「あ、あの、こんばんは」
那須は、柿崎隊の座るテーブルに近付くと、躊躇いがちにそう声をかけた。
本人としては何気なく挨拶したつもりなのだが、部隊の人間以外に特に用もなく話しかけた経験は初めてである為、緊張で頬が引き攣っている。
一番近くの席にいた柿崎の前に立って話しかけてはいるのだが、落ち着かない様子でキョロキョロと目移りしており、ちらちらと助けを乞うような視線を同じテーブルに座っている熊谷へと向けていた。
「おう、那須か。何か用か?」
そんな、どう見ても緊張でガチガチになっている那須を見て、柿崎は却って冷静になり持ち前の面倒見の良さからそう返した。
熊谷に用があって迎えに来たのならば問題は無いが、どうにも今の那須は自分達に用があるように見える。
那須が
故に、どう見ても困っている那須を放置する選択肢は柿崎にはない。
こういう相手は、まず話を聞く事が肝要だ。
努めて自然に応対し、柿崎は那須の返答を待った。
「あの、えっと、折角なのでご挨拶しておこうと思いまして」
「そうか。わざわざ悪いな」
ふむ、と柿崎は依然として緊張しっぱなしの那須を見て思案する。
那須は、あまり社交的な人物ではない。
少なくとも、こういう場であまり積極的に挨拶回りをするタイプの人間ではない筈だ。
そもそも、那須のいたテーブルと自分たちのテーブルは割と距離が離れている。
挨拶回りをするなら、近くのテーブルにいた影浦隊や荒船隊の方を先にやるのが普通だろう。
(いや、そうとも限らねぇか)
ちらりと、柿崎は隣の席に座る照屋へと目を向けた。
照屋は、那須と同じ星輪女学院の生徒である。
学年こそ違うが、同じお嬢様学校に通う学友である事は間違いない。
もしかすると、同じ学校の彼女がいるから話しかけ易いと踏んで、自分たちの所に来たのかもしれない。
という推測も出来るが、あくまで現状から推察した内容に過ぎない。
正直なところは聞かなければ何も分からない為、此処は話し易い空気を作ってやる方が重要だろう。
そう判断した柿崎は、虎太郎と照屋に目を向ける。
照屋は頷き、虎太郎もまた柿崎の意図を察して口を開いた。
「こんばんはっ! 以前の試合ではお世話になりましたっ!」
「え、ええ」
「────────こんばんは。こうして話すのは、初めてですね」
虎太郎の元気な挨拶に面食らった那須はしどろもどろになり、言葉に詰まる。
そんな彼女に助け船を出したのは、照屋だった。
照屋はにこりと笑い、那須に話しかけた。
「あ、うん。そう、よね」
「けど、少し驚きました。失礼なんですけど、あんまり那須先輩ってこういう所で積極的に話しかけるイメージがなかったものですから」
照屋の言葉に図星を突かれびくり、と震える那須だが、なんとか絞り出すように言葉を選んで返答した。
「う、うん…………えっと、ね。こういう場だし、折角だから、あの、色々な人とその、話そうと思って……」
「そういうことなら大歓迎です。ですよね、柿崎さん?」
取り合えず用件を察した照屋は、そう言って柿崎に確認────────という名の、意思統一を図る。
柿崎もまた、照屋の意を汲み頷いた。
「ああ、俺は構わないぞ────────あ、俺がいない方がいいなら席を外すが」
「い、いえそんなことは……っ!」
思わず大声をあげてしまった那須に、その場の注目が集まった。
幸い店内は相応に騒がしかった為他のテーブルの面々にまでは気付かれていないが、柿崎達にはばっちり狼狽したところを見られてしまい、那須の頬が赤く染まる。
「…………あ、すいません。いきなり大声で……」
しょぼん、と肩を落とす那須を見て、照屋は確信する。
彼女は何か、必要以上に気負ってこの場に立っている。
これはちゃんと話を聞いた方が良いだろうと、照屋は覚悟を決めて口を開いた。
「…………なにかありましたか? 私が力になれる事なら、ぜひ話してみてください。これでも、学友ですしね」
「…………成る程。そういう事でしたか」
半ばパニック状態になりながらもしどろもどろに事情を説明した那須の話を聞き、照屋は得心したように頷いた。
