「────」
自身の持つ狙撃銃から、武骨な発射音と共にトリオンの弾丸が射出される。
弾丸は一直線に標的へ向かい、窓硝子を突き破り、着弾。
設置されたヒトガタの額を、寸分違わず撃ち貫いた。
「茜」
「あ、はい」
少年の、奈良坂の声によって極限の集中状態にあった少女の、茜の意識が日常のそれに引き戻される。
意識の切り替えによって、消えていた瞳のハイライトが戻り、年頃の少女らしい可愛らしい笑顔が露になる。
狙撃手から、ただの少女へ。
見るからに明らかな、自己暗示じみた意識転換であった。
「あの距離でも、きちんと当てられるようになって来たな。テレポーターを併用した、転移狙撃の成功率はどうだ?」
「そちらはまだ、完璧とは言えないです。これまでとは、勝手が違いますし」
「そうか。だが、現段階でも形になっているだけ明確な成果と言える。曲芸じみた動きを求めなければ、充分、奇襲として通用するレベルだろう」
奈良坂がそう言って褒めると、茜はにこりと満面の笑みを浮かべた。
その顔を見て強烈な庇護欲が沸き、奈良坂はそんな茜の頭をくしゃりと撫でた。
茜は気持ち良さそうにされるがままとなっており、その姿からは奈良坂に対する全幅の信頼が見て取れる。
奈良坂にとって茜は、言うなれば妹のようなものだ。
恋愛感情のようなものはないが、単純に可愛がりたいという庇護欲が自然と沸いてくる存在である。
弟子が可愛いのは師匠の常であるが、茜はここ最近で目覚ましい成長を遂げ、A級昇格に手を伸ばせる段階までやって来ている。
前期までは伸び悩んでいた分、その成長は師匠として素直に嬉しい。
那須の紹介で彼女の師匠をやる事になった奈良坂だが、今では従兄弟の那須よりも茜と話す機会の方がずっと多い。
ボーダーの実力者達からも今や一目置かれる存在となった弟子に、奈良坂も内心鼻高々であった。
特に、当真の事実上の弟子(本人は否定)のユズルを撃ち取った時は、内心で盛大に歓声をあげた程だ。
感覚派で独立独歩の当真と、理論派で全体の連帯感を重視する奈良坂は、その方針の違いにより馬が合わない。
勿論狙撃手としての腕は認めているが、性格的に受け入れ難い相手なのは確かである。
無論、防衛任務とあらばそんな些事は捨て置くが、それはそれとしてその当真に弟子が目にものを見せた事は素直に嬉しかった。
その時解説席にいた当真の悔しそうな声もきちんと聴いており、そのROUNDの結果により起きた那須隊の混乱の事がなければ、すぐにでも称賛の言葉をかけてやりたかったというのが本音である。
ROUND3の敗戦の影響────というよりも、那須隊が抱えていた膿が露呈し隊が機能停止状態に陥った時、何とかしよう、という気持ちが無かったと言えば嘘になる。
可愛い弟子の心労は減らしてやりたいし、那須も従兄弟として交流がある。
七海としても、那須を任せるには相応しい男だと考えている。
だが、だからこそ自分は手を出すべきではない、と奈良坂は考えた。
あれは極論、七海と那須の二人だけの問題だった。
それを外野の自分がどうこうするなど、却って逆効果だろう。
所詮自分は、
従兄弟として良好な関係を築けていると自負しているが、それでも彼女の心の壁を破った七海とは比較にすらならない。
男女の問題で相談相手になるべきなのは、同性の友人であるべきだ。
異性の友人が介入すれば、余計な軋轢を招きかねない。
だからこそ、奈良坂は逸る心を抑えて静観を選択した。
幸い、彼女へ手を差し伸べる相手には心当たりがあった。
というよりも、その
那須の件は、自分に任せて欲しいと。
恐らく、自分が手を出そうにも出せずに悶々としている事に気が付いていたのだろう。
敢えて言葉にする事で、奈良坂が不干渉を貫く切っ掛けをくれたのだ。
そんな気遣いをして貰った加古には、感謝する他ない。
茜がそれまでと変わらず自分の訓練に出てきてくれた事も、奈良坂にとっては僥倖であった。
隊の皆と一緒にいなくて良いのか、と尋ねた事もある。
────いいえ。私は、信じて待つだけです。それが、私の役目ですから────
しかし茜は、笑顔でそう言ってのけた。
その言葉を紡ぐのに、どれだけの葛藤があっただろう。
だが、茜は敢えて
その選択は、尊重されるべきだ。
