『全部隊、転送完了』
アナウンスが響き渡り、戦場へ隊員達が転送される。
『MAP、『市街地C』。天候、『霧雨』』
そこは、段々畑のような形状の住宅地。
高低差のあるフィールドに、薄くかかる雨雲。
霧雨が降る街並みを前に、王子は上を見上げた。
「これはラッキーだね。風向きはどうやら、悪くなさそうだ」
周囲の状況を確認しつつ、王子は笑みを浮かべ、告げる。
「さあ、行こうか。これまでやられて来た分を、ここできっちり返すとしよう」
『『了解』』
チームメイトの心強い声と共に、バッグワームを纏った王子は霧雨の街を駆けだした。
「おーし、試合開始だ。MAPは市街地Cで、天候は霧雨かー。これ、どう見るよ?」
光は物怖じせず隣の二宮に話を振り、二宮は淡々と答える。
「少なくとも、どちらのチームにも極端に有利なフィールドとは言えないな。広いMAPは全員が走れる王子隊に有利に見えるが、この市街地Cは高低差がある。多少は走り難さを覚える筈だ」
「高低差のあるMAPって事で那須隊が有利にも思えますけど、射手の那須さんが下の方に転送されちゃいましたからね。これで上を取れれば、優位に立てたんでしょうけど」
そうだな、と二宮は烏丸の言葉を肯定する。
「この市街地Cは高低差があり、上に上がる為には道路に出なければいけない地形上、上を狙撃手や射手が取れれば優位に戦える。特に、今回は狙撃手が日浦一人しかいない都合上日浦が上を取れれば相当な有利が取れていた筈だ」
「茜ちゃんにはウチのユズルもやられたかんなー。可愛い顔して中々おっかないぜ」
二宮さんを狙撃で倒すくらいだしなー、と光はなんともなしに呟き、二宮はぴくりと頬を引き攣らせたが特に反論はせず黙る。
色々思うところはあるものの、あれは自分の負けであると二宮自身が認めている。
故に事実を言われただけで激昂はしない────────しないが、完全にスルー出来るかと言われれば微妙なところだ。
怒るべきかどうか迷う二宮を尻目に、光はいつも通りの調子でにかり、と笑って話を続けた。
「けど、その茜ちゃんも割と下の方に転送されちゃったしなー。これだとちっと厳しいか?」
「ああ、転送位置だけで考えれば、那須隊側が不利と言えるだろう」
何故なら、と二宮は告げる。
「出水が、上を取っているからだ」
「おしおし、良い転送位置だな」
出水は高台の上から市街地を見下ろし、不敵な笑みを浮かべる。
彼がいるのは、この市街地MAPでも最も高い位置に当たる民家の上。
狙撃対策で姿勢を低くしながらも、戦場全体を俯瞰出来るその位置で出水は油断なく眼下を見下ろしている。
「さあて、こっちは準備OKだ。始めようぜ、王子先輩」
「出水くんはあそこか……」
そんな出水の姿を、熊谷は建物の影から見上げていた。
彼女がいるのは出水により近い高台の一角、住宅地の庭の中。
出水のいる場所からは見えない、死角に当たる位置である。
(けど、隠れる気ゼロだよねあれ。全力で
熊谷が出水を発見出来たのは、偶然ではない。
何故なら、出水はバッグワームを着ておらず、姿勢を低くはしているが身を隠す素振りは一切ない。
つまり、全力で自分の居場所をアピールしているに等しい。
見るからに、罠。
出水は正面きっての戦闘よりも、他者のサポートでこそ輝く駒だ。
その彼があからさまに自分の存在をアピールしているという事は、当然そこに狙いがある。
即ち、自分自身を囮として敵チームの
(今後の事を考えれば、出水くんは落としておきたい。でも、あそこに近付くには道路を突っ切らなきゃいけないから当然こっちの居場所がバレる。そうなったら多分、近くに潜んでる伏兵が襲って来る)
そして、と熊谷は高所に陣取る出水を見据え、舌打ちする。
(問題は、
当然ながら、太刀川であった場合は完全にアウト。
出水の支援を受けた太刀川相手では、幾ら守りに長けた熊谷とはいえ長くは保たない。
王子や樫尾であった場合も、出水の支援を受けた状態で接敵すれば厳しい。