那須の説明が中々要領を得なかった為に時間は要したが、どうやら彼女は自分の隊のオペレーターに「コミュしてきなさい」と送り出されて自分達の所に来たらしい。
正直に言って、色々段階すっ飛ばし過ぎだろうと思う。
まあ、百歩譲ってランク戦の打ち上げという場を使って交友関係を広めようとする事自体は間違いではない。
だが、この見るからにコミュ障な少女を何のフォローもなしに放り出す時点で割とどうかと思う。
後押ししたのは那須隊のオペレーターである小夜子らしいが、話によれば彼女は男性恐怖症でそもそも外に出てコミュニケーションを取る機会自体が皆無だと聞く。
だからこそ、判断を誤ったのだろう。
大方、コミュニケーション能力の高そうなところにぶつければ流れでなんとかなるだろうと楽観していたのだと思われる。
ハッキリ言って、考えなしにも程がある。
恐らく、小夜子は自分の閉じた交友関係における経験だけでコミュニケーションについて理解した気になっているのだろう。
しかし、コミュニケーションとはそう単純なものではない。
相手が違えば、対応が違うのは当然だ。
良く「誰に対しても分け隔てなく」なんて言葉を聞くが、言い換えればそれは誰に対しても事務的な対応を行っている状態に近い。
人間には個性があるし、物事の好き嫌いも個々人によって異なるのが当たり前だ。
たとえば、コミュニケーション上手で陽気な相手ならば一発目からテンションを上げた調子の良い会話で切り込むのも有りだが、口下手な相手に同じことをすれば会話が続かなくなって気まずい想いをするだけだ。
だというのに、「相手はコミュニケーションが巧いからなんとかなるだろう」というのは些か楽観が過ぎる。
時には荒療治が必要になる時もあるが、それが全てではない。
まともなコミュニケーションの経験が少なく、尚且つそのやり方で
故に身の着のまま那須を放り出す暴挙に出れたのだろうが、少しやり方が乱暴に過ぎる。
オペレーターの宇井経由で小夜子に
実はこの打ち上げが始まる前、宇井を経由して小夜子から連絡を受け、「那須先輩をお願いします」と打診を受けていたのだ。
その時にはそこまでする必要があるか半信半疑ではあったものの、目の前の那須を見るとその判断が間違っているとは言い切れなかった。
那須はどうやらこの場でどう振舞って良いかまるで分からないらしく、視線を右往左往させながら挙動不審になっている。
自分から話しかけて来てこの有り様というのはコミュ障が極まっていると言っても過言ではなく、確かにこれは荒療治が必要なレベルだ。
(…………まあ、引き受けた以上はやらなくちゃね。これは確かに、放っておくのは危ういし)
別段そこまで面倒を見る義理はないのだが、そもそも照屋は他人の世話を焼く事に遣り甲斐を感じるタイプである。
ちなみに頼りない男を支えてあげたいという性癖からも見てわかる通り、本気度によってはスパルタも辞さない。
柿崎の場合は強引にやるのは乙女心的に憚られたが、那須相手であればそういった遠慮は必要ない。
個人的に、思う所もあったのだ。
幸い小夜子からも「遠慮なくやって貰って結構です」と言質を取っている。
やるならば、徹底的に。
そうでなければ意味がない。
折角、自分を頼ってくれたのだ。
その期待ぐらいは、応えてあげたい。
だから柿崎を始めとした面々に「ここは任せて下さい」と告げ、照屋はさりげなくお辞儀をする熊谷を横目に那須と向かい合った。
「那須先輩、一ついいですか?」
「な、何……?」
「那須先輩は、
まずは、一番最初の確認。
即ち、那須の意思は
友達に見損なわれたくなくてやっているのか。
それとも、本当に変わりたいと思っているのか。
まず、それを確認しない事には話にならない。
基本的に、人間が何らかの自己変革を行う場合、やる気────────モチベーションの有無は大きい。
親に「勉強しろ」と言われれば逆に勉強する気が失せるように、やりたくもない事を他者から強要された場合のモチベーションは最悪になる。
反対に、何か明確な目的があって自発的に取り組む事に対しては、基本的にモチベーションは保証されている。
誰かから強要されてやるのではなく、自分が必要だからと考えて行う努力は、効率が段違いに上がる。
