受けた。

 

 茜は気付いていなかったが熊谷は薄っすらとその事に気付いていたらしく、「玲を頼むわ」と別れ際に七海に耳打ちしている。

 

 七海としても、那須の事となれば他人事ではない。

 

 何か思い悩んでいるならば、それを解消するのは自分の役目だ。

 

 そのくらいの自負は、七海にはある。

 

 故に、一休みしたら那須の部屋へ向かおうと思っていたのだが────────どうやら、その必要はないらしかった。

 

「……玲一」

 

 部屋の扉が開き、寝間着に着替えた那須がその姿を見せていた。

 

「玲」

「うん」

 

 そんな彼女を見て、七海は小さく名前を呼ぶ。

 

 それだけで、充分。

 

 那須はこくりと頷いて、七海の隣にすっと座った。

 

 既に日常用のトリオン体は解除して生身に戻っている為、近くにいるのに彼女の匂いは感じ取れない。

 

 けれど、そこに那須がいるというだけで、七海は自分の心が穏やかになるのを感じ取った。

 

 自分にとってなくてはならない大切な存在こそが、彼女だ。

 

 比翼連理とまでは言わないが、お互いが生きていく為に互いの存在が必要不可欠である事は、二人共理解している。

 

 故に、那須の憂いを取る事に何の躊躇いもない。

 

 以前のような妄信的な追従は止めているが、それでもこの身が彼女の為に在る事に違いはないのだから。

 

「…………さっきの、事か?」

「…………うん。神田さんの話を聞いてたら、その…………将来の事を、考えてしまったの」

 

 七海の問いかけにこくりと頷き、那須はそう言って訥々と、自分の想いを語り出す。

 

「神田さんは、凄いと思う。自分の将来の事をしっかり考えて、ボーダーを辞める決意をした。きっと、あの人にとって弓場隊は私達にとっての那須隊と同じように、掛け替えのないものだった筈なのに」

「そうだな。俺もそう思う」

 

 それは、偽らざる七海の本心だった。

 

 神田は自分の理由なんて大した事はない、などといったニュアンスで語っていたが、ボーダーの部隊は時として単なる同僚や友人以上の絆を持つ集まりとなる。

 

 那須隊(自分達)も、弓場隊(彼等)も、それは同じの筈だ。

 

 戦いの中だからこそ育まれる絆、というものは確かにある。

 

 チーム一丸となって上を目指す連帯感は、全国を目指して日々努力する部活と似たようなものだし、部活よりも少人数で強者と直接戦い鎬を削り合っている為、必要となる連帯感は上であるとさえ言える。

 

 故に、隊員を家族同然と考える者は少なくない。

 

 神田は、その家族同然の者達と別れる決断を下した。

 

 その決意は、とてつもなく重い筈だ。

 

 確かに彼は、七海のように過去の侵攻で何かを喪ったワケではない。

 

 だが、戦う理由に貴賤などないというのが、七海の持論だ。

 

 それは少なからず太刀川(師匠)の思想に影響されているが、七海もこれについては同感である。

 

 神田は、戦いから逃げたワケではない。

 

 単に、戦うステージを変えただけだ。

 

 弓場隊と言う居場所を後にして、自分の将来の夢の為に邁進する。

 

 それが、神田の決断。

 

 誰に乏しめられる事もない、崇高な生き方だろう。

 

 時期が時期である為、逃げたと言う者もいるかもしれない。

 

 けれど、七海はそうは思わないし、そんな低俗な考えを持つ者はそもそも正隊員になどなれはしない。

 

 他人を貶める暇があるなら、自己の研鑽に注力しひたすら上を目指し続ける。

 

 その程度の基本的な事が出来るか否かが、B級に上がれるかどうかの境目なのだ。

 

 個々人の資質の違いもあるだろうが、自分の意思をしっかりと持ち、研鑽を続ける者には必ずチャンスがやって来る。

 

 そのチャンスを活かせるかどうかは、その人次第。

 

 そしてこれは、単に正隊員になれるかどうかだけの話ではない。

 

