『古寺、時間切れだ……っ! 撤退しろ……っ!』
「……っ! 了解……っ!」
通信から響く三輪の指示に、古寺は迷いなく従った。
この言葉の意味するところは、一つしかない。
冬島の、トラッパーの準備が整ってしまった。
つまり。
「遅い」
「が……っ!?」
────────地形の支配権を、掌握された事を意味する。
古寺が陣取っていたビルの真下から現れた香取が、彼の背後を取り速やかにその胸部を貫いた。
香取が先程までいた場所と古寺がいる場所は、かなり距離がある。
だが、そんなものは冬島の前では関係がない。
スイッチボックス。
その脅威を、十全に利用されただけなのだから。
『トリオン供給機関破損。
機械音声が、古寺の脱落を告げる。
古寺は光の柱となり、戦場から消え去った。
「此処で古寺隊員、
「時間をかけ過ぎたな。どうやら、此処まで香取隊の────────いや、冬島隊の思い通りに事が進んでいたようだな」
戦果を挙げた香取隊に対し、風間は淡々と冷静な見解を口にする。
公平さを求められる時は、誰が相手でもフラットな意見を貫き通す。
それが風間の年長者としての矜持であり、揺るぎのない信念だ。
だからこそ、彼は多くの者に慕われているのだから。
「香取の襲撃も、ワイヤー地帯での立ち回りも、鉄橋での戦闘も、その全てが
「ふむ、不勉強で申し訳ないのですが、トラッパーという役職に付いて簡単にご教授願えますか? きっと、B級隊員の面々は初めて目にする方も多いでしょうし」
「そうだな。そのくらいはいいだろう」
風間は桜子の訴えを承諾し、説明を開始した。
「
「皆無、ですか? 狙撃手のように、近付かれたら終わり、というワケではなく?」
「文字通り
第一に、と風間は説明する。
「トラッパー用トリガーは、他のトリガーと比べトリオンを多く消費する。当然、攻撃用トリガーなどに振り分けるトリオンなど余分だ。そもそも、その性質上使えるトリガーに制限があるのだから余計なトリガーを入れる隙間などない」
「トラッパーは、バッグワームタグの所為で片方のスロットが埋まっちゃいますからね。だから
そう、
万能職の者と専門職の者を比較した場合、一つの分野に置いて後者が前者より優れている事は当たり前だ。
何せ、訓練に使える時間が違う。
ポジションでいえば、
故に、一つの分野に関する習熟度は当然攻撃手の方が上だ。
事実、攻撃手から狙撃手に転向した荒船は攻撃手としての能力で他の攻撃手に一歩譲る結果となっている。
付け焼刃に意味がないのは勿論だが、万能という言葉は、決して優位性を確保出来る立場を意味しない。
手広くやれば、当然その範囲に応じて一つ一つの習熟度は下がっていく。
鍛錬に使える時間に限りがある以上、これは当然の事だ。
だから狙撃手は近付かれた時の対処法を学ぶくらいなら狙撃の訓練に集中するし、攻撃手が遠距離攻撃手段を持ちたければ機動力を磨いて回避力を上げるか旋空の扱いに熟達するよう訓練するのが手っ取り早い。
不意打ちでそれまで使っていなかったトリガーを使うという手は有効ではあるが、それが通用するのは
所詮付け焼刃である以上、
そういう手はそれを使わなければ勝てないという状況下で、初見の有利を活かし切るしか使い道はない。
素人は安易にトリガーを増やせば強くなると思いがちだが、断じて違う。
狙撃手に、荒船のように近接攻撃手段を持てば良いと思う者はいるだろう。
射手や銃手に、犬飼のように近接武器を学べば良いと思う者もいるだろう。
攻撃手に、王子隊のように
だが、それは単なる浅慮というものだ。
彼等には、それぞれ相応の理由があってそのトリガーを選んでいるのだから。
荒船は、
そもそもの目的が違う以上、荒船がやっているからと言って、万人にとってそれが最善の選択とは限らないのだ。
犬飼は、サポーター型の銃手としての腕は既に
犬飼は基礎能力と判断能力が鬼のように高いからこそ、そんな真似が出来ているのだ。
当然本職の射手や攻撃手と比べれば練度は落ちるし、近接で攻撃手と真っ向から斬り合うなど以ての外だ。
付け焼刃を切り札にするのではなく、あくまで
それが出来るのは、犬飼だからこそである。
そして、攻撃手のハウンド使用に関しては、その運用目的を明確にしていれば有効である事自体は事実だ。
王子隊は隊のコンセプトとして全員が射程を確保し、連携して仕留めるイメージで
ハウンドは確かに射手トリガーの中では扱い易い部類に入るが、それは決して練習もなしで扱える、という意味ではない。
キューブの生成や分割、誘導設定等を行う以上、どうしても脳のリソースをその処理に割かざるを得ない。
センスの無い者であれば見当違いの方向に飛んで行ったり、そもそも時間がかかり過ぎて使い物にならないといった場合もある。
特に攻撃手がハウンドを使う場合、大抵は目の前に対戦相手がいる状態で使用される。
