痛みを識るもの   作:デスイーター

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那須隊の七海玲一
七海の始まり


 ────降りしきる雨の中、幼い少女の慟哭が響いていた。

 

 少女の視線の先には、見るも無残な少年の姿があった。

 

 辺り一面は瓦礫の山で、そこが今まで自分達が暮らしていた街だとは誰もが信じ難いに違いない。

 

 遠くでは異形の化け物のようなシルエットが動いており、突如として訪れた日常の終わりに誰もが混乱し、逃げ惑っていた。

 

 彼女と同い年くらいであろう黒髪の少年は瓦礫に右腕を潰され、尋常ではない量の血液が傷口から流れ出ている。

 

 痛みと失血で意識が朦朧としているのか、少年の眼は虚ろに開かれている。

 

『玲一、玲一……っ!!』

 

 少女は足を挫いたのか、歩く事は出来ないようだ。

 

 なんとか少年の元へ辿り着こうと這いずっているが、瓦礫が邪魔で一向に前に進めない。

 

 瓦礫を掻き分けながら進もうとする所為で少女の手は傷だらけになり、血と泥に塗れている。

 

 それでも尚少年の元へ向かおうと、人目も憚らず涙を流しながら彼の名を呼ぶ。

 

 しかし、応える声はない。

 

 少女にとって何より大切なものの命の鼓動は、容赦なく消えようとしていた。

 

『────ごめんね。遅くなって』

『……あ……』

 

 ────けれど、そこに一人の女性が現れた。

 

 長い黒髪を靡かせて瓦礫の向こうから跳躍して来た女性は何処か倒れた少年の面影が見られ、明確な血の繋がりを感じさせた。

 

 女性は茶色のローブのようなものを羽織っており、腰には日本刀らしきものを佩いている。

 

 明らかに普通ではない恰好の女性を見て、それでもその顔に見覚えがあった少女はその名を呼んだ。

 

玲奈(れいな)お姉ちゃん……っ! 玲一が、玲一が……っ!』

『分かってる。大丈夫だよ。玲一は、私が助けるから』

 

 少女は余程、その女性に信を置いているのだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()、そう感じてしまった少女は安堵の息を吐いた。

 

 冷静に考えれば医療関係者でもない女性が一人来た所で死ぬ寸前の少年を助けられる筈がないのだが、そんな事を考える余裕はなかった。

 

 この極限状態で、冷静な思考をしろという方が無理がある。

 

 だから少女は、女性に全てを任せてしまった。

 

 …………任せきって、しまったのだ。

 

『…………ごめんね、玲一。お姉ちゃん、もっと早く来たかったんだけど────あいつらを片付けるのに、手間取っちゃって。迅君が助けてくれなかったら、きっと間に合わなかった』

 

 でも、と女性は告げる。

 

『────お姉ちゃんの()()を使って、玲一を助けるから。辛い想いをさせちゃうだろうけど、それでも玲一には生きていて欲しいから』

 

 途端、女性の身体から眩い光が放たれる。

 

 近くでそれを見ていた少女は眩しさに耐え切れず目を背け、身動き一つ出来ない少年は呆然と光に包まれる女性の姿を見上げていた。

 

『だから、お願い。玲ちゃんと一緒に、生きていて。お姉ちゃんの分まで、玲一には幸せになって欲しいんだ』

 

 朧げに視界に映る女性の顔は、それまで見た事のないようなものだった。

 

 悲しみと覚悟がない交ぜになったような、儚い笑顔。

 

 末期の人間が浮かべる、間際の時の笑みだった。

 

『困った事があったら、迅君が力になってくれると思うから。ボーダーの皆も、良い人達ばっかりだから』

 

 そして、変化が現れる。

 

 瓦礫に潰された筈の、少年の右腕。

 

 それが、再生していた。

 

 正しくは、()()()()()()いた。

 

 女性から溢れ出た光が傷口に注がれるように流れ込み、腕の形に変化していく。

 

 傷口に新たな腕が生えた事で出血が止まり、心なしか少年の顔から苦痛が消える。

 

 けれど、少年が言葉を発せたのならこう叫んでいただろう。

 

 止めてくれ、と。

 

 少年には、分かっていた。

 

 今自分の右腕になっているものは、姉の無くしてはいけない()()だ。

 

 姉は取り返しのつかないものを使って、自分を助けようとしている。

 

 このまま姉の行為を見過ごせば、彼女とはもう二度と会えない。

 

 そんな予感が、少年にはあった。

 

 しかし、現実に少年は声を出す事すら出来なくなる程衰弱している。

 

 だから、姉の行為を止める事は出来ず。

 

 最後まで、姉の儚い笑顔を見上げ続けていた。

 

『────さよなら、玲一。ずっと、見守っているからね』

 

 ────そして、終わりの時が訪れる。

 

 怜一の右腕が完成した直後、姉の身体が罅割れる。

 

 大好きだった姉の身体は砂と化して崩れ去り、少年は自分の右腕と引き換えに、欠け替えのない肉親をその日永遠に失った。

 