 考える事を止めた者に、未来はない。

 

 それは戦いでも、人生でも同じ事だ。

 

 神田は自分の意思で未来を選択し、一歩を踏み出そうとしている。

 

 その姿が、その意思が、那須に何らかの感銘を与えたのだろう。

 

 那須は、不安を抱えがちな少女だ。

 

 極度の悲観的(ネガティブ)思考、と言い換えても良い。

 

 基本的に彼女は、物事を悪い方悪い方に考えてしまいがちなのだ。

 

 七海の姉が死んだ事を自分の原因だとして数年間も自責の念に苛まれ続けていたのが、その証左である。

 

 そしてそれは、七海にも当て嵌まる。

 

 七海も那須も、揃って自罰的な傾向があるのだ。

 

 他人に責任を求めない、と言えば聞こえはいいが、それは自分の荷物を中々他者に預けない、という事でもある。

 

 抱えきれない程の荷物を持っているのに、誰にも助けを求めないその姿は、周りからすればさぞ心臓に悪かった事だろう。

 

 もしあの敗戦の後、村上がそれを諭してくれなかったら、七海は今でもその事に気付けなかったに違いない。

 

 人は、助け合える。

 

 人は、支え合える。

 

 だから、仲間が寄りかかってきたのなら、それを受け止め手を差し伸べる。

 

 それが大切な人であれば、想いを寄せる相手であれば、猶更だ。

 

 今までは悩みがあっても抱え込みがちだった那須も、こうして自ら悩みを相談しに来てくれている。

 

 それは小さな、しかし明確な成長と言えた。

 

 那須は何処か絞り出すように、その悩み(おもい)を打ち明けた。

 

「私には、無理。那須隊を辞める事なんて、考えられない。玲一も、くまちゃんも、茜ちゃんも、小夜ちゃんも、みんなみんな一緒にいたい。本当なら、いつまでも」

 

 でも、と那須は告げる。

 

「いつまでもなんて、永遠に同じだなんて事はないんだって、神田さんを見て思い知った。これからどうなるかは分からないけれど、きっといつか、那須隊(みんな)と離れ離れになる時が来る。その時に私は耐えられるのか、なんて考えたら、怖くなったの」

「玲……」

 

 那須の身体は、震えていた。

 

 恐らく、神田の将来を見据えた発言を聞いて、彼女は想像してしまったのだろう。

 

 この先、いつになるかは分からないが────那須隊が解散する、未来を。

 

 当然の事だが、那須や七海は勿論、茜や熊谷だって自分の人生がある。

 

 今でこそボーダー隊員として任務(しごと)をこなしているが、将来選んだ職種によっては隊員を辞めなければならないケースもあるだろう。

 

 自分達は、まだ子供だ。

 

 子供だからこそ、こうして猶予期間(モラトリアム)が許されている。

 

 社会に出れば、そうはいかない。

 

 自分の生き方は、自分で決めなければならない。

 

 生活する為には仕事をする必要があって、今のように学業の傍らボーダーの職務に従事していれば良い、というワケではない。

 

 勿論、ボーダーに就職するという道は存在する。

 

 だが戦闘員であればともかく後方支援に回るとなれば戦闘力とは別種の能力が必要とされるし、ただ強ければなれるというものでもない。

 

「その、玲一は決めてるの? 将来の、仕事の事とか……」

「俺か? 俺は、ボーダーの開発室に行こうかと思っている」

「開発室に?」

 

 那須は意外そうな声で、首を傾げた。

 

 確かに、理由を話さなければ何故七海が開発部に就職するつもりなのか分からないかもしれない。

 

 なので、七海は今まで話した事がなかったその理由を話す事にした。

 

「今の俺がまともに生活出来ているのも、玲が動ける身体を手に入れられたのも、全部ボーダーの技術あってのものだ。だから俺は、同じような問題を抱える人達の力になる為に、将来は開発室に入ってそういう研究を手伝いたい」

 

 それは、前々から七海が考えていた事だった。

 

