「遂に、此処まで来たか」
迅は控室で椅子に腰かけながら、ゆっくりと息を吐く。
インターバルを挟んだとはいえ、一日のうちに六連戦。
幾ら迅とて、精神的な疲れを感じていないワケではない。
しかし、自身の
ゆっくりと息を吐き、背もたれに身体を預ける。
それだけで、幾らか疲労を誤魔化す事に成功した。
戦場では、休める時に楽な姿勢でいるだけでも疲労感が大分違って来る。
実際の戦場を駆け抜けた迅は、当然そういった効率的な休息の為のスキルも習得している。
実際には、習得しなければ死んでいたからこそ、必要に駆られて覚えたのであるが。
「迅」
「え? 瑠花ちゃん……?」
そして、休息の時だからこそ警戒は怠っていない。
これは、迅が死線を潜り抜けた上で覚えた癖のようなものだ。
今、それが出てしまったのは。
相手が、共にあの地獄を潜り抜けた瑠花だからであったからだろう。
普段は
その事に、少なからず迅は困惑していた。
「こんなトコに来ちゃって良いの? 今仕事中の筈じゃあ」
「忍田に言って、休みにして貰いました。理由は小南と同じ、と言えば分かりますね?」
つまり、最終戦の観戦に来た、と瑠花は言っているのだ。
許可がないと見れないよ、と言おうとした迅だったが────────部屋の入口に忍田が控えている事に気付き、嘆息する。
どうやら、彼女の行動は忍田公認のようだ。
迅の視線に気付いたのか、忍田は部屋に入って来て苦笑した。
「すまないね。どうしても、と言うから連れて来てしまった。職権濫用に当たるが、見逃してくれると助かる」
「いいですよ。瑠花ちゃんなら、見る権利はあると思いますから」
「当然です。私が見ずして、誰が見ると言うのですか」
ふんすか、と調子に乗る瑠花だが、小南は彼女が見に来る事は知っているのだろうか。
そんな事を考えた迅であったが、存在自体が特級の機密事項にあたる瑠花が他の観戦者の前に姿を現すとは思えない。
幾ら忍田が付き添っているとはいえ、限度がある。
恐らく、他の観戦者とは別の部屋で見るのだろう。
そのくらいの手配は、忍田であれば出来る筈だ。
故に観戦の際に小南と
アリステラが滅ぶ前からの付き合いがあり、歳も近い事から話す機会も多かった。
元より人懐っこい性格の小南と、尊大だが情深く世話焼きな瑠花との相性が良かったという事情もある。
きっと、観戦の際に鉢合わせずとも遠からず二人とも観戦に赴いていた事は知るところとなるだろう。
普段は仲の良い二人だが、迅が関わる事となると妙な空気になる場合がある。
基本は小南が言い包められて終わりなのだが、どちらも楽しそうではあるのできっとコミュニケーションの延長戦上のなにかだろう。
少なくとも、迅はそう考えていた。
「いよいよ、七海くん達と戦うんだね。彼等が此処まで来れるとは、人の成長とは目まぐるしいものだ」
「俺は何もしていませんけどね。此処まで来れたのは、七海達の尽力の成果です」
「それでもだ。色々、気にかけていたのだろう? 実際に何が出来たかも大事だが、何を想って動いていたかというのも重要だ。彼等の成長に、君の影響が欠片もなかった、というワケではない筈だよ」
七海くんは、君を慕っていたしね、と忍田は告げる。
以前の迅であれば、此処で曖昧にぼかして返答を控えただろう。
彼への負い目が、迅の心には燻ぶり続けていたのだから。
「ええ、そうですね。そうであれば嬉しいと、思っています」
「そうか。今は、そう言えるんだな」
ええ、と迅は忍田の言葉を肯定する。
そう。
迅は、彼を縛る過去の負い目とは折り合いを付けている。
正しくは、折り合いを付ける事が出来た。
他ならぬ、七海との対談を経て。
だから、今の迅は他者からの厚意を素直に受け取る事が出来ている。
それは紛れもなく、彼が前へ進んだ証であった。
「変われましたね、迅。それでこそです」
「七海達のお陰だよ。彼等がいたから、俺は変わる事が出来た。勿論、瑠花ちゃんにも感謝しているよ」