流石にこの最序盤で王子隊が合流しているケースは殆ど有り得ないだろうが、逆に言えば万が一には有り得る。
転送運が完全に味方していた場合、序盤に合流に成功する可能性は0ではないのだ。
(となると、此処は七海か玲との合流を待つのがベター? いや、時間をかければかけるだけ王子隊が合流する可能性が上がる以上、悪手か)
王子隊は、三人が合流した状態が一番厄介だ。
三人全員がハウンドを装備している都合上、全員揃った場合の射撃圧はかなりのものだ。
今回の相手は、射程持ちが出水を含め四人もいる。
熊谷もハウンドは装備しているが、練度でいえば明らかに向こうが上だ。
何せ、ハウンドを使ってきた年季が違う。
熊谷がハウンドを使用し始めたのは、今回のB級ランク戦、それもラウンド4からだ。
以前からハウンドを使い続けて来た王子隊や、本職の射手である出水には当然練度は及ばない。
それにそもそも、熊谷にハウンドを教えてくれたのは出水本人だ。
つまり、熊谷のハウンドの技術は出水の劣化でしかない。
そもそも本職が攻撃手である熊谷にとって、ハウンドはあくまで牽制を含めたサブウェポンに過ぎない。
場合によっては射程持ちとして仕事をこなすが、当然練度でいえば出水の方が圧倒的に上である。
そんな相手と射撃戦をして勝てると思うほど、熊谷は己惚れていない。
だが、此処で留まっていても状況が悪化するのは確実。
しかし、だからと言って闇雲に出ていけば良いというワケでもない。
(玲と茜は、下の方に転送されたからすぐには援護は望めない。七海も、迂闊に動かすワケにはいかない。今の状況で風間隊を使うのも、悪手。となると────────)
熊谷は身を隠しながら、再度出水を見据える。
(あたしの位置がバレてないうちに、速攻で奇襲をかける。それで伏兵を釣り出して、相打ちでも良いから仕留める。それでいくか)
「甘い、甘いよー。バッグワームを使えば位置がバレないとか、甘過ぎだよー」
太刀川隊、作戦室。
そこに座す国近は、鼻歌交じりに画面を見て、呟く。
「ランダム転送って言ってもねー、最初は大体みんな同じ間隔でスタートするから、味方の位置を把握すれば相手がどのあたりにいるかはなんとなーくわかるんだー」
それにね、と国近は画面に視線を走らせる。
「こういう隠れる場所が限定されがちなMAPなら、相手が隠れてそうなトコは割とすぐにピックアップ出来るんだ~。ということは~」
にぃ、と国近は笑みを浮かべ、告げる。
「当たりを付けたところを順番に見てって貰えば、どうなるかな~?」
「────────見つけたよ、ベアトリス」
「……っ!?」
それは、無数の光弾と共に舞い降りた。
家屋の屋根の上から飛び降りて弧月を振り下ろすのは、王子一彰。
己の従えるハウンドと共に、彼は熊谷へ奇襲をかけた。
「く……っ!」
熊谷は咄嗟にシールドを展開し、ハウンドを防御。
すぐさま弧月を抜き放ち、王子の斬撃を受け止めた。
「運がなかったね。君は此処で仕留めさせて貰うよ、ベアトリス」
「それはこっちのせり────────っ!」
そこで、熊谷は目を見開いた。
熊谷の視界に映る、王子の姿。
その彼の顔の横に、『flag』と記された旗のマークが浮かんでいる。
間違いない。
これは────────。
「アンタが、
「ご名答。さあ、仕留めてみせなよ」
但し、と王子は口元を歪めた。
「僕を仕留めた瞬間、この試合は終わっちゃうけどね」
「おおっと、ここで王子が熊谷に奇襲……っ! そんでもって、王子隊の旗持ちが王子である事が明かされたぞーっ!」
光は元気一杯に、戦況を報告する。
会場は想像以上に早期の旗持ち発覚に、困惑の色が浮かんでいた。
「成る程、こういう事っすね」
「ああ、その通りだ」
「おいおい、アタシにもちゃんと説明しろよなー」
その光景を見て得心する寡黙な解説二人組に対し、光は不満を露わにする。
