「────」
弧月、一閃。
辻の放った旋空弧月が、家屋を一刀両断する。
断面から崩れ落ち、崩壊する家屋。
「まだだ」
だが、それで終わりではない。
旋空弧月。
更に、二連撃。
二度放たれた拡張斬撃が、更に家屋を両断する。
生駒旋空ほどの射程はないものの、通常の旋空であっても踏み込んで放てば家の一つや二つは両断出来る。
これは、那須本人を狙った攻撃ではない。
彼女本体ではなく、彼女が盾とする障害物を排除する。
その為の、旋空弧月。
無論、これで終わらせるつもりはない。
このあたりには高い建物は存在しないが、それでも家屋が無数に存在している。
全てを斬り払う事は出来ないが、それでもこう動けば無視は出来ない筈だ。
辻は、女性を斬る事は出来ない。
有り体に言えば、女性に対する免疫がない。
女性を前にすると何も言う事が出来ず、身体がガチガチに固まってしまう。
彼がまともに話せる女性は同じ部隊のオペレーターの氷見や、かつて二宮隊にいた狙撃手、鳩原くらいである。
それ以外の女性とは、コミュニケーションそのものをまともに取る事が出来ない。
特に、那須のように並外れて整った容姿を持つ相手はお手上げだ。
那須の美貌は、辻にとっては一種の凶器だ。
恐らく、目の前に那須がいれば剣を振るう事も出来ず落とされているだろう。
だが。
今、辻が斬っているのは那須ではない。
那須の姿は、丁度建物が隠してくれている。
とうの那須本人も、わざわざ攻撃手である辻の前に姿を現す事はすまい。
辻の女性恐怖症は、さほど広くは知られていない。
幸い、と言うべきか。
那須隊との交流は精々二宮が七海にコンタクトを取った程度なので、辻のこの症状については知られていない筈だ。
犬飼も二宮も、徒に隊員のプライベートを喋るような人物ではない。
現場を見られた場合はそのまま説明するかもしれないが、積極的に話しはしない筈だ。
辻にとって、隊員の過半数が女性である那須隊はある種の鬼門だった。
今までB級上位にいた女性隊員は香取くらいで、その香取とも上手い具合に犬飼が辻とのエンカウントを避けるように立ち回っていた為、問題にはならなかった。
だが、那須隊は七海以外の全員が女性隊員。
辻が那須隊とぶつかった場合、正面から相手に出来るのは七海だけという有り様である。
そして、その七海は現在生駒と戦闘中。
位置的に辻が相手を出来るのは、那須と影浦の二択である。
犬飼か二宮が生き残っていればフォローに徹するだけで良かったが、二人は既に落ちてしまった。
二宮隊の獲得点は現在3Ptであり、総合点は50Pt
影浦隊は現状1Pt獲得の44Ptであり、那須隊はたった今茜がユズルを落とした事で3Ptを獲得し48Pt。
この点差では今後の趨勢次第で、二宮隊の獲得点を上回られかねない。
辻は、二宮隊の隊員である事に誇りを持っている。
女性が斬れない、という致命的な欠点を抱えているにも関わらず、二宮は「俺はお前の才能を買っているんだ」とそのまま部隊に置いてくれた。
犬飼は少々悪戯心が過ぎる事があるものの、姉二人に叩き込まれたという類稀なるコミュニケーション能力で至らぬ所を常々カバーしてくれている。
オペレーターの氷見は今では辻が唯一まともに話せる女性であるし、色々と頼りにする事も多い。
鳩原の一件でB級に降格された後も、二宮隊でいる事を止めようと思った事は一度もなかった。
あの一件は詳細が伏せられている為、心ない者がB級降格に対して根も葉もない流言を言って来た事もある。
だが、そんな者達も二宮が睨みを効かせ、犬飼が話をつけると何も言わなくなった。
二宮は「有象無象を気にする事はない」と言って彼を励まし、犬飼は「ああいうのは俺に任せといてよ」と辻を安心させてくれた。
色々と近寄り難いイメージを持たれがちな二宮隊だが、辻にとっては掛け替えのない居場所であり、守るべき仲間達だ。
辻は、そんな二宮隊の一員として恥ずかしくない攻撃手でいたいと、常に願っている。
二宮は射手の王と呼ばれるに相応しい実力の持ち主だし、クレバーさに置いて犬飼の右に出る者はいない。
辻はそんな彼等を、実力を含め大いに信頼し、力にならんと努めて来た。
その二人が、負けた。
一度は完勝した、那須隊相手に。
最初は、何が起きたのか分からなかった。
あの二宮が、落とされるなど。
