痛みを識るもの   作:デスイーター

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志岐小夜子④

 

「…………そうですか、那須先輩がそんな事を……」

「ああ、今すぐじゃないだろうけど相談してきた時は頼む。正直、俺はオペレーターの事については何も分からないからな」

 

 真剣な顔で話を聞く小夜子に対し、七海はそう告げる。

 

 那須隊の作戦室にて、七海は小夜子と共に次回のランク戦対策の為の情報収集がてら、昨夜の那須との話の内容について相談を行っていた。

 

 那須に将来オペレーターになる、という道を提示したのは自分であるし、もしも彼女が本当にその道を志す場合、頼りにするのは小夜子だろうとの事でこうして話を通しておく事としたのだ。

 

 少々過保護と思われるかもしれないが、七海としては別に何から何までこちらで決めているワケではないので多めに見て貰いたい所だろう。

 

 以前と違い病的な程ではないが、那須の世話を焼くのは最早七海の習性のようなものだ。

 

 止めろと言われた所で、中々頷く事は出来ないだろう。

 

「分かりました。もしも那須先輩からそういう相談をして来た場合は、きちんと対応させて頂きます。その場合、七海先輩からこの話を聞いた事は黙っていた方がいいですかね?」

「そこは任せる。志岐の思う通りにやってくれ」

「了解しました」

 

 そう言って頷く小夜子であるが、彼女としては想い人が自分を頼ってくれるのは嬉しい事である反面、その内容が恋敵に関する事なので内心正直複雑である。

 

 だが、小夜子とて那須の事は大好きなのだ。

 

 その彼女が自分を頼って来るのであれば、これを受けないという選択肢はない。

 

 密かに正妻公認の愛人の座を狙っている小夜子としてみれば、双方の好感度を稼げるチャンスであるという打算もある。

 

 恋する乙女は、執念深いのだ。

 

 愛の重さという観点から見れば、小夜子は自分が那須に負けているとは思っていない。

 

 重さのベクトルは少々違うが、普通の人からして見れば自分も那須も相当に()()女であろう事は自覚している。

 

 那須も小夜子も、七海以外の男性に生涯振り向くつもりが欠片もないのは同じなのだから。

 

 既に一生分の愛情を一人にしか向けない事を決めている時点で、自分も那須も相当重い。

 

 愛に永遠はない、などと言われるが小夜子にとってこの恋は永劫変わる事など無いと思っている。

 

 そも、男性恐怖症の小夜子(じぶん)が他の男性と恋に落ちる事など、まず以て考えられなかった。

 

 那須も当然、七海以外の男性は一切眼中にない筈だ。

 

 どちらも特殊な背景事情がある為に、彼を諦めて他の男に靡くという選択肢が一切ない。

 

 那須の場合は、七海と結ばれる以外に幸せになる可能性がどうしても思い浮かばない。

 

 それは小夜子も同じであるが、小夜子の場合は那須と違ってある程度の自制が効く為七海の傍にいる事さえ出来ればその手段は問わない。

 

 加古から発破をかけられて愛人という道も魅力的だと考えてはいるが、最悪大人になっても同じ居場所に居続けられればそれで構わない。

 

 幸い七海も那須もボーダーに就職するつもりのようであるし、小夜子としてもボーダー以外に自分の居場所があるとは考えていない。

 

 男性恐怖症である小夜子が働ける職場となると、自然と限られてくる。

 

 そんな中、自分の事情を把握しながらも厚遇してくれるボーダーという職場は魅力的だ。

 

 他の職場を探すよりも、よほど融通は効き易いだろう。

 

(それに、那須先輩が戦場から退くってのも当分は想像出来ませんしね)

 

 それに、那須のトリオン体への適性はかなり高く、それは七海も同様である。

 

 今聞いた話によれば、那須はあくまで戦闘員を退いた後の道としてオペレーターという選択肢が出た段階であり、七海のように明確に目的を決めているワケではない。

 

