「ふぅ……」
「お疲れ様。今日は色々大変だったわね」
溜め息を吐いてベッドに腰かける七海に当然のように付き添い、那須もまたベッドの上に座る。
大勢を巻き込んだ大盛り上がりとなった影浦の
流石に茜達中学生組は遅くなる前に送迎付きで帰らせているが、高校生以上の面子は時間ギリギリまで残った者が殆どであった。
那須は基本的に七海が帰らない限りは帰ろうとはしない為、必然的に遅くまで残る面子に付き合った形になる。
「それでも、嬉しかったし楽しかったよ。玲はどうかな?」
「私も、楽しかったわ。友達も、出来たし」
そう言って、那須は静かに微笑んだ。
あまりああいった大勢で集まる事を好むタイプではなかった那須だが、今回ばかりは特別だ。
自分たちの勝利を祝いたい気持ちもあったし、今回は小夜子の後押しもあって
あの後照屋とは連絡先を交換し、学校でももっと話をしよう、という事で落ち着いた。
チームメンバー以外は碌に連絡先を登録していなかった那須であるが、これから先は徐々に増えていく事だろう。
切っ掛けは、掴めた。
もう、彼女の世界は閉じてはいない。
だから、もう大丈夫だ。
自分だけが彼女の救いであった時期は、もう終わったのだから。
「……むぅ……」
じとりと、那須が据わった目つきで七海を睨む。
心を読んだワケではない。
女の勘は、別段第六感の類というワケではない。
ただ相手を観察し、その仕草や挙動から次の行動や思考内容を察する洞察力の別名だ。
今の那須は、七海の胸の内を知っている。
あのROUND3の敗戦の後、お互いに内に秘めていた想いを言葉にして伝えたからだ。
七海は、那須が何に悩んでいたのかを既に知っているし。
那須は、七海が本当に
その暴露合戦で、那須はある程度七海の思考傾向を理解する事が出来た。
だからこそ、七海のあまり動かない表情や仕草、発言内容を鑑みて、余計な思考を巡らせている、という推察に思い至ったワケである。
「ねぇ、玲一」
「なんだ?」
「余計な事、考えてるでしょ?」
「それは……」
故に、七海は突然の那須の詰問に、言葉を詰まらせた。
その様子に図星ね、とあたりを付けた那須は溜め息を吐いた。
「あのね、念の為に言っておくけれど、友達が出来ても優先順位は変わらず玲一の方が上よ? 交友関係はきちんと広げるつもりはあるけれど、私が一番大事にするのが誰かなんて決まってるじゃない」
だから、と那須は七海の手をぎゅっ、と握り締めた。
「私の中じゃ、一番はいつでも変わらないの。私は玲一がいなきゃ生きていけないし、玲一のいない世界で生きるつもりもない。何がどれだけ変わっても、これだけは変える気はないし変わるワケがないのよ」
「玲……」
那須の言葉は彼女が変わっていないという証明にも見えたが、違う。
彼女は、確かに変わっている。
那須の世界はもう閉じてはいないし、外に目を向ける余裕も出来た。
だが、その根本は────────七海を最優先とする価値観自体は、一切ブレていない。
外の世界にも、目を向けるようになった。
友達を作る、意義や楽しみも覚えた。
だが、その根底は変わらない。
人の輪に入る事に抵抗はなくなったが、彼女の芯である七海への想いはより強固に凝縮されている。
有り体に言えば、吹っ切れたのだ。
互いの負い目から解放され、本当の意味で男女として七海と向き合う事が出来るようになった。
だからもう、那須は遠慮をする必要がない。
これまでは秘め続けていた女の情念を、ある程度表に出すようになってしまったのだ。
情念を見せても、七海に嫌われる事などないと確信したが故に。
これまでは、
だが、今の彼女にはそれがない。
他ならぬ七海自身がなにがあっても那須を嫌う事などないと、証明してしまったが故に。
「だから安心して。友達が出来ても、一番は玲一だから。私はずっとあなただけの私でいるし、玲一も────────以外には、触れさせないから」
「…………そうか」
一部聞き取れない箇所があったが、那須の宣言を聞いて七海は小さく首肯した。
考えてみれば、特に憂慮する事はない。
那須が外に目を向ける事が出来るようになったのは事実であるし、友達を蔑ろにするとも言っていない。
ただ、それらを考慮した上で最優先事項は七海である事に変わりはない、と言っただけだ。
