(此処までは、順調ですね)
小夜子は作戦室で盤面の状況を逐次解析しながら、思考を回す。
熊谷────────太刀川と交戦中。落とされるのは時間の問題だが、充分時間は稼げている/問題なし
那須────────出水と交戦中。単独で戦闘を継続すればトリオン切れで落ちるが、手は用意している/問題なし
菊地原────────トリオン漏出による緊急脱出まで秒読みであり、戦力としては使用不可能。但しサイドエフェクトは活きている/使用用途あり。無為に消費するべきではない。
七海・茜・風間・歌川────────現時点で居場所は割れていない。■■は目標地点までもうすぐ到達する/移動中に発見される恐れあり。要警戒。
備考:王子の位置が不明。動向に警戒せよ。
戦闘状況、
作戦行動、継続可。
(菊地原さんが即死しなかったのが本当に助かりましたね。結果として何が何でも彼を落としておきたい王子隊を焦られ、蔵内先輩を仕留める事が出来ました)
今回の試合の分水嶺は、なんと言っても菊地原が樫尾の特攻で即死しなかった事だろう。
王子隊が真っ先に菊地原を狙うであろう事は、小夜子も予測が付いていた。
何せ、菊地原がいる限り、奇襲が全て察知されるのだ。
つまり、何を仕掛けるとしても、菊地原が生きている限りその行動は筒抜けに等しい。
故に、最優先で菊地原を仕留めに来る。
そのくらいは、小夜子は予想していた。
(てっきり王子隊三人がかりで来ると思ってたんですが、樫尾さんを特攻させるとは。お陰で焦りましたね)
だが、樫尾の
菊地原を仕留めに来るのであれば、王子隊全員、もしくは二人がかりで仕留めに来るだろうと考えていたからだ。
故に、樫尾が出て来た時、彼が一人で仕掛けて来た事に驚愕し、反応が遅れた。
何せ、王子隊が三人がかりで攻めて来た場合は、
三人がかりで攻め込んで来るのではなく、爆弾を抱えて特攻するというのは、小夜子の予測の外だったのだ。
失策だったかもしれないと王子が後悔した樫尾の特攻は、その実あの場面ではきちんと那須隊の意表を突く事に成功していたのである。
結果的にとはいえ、王子の作戦は間違ってはいなかった。
問題は。
その特攻で、菊地原が
確かに、致命打は与えた。
菊地原は既に戦闘行動を行える状態ではなく、トリオン漏出で脱落する。
仕留め損ねた菊地原をどう扱うか、王子が失敗したとすれば此処だ。
確かに、菊地原が生きている限り奇襲は通じないし、相手の位置も捕捉される。
だが、それならば、菊地原がトリオン漏出で緊急脱出するまで、
太刀川も、出水も、そのくらいは出来る。
むしろ、時間をかければ有利になるのは、太刀川達である。
熊谷は善戦しているとはいえ徐々に追い込まれているし、那須もトリオン量という絶対の差がある以上単独では出水には勝てない。
時間が味方をするのは、王子隊側の方だったのだ。
しかし、王子は一刻も早く菊地原を落とすべく蔵内を動かした。
何故か。
それは、
那須隊はこれまで、罠や仕込みを用いて相手を嵌め、勝利して来た。
試合に置いて、那須隊に時間を与えてはならない。
それは、彼女達と戦った部隊の持つ、共通認識だ。
だからこそ、王子は菊地原のトリオン切れを待つという悠長な手を撃たず、一刻も早く始末する為に盤面を動かした。
小夜子の、
(王子先輩の戦術の
目元に残る隈の後をこすりながら、小夜子は顔を上げる。
(王子先輩は、どんな時でも
つまり、と小夜子は笑みを浮かべる。
(
それが、小夜子の解答。
これまでの試合と、ログを幾度も解析した結果至った答え。
王子は、確かに戦略家として優秀だ。
前線指揮官の素質は充分あるし、柔軟さも持ち合わせている。
しかし、不確定要素を嫌う、という側面がある。
彼は相手チームの戦術解析やログの確認を怠らないし、勤勉で頭の巡りも早い。
だが、一度立てた
