「じゃあ荒船さん、俺達はこれで」
お好み焼き屋『かげうら』から出た所で、七海がそう言って荒船に手を振った。
結局あの後、打ち上げは滞りなく再開された。
影浦が七海用に用意した専用お好み焼きを興味本位で茜が食べてしまい、その味の強烈な濃さに悶絶する事はあったが、特に問題なく皆楽しめていた。
那須が茜のその反応を見て自分も七海専用の味の超絶濃い料理を作るべきだろうかと真剣に検討し出したりもしたのだが、それはまた別のお話である。
「おう、またな。首洗って待ってろよ」
「はい。全力でやらせて頂きます」
「言うじゃねえか。楽しみにしてるぜ」
はい、という返事と共に七海は頭を下げ、那須達と共に帰路に着いた。
荒船はその後ろ姿を黙って見据え、にやりと獰猛な笑みを浮かべた。
「楽しそうだな、荒船」
「ああ、そうだな。否定はしねえよ」
穂刈の指摘を、荒船は笑みを浮かべたまま肯定する。
荒船の脳裏には、かつての七海との思い出が想起されていた。
初めて荒船が七海と出会ったのは、まだ七海がC級だった頃にまで遡る。
当時の七海はまだC級だったが故に『スコーピオン』一本しか使っていなかったのだが、それでもC級相手ならたとえ弾丸トリガーの使い手だろうと難なく斬り捨てていた。
その様子を映像で見ていた荒船はその実力にも興味が沸いたが、何より気になったのはその
その時の七海は何かに追い立てられるように鍛錬に励んでいて、見ていて鬼気迫るものがあった。
周りが、殆ど見えていない。
荒船には、当時の七海はそう映った。
しかし、この『ボーダー』にそういった傾向の隊員は相応に存在する。
親兄弟等の大切な人を過去の大規模侵攻で殺されている者、家を失った者はそれなりに多く、そういった者達の中には『近界民』への復讐を志して『ボーダー』の門を叩く事がある。
現在A級部隊の隊長である
しかし、七海のそれはそういった者達とは異なって思えた。
憎い何かを追い縋って力を求めている、というよりは。
掌から零れ落ちる物を必死に掬おうとするような、そんな必死さが見て取れた。
今なら、分かる。
あの時の七海は、姉と右腕、痛覚を失い、唯一残った
七海は、あの時姉を失ったのは自分が弱かったからだと考えている。
誰もが「七海は悪くない」と言うが、誰よりも七海自身が自分自身を許せなかった。
その焦りが、鬼気迫る様子として表面化していたのだろう。
そんな彼をなんだか放って置けない感じがして、荒船は七海を模擬戦に誘った。
結果として、七海の実力は本物だった。
まだまだ粗削りな所はあったが、その
惜しむらくはまだ自分の能力を活かした技術を学びきれていない所だったが、こればかりはサイドエフェクトを持たぬ荒船に教えられる事ではない。
それよりも荒船は、そこまで必死になって力を求める七海の
しかし、経験上あまり人に言いたくないものである事は察せられた。
けれども、その理由が分からない事にはどう助言していいのかも見当がつかない。
荒船は「嫌なら言わなくていい」と前置きした上で、七海に力を求める理由を聞いた。
…………そこで荒船は、七海の身の上を知ったのである。
過去の大規模侵攻で右腕を欠損し、姉は
その時の七海の言葉は、今でも覚えている。
────俺は、強くならなくちゃいけないんです。これ以上、何も失わない為にも────
…………荒船は、何も言えなかった。
辛い過去を背負っているのだろうと考えていたが、その過去の壮絶さに想像が追い付いていなかった。
荒船は、何かを喪って『ボーダー』に入ったのではない。
単に自分の力を活かせる場として、『ボーダー』を選んだというだけだ。
だから、彼は悲劇を経験していない。
親族は健在だし、親しい人が亡くなったという経験もない。
そんな自分が、彼の力になれるだろうか。
一瞬でも、そういった考えが頭に過らなかったと言えば嘘になる。