だからきっと、友達からの誘いがあったとしても、七海との用事があれば迷わずそちらを優先する。
彼女にとって、七海との時間以上に優先されるものは何もないのだから。
ただ、それだけだ。
それだけならば、問題は無い。
だって、七海も同じなのだ。
那須ほど露骨ではないものの、七海の世界もまた、彼女を中心に回っている。
だから那須の一番は自分でありたいと思うし、那須が自分より他の誰かを優先したら嫉妬もする。
七海は別に、聖人君子でもなんでもない。
好きな子と一緒にいたい、自分だけを見て欲しい、と願うのは至極当然の事だ。
大切な人と共に生きる為の苦労なら、幾らでもやってやる。
だから、これで良い。
その為の力は、今まで培ってきたつもりだ。
それに。
────────困った事があるなら、いつでも相談に乗るくらいはしてやれる。だから、もっと頼れ────────
村上から聞かされた言葉が、蘇る。
何も、一人で何もかもを抱え込む必要はない。
それを自分は、村上達に教えて貰った。
潰れそうな時は、頼れば良い。
そんな当たり前を、今の七海は出来るようになった。
周りの人々の、暖かな心を知って。
七海はようやく、人を頼る事を覚えたのだ。
だから、問題ない。
もしも自分達が間違った道を進もうとしても、それを引っ張り上げてくれる人達がいる。
独りではないという事がこれ程までに気持ちを楽にさせるとは、考えてもみなかった。
重責は、誰かに支えて貰う事が出来る。
その事実に、七海はようやく気が付いたのだ。
「玲、その気持ちは正直に嬉しい。確かに俺は、柄にもなく嫉妬してたみたいだ。偉そうな事を言っておいて、返す言葉もないな」
「いいえ、私も嬉しかったわ。だって、それだけ玲一が私の事を想ってくれていたという事でしょう? なら、私はそれを嬉しく思う事はあっても、軽蔑する理由にはならないわ」
私も、同じ気持ちだもの、と那須は告げる。
「私も、私より影浦先輩や村上先輩を頼る貴方を見て、何も思わなかったワケじゃないのよ? でも、流石にそこに口出しするのはどうかと思って抑えていただけ。私も同じだったんだから、お相子よ」
「そうか」
なら、仕方ないな、と七海は苦笑した。
見当違いにも思える嫉妬を抱いていたのは、別段七海だけではない。
那須も、それは同じだった。
それがどうにも可笑しくて、安心した。
この想いは、自分の独りよがりではないのだと。
そう、確信出来たのだから。
「ふふ」
「ははは」
楽しい気持ちになって、二人から笑いが漏れる。
笑顔を向け合い、笑い合う。
肩の力を抜いた、本当に自然に出た笑み。
そんな笑みを、二人は交わし合っていた。
「ねえ」
「なんだ」
「此処まで来れたね、玲一」
「そうだな」
何が、とは言うまでもない。
前期まではB級中位の最下位に位置していた那須隊が、今期で一気に駆け上がりB級一位にまで上り詰めた。
A級昇格試験も、受験資格は獲得出来ている。
B級一位というランクは、必ず昇格試験で有利に働く筈だ。
そう、此処まで来たのだ。
底辺から、頂点へ。
文字通り、駆け上ったのだから。
「ROUND3の時までは、私、自分の事しか考えてなかった。あの時の私は、
「……………」
那須の懺悔に、七海は何も言えない。
何を言ったところで、那須を傷つけてしまうだろうから。
過ぎた事だ、と言っても彼女の中での清算が終わらない限り、戯言にしか聞こえない。
何より、今は那須が決意を以て告解しようとしているのだ。
それを邪魔するのは、無粋というものだろう。
「けど、小夜子ちゃんに言われて気付いたの。私は、皆の事をきちんと考えるべきだったんだって。折角玲一が入ってくれたのに、どうしたら勝てるか、っていう思考を、私は放棄しちゃってた」
だから、と那須は続ける。
「私は、考える事にしたの。戦術なんかじゃ、小夜ちゃんや玲一の方が上。だけど、だからと言って私が思考を放棄して良い理由なんかないんだって。戦術を理解出来れば、それだけ咄嗟の判断が巧くなれる。戦術に関して任せきりな分、私は私なりに出来る事を精一杯やるつもり」
それが、私の最善だから、と那須は告げる。
確かに、戦術理解を深めるのは悪い事ではない。
戦術を理解するには、大局的な視点が不可欠だ。
