痛みを識るもの   作:デスイーター

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志岐小夜子⑤

 

「…………少し、冷えますね」

 

 夜風を浴びながら、小夜子は呟く。

 

 此処は、ボーダー本部の屋上。

 

 街を一望出来るその場所で、小夜子はほぅ、と溜め息を吐いた。

 

「ああ。小夜子は大丈夫か?」

「ええ、それなりに厚着していますので」

 

 気遣う七海に対し、小夜子はくすり、と笑みを浮かべる。

 

 あの後、七海に「付いてきて、くれますか?」と話し、小夜子は此処にやって来た。

 

 七海は特に何も問わず、小夜子に言われるがままこうしてこの場にやって来たのだ。

 

 作戦室を出る直前、那須からは「小夜ちゃんを、お願い」と言われている。

 

 無論、言うまでもない。

 

 小夜子は、七海にとっても大切なチームの一員だ。

 

 何か悩んでいる事があるなら、吐き出したい事があるなら、その意を汲む事くらいやってみせる。

 

 そういう気概で、七海は此処にいる。

 

 最初から、投げ出すなどという選択肢は有り得ない。

 

 それが七海と言う人間の性であり、魅力の一つでもあるのだから。

 

「さて、と。ぼかすのもなんですし、早速本題に入りますかね」

 

 小夜子は街を見下ろしながら溜め息を吐き、くるりと七海の方を向いた。

 

 その表情にはある種の気負いはあれど、捨て鉢な様子は見えない。

 

 七海はそんな彼女の言葉を、静かに待っていた。

 

 促す事も、制止する事もしない。

 

 あくまで彼女のペースで、話をさせる為に。

 

「今回、私の所為で余計な失点を背負う事になりました。これに関しては、本当に申し訳なく思っています。私がきちんと風間隊と直接連携を取れていれば、もっと巧く立ち回れた筈ですから」

「小夜子、それは……」

「違いません。確かにたらればの話ですが、私の()()がなければより良い結果になっていた事は間違いないんですから」

 

 小夜子は七海の言葉を遮り、そう断言した。

 

 確かに、ある種それは事実だ。

 

 彼女が直接風間隊とやり取りをして、連携を密にしていれば────────菊地原と歌川の脱落は、防げていた可能性はあるのだ。

 

 無論それはたらればの予測に過ぎないが、可能性として確かに存在する事実なのである。

 

 故に、今回小夜子に一切非が無い────────とは、言い切れないだろう。

 

「第一試験の時も、そうでした。私が三輪隊と直接やり取りが出来ていれば、伝達のタイムラグがなければ、米屋先輩が落とされていた事はなかったかもしれません。チームをサポートするオペレーターの私が、チームの足を引っ張っている────────本当、度し難いですよね」

 

 何処か自嘲するように、小夜子は呟く。

 

 違う、と言う事自体は簡単だ。

 

 けれど、彼女はまだ話を終えていない────────想いを、吐き出し切っていない。

 

 ならば、一度気が済むまで喋らせるべきだろう。

 

 七海は理屈ではなく直感でそう感じ、口を閉じていた。

 

「それもこれも、私の男性恐怖症の所為です。これがなければ、きちんと男性と向き合える事が出来ていれば、こんな事にはならなかった────────そのくらい、私が一番分かってます」

 

 けど、と小夜子は両腕で自分の身体を抱き締めた。

 

「…………男の人が、怖いんです。幾ら自分に言い聞かせても、頭が、身体が受け付けてくれないんです」

 

 小夜子はそのまま、身体を抱き締める腕の力を強め、続けた。

 

「────────また、騙されたらどうしよう? また、裏切られたらどうしよう? また、酷い事を言われたらどうしよう? って。どうしても、どうしても、男性への拒否感情が抜けないんです。相手が男の人というだけで、あの時の事を想起してしまう────────だから、男の人と話す、という行為自体を身体が受け付けないんです」

 

 それは、彼女に刻まれた心的外傷(トラウマ)

 

 過去に慕っていた先輩に手酷く裏切られ、それ以来男性が恐怖の対象となってしまった。

 

 男が怖い。

 

 彼女のそれは、生理的な反射行動として精神に刻み込まれてしまっている。

 

 それだけ彼女の心の疵は深く、重い。

 

 たかがそれだけの事で、と彼女の事を揶揄する人はいるかもしれない。

 

 だがそれは、小夜子の事を知らないからこそ言える台詞である。

 

 小夜子は過去の一件で男の醜さを知り、裏切られる怖さを知った。

 

 故に、男性と会う、会話する、というだけで、過去の想起(フラッシュバック)が起きてしまう。

 

 遠目から男性の姿を見たり、男が映っている映像を見る事自体は問題ない。

 