「良い心がけです。褒めてあげましょう」
瑠花は迅の返答に満足し、ふふん、とその豊かな胸を張った。
さり気なくそこから目を逸らしながら、迅は瑠花に向き直る。
「これが、仕上げだ。俺と最上さんで、七海達の最大の試練になる。勿論手を抜く気はないし、実力が足りなければ容赦なく落とす」
けれどね、と迅は笑った。
「俺は、信じてるよ。七海は、彼等はきっと────────
それは、迅なりの信頼だった。
自分を、変えてくれた七海なら。
大切な事に、気付かせてくれた彼等なら。
きっと、未来を超えられる。
だからこそ、一切の手抜きはしない。
容赦なく、本気で落とすつもりで戦う。
そうでなければ、意味がないのだから。
「ええ、好きなようにやりなさい。どんな結果であろうと、見届けてあげます」
「ああ、好きにさせて貰うよ。今回は、俺の
だから、と迅は戦意を瞳に宿し、告げる。
「来い、七海。お前の
「MAPの設定は、本当にそれで良いんですね?」
「ああ、それで良い。きっと、それが正解だ」
那須隊、作戦室。
そこで、七海達は作戦の最終確認を行っていた。
議題は、最終試験のMAP選択。
天候設定を含めた、仕込みの内容である。
「香取隊も、影浦隊も、MAPの設定を極端にしたのが敗因になっていた。俺達が選んだこいつも割と極端ではあるけど、あの二部隊ほどじゃない。多分、このくらいが
「でも、本当に大丈夫なの? その設定だと、未来視は完全には封じられないんじゃない?」
「考え方を変えれば良いんだ。物理的に視界を塞ぐんじゃなくて、他の方法で制限をかければ良い。たとえば────────」
七海はそう言って、幾通りの作戦内容を伝えた。
那須はそれを聞き入り、熊谷は得心し、茜はにこりと笑った。
そして小夜子は、成る程、と納得していた。
「他ならぬ七海先輩がそう言うのであれば、否はありません。那須先輩達も、良いですか?」
「ええ、玲一の判断に従うわ。迅さんの事を私たちの中で一番知ってるのは、玲一なのだし」
「あたしも文句はないわ。それで行きましょう」
「それでOKです。私も問題なしです」
七海の案に、那須隊の面々が次々と賛成の意を伝える。
以前の七海のような、盲目的なイエスマンではない。
自分の考えをハッキリと持ち、その上で七海の意思を尊重した結果である。
七海の意気込みを買ったという事もあるし、何より彼の説明には説得力があった。
思い当たる節も、所々見受けられた。
ならば、賛同しない理由が無い。
勝つ為の選択であれば、そこに否はないのだから。
「MAPの解析は終わっているので、あとは転送場所に応じたサブプランも用意しておきましょう。それが、最適解なんですよね? 七海先輩」
「ああ、一つに絞る必要はない。戦術じゃなく、戦略で戦う。迅さんを倒すには、これがきっと正解だ」
七海がこうまで断言するのは、先ほどの影浦との会話で大事な事に気付けたからだ。
あの時影浦に発破をかけられなければ、きっと七海は選択を誤っていただろう。
そう考えると、彼には感謝してもし足りない。
────────おめーは、分かってんだろーが。迅さんも、ちょいと厄介な
あの言葉がなければ、七海はきっと間違えていた。
七海にとって迅は恩人であり、特別な相手だ。
そして、黒トリガーの使用者、という無視出来ない要素がある。
加えて、あの試験前の模擬戦で未来視と風刃の脅威を直に思い知らされた。
だからこそ、知らず知らずのうちに迅を神聖視────────特別視してしまっていた事は、否定出来ない。
だが、それでは駄目なのだ。
確かに、迅は強い。
未来視の前では大抵の戦術が見通され、風刃の速度と射程、応用性は半端ではない。
けれど。
同じ人間である事は、確かなのだ。
一切ミスをしない人間、というのは有り得ない。
どんな完璧に見える人間でも、本当の意味で失敗しない人間というのはいないのだ。