俯瞰的に戦場を見て、その場その場の利益だけに捉われず、最終的な損得を計算して最適な行動を導き出す。
それが、戦術思考というものだ。
那須はそれを、よくやれていると思う。
ROUND7の時のグラスホッパーで茜を送り込んだ判断も、そういった思考を用いて導き出したものだ。
以前の那須であれば、無理に合流しようとして結局間に合わなかった、という事になっていた可能性も否定出来ない。
戦術的思考に理解が及ぶようになっている、その証左と言うべき成長だろう。
「私、上手くやれてたかな? ちゃんと、皆の力になれてたかな?」
「ああ、当然だ。玲なしで、此処まで来れたりは出来なかった。玲は、隊長としてしっかりやれてると思うぞ」
「そっか。そうなんだ」
良かった、と那須はふぅ、と息を吐いた。
他ならぬ七海に自分の貢献を認められた事で、多少なりとも満足出来たのかもしれない。
もしかすると、最終ROUNDで辻の策に嵌まり落ちた事を気にかけていたのかもしれない。
七海としては影浦との戦いに辻の介入を防ぐ事が出来てそこまで痛手というワケではなかったが、それでも落ちた事自体を気にしていた可能性はある。
だがそれは、見当違いというものだ。
あの試合での那須の最大の役目は、対二宮における射撃援護だ。
二宮落としは、あの場の誰が欠けても成し得なかった偉業である。
その一角を担った時点で、那須は充分隊に貢献している。
派手な活躍ではなかったものの、それでも彼女が隊に貢献していないとは、口が裂けても言えはしない。
彼女なくして、此処までの隊の躍進は有り得なかったのだから。
「次は、昇格試験か。上がれるかな、A級に」
「上がれるさ、きっと。俺達は、此処まで来れたんだ。なら、行けるトコまで行くのも悪くないんじゃないか?」
「そっか。そうだよね」
悪くないわね、と那須は呟く。
那須は、戦闘自体は嫌いではない。
というか、トリオン体での運動は彼女の好きな事の一つだ。
生身の肉体では到底成し得ない機動力で跳び回り、相手を蜂の巣にする快感。
B級に上がったばかりの中毒状態ほどではないが、那須が戦闘状態の解放感を感じていたのは間違いない。
どうせならば上を目指したい、という想い自体は元々那須の中にあったのだ。
実を言うと相手を蹂躙し何もさせずに圧殺する戦術の方が好みである那須だが、格上食いの快感というものも此処に至るまでの戦いで味わっている。
結論から言って、悪くはなかった。
試行錯誤の末に格上の相手に牙を突き立て、弑逆する達成感。
あれは、格下の蹂躙とはまた別種の快美感がある。
あの感覚を、もう一度。
そういった想いは、那須の中に確かに渦巻いていた。
「行きましょう、玲一。もっと、上に。私達なら、きっと出来るわ」
「ああ、俺達なら、きっと出来る。俺も、玲も、熊谷も、日浦も、志岐も。もっと、上を目指したって良い筈だ」
「…………ええ、上がりましょう。
それは、宣誓。
今の地位で胡坐をかいたりせず、ひたすらに上を目指すという宣戦布告。
この気持ちは、
言葉にせずとも、既に想いは一つ。
必ず、A級に上がる。
その覚悟なくしては、二宮隊の玉座を奪った意味がない。
B級一位という座は、決して軽いものではないのだ。
此処で歩みを止めるようでは、どう考えても先はない。
停滞を、足踏みを選んだ人間が成長できる程、此処は甘い環境ではないのだから。
だから、進む。
だから、足を止めない。
だから、今はやるべき事を全力で。
故に。
今は、休むべきだ。
もう、夜も遅い。
休む事もまた、必要な事柄の一つだ。
最終戦と、その後の打ち上げ。
疲労もそれなりに溜まっている為、夜更かしなどは論外だ。
だから、二人の意識が落ちるまで、そう長くはかからなかった。
「玲……」
「玲一……」
寝言で互いの名を呼び合い、二人はベッドに横になり寝息を立て始めた。
穏やかな顔で、那須と七海は眠っている。
窓から差し込む月明かりが、並んで眠る二人の姿を照らし出していた。
ちなみに翌朝、二人の下を訪れた熊谷に一緒のベッドで眠る姿を目撃され、気まずい想いをする事になる。
那須は完全に開き直ってしまい、一人居たたまれない気持ちになった七海であった。
腹痛で執筆出来なかったけど回復出来たんで更新です。
さて、そろそろ合同戦闘訓練の説明に移ろうと思います。
合同戦闘訓練編、始まるよ。