 トリオン器官は使わなければ20歳を境に衰えていくものだが、逆に言えば使い続けさえすればある程度は維持出来るという事でもある。

 

 トリオン体での運動が生き甲斐となっている那須は、成人した後でも普通に戦闘員としてぴょんぴょん飛び回っていそうだ。

 

 七海も那須が戦闘員を止めるまでは付き合いそうな雰囲気があり、少なくともこの二人のオペレートは長く続けられそうではある。

 

(でも、茜と熊谷先輩はそうはいかないでしょうね……)

 

 自分達とは違って、茜や熊谷は職がボーダーでなければならない、という理由はない。

 

 違う道を選び、普通の職に就く事も充分有り得る。

 

 隊員がボーダーを辞める場合、機密事項を漏らしそうな人間の場合は記憶処理をかけられるケースもあるが、幸い茜も熊谷もそういったタイプではない。

 

 鈴鳴の太一などは割とうっかり機密事項を喋りそうなので記憶処理の対象になるかもしれないが、逆に言えばあそこまで迂闊そうでなければ記憶処理の対象にはならない。

 

 自分達との思い出は、彼女たちがボーダーを辞めた後でも維持されるだろう。

 

(それはそれとして、茜を手放すワケにはいきませんね。大規模侵攻は、全力で被害を減らさなければ)

 

 那須や七海が危惧している通り、来るべき大規模侵攻で相応の人的被害が出れば、茜の安全を第一とする彼女の両親は茜を除隊させようとするだろう。

 

 茜は、那須隊にとってなくてはならない人材である。

 

 狙撃手としての優秀さは勿論であるが、何より彼女の明るさには隊の面々は大きく助けられている。

 

 奥手な人間が揃っている那須隊の中で、あの明るさは貴重だ。

 

 那須隊の面々は頭が回り過ぎるきらいがあり、物事を悲観的に捉えてしまいがちだ。

 

 そんな中で彼女のような人間が一人でもいれば、大分空気は変わって来る。

 

 誰一人欠けようが、今の那須隊は有り得ない。

 

 そして当然、隊の仲間として、友達として大切な存在だ。

 

 そんな彼女を手放す気など、七海達は勿論小夜子にも一切ない。

 

 たとえ時が来れば別れは必定であるとしても、今の関係を出来るだけ長く維持していたいと思うのは当然だ。

 

 その為にも、大規模侵攻での人的被害を減らす事は必須事項だ。

 

 極端な話、物的被害ならなんとかなる。

 

 しかし、人的被害となるとどうにもならない。

 

 もしも数十人規模で隊員が攫われるような事があれば、親の立場としては「もしかしたら自分の子供も」と思ってしまうのは無理からぬ事と言える。

 

 元々、子供がボーダーの仕事をやっている事に否定的な親なら猶更である。

 

 故に、大規模侵攻での被害を減らすしか道はない。

 

 逆にそれだけの侵攻を経ても被害を軽重に出来たとなれば、茜が隊員を続けていく上での明確な説得材料となる。

 

 手を抜く理由は、何処にもなかった。

 

「悪いな。普段から色々頑張ってくれてるのに、こんな事まで頼んで。志岐には、いつも助けられている」

「いえ、私は当然の事をしただけですよ。那須隊が、七海先輩がいなければ私はただの役立たずのヒキニートでしたからね」

 

 自虐するように言う小夜子のその言葉は、本心である。

 

 熊谷が那須隊に誘ってくれなければ今も自分は家に閉じこもるだけの毎日を送っていただろうし、那須や茜がいなければ自分の人間関係は閉じたままだった筈だ。

 

 友達と遊ぶ楽しみさえ、見失っていたかもしれない。

 

 そして七海と出会わなければ、恋する心を知る事もなかっただろう。

 

 「何もしない」というのは、相当にストレスが溜まるのだ。

 

 何かしなければならないのに心の問題で何も出来ない、となれば最初は良くてもいずれは自己嫌悪の悪循環に苛まれる。

 