故に奈良坂は、それまでと変わらず茜の訓練を続行した。
────────結果として、那須隊は無事立ち直った。
茜が笑顔で「もう大丈夫です!」と報告してくれた時には、思わず顔が綻んだものだ。
後に那須からも「心配をかけて御免なさい」と電話があり、その声を聞いて本当に解決したのだな、と実感した。
それまでの那須は、何処か空回っているような、無理をしているような気配があった。
笑顔を見せてはいるがそれは形だけであり、何処かその笑みは歪ですらあった。
声も、不自然な程平坦であり、かと思えばいきなり激情を露にする時もある。
だが、その時の那須の声は、何処か憑き物が落ちたような印象を受けた。
その印象が間違いでなかった事は、後日那須隊の面々と笑い合う彼女の姿を見て、確信した。
彼女は、掛け違えたボタンを掛け直す事が出来たのだろうと、そう思った。
今の那須に、以前のような歪さはない。
七海も、ようやく本当の意味で前を向けた事が分かった。
茜もまた、そんな二人の変化を歓迎していた。
それが嬉しい反面、何処かモヤモヤする感情が奈良坂の心に渦巻いていた。
本当に、自分が手を出さずとも良かったのか、と考える事はある。
しかし、考えれば考える程、あれが最良の選択だったと分かる。
もしあの時の那須に手を差し伸べようとすれば、決定的な亀裂の引き金になった可能性もある。
奈良坂は、自分が感情を何から何まで制御できるような人間だとは考えていない。
むしろ、感情的な人間だと思っている。
当真は気に食わないし、茜はよく出来た妹のようで凄く可愛い。
那須にはもっと頼って欲しかったし、七海も同様だ。
自分は、頼られる事に生き甲斐を感じる人間なのだろうと、奈良坂は自分の事をそう判断した。
個人技ではなく、チームの連携を重視するのは、チームの一員として頼りにされたいからだ。
当真が気に食わないのは、自分より上の技量を持っていて、孤高を貫く強さを持っているからだ。
茜が可愛いのは、自分を全面的に信頼し、頼りにしてくれているからだ。
自分の対人関係で最も重視されるのは、恐らく庇護欲なのだろう。
誰かの世話を焼きたい。
面倒を見て感謝されたい。
上を目指す者の手を、引っ張り上げてやりたい。
それは、何処までも
自分より下の者の世話を焼く事に、快感を覚えている。
そう評しても、決して間違いではないだろう。
もし、弟子の茜がユズルのようなあまり愛想を見せない者であれば、奈良坂はもっと事務的に接していたかもしれない。
だが、茜は良くも悪くも裏表がない。
好きな事は好きと言い、嫌いな事は嫌いと言う。
年上の事は無条件で慕い、師匠である奈良坂への感謝を常に忘れない。
そんな茜を弟子に取った事で、ある意味毒気が抜かれたのかもしれない。
もし、茜との出会いがなければ自分は今も尚、孤独な狙撃手だっただろう。
茜を紹介してくれた那須には、今でも感謝している。
そして、そんな茜のやる気の原動力となり、今も那須を支えてくれている七海には幾ら礼をしてもし尽せない。
(まさか、東さんを茜が撃ち取れる程になるとは思わなかったが……)
東を茜が仕留めてのけた事は、奈良坂は素直に驚いた。
チームの連携ありきの狙撃ではあったが、それでもあの始まりの狙撃手を他ならぬ狙撃で仕留めたのはどう控えめに言っても凄まじい偉業である事に違いはない。
ROUND5で東と再び戦うと知った時、奈良坂は良くて撤退させるまでが精々だろう、と厳しい評価を下していた。
東という駒の恐ろしさは、奈良坂も良く知っている。
今でこそ狙撃手の一位は当真が勝ち取っているが、それは東が教導の側に回ったからであると奈良坂は見ている。
狙撃の腕一本であれば当真もボーダー内でもトップクラスなのは間違いないが、戦術や立ち回り、何より生存能力で言えば東に勝てる者などまずいない。
東隊がB級にいるのは、あくまで東が自身を駒として扱い、作戦方針は奥寺達に任せているからだ。
東の目的はあくまで隊員の教導であり、上を目指す事ではない。
もしも彼が全面的に指揮を執ったのならば、東隊がA級に上がる事はそう難しくはないだろう。
だが、それがなくとも東の立ち回りの巧さは群を抜いている。
