「そろそろかな」
玉狛支部の屋上で、迅は七海を待っていた。
彼と那須の問題が上手くいった事は、既に視ている。
関係改善のキーポイントであった小夜子の未来は視れなかったが、幸い彼女に発破をかける加古の姿は視ている。
そして、那須と七海が穏やかな顔で抱きしめ合う光景も。
詳細は、まだ聞いていない。
迅が視れるのはあくまで未来の
だが。
あの光景を視て、二人の関係が改善されていないとは、流石に思えなかった。
だから、覚悟を決めた。
────────前にも言ったが、ちゃんと七海とは話せよ。あいつはきっと、立ち上がる。そんできっと、お前にも言いたい事がある筈だ────────
太刀川の言葉を、想起する。
確かに、自分にはその義務がある。
迅は、七海が今回陥る問題を知りながら、敢えて傍観する事を選んだ。
自分が介入すれば悪い方向に転がるであろう事が視えたから、という理由はある。
だが。
そんなものは、苦しんだ当人にとっては言い訳にしかならない。
迅は、七海が苦しむ事を承知で見過ごした。
四年前のあの時玲奈にしたのと同じように、見捨てた。
ただ、最善の未来の為に。
そんな
紛れもなくそれは、迅の罪だ。
誰がなんと言おうと、それは彼自身が清算するべき罪科なのだ。
玲奈に七海の事を任されておきながら、自分の都合で苦しませる。
そんな自分が、許されるワケがない。
元より、許されるつもりもない/本当は、許して欲しい。
自分は、人でなしだ/こんな、自分でも。
ただ息をするだけで、罪深い/生きてて良いって、言って欲しい。
罵倒されるのが、お似合いだ/君の声が、聞きたいよ。
「────」
バタン、と。
屋上の扉が、開いた。
そこには、穏やかな表情の七海がいた。
迅が、これまで避け続けて来た相手。
玲奈の忘れ形見であり、彼女が望む未来の
その右腕は、忘れもしない黒い義手。
玲奈の、黒トリガー。
これまで、目を背け続けていた現実が。
そこに、形を持って存在していた。
「よう七海。悪いな」
「迅さん……」
迅は、努めて冷静に七海に声をかけた。
七海は、そんな迅を。
痛ましい眼で、見詰めていた。
その視線に、心当たりが無いと言えば嘘になる。
自分と玲奈が親しかった事は、七海も知っている。
だからこそ、その忘れ形見である自分に複雑な感情を抱いている事も、察されている筈だ。
七海は、玲奈と似ている。
玲奈と同じように人の痛みに寄り添い、可能であれば手を差し伸べる。
そんな優しさを、彼は持っていた。
自分のような、罪人とは違う。
苦しむなどあってはならない、善性の人間。
それが、七海玲一。
玲奈が命を賭して遺した、喪ってはならない人物。
そして。
迅の、罪の象徴でもあった。
────────言えないなら、言ってあげましょうか……っ!? あんたはただ、玲奈お姉ちゃんの面影がある七海と接するのが辛いだけでしょっ!?────────
小南の言葉が、蘇る。
彼女の糾弾は、的を得ている。
迅が、七海を避け続けた本当の理由。
それは。
彼を見ていると、その面影から玲奈を思い出してしまうから。
彼女の最期が、脳裏に浮かんでしまうから。
────────あんたは、七海に玲奈お姉ちゃんの事を重ねて見てるのよ……っ! 玲奈お姉ちゃんの代わりに、七海に生きてて欲しいとか、そんな事思ってんでしょうが……っ! それを最善の未来の為だとか言って、誤魔化してるだけでしょ……っ!────────
小南の言葉は、迅に届かなかったワケではない。
ただ、それを受け入れる心の余裕が、迅になかっただけだ。
小南の言葉は覚えているし、記憶している。
だが。
それを噛み砕くだけの余裕が、迅にはなかった。
迅は。
未だに、玲奈の死を受け入れられてはいないのだから。
七海は、少々困惑しているようだ。
それはそうだろう。
今まで自分を避け続けていた人間が、急に会うと言い出したのだ。
その真意を、知りたくなって当然だろう。
「…………詳しい事情は、説明するまでもありませんか……?」
「そうでもないよ。俺が視る事が出来るのは、あくまで未来の
嘘だ。
迅は、垣間見えた未来の映像から、大体の事情を特定している。
わざわざ七海の口を介さずとも、事態は把握出来ている。