相手が影浦や生駒であれば、まだ分かる。
だが、二宮を最終的に落としたのは、影浦でも生駒でもない。
日浦茜。
那須隊の、狙撃手。
彼女が、落としたのだという。
前期までは目に見える戦果を出していたワケではない、平凡であった筈の狙撃手。
その彼女が、二宮を落とせるまでに成長していた。
素直に、凄いと思った。
幾ら狙撃手でも、二宮を落とす事は難しい。
シールドが硬い上に、二宮自身も相当に慎重な性格だ。
生半可な手では、隙を突く事など出来なかったであろう。
確かに、二宮とて無敵ではない。
これまでのランク戦でも、生駒や影浦に落とされた事はある。
東の狙撃で、落とされた事も。
だが。
これまでノーマークだった狙撃手に落とされるという想定は、終ぞ考えた事がなかった。
勿論、自分や犬飼が分断されたという要因もあるだろう。
しかしそれにしたって、そう誘導したのは他ならぬ那須隊である。
多分、この日の為に作戦を練り、鍛錬を重ねて来たのだろう。
その熱意は、執念の厚みは、想像する他ない。
どれほどの策を、どれほどの鍛錬を繰り返せば、二宮落としという偉業を成し遂げられるのか。
それを考えて、辻はある種の羨望を覚えた。
鍛錬を欠かした事など、一度もない。
マスタークラスという高みに至って尚、まだ先はあると己を鍛え続けた辻にとって鍛錬は日常であり、当たり前にやるべき事だ。
けれど、二宮隊というトップチームにいた事で、降格以降辻は明確な格上と戦う機会に欠けていた事は事実だった。
彼女たちは、那須隊は、
その姿には、正直な称賛と、憧れを覚えた。
称えるべき偉業であるし、その成果は素晴らしいものだ。
だが。
辻にも、矜持というものがある。
────てなワケで辻ちゃん。俺そのうち死ぬから、そっちはそっちで頑張って。可能な限り、引っ掻き回してから退場するからさ────
犬飼は、そう言って仕事を成し遂げ、そして落ちた。
足を削られ、数的不利を押し付けられたにも関わらず、犬飼は南沢の足を削り、水上と熊谷を落としてみせた。
有言実行の権化たる、犬飼らしい仕事ぶりであった。
その犬飼に、「頑張れ」とエールを送られたのだ。
二宮は落とされた直後、辻にこう告げた。
「お前の好きにしろ」、と。
自ら緊急脱出して撤退しても良いし、このまま戦いを続行しても構わない。
恐らく、二宮本人が負けを認めている事もあるのだろうが、辻の苦手とする女性隊員が何人も残っている為に、そう言ってくれたのだろう。
無理をする必要はない、と。
あの時残っていた者に、厄介でない者はいない。
影浦と生駒の戦闘力は驚異的だし、七海の機動力はまともに相手になどしていられない。
既に落ちたとはいえユズルは鳩原譲りの狙撃の腕を持っていたし、茜は二宮を落とすまでに成長した狙撃手だ。
そして那須の機動力とバイパーの弾幕の合わせ技は、この上ない脅威だ。
今回のMAPが高低差のあまりない市街地MAPだからまだ良かったが、これが摩天楼や展示場などの複雑なMAPであった場合は手の付けられない相手となっていた事だろう。
だが、辻が此処で撤退すれば、那須を無傷のまま放置する事になる。
二宮を落とした事は素直に関心したし、称賛もしよう。
けれど、B級一位の座をむざむざ譲れるかと言われれば話は別だ。
那須隊がB級一位となるには、誰か一人を落とした上で生存点を取ればそれで事足りる。
故に、何がなんでも那須隊には全滅して貰わなければならない。
その為には、影浦に那須を落として貰うのが手っ取り早い。
勿論茜も気を付けなければいけない相手ではあるが、那須は目に見える脅威だ。
彼女と七海が組んだ場合、那須隊を全滅させる事は著しく困難になるだろう。
那須は、圧倒的な機動力を持っている。
逃げに徹した彼女を追う事は、不可能に近い。
その彼女が何故、この場から撤退して七海に合流しようとしていないのか。
その答えは単純で、七海のいる場所が問題だからだ。
七海がいる場所は、二宮との戦いで殆ど荒野と言って良い瓦礫の山と化している。
そんな障害物のない所に出て行って相手が出来る程、生駒という男は甘くはない。
だからこそ、いわば消去法として那須は自分達を相手取っているのだ。
七海と生駒の戦いに、想定外の邪魔が入らないように。
那須の狙いは、恐らく影浦を削る事だろう。