ラウンド4では、那須隊の成長という不確定要素を見抜けず、敗北した。
ラウンド7では、それまでの激戦を駆け抜けた那須隊の戦力を甘く見積もり、敗北した。
だから今回は、いっそ過剰な程に那須隊の戦力を
二宮隊を倒した那須隊という、前代未聞の存在に対する畏怖と共に。
結果として、王子は自らが作った
小夜子の、予測通りに。
(確かに、戦術家としての才能は
ですが、と小夜子は口元に笑みを浮かべる。
(才能は、努力である程度補えるものなんですよ。こちとら、
尚、その時は流石に寝不足でぶっ倒れ、那須や熊谷から雷が落ちたのはご愛敬である。
今回も小夜子が徹夜してまで王子の研究を行う事に那須隊の面々は難色を示したが、そこは小夜子が押し切った。
「相手には太刀川隊がいるんですよ? なら、少しでも勝率を上げる為に王子先輩の思考傾向を解析するのは必須事項です」と告げ、後は屁理屈を捏ねて強引に認めさせたのである。
代わりに小夜子が無理をし過ぎないよう彼女の徹夜にチームメイトが付き合う事になり、そこに名乗りを挙げたのが七海だ。
最初は那須が付き合おうとしたのだが、身体の弱い彼女が徹夜に付き合うなど論外という事で七海が認めなかった。
まだ中学生の茜も勿論そんな事はさせられないし、熊谷も無理はさせられない。
そこで、日常用のトリオン体を持ち、ある程度無理が効く身体の七海が手を挙げたのだ。
その際那須が複雑な表情をしたものの、結局何も言わず七海の意見が通ったのである。
勿論那須の心情を理解している小夜子は七海にさり気なく手回しし、きちんと埋め合わせが出来るよう取り計らった。
そのあたりの気遣いは、抜かりないのである。
(…………あれはあれで良い想いをさせて貰いましたからね。七海先輩と二人きりで一夜を過ごすって、ただのご褒美ですし)
表面上は取り繕っていても、小夜子は恋する乙女。
好きな男性と二人きりで過ごす事に、幸福以外の感情など抱く筈もない。
たとえ激務をしながらであろうと、七海がすぐ傍で見守ってくれていたのである。
これで燃えなければ、嘘というものだろう。
(おっと、思考が脇道に逸れましたね。ともあれ、此処までは順調です。懸念があるとするならば────────)
小夜子は雑念を振り払い、真剣な表情で画面を見据えた。
(────────王子先輩がどう動くか、ですか)
「おらよっと」
「く……!」
熊谷は太刀川の斬撃を受け止め、一歩後退する。
先程と違い、出水は那須が抑えてくれている。
ならば、無理に太刀川と距離を詰める必要はない。
離れ過ぎるのも危険だが、常に至近距離で戦わなければならないワケではない。
「────」
何よりも。
鍔迫り合いでの粘りが、効かなくなって来たのだ。
太刀川は一刀目の斬撃が防がれたと見るや、即座に二刀目を抜刀。
横合いから、熊谷に向かって振り抜いた。
「……っ!」
熊谷はそれを、弧月の角度を変える事で受け止める。
一刀目を滑車の要領で滑り落とし、二刀目を防ぐ軌道に剣を置く。
ガキン、と鈍い音が鳴り、弧月同士がぶつかり合う。
「甘いぞ」
「……!」
太刀川は何を思ったか、その場で弧月の柄から手を放し、両手をクロスさせる形で二振りの刀をキャッチし握り直す。
そして、交差させた二つの弧月で熊谷の剣を挟み込み、押し飛ばす。
結果、弾かれた熊谷がつんのめり、強制的に後退させられる。
「────────旋空弧月」
距離を稼いだところで、旋空を起動。
二刀の拡張斬撃が、熊谷に迫る。
「この……っ!」
熊谷はそれを、姿勢を低くする────────だけではなく、地面を滑るようにして回避。
スライディングの要領で二振りの旋空を潜り抜け、太刀川へと肉薄する。
(旋空弧月)
そして、熊谷は無音声で旋空を起動。
刃は伸ばさず、ただ旋空の切れ味だけを宿し。
太刀川に、一刀を振り下ろした。