七海の力を求める理由が彼の過酷な過去の悲劇に根差している以上、その悲劇を共感出来ない自分の言葉が響く筈もない。
今ならば別の考えも出来るのだろうが、当時の荒船はそこまで達観出来てはいなかった。
出来る事と言えば戦い方を教える事だが、その時の荒船はまだ人に教えられる程の戦闘理論を確立出来ていなかった。
更に言えば自分はサイドエフェクトなど持っていない為、それを上手く使った戦い方等を教える事も出来ない。
その為せめて模擬戦の相手になって経験を積ませてやろうと彼がB級に上がって以降も事あるごとに七海と戦っていたのだが、その最中に絡んで来たのが影浦である。
影浦は七海の立ち回りから自分と似たようなサイドエフェクトを持っていると察したらしく、七海を個人戦に誘い、紆余屈折あって事実上の弟子にしてしまった。
あの影浦が弟子を取ったという事でその時は大層驚いた事を覚えているが、七海は影浦に師事して以降、目に見えて実力が上がって行った。
七海はいつの間にやら太刀川や出水、風間等の『ボーダー』トップクラスの面々にも指導を受けており、元の素質も相俟って実力をメキメキと上げて行った。
当初は圧倒出来ていた個人戦の戦績も、今では五分か七海の方が僅かに上だ。
多くの仲間と交流した為か当初存在した切迫感も薄れ、『ボーダー』の中で上手くやれているようだった。
特に攻撃手界隈では個人戦を通じて交流の輪を広げており、
着実に強くなっていく七海を見て誇らしくなると同時に、荒船が抱いていた感情は
知り合ったのは自分が先なのに、後から知り合った面々の指導を受けて腕を磨いていく七海の姿に、
自分が彼を指導してやれなかったのは、自分の技術力や戦闘理論の不足故だ。
だからこそ彼は技術を磨いて行ったし、戦闘理論も他人に説明し指導出来る程にまで確立させていった。
七海と出会ってから、二年以上が経過した。
今では七海は『那須隊』の一員としてチームランク戦に参加して来ており、今日行われたROUND1ではあの村上を擁する『鈴鳴第一』相手にチーム戦術によって完封勝ちを収めて見せた。
その試合映像を見た時、荒船は自分の心の火が燃え盛った事を感じ取った。
それが実際に通用するのか、試してみたい。
今の七海を、チームとして打ち倒したい。
それが、今の荒船にとっては全てだった。
…………七海を相手とした勝つ為の策は、用意出来ている。
おあつらえ向きに、ROUND2のMAP選択権は自分の隊にある。
前回は転送位置が悪く結果が振るわなかったが、今となって見ればそれが功を奏した形となる。
前回は狙撃手の優位をあまり活かせない『市街地D』であった事もあり、思うように点が取れなかったが今回は違う。
ROUND1で『那須隊』がやったように地形戦を仕掛け、七海を追い詰めてやる算段である。
荒船が立てた作戦は、ある意味では
MAP選択にしてみても、セオリーを無視したものを選ぼうとしている。
無論負けるつもりでやる筈がないし、充分に勝算はあると判断している。
そしてその判断を、隊員の皆は支持してくれた。
穂刈は「好きにやればいいだろう。荒船の」と荒船の考えを肯定してくれたし、半崎も「ダルイっすけど、なんとかします」と彼の判断を支持してくれた。
オペレーターの加賀美も、「任せて下さい」と快い返事を返してくれた。
これで気合いを入れなければ、隊長である己の立場がない。
自分の為に隊員全員が協力してくれているのだから、己も全力を尽くすだけである。
自分の手を離れ、成長した七海と己。
そのどちらがより強いのか。
これは、それを知る為の戦いでもある。
荒船は一人、ぐっと拳を握り締めた。
────必ず勝つ。
その想いを、胸に秘めて。
「相手は『那須隊』と『荒船隊』か。こりゃ、厄介な事になりそうだな……」
所変わって、『柿崎隊』の作戦室。
そこで、隊長の
「今回のMAP選択権は、『荒船隊』にありますからね。順当に考えれば、『市街地C』で優位を取って来るんじゃないでしょうか」