 けれど、直接生身で会ったり、男性の声を直で聞く等の行為は、どうしても過去の想起を誘発してしまう。

 

 男性と会う、男性と会話する。

 

 それが、彼女のトラウマを掘り起こす引き金となるのだ。

 

 特に、男性の声を────────自分に向けられた言葉を聞く、という行為は最大のタブーだ。

 

 それが自分に向けられた言葉でないのなら、まだ我慢は出来る。

 

 だが、明確に自分という存在に意を伝える為に放たれた言葉は、意思疎通の意思を持った言葉を聞いた瞬間、小夜子の心的外傷は再発する。

 

 これは最早、生理的な反射行動なのだ。

 

 ただ勇気が足りない、という精神論の話ではない。

 

 埃を吸ったらくしゃみをする、というものと同レベルで、条件反射として精神(こころ)に刻まれた疵なのだ。

 

 自分の意思でどうこう出来る範疇では、決して無い。

 

(────────七海先輩だけは、大丈夫なんですけれどね)

 

 ────────それこそ、恋心がそれを凌駕した七海という例外を除けば。

 

 彼女が七海を受け入れる事が出来たのは、彼に恋したが故だ。

 

 七海を他の男性と明確に()()し、恋慕を向ける相手という唯一無二の存在へと分類化(カテゴライズ)したが故の()()()()

 

 この世で唯一、七海に対してのみ使える安全弁。

 

 それが、男性恐怖症という疾患を欺いた抜け道なのだ。

 

 極論すれば、小夜子は七海を男性として見ていない。

 

 他の男性とは別種の存在として、ある種神聖視しているとも言えなくはない。

 

 だからこそ、ただ一つの例外として彼女は七海を受け入れる事が出来た。

 

 故に、この分類に他の例外は有り得ない。

 

 たとえ、相手がどれだけの人格者であろうとも。

 

 たとえ、相手がどれだけの人望や能力を持つ者であろうとも。

 

 ()()()()()()()()という一点だけで、小夜子はその存在を拒絶する。

 

 例外処理は、唯一無二足り得るからこそ成立し得るのだから。

 

 故に、問題は白紙に戻るしかない。

 

 小夜子が直接七海以外の男性との会話を全う出来る可能性など、万に一つも有り得ないのだから。

 

「…………七海先輩、言っていいんですよ? なんで、自分は大丈夫で他は駄目なのか、って」

「いや、小夜子が言いたくないんだろう? だったら、聞かない。小夜子が話したい、って言うなら別だけれど」

 

 そうですか、と小夜子は七海の答えに苦笑する。

 

 此処は、詰め寄っても良い場面なのに、と小夜子は思う。

 

 我が儘を言っているのは、自分の方だ。

 

 少なくとも小夜子は、そう思っている。

 

 男性恐怖症故に他チームとの連携の密度が足らず、チームの足を引っ張った。

 

 明確に、自分の存在が部隊の足枷となっている。

 

 ならば、その解決を求めるのは、当然の事だ。

 

 少なくとも、今期那須隊を此処まで引っ張り上げた七海には、その権利がある。

 

 だというのに、こと此処に至っても七海は小夜子の事情を優先してくれている。

 

 それが、酷く申し訳なかった。

 

 問うて良い筈なのだ。

 

 何故、自分と話すのは大丈夫で他は駄目なのか、と。

 

 無論、問われたところでその答えを返す事は小夜子には出来ない。

 

 少なくとも今は、いや────────これからも、自分の恋心を表に出すつもりはないのだから。

 

 那須相手には色々言ったが、小夜子は二人の幸せを邪魔するつもりなどサラサラない。

 

 二人から離れて生きていけるとは思えないが、傍にいる方法は何も男女の関係になるだけが全てではない。

 

 仕事上のパートナーとして、或いは個人的な友人として、二人の傍にいられれば、小夜子はそれで充分なのだ。

 

 幸い、七海はこれまでの経験や無痛症が影響しているのか、自分に向けられた好意を察知する能力は酷く鈍い。

 

 明確に言葉にして伝えない限り、自分の想いがバレる事はそうないだろう。

 

 だからこそ、此処で七海に彼だけを特別扱いする理由を問われても、それに応える言葉を小夜子は持たない。

 

 彼女の決意は、献身は、それだけ固いのだから。

 

 だから、この場はその厚意に甘える他ない。

 

 もっとも。

 

「ありがとうございます。なら、そのご厚意に報いる事が出来るよう────────全力を、尽くします」

 

 ただ、甘えるばかりで終わるほど、小夜子の矜持は小さくはなかった。

 

「小夜子、それは……」

「ええ、次の試合からは、きちんと組んだチームと連携を取れるようにします。流石に直接通話だと私が思考停止に陥ってしまって本末転倒なので、別の手段を模索する事になりますが」