けれど。
それに伴う七海の心の動きまでは、推し量る事しか出来ない。
だから、聞きたかった。
今の七海が、何を想うのかを。
そして、自分をどう思っているのかを。
彼の口から、聞きたかった。
「そうですね。じゃあ、少々長くなりますが……」
それはきっと、七海も察しているだろう。
しかし七海は何も言わず、ただこれまでの事態の推移を説明し始めた。
那須の言葉を拒否出来ず、巻き添えにする形で共に落ちてしまった事を。
その後、那須が部屋に閉じ籠もってしまった事を。
沈んでいた自分の所に村上がやって来て、諭してくれた事を。
自分を心配する熊谷や菊地原が、声をかけてくれた事を。
そして。
那須と話し合い、関係を見詰め直す事が出来た事を。
全て。
全て、話してくれた。
それを聞きながら、迅は思った。
嗚呼、良かった、と。
七海には、彼自身を支えてくれる人々がいる。
彼に喝を入れる為、わざわざ戦った村上も。
自分も戦えるのだと証明し、背中を叩いてくれた熊谷も。
七海を案じ、忠告を繰り返してくれた菊地原も。
皆が皆、七海の為に心を尽くしてくれていた。
迅は何故か、我が事のように嬉しかった。
玲奈の意思は、その優しさは、確かに七海の中に息づいている。
そう、思えたから。
「…………以上です。傾聴、ありがとうございました」
七海はそう言って、話を終えた。
どうやら、迅の反応を待っているらしい。
だから迅はまず、七海を労った。
それがたとえ、自分が言える事ではないのだとしても。
「そうか。大変な時に、傍にいてやれずに悪いな。なんて、俺が言っても虚しいだけか」
「…………いえ、迅さんには迅さんの事情があったでしょうし……」
七海はそう言って、じっと迅の眼を見据えた。
彼は、察している。
迅の本題は、此処からだと。
何か、七海に話したい事があったからこそ、この場に呼んだのだと。
そう、理解していた。
此処で、言葉を濁す事も出来た。
これまでのように、煙に巻く事も。
けれど。
今この場においてそんな真似は出来ないと、迅の魂が訴えていた。
────────逃げるなよ。ちゃんと受け止めろ。お前がそんなんじゃ、七海も報われないだろ────────
太刀川にそう言われたというのも、ある。
だけど。
七海は、向き合ったのだ。
己の過去と。
悲しみの、象徴と。
そして、玲奈の死と。
ならば。
自分が、そこから目を背けるワケにはいかない。
だから、全てを明かそう。
あの日、何があったのか。
自分が、如何に罪深い人間か。
それを、知って貰う為に。
「…………全く、察しが良過ぎるな。これでも、色々と工夫したんだけど」
「いえ、これでも迅さんの事は昔から知ってますので。レイジさん達にも話は聞いていますし」
「そっか。ま、なら仕方ないかな」
仕方ない。
これまで繰り返し用いて来た言葉だが、何処かその声には安堵があった。
やっと、自らの罪を懺悔する事が出来る。
そんな、彼なりの安堵があったのだ。
「…………実は、七海に伝えなきゃいけない事があるんだ。七海は、お姉さんが────玲奈が死んだ事を、自分の所為だと思っているだろう?」
「それは……」
その通りですから、と七海は思っている事だろう。
だが、違うのだ。
そうではないのだ。
本当に責めを負うべきは、本当の咎人は。
彼では、ないのだから。
「違うんだ。それは違うんだよ、七海。玲奈が死んだのは、俺の所為なんだ」
「え……?」
そう、それが迅から見た
本当の罪科の、在り処。
これまで、迅が心の中で、抱え続けた、
「少しは、聞いてるんじゃないか? 俺は、玲奈が君の元へ行けるように協力した。いいか、
「……っ!」
七海が、息を呑む音が聞こえた。
本当に責められるべきは、彼ではない/どうか、聞いて欲しい。
罪人は、自分なのだと/そして、話して欲しい
君は、何も悪くはないのだと/君の、想いを。
「俺はあの時、幾つかの未来を視ていた。その中にさ、あったんだよ。君が生き残る事で、玲奈が黒トリガーになる事で、より多くの人が救われる未来が。だから俺は、
玲奈の死の責任は、自分にある。
だからこそ、これまで七海と向き合う事が出来なかった。
怖かったから。