何せ、「やりたくてやっている」のだ。
「嫌々やらされる」事よりも、やる気が出るのは当然である。
那須は、本当に交友関係を広げたいと思っているのか。
この返答次第では、この話はこれで終わりだと照屋は考えていた。
後押しされて決心が付いて実行したのか、それとも流されるままにやって来たのか。
話は、それからだ。
正直に言って、照屋は那須に対してそこまで良い印象を抱いてはいなかった。
確かに浮世離れして綺麗な人だけれども、その視線は空虚で誰も見ていない。
以前、星輪の中庭で学友と話している彼女を見た事がある。
確かに、その時那須は笑っていた。
その視線は、話をする級友を見てもいない。
何処か遠くを見て、目の前にいる同級生の事なんか欠片も気にしていない。
そんな風に、視えたのだ。
そして事実として、彼女はROUND3でその異常性を露わにした。
あの時の血を吐くような慟哭は、今でも耳に残っている。
あれは、女の情念の叫びだ。
自分が閉じ込めた男を害された女の、憎悪の声だ。
あんなものを抱えていた那須が、本当に
照屋は、それが気がかりだった。
ただ、チームメイトに促されて嫌々やっているだけではないのか。
形式だけでも、整えようとしているのではないのか。
それが、気になっていた。
果たして、どちらなのか。
そんな照屋の思惑を知ってか知らずか、問いを向けられた那須は一度深呼吸をして息を整え、顔を上げる。
そして、その
「…………そうね。良い機会かな、って思ったの」
「どういう事でしょうか?」
えっとね、と那須はおずおずと話し始める。
「あのROUND3、見たわよね? 多分、かなりみっともない姿を晒しちゃったと思うんだけど……」
「ええ、見ていましたから」
「……ガフッ……!」
あっさりと肯定された那須は、少女として出してはいけない悲鳴を押し殺しながらもなんとか顔を上げ、話し続ける。
「…………えっと、あれを見て分かったと思うんだけど、私って玲一の事以外────────ううん、自分の事以外、何も考えていなかったの」
「…………」
真剣な声色に照屋は無言で頷き、那須に続きを促した。
「玲一と一緒に戦える、玲一と一緒にいられる、ってだけで舞い上がって、他の事なんて何も考えてなかった」
だって、と那須は告げる。
「私の事を心配してくれたくまちゃんの事も、一人で頑張ってた茜ちゃんの事も、全部知ってて見守ってくれてた小夜子ちゃんの事も、そして────────私の傍にいてくれた、玲一の事も。私は自分の事ばかり考えて、大切な人たちの気持ちを何も考えていなかったの」
その言葉は、那須の本心だ。
あのROUND3での敗北から立ち直るまで、那須は本当の意味ではチームの事を考えてなどいなかった。
ただ、居心地の良い空間にいたい。
臭いものに蓋をして、見た目だけでも綺麗なままで居続けたい。
そんな
「でも、小夜子ちゃんの────────皆のお陰で、気付いたの。私は、一人なんかじゃないって」
那須は頬を上気させ、興奮したように言葉を捲し立てる。
「見捨てられるんじゃないかって怯えなくても、遠くに行っちゃうんじゃないかって心配しなくても、見放されるんじゃないかって気にしなくても、いなくなっちゃうんじゃないかって不安にならなくても、いいんだって」
だから、と那須は告げる。
「それは全部私の下らない妄想で、世界は私が思うより────────ずっと、優しいんだって。分かったんだ」
世界は、優しい。
この言葉を彼女が言うのは、重い。
彼女にとって世界は、残酷で厳しいものだった筈だ。
四年前の悲劇で、彼女はそれを思い知った。
掛け替えのないものでも、どんなに大切にしていたものでも。
ふとした拍子に、それは簡単に手のひらから零れ落ちていくのだと。
彼女は、知ってしまった。
だから、怯えた。
だから、恐れた。
那須の依存癖の悪化や、玲一への歪んだ独占欲の発露も。
全ては、それが原因だ。
故に彼女は、自分の世界を狭めてしまった。
大切なものを増やせば、
そんな強迫観念が、彼女を対人関係について臆病にさせてしまった。