 

 

 

「……っ!」

 

 自室で、少年が目を覚ます。

 

 布団を跳ね飛ばし、宙に思い切り手を伸ばす。

 

 しかしその手に掴めるものはなく、そこで初めて少年は先程の光景が夢であった事を理解した。

 

「…………あの時の、夢か…………」

 

 少年は溜め息を吐き、何とか落ち着こうと試みる。

 

 妙に身体が動かし難い気がして確かめると、寝間着が汗で肌に張り付いていた。

 

 不快な筈の感触を、少年は()()()()()()()()()()()()

 

 自然な動作で自分の頬を抓っても、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 少年は伸ばした右腕を、常人とは違う()()()を見上げ、呟く。

 

「…………姉さん。俺は、生きてるよ。姉さんの言う通り、()()()に」

 

 ────無痛症。

 

 それがあの日、七海が己の生存と引き換えに発症した、()の名称だった。

 

 

 

 

 ────数年前、この三門(みかど)市に異世界からの『門』が開いた。

 

 『門』から現れた異形の怪物達には地球上の兵器は効果が薄く、自衛隊が出動しても抵抗すら出来なかった。

 

 招かれざる来客の名は、『近界民(ネイバー)

 

 地球(こちら)とは異なる技術を持った、異世界の存在である。

 

 未知の技術(テクノロジー)を持つ『近界民』に、抵抗の余地はない。

 

 街は思うさま蹂躙され始め、都市の壊滅は時間の問題と思われた。

 

 …………だが、彼等の侵略に待ったをかける者達がいた。

 

 突如として三門市に現れ、『トリガー』と呼ばれる未知の技術で『近界民』を撃退した者達の名は、『ボーダー』。

 

 ────界境防衛機関【ボーダー】。

 

 それが、過去の近界民大規模侵攻を機に表に現れ、この世界を異世界の進攻から護る組織の名乗った名称だった。

 

 

 

 

 その大規模侵攻の時、七海は那須を降り注ぐ瓦礫から護る為に突き飛ばし、彼女の身代わりとなって瓦礫に右腕を潰された。

 

 死を覚悟した七海だったが、そこに七海の姉の玲奈が現れた。

 

 そして彼女は己の命を七海の右腕に替え、結果として彼は生き残ったのである。

 

 ────『ブラックトリガー』。

 

 姉はそういった名称の『道具』になったのだと、病室を訪れた迅という少年が教えてくれた。

 

 迅は自分がボーダーの人間である事、姉もそうであった事。

 

 そして、姉が何をしてどうなったのか、今の自分の状態が何なのか。

 

 その事を、説明してくれた。

 

 …………薄々、分かっていた。

 

 姉が、あの時自らの命と引き換えに自分を助けた事を。

 

 自分は、姉を犠牲にして生き残った事を。

 

 …………その事を改めて自覚して壁を叩いた時、七海は自分の身体に起きた()()に気が付いたのだ。

 

 痛みを、感じなかった。

 

 思い切り壁を殴り、血も出ているというのに、()()()()()()()()()()()のである。

 

 その一部始終を見ていた迅は何かに気付いた様子で医師を呼び、七海は検査を受ける事になった。

 

 そして七海は、自身が『無痛症』と呼ばれる病を発症した事を知ったのだ。

 

 無痛症とは、文字通り()()()()()()()()()という症状である。

 

 それだけを聴くとそこまで重大ではないかもしれないが、実際は違う。

 

 痛みを感じないという事は、()()()()()()()()という事。

 

 つまり、地に足で立つ感覚も、物に触る感覚も、何かを食べた時の味覚も、その全てが七海には感じ取れない。

 

 医師は原因は不明で本当にこれが病に依るものかさえ分からないと話していたが、現実として七海は痛みを感じる機能を失った。

 

 一通りの説明を聞いた後、再び現れた迅が、神妙な顔で告げた。

 

『君、ボーダーに来る気はないかな?』

 

 ────それが、始まり。

 

 七海は然るべき準備を終えて、界境防衛機関『ボーダー』に入隊した。

 

 無痛症をトリオン体で治療する為の、治験志願者として。

 

 

 

 

「おはよう、玲一。よく眠れたかしら」

「ああ、お陰様でな」

 

 着替えてリビングに出た七海を待っていたのは、絶世の、と呼んで差し支えのない美貌を持った少女だった。

 

 明るめの金髪をボブカットにしたその少女の名は、那須玲(なすれい)

 

 この家の家主の一人娘であり、七海にとっては()()()にあたる。

 

 そして、欠け替えのない幼馴染でもあった。

 

 ────四年前の大規模侵攻で家と姉を失い、交通事故で既に両親が他界していた七海は名実共に天涯孤独の身となった。

 

 そんな七海を引き取ってくれたのが、幼馴染だった那須の両親だったのである。

 

 那須から彼女を助けた事を聞いていた両親は元々の人の良さもあり、諸手を挙げて七海を引き取る事を決めたらしく、有無を言わさぬ調子で七海を家に歓迎した。

 