そんな柿崎に話しかけたのは、明るい髪色の猫目の少年、
この『柿崎隊』の銃手であり、かつては唯一の小学生隊員だった経歴を持つ少年である。
ちなみに『市街地C』とは高低差の激しいMAPで、『荒船隊』がMAP選択権を得られた戦いではほぼ必ずこのMAPを選んで来ていた。
虎太郎はそういった経緯も鑑みて、MAPについては考察していた。
「『荒船隊』に関してもそうだけど、今の『那須隊』も決して侮れる相手じゃないですね。七海先輩の加入もあって、前期とは別物だと考えた方が良さそうです」
そんな風に意見するのは、三つ編みの淑やかな少女、
かつて新人王を争った秀才であり、隊員募集をかけた柿崎に対し「(柿崎が)支え甲斐がありそうだと思って来ました」と宣った押しかけ肝っ玉女房系少女である。
照屋の眼はROUND1の映像、特に那須と七海の連携に注視しており、少々険しい表情をしていた。
「やっぱり、この二人が組むととんでもないな。なるべくなら、合流前に叩いておきたい所だが……」
「七海先輩も那須先輩も機動力が高いので、それはちょっと難しいかもですね。あの人の個人戦の映像は持っていますけど、実際に戦った事はないのが痛いですね……」
虎太郎は少々弱気な発言をぼやくが、照屋は背筋を伸ばして叱咤する。
「それでも、何も出来ないワケじゃありません。どう対応すべきか、色々詰めていきましょう」
「ああ、そうだな。心配なのは確かだが、出来る事をやっていこう。文香、虎太郎、頼んだぞ」
「「はいっ!」」
照屋のぐいぐいとした押しに引っ張られる形で、『柿崎隊』の面々は作戦会議を始めた。
『柿崎隊』は、今日も平常運航。
和やかながらも締めるべき所はしっかり締める、学校の部活のような雰囲気がそこにはあった。
「…………荒船さんか…………」
七海は那須と共に夜の街を歩きながら、一人呟いていた。
熊谷と茜は既にそれぞれの家に送り届けて来ており、後は那須と共に那須邸に帰るだけである。
二人共そこまで会話が得意ではない為口数はそう多くないが、少なくとも那須は七海と一緒にいられて幸せそうである。
七海もまた、悪い気はしていないようだった。
そして当然、七海の独り言を聞き留めた那須が声をかける。
「…………心配……? 荒船さんと当たるのは」
「…………心配、というより嬉しい、かな。荒船さんは、俺の最初の目標なんだ。まだ俺が右も左も分からない未熟者だった時代にお世話になった、俺の恩人だから」
七海は思い出を噛み締めるように、そう告げる。
彼の脳裏には、当時の情景がありありと浮かんでいた。
「確かに具体的な指導を受けたワケではなかったけれど、荒船さんと戦うのは本当に良い経験になったよ。言うなれば荒船さんは俺にとって、
「そう…………少し、妬けちゃうわね。そんな楽しそうな玲一の顔、あまり見た事がないもの」
那須の言う通り、七海の顔は何処か楽し気なそれに見える。
彼自身、昂っているのかもしれない。
荒船と戦う、その時を待ち望んで。
「心配しなくても、ちゃんとチームとして勝てるよう全力を尽くすよ。荒船さんにきちんと勝って、その上でチームとして勝つ。手抜きはしないよ」
「もう、そういう事じゃないのに……」
何処かズレた返答をする七海に対し、那須は頬を膨らませて抗議する。
そのままするりと七海に身体を密着させると、上目遣いで彼の顔を覗き込んだ。
「何か失敗しても、皆でフォローするから大丈夫よ。だから、もっと私達を頼ってね?」
「ああ、約束する」
そう、と那須は短く答え、そのまま離れる────かと思いきや、七海の腕を取り、寄り添うように歩き出す。
頑として動かないだろう事を察した七海は苦笑しつつも、そのまま夜の街を歩き続けた。
那須と七海は何処かすれ違ったまま、二人揃って並んで歩く。
それが、最も価値ある行いだと信じて。
明日は更新出来ないので明後日更新します。
ROUND2編に突入します。