むしろ、迅の強さは失敗があったからこそ得た強さだ。
戦争の中で、
それは強いけれど、哀しい力だ。
けれど。
迅の、彼の力である事は、確かなのだ。
未来視と風刃という二つの
そういった
だから、迅に勝つにはまずその特別視を捨てなければならない。
その上で戦術を組み上げ、勝ち筋を見つける。
それこそが、最適解。
影浦から教えられた、正解である。
「そろそろ、時間です。行きましょう」
「ああ、行くぞ」
「ええ、行きましょう」
「うん。行こうか」
「はいっ! 行きましょうっ!」
那須隊が、出陣する。
倒すべきは、S級隊員。
風刃使いの観測者、迅悠一。
黒トリガーとの。
迅との決戦が、始まる。
「その様子だと、俺のアドバイスは必要なさそうだな。存分に戦って来い、七海」
行く途中で出会った太刀川は、そう言って七海を送り出した。
師匠として。
好敵手として。
一人の、男として。
七海の力を、認めるが故に。
ならば、応えなければ嘘だ。
「はい、勝って来ます。太刀川さん」
誓いは此処に。
七海はそう宣誓して、太刀川への返答とした。
「頑張って、玲。勝ちなさいよ」
会場の前にいた小南は、そう言って那須を激励した。
本人も戦闘体に換装しており、何やら闘気が満ち溢れている。
彼女の心情は、理解出来てはいないけれど。それでも。
その応援は、真摯なものだった。
「ええ、勿論よ」
故に、告げる言葉は一つだけ。
那須は必勝を誓い、小南とハイタッチを交わした。
「熊谷なら、きっとやれるよ。健闘を祈っている」
会場で、村上がそう告げた。
彼らしい、実直な激励。
けれど。
その言葉に籠る熱意は、本物だった。
かつて、ランク戦で直に鎬を削り合った者として。
彼女の力は、誰よりも認めているのだから。
「うん。やってみせるよ」
だから、これで良い。
大仰な台詞は、要らない。
彼女は彼女の言葉で、約束する。
戦いの、勝利を。
「日浦さん。頑張って」
会場で、ユズルは茜を見つけるなりそう告げた。
きっと、色々言葉を悩んだんだろう。
けれど。
出て来たのは、シンプルな応援の言葉。
きっと、それが正解。
「ありがとう、ユズルくん。私、頑張るからっ!」
茜は笑顔でそう話してユズルと握手を交わし、戦場へ赴く。
その眼に、確かな闘志を宿して。
『いよいよだねー、頑張れー』
『応援してるわ』
那須隊、作戦室。
そこに残る小夜子の下に届いたのは、親友二人からの通信での激励。
いつも通りのふわふわで声で話す国近の言葉には、確かな誠意があって。
普段通りのクールな声で告げる羽矢は、その言葉に信愛を重ねていた。
隊も立場も違えど、友情に揺らぎはない。
「はい、必ず七海先輩達を勝たせてみせますよ。もう、隊章だって考えてあるんですからね」
小夜子はそう啖呵を切り、画面に向き直る。
彼女の仕事は、戦闘支援。
直接前線に出るワケではないけれど、部隊全体を支える必要不可欠な仕事だ。
故に、手は抜かないし気も抜かない。
ただ、全力で仕事を遂行する。
それだけの、話なのだから。
『時間になりました。全隊員、転送開始します』
アナウンスが響き渡り、迅を含めた全員の身体が仮想の戦場へと送られていく。
それを見送った瑠花は、先ほどまで迅がいた場所を見詰めていた。
「存分にやって来なさい、迅。良い戦いを、期待します」
瑠花はそう呟きながら、忍田に連れられ別所の観戦室まで移動する。
勝利を願う、とは少し違うかもしれないけれど。
それは確かに、彼女から迅への
『全隊員、転送完了』
アナウンスと共に、全員が仮想の大地へ降り立った。
見えるのは、中央に位置する大きな川。
川には、一つの大きな橋がかかっていた。
『MAP、『河川敷A』。天候、『暴風雨』』
そして。
荒れ狂う、嵐。
風が吹き荒れ、大雨が降り続く悪天候。
それが。
那須隊が、決戦の地に選んだ戦場であった。