 

 小夜子は何も、虚勢や見栄でこう言っているのではない。

 

 彼女の男性恐怖症は生理現象の域に踏み込んでいる為、気合いや根性でどうにかなるものではない。

 

 つまり、必要なのだ。

 

 彼女が十全に他のチームと連携を密にする為には、明確な()()()が。

 

 まず、第一の前提として、小夜子は()()()()()()()()()()()()を聞いた時点で男性恐怖症の症状が発症する。

 

 電話等で声を聴いた場合もそれが明確に自分へ向けられたものであれば思考停止に陥り、目の前の異性から声をかけられた場合は下手をすればその場で失神する。

 

 故に、他のメンバーと行っているように直接通話を繋ぐ形での連絡はアウト。

 

 その為これまでの二試合では那須や七海に組んだチームからの報告を中継して貰って連携を行っていたが、その所為で二人の処理能力を圧迫していたという側面は否定出来ない。

 

 オペレーターが援護を行う為に戦闘の要であるエース二人に負担をかけるのは、正直に言って本末転倒だ。

 

 サポートを行う為に戦闘員に余分な負担を強いる、なんて事は本来あってはならないのだから。

 

「ですので、一手間を省いてみようと思います。先輩達に報告を受けて貰って、私がそれを拾う形で受け取ります。これならなんとかいける筈、ですから」

 

 要は、これまでは七海達に組んだチームからの報告を受けて貰い、それを言葉で小夜子に伝えていたが、それを今度からは七海達への報告を盗み聞く形で拾っていく、という事だ。

 

 報告を中継して貰う事に変わりはないが、七海の口から報告を聞く、という途中経過(プロセス)を省く事による手間の削減は小さくはない。

 

 精々が数秒程度のタイムラグであろうが、戦場におけるコンマ一秒というものは生死に直結する死活問題だ。

 

 一秒でも連携のタイムラグを減らす、という事はそれだけ勝利に貢献出来る事なのである。

 

「────────大丈夫なのか? その方法だと、小夜子の耳に直接男性の声が聞こえてしまう事になるが」

 

 懸念はある。

 

 果たして、その方法で小夜子が本当に男性恐怖症を発しないか、という事である。

 

 確かに、直接小夜子に向けられた言葉ではないだろう。

 

 だが、オペレーターである小夜子はイヤホンで連絡を受け取っている。

 

 イヤホンから流れ込む音声は、すぐ傍に相手がいるような錯覚を与えるには充分な()()がある。

 

 果たして、耳元で発せられる男性の声に小夜子が平常心を保てるか否か。

 

 こればかりは、実際にやってみる他ないだろう。

 

 実戦に勝る訓練は、無いのだから。

 

「ええ、やってみせますよ。そうでなきゃ、私は────────」

「────────はいストップ。無理はいけないよ~」

 

 ────────その贖罪(かくご)に、待ったをかけた者がいた。

 

 朗らかな、それでいて優しい女性の声。

 

 ふと、振り返る。

 

 そこには、二人の女性が立っていた。

 

「無茶と無謀は違うわ。下手に無理をしても、迷惑をかけるだけだと思うわ」

 

 一人は、橘高羽矢。

 

 小夜子のゲーム仲間にして、王子隊のオペレーター。

 

「そうだよ~。献身は美徳って言うけどさー、小夜ちゃんのそれはちょっと行き過ぎだよ~?」

 

 もう一人は、国近柚宇。

 

 同じく小夜子のゲーム仲間の一人で、太刀川隊のオペレーター。

 

 そして、小夜子のオペレートの師。

 

 小夜子の親友と言える少女達が、揃ってこの場にやって来ていた。

 

「え、羽矢さんに、柚宇さん……? なんで、ここに……?」

「なんでって、そりゃ私達を舐めてるね~? 小夜ちゃんの行動パターンくらい、見抜けないと思うてか」

 

 少しだけ本気のトーンを混ぜ、国近は告げる。

 

 その声に含まれた真摯な想いに、小夜子は思わず押し黙る。

 

 そんな彼女を見て、国近は溜め息を吐いた。

 

「小夜ちゃんの事だから、迷惑をかけたから無茶でもなんでもして報いよう、なんて思っただろうけど、考えが甘いんだよ~? 小夜ちゃんは自分が思う程強くもないし、出来る事には限度があるんだから」

「でも、私は────」

 

 それでも、やらないと、と小夜子が言いかける前に、国近はにへり、と笑って口を開いた。

 

「────────だから、代案を用意したよ~。小夜ちゃんが無理をせずどうにか出来る、とっておきをね~」

 

 思いも依らない、一言を告げて。

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