昔と違って日常用のトリオン体を得て外を出歩けるようになったにも関わらず、彼女の世界は閉じたままで、友達を得る事に、浅く広い付き合いをする事を、敬遠させてしまっていた。
その事を、あの一件を経て彼女はようやく自覚したのだ。
「だから、良い機会だと思ったの。今までは照屋さんは同じ学校なのに碌に話した事もなかったけれど、それじゃあ
だって、と那須は続ける。
「同じボーダー隊員で、学校だって一緒なのに、世間話の一つもしてないなんて変でしょう? 折角外を出歩ける身体を手に入れる事が出来たんだから、それを活かさないのはどうかと思ったの」
私ね、と那須は苦笑する。
「小さい頃は碌に出歩けなくて、一年の殆どがベッドの上、って事も珍しくなかったの。だからそんな私に外の話を聞かせてくれた七海は私にとって、手を引いてくれる王子様みたいだと思ったの」
容赦なく惚気をぶちまけ、場の空気を固まらせた後那須は告げる。
「だから、私の世界はそれだけでいいと思った。それだけでいいんだって、思い込んでた────────けど、それは違ったの。私はただ、
那須はそう言うと、前髪を弄りながら少し俯いた。
「玲一は外の話を楽しそうにしてくれたけれど、私にとってそれは未知の世界である事に変わりはなかった。だから私は外に憧れると同時に、恐れていた。そして────」
────────四年前のあの日、自分の不安は現実になったのだ。
あの日の事は、今でも夢に見る。
段々と体温が失われていく、愛しい少年。
そして、そんな幼馴染を助ける為に全てを捧げ、砂となって消えた彼女。
世界は、厳しい。
そんな認識が、あの日那須の心の中に深く深く刻まれた。
だから、彼女は自分の世界を閉ざした。
余計なものを、抱え込まないように。
もう二度と、自分の手のひらから幸せが零れ落ちてしまわぬように。
「けれど、それは間違いだった。いえ、間違いではないけれど、全てではなかったのね」
那須はそう言ってくるりと、店内を見回した。
テーブルというテーブルがボーダー隊員によって埋め尽くされ、各々が楽し気に会話に興じている。
特に七海のテーブルにはひっきりなしに人が訪れ、次々に笑顔で声をかけていく。
それは間違いなく、此処までの彼女たちの歩みが齎した
自分を見つめ直し、掛け違えていたボタンをかけ直し、ようやく周りに目を向ける余裕が出来た。
だからこそ、那須は世界の素晴らしさに、優しさに気付いた。
この景色は、その証左。
その光景を眺めながら、那須は微笑んだ。
「世界は、確かに厳しいけれど────────でも、本当は同じくらい、優しい面もあるんだって。私は、そう思えたの。だから────」
そう言って、那須は照屋に向かって手を差し出す。
その声はもう、震えてなどいなかった。
「────私と、友達になって下さい」
────────そして、思い切って、そう口にした。
まるで一世一代の告白のような、そんな嘆願。
そんなものを受けてしまえば、照屋の答えなど一つしかない。
「ええ、私でよければ。喜んで」
照屋は躊躇いなくその手を握り、笑みを浮かべる。
その光景を見て、近くで見ていた熊谷はほっと胸を撫で下ろし、柿崎や虎太郎もそれを歓迎するように笑いかけた。
心配は、ただの杞憂だった。
昔はどうだか知らないが、今の那須はただの年頃の女の子だ。
普通に生きて、普通に恋をする。
そんな、何処にでもいる少女に過ぎない。
だから、友達になる事に否などない。
むしろ、自分からお願いしたいくらいだ。
こんな素敵な先輩と、少しでも懇意になれるのだから。
────────少女の世界は、広がった。
閉じていた世界の鍵は、開け放たれた。
自分は、一人じゃない。
那須はその言葉の意味を今、本当の意味で理解したのだった。
────────尚、後日照屋が(重い)恋をする乙女の先輩として那須を慕うようになるのだが、それはまた、別のお話。
数日間が空いたけど更新です。
その間に日刊総合ランキングにも載ってました。評価して下さった方はありがとうございます。
本当はもっと色々柿崎隊と話させようとしたんですが、つい筆が滑っていつもの調子になりました。
パーティは、もう少しだけ続くのじゃ