 あのまま引き籠りを続けていても、碌な未来は訪れなかっただろう。

 

 けれど、那須隊という居場所が、そんな小夜子を変えてくれた。

 

 男性恐怖症こそ治りそうにはないが、小夜子にもう一度人を信じる気持ちを芽生えさせてくれたのは間違いない。

 

 国近や羽矢といったゲーム仲間も、オペレーターをやっていなかったら出来なかったに違いあるまい。

 

 自分もまた、ボーダーの存在に救われた一人。

 

 小夜子は心から、そう思っていた。

 

「そんな事はない、と言える程俺は志岐の事を知れてはいない。けれど、俺達にとって志岐がなくてはならない存在である事は確かだ。色々と迷惑をかけると思うが、どうか愛想をつかさずに付き合って貰えるとありがたい」

「愛想をつかすなんて、あるワケないじゃないですか。私の居場所は、那須隊(ここ)なんです。それは未来永劫、変わる事はありません」

 

 そう言って、小夜子は前髪をかきあげ、普段隠している右目で七海を見上げた。

 

 突然の小夜子の仕草に当惑する七海であるが、小夜子はそんな七海にそっと近付きもたれかかる。

 

「し、志岐……?」

「そんなに心配なら、ちゃんと捕まえておけばいいんですよ。私は、何処にも逃げませんから。ずっと、ずっと先輩達の傍にいます。先輩たちがいなくなったら、私に生きてる意味なんてないんですから」

 

 くすり、と小夜子は笑う。

 

 七海はそんな小夜子にただならぬ気配を感じたのは、突き放す事も抱き締める事もせず、されるがままとなっている。

 

 それを好機と見た小夜子は七海の腕の中に納まるように身体を預け、ゆっくりと体重をかけた。

 

「私はですね、知っての通り男性恐怖症です。七海先輩以外の男性は視界に入れるだけで苦痛ですし、声を聴くのもかなりのストレスになります。そんな女が、此処から出てやっていけると思いますか?」

「それは……」

 

 どう答えるべきか困る問いかけに、七海は言葉に詰まる。

 

 そんな生真面目な七海の姿を見て、小夜子は思わず苦笑した。

 

「…………意地悪な質問でしたね。けどまあ、気を遣わなくても自分の事は自分が一番分かってます。ハッキリ言って、ボーダーに、那須隊に居場所がなくなったら、私は野垂れ死ぬしかない人間です。私の価値なんて、そんなものなんですよ」

 

 だから、此処しか居場所はないんです、と小夜子は言う。

 

 小夜子は、能力自体は決して低くはない。

 

 情報機器に関する能力は図抜けているし、頭の回転が速く要領も悪くはない為、力仕事でなければ大抵の事は出来るだろう。

 

 だが、人付き合いという面に致命的な欠陥を抱えている以上、普通の企業で就職するのは不可能に近い。

 

 社会は、コミュニケーションが取れない人間が生きていける程甘くはない。

 

 小夜子のような事情があったとしても、それを()()()()()()()()()と断じる悪しき風潮が蔓延っているのは事実なのだ。

 

 幾ら能力が高くとも、小夜子の事情を理解してくれる職場などごくごく限られているだろう。

 

 しかし、ボーダーに関してはそのあたりは心配ない。

 

 ボーダーは、小夜子のような優秀な人材をたかがハンデが一つある程度で遊ばせるような余裕はない。

 

 その能力を活かせるよう徹底的に支援し、彼女が支障なく業務に従事出来るよう全力を尽くすだろう。

 

 だからこそ、小夜子にとって最も都合の良い居場所こそがボーダーなのだ。

 

 その居場所を守る為に、全霊を懸ける。

 

 それは彼女にとって当然の事で、私情も絡むのであれば猶更だった。

 