落とせれば御の字。
そうでなくとも、手足を欠損させて戦闘力を削いでおきたい。
那須の思惑は、こんなところだろう。
けれど、それでは困るのだ。
七海を落とす為にも、影浦にはなるべく無傷で那須を落として貰わなければならない。
生駒が七海を落とすという可能性も考えられるが、形勢不利を悟った七海がこちらを巻き込んだ乱戦に持ち込んで来る危険もある。
それに生駒が乗るかどうかはともかくとして、やるべき事をやらない理由はない。
辻の狙いは、影浦をサポートし最小限の消耗で那須を倒させる事。
その狙いは、恐らく影浦に伝わっている。
敢えて辻は影浦に敵意を向けず、歩み寄りの感情を示した。
感情を感知する影浦のサイドエフェクトによって、辻の意図は彼に伝わっている筈である。
恐らく乗って来るだろうと、辻は考えている。
影浦の最大の目的は恐らく、自分の弟子である七海との一騎打ちだ。
それを邪魔しようというのならともかく、その展開に至る為の障害を排除する手伝いをしようというのだから、断る理由はない。
その後に自分を狙って来る可能性はあるが、それならそれで問題は無い。
影浦隊の総合ポイントは、現在44Pt。
50Ptの二宮隊の上の順位になる為には、現在生き残っている5人全員を落として生存点を取る必要がある。
故に出来るならば仕事を終えたら即座に離脱するのが理想ではあるが、あくまで理想だ。
無理をせず、出来る事をやる。
それが、この場での自分が出来る最善。
故に、迷いはない。
自分を。
女を斬れない、半端者の自分を。
部隊の一員として重宝し、仲間としてくれた二宮隊に報いる為にも。
この仕事は、必ずやり遂げる。
そう意気込んで、辻は再び旋空を振るった。
「なーんて、意気込んでるんだろうなー。どう思います? 二宮さん」
「だろうな。あいつの考えそうな事だ」
二宮隊、作戦室。
緊急脱出し、生身の肉体に戻った二宮は、画面に向かう氷見の後ろで椅子に座り、犬飼の言葉を肯定した。
辻が、相当な恩義を自分達に感じている事などとうに気付いている。
この状況ならば、その恩義を理由に最善を尽くそうとする事も。
犬飼はそんな辻の献身がいじらしくて笑みを浮かべ、二宮は普段通りの無表情で溜め息を吐いた。
分かっているのだろうか、あの少年は。
辻は女を斬れない事を気にしており、それを知っていて尚重宝している自分達に感謝している。
だが、犬飼や二宮としては当然の事だ。
確かに女が斬れない、と初めて聴いた時は面食らったが、それを差し置いても尚、辻の能力は優秀だった。
女を斬れないという一点を除けば、あれほどの逸材は今後手に入るか怪しいものだ。
二宮は、同情や憐憫で部隊に誘う事などしない。
純然たる実力を評価して、辻を部隊に引き入れたのだ。
それをあの少年は、全く以て分かっていない。
だからこれは良い機会だと、犬飼は思った。
自分も二宮も落ちた今、辻はある意味隊という枠組みから解き放たれた状態にある。
その状態で自分の仕事をやり遂げられれば、きっと今後の自信に繋がる筈だ。
そういう意味では、この状況を作ってくれた那須隊には感謝すべきなのかもしれない。
それはそれとしてB級一位の座を明け渡すのは癪なので、辻や影浦には是非頑張って欲しいところであるのだが。
(今のところは那須さんの姿を直接見ない事でどうにかやれてるけど、もし辻ちゃんの
辻の弱点に関しては、それなりに知る者はいるものの、徒に広まってはいない筈である。
犬飼自身がそのあたりは根回ししていたし、その事を知っている隊員と七海が仲良くしていたという話も聞かない。
もしそれを知られていた場合、那須が敢えて前に出てきて辻を牽制する、という展開も有り得る。
そうなると、もうお手上げではあるのだが……。
(ん? 待てよ? もしかして────)
そこで犬飼は、一つの可能性に思い至った。
確証のない、合っているかどうかさえ確かめようのないその可能性。
だが。
(────成る程。そういう事ね。辻ちゃん)
犬飼は、知らず笑みを浮かべる。
そして、氷見の後ろに立ち画面を見据えた。
画面の中には、ひたすらに旋空を撃ち続ける辻と、崩れる家屋の向こうにちらりと見える那須の姿が映し出されていた。
そろそろスクエアの発売日。
那須隊を描く者として、茜ちゃんの活躍が楽しみである。