玲奈の面影を残す彼に、憎まれる事が。
どうしようもなく、怖かったのだ。
「君は、俺を恨んで良い。憎んで良い。玲奈の死の責任は君じゃない、俺にあるんだ。君はこれ以上、自分を責める必要はないんだよ」
「……迅さん……」
けれど、それも此処までだ。
きっと、彼は恨むだろう。
口では、否定するかもしれない。
だけど、許せる筈がないのだ。
玲奈が、彼の姉が死んだのは、迅が見殺しにしたからだ。
彼女を殺したのが自分であると言われても、なんら否定は出来ない。
だから、此処まで。
泡沫の夢は、此処までだ。
きっと、七海は自分から離れて行くだろう。
表立って責める事はなくとも、姉を死に追いやった人間と一緒になんていれる筈がない。
以前に視た未来でも、七海はこの日を機に迅との距離を取っていた。
だから、甘い夢は此処で終わる。
「────そうですか。教えて下さって、ありがとうございました。でも、俺は貴方を恨みません」
「七海……」
「迅さんの事だから、俺がこう言う事も
そう答える事も、視えていた。
確かに、それはその通りだ。
けれど。
そう答える七海の眼だけは。
予想していたものと、違っていた。
「…………ああ、君がそう答える未来は視えていた。けど、俺を気遣う必要は────」
「いいえ、これは俺の本心です。そもそも、何で俺が迅さんを恨む必要があるんですか?」
「え……?」
だから。
七海のその言葉には、本当に驚いた。
以前に視た未来であれば、七海はこの後すぐに立ち去っていた筈なのだ。
けれど、違った。
七海の眼は、何の憂いもなく迅の姿を見据えていたのだから。
「迅さんは、
「……それは……」
分かってはいた、筈だ。
そもそも、迅は自分が見殺しにしたとは言ったが。
実際は、家族を救う為に向かった玲奈を止められなかっただけだ。
そして、七海の下に向かう玲奈を援護する為にトリオン兵を片付けただけだ。
ただ、それだけ。
本当は、行かせたくなどなかった。
けれど。
あそこで玲奈を止めていれば、七海を死なせていれば。
きっと、玲奈の心は死んでいた。
だから、止められなかったのだ。
玲奈の命ではなく、
「姉さんは、むしろ迅さんに感謝していました。迅さんのお陰で、俺を助けに来れたんだと。迅さんは、俺と姉さんの
「玲奈が、俺に……?」
それは、初めて聞く玲奈の遺言。
聞く事の出来なかった、最期の言葉。
それが。
七海の口を介して、ようやく、迅へと届いたのだ。
きっと、許されないと思っていた。
どう理由を取り繕っても、迅が玲奈を見殺しにしてしまった事実は変わらない。
けれど。
玲奈が最期に、そう言い残したのであれば。
迅に、感謝してくれたのであれば。
自分を許しても、良いのではないか。
そんな言葉が、心の内から沸き上がった。
「迅さん、迅さんこそ、これ以上自分を責めないで下さい。きっと、姉もそう言う筈です。それとも────迅さんが知る姉は、貴方を責めるような人でしたか?」
「────参ったな。そう言われちゃうと、返す言葉がないや」
それが、トドメだった。
確かに、玲奈ならそう言うだろう。
これ以上、自分を責めないでと。
彼女なら、言う筈だ。
迅が、恋した彼女なら。
笑って、そう言ってくれるだろう。
他の人の言葉であれば、届かなかった。
けれど。
他ならぬ
────困った事があったら、迅君が力になってくれると思うから。ボーダーの皆も、良い人達ばっかりだから────
ふと、そんな言葉が聞こえた気がした。
迅には、聞き覚えがない。
けれど、それは確かに。
玲奈本人の言葉だと、思えたのだ。
四年越しに玲奈が七海の口を借りて、迅に感謝を伝えている。
錯覚だろう。
頭がおかしい、そう思うかもしれない。
だけど。
迅には、そうとしか思えなかったのだ。
憑き物が落ちた。
ようやく、彼女の死を受け入れられた。
この時ようやく、迅の時計の針は。
ようやく、前に進んだのだ。
「…………本当はさ、気付いてたんだ。玲奈が、君が、俺の事を恨む筈がないって。けど、那須さんと同じだよ。俺は、それを確認するのが、今まで怖くて出来なかった」
「迅さん……」
「…………本当、馬鹿だよ。玲奈にもよく、呆れられたもんさ」
そして、迅は話した。