 中でも那須は四六時中七海にべったりと付き添い、何かあれば率先して手伝おうとする様子が見られた。

 

 痛覚が死んでいる為にしっかり注意しなければ階段から足を踏み外しかねない上、入浴の時も同様に温度設定を間違えれば大火傷をする危険もあった。

 

 流石に病弱な彼女が無痛症で難儀する七海の介助を全面的にするのは無理があった筈だが、彼女の熱意に根負けする形で彼女が調子の良い時に限って無痛症の身体に慣れる為の訓練を行う事になった。

 

 そして周りの事が何とか落ち着いた七海は、トリオン体になる事で無痛症を治療出来る可能性を求め、『ボーダー』に入隊した。

 

 那須もまた、病弱な身体をトリオン体で治療出来る可能性を求めて入隊したが、本音としては七海と共にいる為だろう。

 

 トリオン体で動くようになれば七海の手伝いがやり易くなる、くらいの事は考えていても不思議ではない。

 

 那須の七海への献身は、些か度が超えていた。

 

 それこそ、自分の人生を全て擲つ勢いで七海に尽くしていたと言っても過言ではない。

 

 しかし那須への負い目もあり、七海はそんな彼女を受け入れる他なかった。

 

 あれから、四年。

 

 那須はトリオン体によって健康な身体を手に入れ、七海もまた、()()()()()()を手に入れていた。

 

 

 

 

「くまちゃん、茜ちゃん、お待たせ」

 

 人のいない廃墟の街、『警戒区域』。

 

 そこに七海と共にやって来た那須は仲間の姿を見つけ、笑みを浮かべて声をかける。

 

 視線の先にいた二人の少女も那須達に気付き、駆け寄りながら笑いかけた。

 

「来たね、玲。それに七海も」

 

 快活な笑みを浮かべて七海達を出迎えた長身の少女の名は、熊谷友子(くまがいゆうこ)

 

 那須の率いるチーム、『那須隊』の攻撃主(アタッカー)である。

 

「那須先輩、七海先輩、こんにちは……っ! 今日もよろしくお願いします……っ!」

 

 元気な挨拶を交わした小柄な少女の名前は、日浦茜(ひうらあかね)

 

 那須隊の狙撃手(スナイパー)で、高校生である三人とは違い15歳の中学生であり、隊の中では最年少のメンバーとなる。

 

『こっちは準備OKです。いつでも行けます』

 

 そんな彼女達に通信越しで話しかけて来たのは、志岐小夜子(しきさよこ)

 

 那須隊のオペレーターであり、四人をサポートする()()()()()の引き籠り少女である。

 

「…………志岐、()()()()?」

 

 そして、()()()()()()()()()()である七海が、通信越しに小夜子に問いかける。

 

 一瞬息を呑む音が通信越しに聞こえ、それでも間を置かずに返答があった。

 

『はい、()()()()()

「…………そうか。なら、問題ないな」

「ええ、()()の成果は出ているようで何よりだわ」

 

 その様子を見て七海は安堵の息を漏らし、那須はくすりと笑みを漏らした。

 

 暖かな空気がその場を包むが、七海達が此処に来たのは談笑する為ではない。

 

 『ボーダー』隊員としての、()()を果たす為だ。

 

『────【(ゲート)】発生、【門】発生……っ! 繰り返します、【門】発生……っ! 発生座標誘導誤差2.2。区域に近い一般市民は退避して下さい』

 

 警報(アラート)が、鳴り響く。

 

 それと同時に中空に黒い【穴】が出現し、その中から異形の怪物が現れ出る。

 

 白一色の巨躯を持った、大型の甲虫のような姿。

 

 ────『近界民(ネイバー)』。

 

 その尖兵たる『トリオン兵』が、『門』を通じてこの世界に姿を現わしたのだ。

 

 そして、この世界に侵略する『近界民』を排除する事こそ、ボーダー隊員の使命。

 

 そして、その為の武器は、既に手の中にあった。

 

「「「「────トリガー、起動(オン)」」」」

 

 彼女達四人がその手に握ったデバイスが光を放ち、彼女達の身体を組み替えていく。

 

 普通の人間の身体から、未知のエネルギー『トリオン』を用いた戦闘用のボディへと。

 

 一瞬の浮遊感の後、戦闘体への換装が完了する。

 

 換装を終えた四人の見た目は、普通の恰好からSFのパイロットスーツのような身体にフィットした姿へと変わっていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 那須はその周囲に光り輝く立方体を、熊谷はその手に日本刀を、茜はその手に狙撃銃を。

 

 彼女達の前に出た七海はその手に短刀のような白く光る奇妙な刃を携え、己が敵を見据えた。

 

「さあ────」

「────戦闘開始だ」

 

 そして、『近界民』との戦闘が、『防衛任務』が、始まった。




 さて、というワケで連載開始です。

 那須隊にオリ主ぶっこんだランク戦中心の物語となります。

 前期ランク戦を経て第二次大規模侵攻がゴールとなりますので、お付き合い下さい。

 退屈はさせません。クオリティは保証しますので。

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