防御不能の斬撃、旋空弧月。
それをブレードの拡張を行わず、ただ切断力だけを用いる攻撃。
中距離で真価を発揮する旋空の、至近距離用の特殊運用。
このまま太刀川が防御の姿勢を取るようであれば、その上から叩き斬る。
回避するのであれば、今度こそブレードを拡張して追撃する。
そういった、理不尽な二択を押し付ける攻撃。
千載一遇の、
「おっと」
「……っ!?」
とは、成り得ない。
旋空を起動し、振り下ろした弧月の一刀。
その斬撃は、弧月の柄同士をぶつけ合う事で、防がれた。
旋空によって切断力を得るのは、あくまでも
当然柄は切断力など持っていないし、問題なく受け止められる。
そして、熊谷の弧月には、
通常、弧月に鍔は付いていない。
熊谷のそれは、受け太刀に特化する為の回良品だ。
大きな改造、オリジナルのトリガーとなるとA級にならなければ無理だが、この程度の調整であればB級の身であっても叶えられる。
故に、熊谷の弧月は通常のそれとは形状が異なる。
だからこそ。
鍔をかち上げる形で、太刀川は熊谷の手から弧月を弾き飛ばした。
完全なる、失態。
だが、それも無理からぬ事。
熊谷は太刀川という剣士の
その集中力は、如何ほどのものか。
されど、集中は無限に続けていられるワケではない。
生身の肉体よりも無理の利くトリオン体とはいえ、精神的な限界は存在する。
格上相手に一歩も退かない死闘を演じ続けたのであれば、尚の事。
たとえ短時間の戦闘とはいえ、その密度の濃さは熊谷の精神の余裕を奪って余りある。
その結果の、致命的な一手。
彼女の、限界だった。
熊谷の手から抜け、宙に放り出される弧月。
この瞬間。熊谷は武器を失い、無防備となる。
そんな隙を、太刀川が逃す筈もない。
くるりと、太刀川は右手に持つ弧月を逆手持ちに切り替える。
そして、間髪入れずに抜刀。
防ぐ手段を失った熊谷へ、その刃を斬り上げた。
「ハウンド……ッ!」
熊谷は、その斬撃を躱し切れないと判断。
一矢報いる為、迷いなく射撃トリガーを撃ち放った。
放たれる、無数の弾丸。
それが、太刀川に向かって襲い掛かる。
最短最速。
避ける間を与えぬ弾道で、ハウンドが迫り来る。
この一撃で熊谷は落とされるだろうが、太刀川にも手痛いダメージを与えられる。
脱落が避け得ないならば、少しでも戦果を獲得する。
それが、熊谷の思考。
「────」
だが。
だが。
その程度、
太刀川は、迷いなくグラスホッパーを展開。
それを踏み込み、上空へと跳躍した。
「な……っ!?」
空を切る、無数のハウンド。
太刀川に防御の隙を与えない為、誘導設定を強めにしたのが仇となった。
猟犬の牙を潜り抜けた太刀川は、落下しながら刃を振り下ろす。
同時、熊谷が宙に投げ出された己の愛刀に手を伸ばす。
斬撃の到達までに掴み直せば、防御が間に合う。
故にこそ、手を伸ばす。
伸ばして、しまった。
「え……?」
伸ばした手が、手首が、斬り落とされた。
斬撃はまだ、到達していない。
ならば何故か。
それは。
太刀川が、二振りの刀の一本を、投擲したからだ。
投擲された弧月は正確に熊谷の手首を斬り落とし、掴む掌を失った右腕を空を切る。
「が……っ!」
そして、刃なき少女はに刀を防ぐ術はなく。
太刀川の斬撃は、一刀の下で熊谷の身体を切り伏せた。
「ここまでか……」
『戦闘体活動限界。
一撃で致命傷を喰らってしまった熊谷は、最期の足掻きすら許されずに脱落。
光の柱となって、消え失せた。
「いいえ」
作戦室でそれを見届けた小夜子は、笑みを浮かべる。
それは紛れもなく健闘を称える笑みであり。
勝利の、笑みだった。
「間に合いましたよ、熊谷先輩」
「────」
空間が、揺らめく。
霧雨が降り続く街の中。
何もなかった場所に、人影が現れる。
それを解除した男は、風間は。
太刀川の背に向けて、己の刃を振り下ろした。