これまで、抱えて来たものを。
停滞を続けていた、彼の心を。
「…………玲奈はさ、昔こう言ってくれたんだ。
玲奈が、迅に言ってくれた事を話した。
「小南も、レイジさんも、最上さんも…………皆、俺の事を気遣ってくれた。でも皆、俺の力が必要なものだと理解していたから、俺に
仲間とのすれ違いも、話した。
「俺は皆の為に自分の幸せを捨てる事を当然だと思ってたし、皆もそんな俺に何も言えなかった。
どうしようもなかった、現実も。
「最上さんにも、似たような事は言われたけどね。でもそれは、大人としての意見でもあったから、俺は素直に受け入れる事が出来なかった」
師への、懺悔も。
「俺は、そんな玲奈さえ、未来の為に見殺しにしてしまった。あの時程、自分の事を人でなしと思った事はない。自分は、自分の幸福どころか、他人の、大切な人の命さえ、未来の為なら平気で犠牲に出来るんだって、そんな風に自覚した」
自分の、後悔も。
その全てを、話した。
初めてだった。
此処まで、自分の事を話すのは。
だって、それは。
自分を、省みる事は。
あの日に、止めてしまっていたのだから。
七海はただ、迅の話を聞いていた。
そして。
「…………けど、辛かったのは迅さんも同じでしょう?」
────────その
七海は、迅を真っ直ぐに見据え。
己の想いを、ただ告げた。
自縄自縛の罪悪感で苦しむ彼に。
自分なりの答えを、伝える為に。
「大切な人が死ぬ痛みは、俺も良く識っています。だから、迅さんが自分だけを責める必要はないんです。姉だって、そんな事は望んでいない筈です」
「…………そうだな。やっぱり、君は玲奈の弟だよ。そんな風に気遣う所まで、そっくりだ」
その姿に、迅は玲奈を彼に重ねた。
申し訳ないとは思っているけれど。
それでも。
他人を気遣うその優しさは、玲奈譲りのものであると分かったから。
「参ったな…………君を気遣うつもりが、俺が気遣われちゃうなんて。これじゃあ、面目が立たないや」
「迅さんは少し、気を張り過ぎなんですよ。少し気を抜いても、バチが当たらないと思いますよ」
その優しさが、迅の心に触れた。
既に、彼の心を縛る氷は溶けている。
七海が、それを溶かしてくれた。
玲奈の弟としてではなく。
彼自身の、言葉で。
「もう少し迅さんは、自分の気持ちを周りに伝えるべきです。言わなきゃ、何も伝わりません。それは俺も今回、強く感じた事ですから」
「…………そうだな。本当、その通りだよ……」
迅は深いため息を吐き、夜空を見据えた。
星々が瞬き、ちっぽけな自分たちを見下ろしている。
流れ星が、落ちる。
迅はそれを見て、目を細めた。
流れ星が落ちる時は、誰かの命が消える時。
そんな、悲観的な話もあるけれど。
でも、どうせなら。
流れ星に願えば、願いが叶う。
そんな噂話の方を、信じてみたかった。
迅は、願う。
最善の、未来を。
そして。
玲奈の魂の、安らぎを。
迅は今、正しく彼女の死を受け入れた。
時計の針は、動き出した。
彼の時間は今、ようやく進み始めたのだから。
『ななみ』
「想いを識るもの」
色々あって成長した背負う系主人公。
右腕義手・姉死亡済・無痛症と作者の趣味がフル投入された過酷な境遇にいたが、愛する少女とのあれこれを乗り越えて関係の正常化に成功した。
精神的なイケメンであり、顔立ちも整っているので実はモテる。
しかし那須という絶対の障壁がある為異性的な意味で彼に近付ける女性はただ一人の例外を除いて存在しない。
学校ではぼっちだが、ボーダーで出来た友人関係に割と満足しているので別にそれでいいと思っている。
ボーダーがなければ割と社会不適合者になっていた可能性が微レ存。
迅に関しては前々から恩返しをしたいと思っており、思いもよらぬところで彼の苦悩を聞けた事は幸いだと思っていた。
一通り聞いて「あ、この人自分と同じタイプだ」と察した七海は全力で言葉を選んで説得した。
村上の言葉がなければ、説得の文言を思いつけなかった可能性もあったようだ。
色んな意味で人の輪に恵まれている。
那須という重い少女の想いを独り占めしている事に関しては役得だと思っている。
尚、小夜子の想いには気付いていないし基本的に気付く予定も今のところはない。