弾丸の処理に手間取って眼前の相手との斬り合いを疎かにすれば、当然その隙を突かれる。
決して、手軽に扱える万能トリガー、というワケではないのだ。
例としては、B級下位に間宮隊という三人全員が射手という勝つ気があるのか分からないチームがいるが、彼等の唯一得意とする三人がかりのハウンド────────彼等曰く
間宮隊の場合その
ハウンドで固めたところを斬り込み、トドメを刺す。
或いは、斬撃を囮にして横からハウンドを撃ち込む。
そうした運用を想定しているからこそ、
同じように
彼女は受け太刀を軸とする守りの技術はボーダー内でも高い評価を受けているが、反面攻撃に関しては苦手な部類に入る。
これは前期までは那須の護衛ばかりをしていた弊害であり、本人の適性の問題でもある。
弧月一本では、限界がある。
そう感じたからこそ、熊谷はハウンドを習得したのだ。
彼女の幸運は、ボーダー随一の射手である出水から、直接手解きを受けられた事だろう。
優れた指導者に、やる気と自分を客観視出来る視野の広さを持った者が師事すれば、当然上達は早くなる。
更に言えば、出水は二宮、七海等を指導した経験がある。
指導に慣れているかそうでないかは、実はかなり違う。
名選手が名監督に必ずしもなれるワケではない、という事だ。
たとえば香取は選手としてはかなりレベルが高いものの、指導には全く向いていない。
感覚を最優先する天才肌である為、指導能力は皆無と言って良い。
言葉ではなく感覚で物事を理解する為、それを万人向けに言語化する、という能力に欠けているのだ。
反面、出水は感覚派ではあるものの、その内容を噛み砕いて相手に伝える能力も持っているという稀少な存在だ。
天才にして秀才、とは正にこの事だ。
そんな彼の指導を受けられた事こそ、熊谷の大きな転機と言えた。
熊谷はハウンドの習得により、弧月で防御を、
連携を肝とする王子隊とはまた違った、ハウンド持ちの攻撃手。
それが、熊谷なのである。
このように、普段使用しない武器を使うのならば、明確な理由が必要となる。
ただ近接が弱いから、と楽観的に考えてトリガーを追加したところで、意味がないどころか却って致命的な弱点と成り得る。
それならば、最初から余分なものは無い方が良い。
浅知恵は、自分の首を絞めるだけなのだから。
「話を戻そう。ともかく、
「それだけ、ですか……?」
ああ、と風間は桜子の言葉を肯定する。
「言葉にすれば簡単だが、これが
「えっと……」
「罠を張ってる間に見つかる可能性があるから、ですね」
言葉に詰まる桜子に代わり、佐鳥が解説を請け負う。
地味な気遣いが出来る奴なのだ、彼は。
「スイッチボックスは、文字通りその場に
「そうなれば当然、罠を設置している最中に相手に見つかる恐れがあるワケだ。無論、バッグワームタグやカメレオンを駆使して隠れながらやっているだろうが、万が一見つかればその時点で終わりだ。トラッパーに、直接戦闘能力はないんだからな」
そう、罠を多く設置すればする程有利になるという事は、設置している最中に狙われればひとたまりもないという意味でもある。
自衛能力が皆無である以上、近距離で攻撃手と
戦闘支援に特化している以上、自衛能力などというものを磨く暇はないのだから。
「だから
「まあ、西側に冬島さんはいないんで、文字通り徒労になっちゃったっすけどね」
「こればかりは仕方ないだろう。全員の位置が見えているのは、
それに、と風間は続ける。
「香取が開始直後に那須に突っかかったのは、敢えて目立つ事で冬島を探させないようにする狙いもあったんだろう。そしてその後のワイヤー陣を強調する事で、本当の目的を隠したというワケだ」
「陽動を兼ねた強襲だった、って事っすね。いやあ、香取ちゃんも成長したなあ」
ま、冬島さんの入れ知恵だろうけど、と佐鳥は心中で呟く。
香取隊が指揮を冬島に任せたというくだりは、既に冬島の口から通達されている。
冬島自身は香取隊の姿勢に感心はしたが、試験である以上公平でなければならない。
減点を覚悟しての行動だったのだから、当然ペナルティは受けて貰う。
香取隊を勝たせてやりたいという感情と、試験の公平性は完全に別の話なのだから。
ルールは守る。
然るべきペナルティは課す。
その上で勝つのならば、それを見せてくれ。
それが、A級隊員達の下した香取隊への評価。
どれだけ、香取隊がその力を引き出せるか。
この試合は、その試金石でもあった。
「ともあれ、スイッチボックスの設置が完了した以上地の利は完全に香取隊が掌握した。盤面がひっくり返る。文字通りに、な」
風間はそう告げ、画面を見据える。
そこには、何処かの一室で不敵な笑みを浮かべる冬島の姿が映し出されていた。
トラッパー描写開始なので、ちとその動きについての説明を挟んでおきました。
原作で「ランク戦での
あとは、付け焼刃が通用する程甘くないのがワートリです。
こういう現実的な所が好きなんですよね。