ぶーたれる光を見て溜め息を吐きつつ、二宮は説明する。
「この
「てーことは、旗持ちが誰かわかんない方が有利って事だよな? なんで王子はその有利をこんな序盤で捨ててんだ?」
「言っただろう。
となれば、と前置きして二宮は続ける。
「此処で王子を落とせば旗持ちルールの特殊採点と合わせて3Ptが獲得出来るが、
「要するに、ポイントがもっと欲しければ、此処で王子先輩を落とすワケにはいかないって事っすね。そして、王子先輩はそれを承知で出てきている」
つまり、と烏丸は画面の中の王子を見て、告げる。
「王子先輩は、自分から旗持ちである事をアピールする事で、自分自身を人質にしたワケです。試合を続けたければ、自分を落とすな、っていう縛りを熊谷さんに突き付けたんですよ」
「ほらほら、攻めて来なくて良いのかい?」
「くっ、性格悪いわねアンタ……ッ!」
王子の斬撃を熊谷は弧月で受け止め、その反動を利用して距離を取る。
同時に、王子は背後で待機させていたハウンドを射出。
熊谷に向け、追撃を仕掛ける。
「ち……っ!」
熊谷はそれを、シールドを広げてガード。
反撃の為、ハウンドを形成する。
「いいのかな? 撃っちゃって」
「……っ!」
王子は、それに構わず前進。
シールドすら張らず、見せつけるように弧月ではなくスコーピオンを振りかぶりながらハウンドを形成する。
あからさまな、
今ハウンドを叩き込めば、王子は落とせる。
そう、
「このお……っ!」
熊谷はハウンドを王子ではなく家屋に向けて射出し、着弾。
家屋を撃った事で発生した土煙に紛れ、撤退を図る。
「逃がさないよ」
王子は逃げる熊谷に向け、ハウンドを掃射。
トリオン誘導により、熊谷を狙い撃つ。
「旋空弧月ッ!」
だが、熊谷は咄嗟に旋空弧月を撃ち放ち、家屋を両断。
横滑りした家屋の残骸が、王子のハウンドを防ぐ盾となり、散らばる。
「…………逃がしたか」
その隙を逃す、熊谷ではない。
土煙が晴れた時には、既に熊谷はその場から消え失せていた。
しかし、王子の顔に焦りはない。
それどころか、してやったりという笑みすら浮かべていた。
「けれど、充分
(なんとか逃げられたか……)
熊谷は市街地を駆けながら、背後を確認する。
全速力で逃げて来た為道路を横断せざるを得なかったが、今更だ。
王子に位置がバレたという事は、出水にも自分の位置が捕捉されたということ。
出水の追撃がなかった事が気がかりではあるが、今は一刻も早くこの場を離れる他ない。
今の戦闘で、王子が旗持ちである事は判明した。
だが、それは自分達の有利を意味しない。
王子はあろう事か、自分が旗持ちである事を逆手に取って、こちらからの攻撃に縛りを入れて来たのである。
他の隊員を落とす前に王子を落としてしまえば、その時点で試験は終了。
最悪、3Ptだけを獲得してこの試合が終わってしまう。
二宮隊を追い越さなければいけない都合上、3Ptのみの得点で終わる事などあってはならない。
王子はその事情を把握した上で、自分自身を人質にして来たワケである。
戦略家の王子らしい、えげつのない戦法。
これでは、王子と接敵したが最後、防戦一方にならざるを得なくなる。
そして、防戦一方で凌ぎ続けられるほど、王子は弱い駒ではない。
あのまま戦っていれば、確実に熊谷は落とされていただろう。
こちらと違い、あちらは熊谷が旗持ちではない事を把握している。
つまり、
幾ら熊谷が受け太刀の名手とはいえ、そんな縛りを受けたままの戦いでは限界がある。
故に此処は、逃げの一手しかない。
だからこそ、遮二無二の逃走を選んだ。
それだけが、あの場で出来た最善だった。
「よう、くま」
「……っ!!??」
────────それが、誘導された最善だとは知らずに。
道路の先に、一つの影がある。
霧雨の振る中で堂々たる立ち姿を晒すのは、黒コートの男。
腰に
A級一位部隊隊長、太刀川慶。
ボーダー最強の戦士が、明確な脅威となって熊谷の前にその姿を現した。