彼が参加した試合では撤退か、時間稼ぎによるタイムオーバーが殆どであった。
東が落とされる事など、転送位置が悪く尚且つ全部隊に同時に狙われた時くらいである。
それもMAP条件や味方の位置次第で容易く覆してのけるあたり、東という駒の厄介さを物語っている。
以前のランク戦で影浦と弓場に挟まれたにも関わらず二人を上手く食い合わせて生き残ったのは、何の冗談だと思った程だ。
普通、狙撃手は攻撃手に肉薄されれば打つ手がない。
狙撃手は隠密こそを重視すべきであり、見つかったら諦めろ、というのは東が常々言っていた事でもある。
だが、その言葉を真っ向から反証しているのが東だとも言える。
東は、攻撃手に見つかってもその場の地形やチームメイトの援護、更には対戦相手さえ利用して生き残っている。
普通なら落ちるだろう、という状況でも、東であれば生還可能。
そんな、数々の伝説を持つ東である。
それがまさか、残っていた隊員全員が捨て身になったとはいえ一つの隊相手に落とされるとは、考慮すらしていなかった。
その光景を見た時は柄にもなく思考停止して口を開け、米屋の声で我に返った。
柄にもない失態を見せて米屋に散々揶揄されてしまったが、茜が成し遂げた偉業と比べれば些事である。
些事と言ったら些事である。
ともあれ、その茜が最終ROUNDを前に最後の調整を行っているのだ。
前々から取り組んでいた訓練ではあるが、今日の茜はいつもより更に気合いが入っていると、奈良坂はそう感じていた。
「玲達は、今出水達の所か」
「はい、先輩達三人はそっちで頑張っています。だから、私も負けずに頑張らないと」
「ああ、だが根を詰め過ぎるなよ。無理をしても、効率が悪くなるだけだ」
はい、気を付けます!と元気よく告げる茜に、奈良坂は顔を綻ばせる。
今茜を除く那須隊の面々は、出水・米屋・鳥丸の三人を相手に仮想・二宮隊の訓練を行っている。
狙撃手の援護を前提としない訓練であるとは聞いているが、流石に詳細までは聞いていない。
何やら二宮隊に対する策があるらしいが、どんなものかまでは分からない。
何をどう考えても、今の那須隊の戦力で二宮を落とすのは無理がある、というのが奈良坂の見解であった。
那須隊は制圧力こそ高いが、反面攻撃力は二宮隊や影浦隊には及ばない。
MAP次第では無双出来る部隊でもあるが、今回MAP選択権があるのは生駒隊だ。
ROUND1の時のように、圧倒的な地形の有利を押し付ける事も出来ない。
更に、今回戦う部隊にはそれぞれ1対1で七海を抑えられるエースが在籍している。
転送運も関わるが、ROUND7のように七海が相手のエースを抑えて他の隊員が得点する、という戦法は使えないだろう。
生半可な真似をすれば、容赦なく三人のエースに刈り取られるのが関の山だ。
攪乱して狙撃での得点を狙うのかと思いきや、二宮隊対策の訓練に茜の援護は要らないのだと言う。
それだけ茜の力量を信頼しているのかもしれないが、どうにも腑に落ちない奈良坂であった。
(まあ、他の部隊の方針に口出しするのも野暮だな。俺はやれる事をやるだけだ)
だが、隊の作戦方針はあくまでその隊内で決める事。
部外者の自分が、口を出すべきではない。
それに、あの東を討ち取った那須隊の戦術眼は素晴らしいものがある。
オペレーターと七海が大まかな作戦方針を立てているらしいが、その戦術レベルはかなりのものだと言える。
もしかしたら、自分には思いも依らない方法で二宮を討ち取る算段があるのかもしれない。
そう考えると、俄然最終ROUNDが楽しみになってきた奈良坂であった。
「まだいけるか? 疲れたなら休憩を入れるが」
「いえっ! やらせて下さいっ! 私、まだまだ頑張れますからっ!」
「そうか。けど、疲れたなら遠慮なく言うんだぞ。俺は別に、スパルタがしたいワケじゃないからな」
はいっ、よろしくお願いしますっ! と元気の良い返事を聞き、奈良坂は笑みを浮かべて次の訓練の指示に取り掛かった。
狙撃銃を持つとすぐさま茜の瞳からハイライトが消え、標的を穿つ為の戦闘意識へ切り替わる。
茜はその後黙々と、狙撃の訓練を続けていった。
茜と奈良坂の訓練回、と見せかけて奈良坂による
可愛い弟子を持てて割と満足な奈良坂。
弟子バカMAXでお送りしています。