 今の七海が日常用に使っている身体も、那須が外出時に使っている身体も、開発室の努力で設計されたトリオン体だ。

 

 扱いとしては治験患者である為二人のデータは開発部に有効活用されているだろうが、それでもその技術によって大いに救われている事に変わりはない。

 

 那須はボーダーに入るまで、まともに出歩く事すらままならない身体だった。

 

 話し相手と言えば両親か七海、それに玲奈だけで、学校では常に他者に対して壁を作っていた為、那須に友人と呼べる相手は殆どいなかった。

 

 だからこそ今でさえ那須が身内としてカウントしているのは、那須隊の面々と、他は小南くらいである。

 

 色々と頼りになっている加古の場合は身内というよりも何かあった時に頼る大人というイメージが強く、距離としては少々遠い。

 

 だが、ボーダーに入らなければ、その最低限の友人関係すら結べなかった可能性が高いのだ。

 

 そして、那須や七海がボーダーに入って戦闘員として活躍する事が出来ているのは、開発部が彼等が動けるような身体を作ってくれたからに他ならない。

 

 だから七海は、その恩返しがしたかった。

 

 開発室長の鬼怒田には既にこの事は伝えており、可能な限り協力するとの言質も貰っている。

 

 しかし無理はしなくて良いとも言われており、本格的な技術習得は大学に入って時間が出来てから、という事になっている。

 

 鬼怒田からは「ずっと戦闘員でいる、なんて言われたらどうしようかと思ってたわい」などと愚痴を溢されているのもご愛敬だ。

 

 口が悪い為色々と勘違いされがちな人物であるが、彼の努力がなければ七海や那須がこうして自由に動く身体を手に入れられなかった事を考えれば、二人の大恩人に当たる。

 

 鬼怒田は、良識ある立派な人物だ。

 

 奥さんと離婚したのも、どうやら家族を危険に晒さない為に無理やり三門市の外へ移させたからだと聞く。

 

 子供を戦わせている現状に、思う所があるのかもしれない。

 

 立場上厳しい事を言いがちな彼であるが、基本的には善良な人間なのだ。

 

 そんな彼が室長を務めるからこそ、七海は開発部を志したと言っても過言ではない。

 

 そのあたりの事を説明すると、那須は驚きつつも理解を示してくれた。

 

「そう。玲一はちゃんと、将来の事を考えてるんだ。私は駄目だね。将来どうするかよりも、今をずっと続けたい、なんて考えちゃってるし」

「まだ、時間はあるさ。俺はたまたまやりたい事が見つかっただけで、玲もきっとそのうち見つかるさ。そういう事を考える時間があるのも、子供の特権だろう?」

「そうね。そうかもしれないわ」

 

 でも、私に出来る事なんてあるかしら、と那須は呟く。

 

 那須も七海もボーダーの技術によって日常生活が可能な身体を手に入れている以上、メンテナンスの事も鑑みて三門市から離れるという選択肢は有り得ない。

 

 可能であれば、ボーダーに関係する職務に就くのが理想ではある。

 

 そう考えて、七海は一つの可能性に思い至った。

 

「やれるだけ戦闘員をやって、将来は本部付きのオペレーターになる、なんてのはどうだ? 沢村さんの例もあるしな」

「私が、オペレーターを?」

 

 ああ、と七海は頷く。

 

 本部付きオペレーターの沢村響子は、元々攻撃手だった人物だ。

 

 しかし年齢を重ねる事でトリオン能力の衰えが見られ始めた為、オペレーターに転向したという経緯を持つ。

 

 トリオン能力は個人差はあるが、使い続けなければ成人後を境に徐々に衰えていくのが通例だ。

 

 中にはノーマルトリガー最強の男(忍田本部長)のような年齢を重ねても戦闘力を維持し続ける例外もいるが、それも一握りだ。

 

 そして、そういう人物の就職先として、オペレーターになるという選択肢は充分有り得るものだ。

 

「玲は空間把握能力が高いし、応用力や計算力も高いだろ? なら、志岐からコツを教われば充分オペレーターになれる資質はあると思うが」

「…………そうね。考えてみてもいいかもしれないわ」

 