「だから先輩、捨てないで下さい。私にずっと、先輩達の傍で力にならせて下さい。そうしないと私、駄目なんです。そうしないと私、生きてられないんです。そうしないと私、生きてる意味がないんです」

 

 まるで脅迫のように、小夜子は懇願する。

 

 彼女の瞳の奥で揺れるのは、打算と情欲。

 

 想いを寄せる男を絡め取る、()の眼だった。

 

「これまでもこれからも、私、精一杯サポートします。私に出来る事なら、なんだってやってあげます。こう見えて私、色々出来るんです。やろうと思えば、ハッキングや情報操作も出来たりします。私、頑張って色々勉強したんですから」

 

 にこりと、小夜子は笑う。

 

 茶化しているように見えるが、彼女は本気だ。

 

 七海への恋慕を自覚したその日から、小夜子は全力で必要な知識を頭に叩き込んだ。

 

 合法非合法問わず、詰め込めるだけの知識が彼女の脳には刻み込まれている。

 

 身体が貧弱でコミュニケーションに欠陥がある以上、純粋な知識と能力しか自分を役立てる機会はない。

 

 小夜子は自分の価値を、そのように考えていた。

 

 声に出せばきっと、熊谷や茜は口々に「小夜子にも良い所はある」とフォローしてくれるだろう。

 

 だが、小夜子が欲しい言葉はそれではないのだ。

 

 彼女が欲しいのは、自分が此処にいても大丈夫だと思える明確な()()

 

 形のない慰めの言葉など、最初から求めてはいないのだ。

 

「だからですね七海先輩。困った事があったら、なんでも私に言って下さい。私が、全部全部何とかしてあげますから。

「志岐。俺は……」

「ふふ、お礼なんていいですよ。もしも先輩の気が咎めると言うのであれば、そうですね。一つ、お願いを聞いて貰えますか?」

 

 くすくすと笑いながら、小夜子は当惑する七海を見上げる。

 

 その視線に込められた熱に七海は何も言えず、「ああ」と短い肯定の言葉だけを返した。

 

「私の事、志岐、じゃなくて小夜子、って呼んでください。仲間なのに名字呼びだなんて、他人行儀じゃないですか」

 

 他のオペレーターが聞けば「それ違うんじゃない?」と言われそうな内容であったが、生憎此処にオペレーターはいない。

 

 隊員から名字呼びされるオペレーターなど幾らでもいるし、むしろその方が多いくらいである。

 

 だが、他の部隊のそういった事情に七海は疎いし、オペレーターの小夜子が言うからそうなのだろう、と七海は考えている。

 

「そのくらいで良ければ、構わない。小夜子、これからもよろしく頼む」

「────ええ、こちらこそ。末永く、よろしくお願いしますね」

 

 ────だからこそ、小夜子の要求はあっさり通った。

 

 七海との知識差を利用した駆け引きではあったが、小夜子としてはこれ以上ない程満足である。

 

 普通に挑めば惨敗するだけの戦争(たたかい)に、絡め手を用いない程小夜子の頭は悪くはない。

 

 無論、ただ呼び方が変わっただけであるが、それでも小夜子にとってはこの変化こそが重要なのだ。

 

 七海が那須に一途なのは知っているし実感もしているが、自分が何のアクションも起こさないとは小夜子は一切言っていない。

 

 恋愛(たたかい)は、一度負けてからが勝負なのだ。

 

 不和を起こすつもりも、彼女を蹴落とすつもりもない。

 

 だが、戦争には講和という解決手段があるのだ。

 

 これは、交渉の場に立った時にどれだけ譲歩を引き出せるか。

 

 要は、そういう戦いなのである。

 

 そんな彼女の意図など知る由もない七海を見上げ、小夜子は以前と同じように即効で自分のやった事に気付くであろう那須への対応を考え、頬を緩ませるのであった。





 小夜子ちゃん回。ただ悲恋のヒロインで終わるワケじゃないのよ女ってのは、という回。

 当方、愛が重い子以外は書きませんのでね。

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