 那須はふぅ、と息を吐き、呼吸を整えた。

 

 どうやら七海の提案は彼女にとっても悪くない代物であったらしく、真剣に考えこんでいるのが見て分かる。

 

「あ……」

 

 だが、その思案も長くは続かなかったらしい。

 

 また新たな悩みに行き着いたのか、那須の表情が曇り始めた。

 

「どうした?」

「その、皆も同じように色んな道を行くんだろうな、って思ったら、茜ちゃんの事が気にかかってしまって……」

「…………ああ、そういう事か」

 

 那須の言葉に、七海は得心したように頷いた。

 

 茜の事、となると茜が今後もボーダー隊員でいられるのか、という事だろう。

 

 そもそも、戦闘が主任務であるボーダーの職務に従事するには隊員の家族の理解は必須事項と言って良い

 

 特に、茜の場合は両親がそもそも彼女がボーダー隊員である事に否定的だ。

 

 事あるごとに隊員を辞めるよう促しているらしく、茜からは愚痴という形でその話を漏れ聞いている。

 

 もし、この先近界民の侵攻で大きな被害が出る事があれば、茜の両親は有無を言わさず茜を除隊させるに違いない。

 

 街が壊れるくらいであればまだ明確な理由にはならないかもしれないが、多くの隊員が連れ去られた、という事になればきっと危うい。

 

 年始に訪れるという大規模侵攻で、もしもそんな事態になってしまえば、茜はいち早く自分達の下を去ってしまう。

 

 その事に思い至ってしまい、那須は表情を曇らせたのだろう。

 

「確かに、今度起きる大規模侵攻で大きな被害が出ればその可能性は高いだろうな。日浦の両親は、茜の安全を第一に考えている。無理にでもボーダーを辞めさせようとするのは、想像がつく」

「そう、よね。きっと、そうなっちゃうわよね……」

 

 那須の心に浮かぶのは、きっと四年前のあの光景。

 

 もしも、もしもあのような光景が繰り返されたとすれば、茜は間違いなく自分達の下を去ってしまう。

 

 最悪の事態を考えれば、茜が連れ去られてしまう可能性すらあるのだ。

 

 それを考えると、悪い想像が止まらないのだろう。

 

 もしも、仲間が連れ去られてしまったら。

 

 もしも、仲間が死んでしまったら。

 

 もしも、自分が死んでしまうような事があれば。

 

 そんな想像が、彼女の頭の中で駆け巡る。

 

 悪い想像は更に悪い方向に向かい、歯止めが効かない。

 

 その悪循環を繰り返し、那須の身体がガタガタと震えだす。

 

「……あ……」

 

 ────だが、七海が那須の手を握った瞬間、その震えは収まった。

 

 生身の七海に、那須の手の感触は伝わって来ない。

 

 だがしかし、確かにその心は今、繋がっていた。

 

「大丈夫だ、玲。それなら、俺達がそうならないよう戦って守れば良い。四年前の、あの時とは違うんだ。俺達には、戦う力が、守る為の力がある。あの時のようには、ならないさ」

 

 それに、と七海は告げる。

 

「────姉さんにも、誓っただろう? 未来を、守ってみせるって。守ろう、俺達で。皆の、未来を」

「うんっ! そうね。そうだわ。玲奈さんに、そう誓ったんだもの。今度は、私達がこの街を、未来を守る」

「ああ、必ずな」

 

 二人は手を、硬く握り合う。

 

 そしてふわりと、那須は七海の身体に手を回し、その温かさを確かめるように抱き締めた。

 

 そうしているうちに二人はいつの間にか眠ってしまい、朝になって二人仲良く布団の上で寝こけている姿をやってきた茜にばっちり見られ、キャーキャー騒がれる事になったのであった。





 上層部が本格的に出て来るのは黒鳥争奪編のあたりですが、ちょくちょくこうして名前は出てきます。

 鬼怒田さんの離婚エピソードといい、所々にエモい設定差し込んであるよねえワートリは。
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