熊谷の旋空孤月が、アーチを両断。
それを足場にしていた迅と七海は、崩落するアーチと共に落下する。
熊谷が橋上に残っていたのは、空中戦への適性の有無の他にもう一つ、理由があった。
それこそが、この足場崩し。
七海のメテオラは確かに破壊力が高く手軽に地形を破壊出来るが、見た目が派手で対策もされ易い。
だからこそ、熊谷が下に残ったのだ。
旋空を用いて、足場崩しを敢行する為に。
確かに、七海は剣捌きでは迅には及ばない。
幾ら攻撃を感知出来る
何より、経験が違う。
文字通りの死線を潜り抜けた迅と緊急脱出ありきの戦闘しか経験していない七海とでは、矢張りものが違うのだ。
自身の命を
そういった経験が、七海には欠けている。
無論、それは悪い事ではない。
そんな経験は、無い方が良いのは当然の話だ。
緊急脱出はそういった命の危機を遠ざける画期的なシステムであり、ボーダーの開発したトリガー技術の中でも最たるものと言える。
だが。
本当に命を懸けた事がある者とそうでない者の間には、明確な意識の線引きがある。
命懸け、という言葉がある。
言うだけならば、簡単だ。
しかし、本当の意味で命を
少なくとも、この日本でそんな機会は早々無い。
災害の時に命からがら逃げた経験のある者はいるだろうが、それは少々ニュアンスが違う。
本当の命懸けとは、自分の命を失うリスクを許容した上で、尚も前に進む事を意味している。
これを経験しているか否かは、戦闘において一つの境界線だ。
死地に置いて研ぎ澄まされる感覚を直に味わったかどうかは、ギリギリの戦いで判断の速さや正確さという形で現れる。
極限状態での戦いにおける、自身のポテンシャルを十全に引き出す適性。
それが、迅の持つ異様な強さの正体である。
そして。
それは足場を崩されて尚、迅に冷静さを保持させていた。
(七海は、すぐに来るな。このチャンスを逃すような奴じゃない)
那須の合成弾による爆撃を読み遅れ、足場崩しも読み逃した。
成る程、確かに迅の意表を突く事には成功した。
だからどうした。
大抵の場合、人は想定外の事が起きれば一瞬であれ混乱する。
判断力が高ければすぐに事態を理解し動き出しはするが、それでも動揺をするのが普通だ。
しかし、迅に動揺は一切なかった。
読み遅れた、読み逃した事による驚愕はあった。
だが、それは次の一手を遅れさせる理由にはならない。
度重なる攻防で、確かに迅の処理能力は圧迫されている。
爆撃を読み遅れたのも、足場崩しを読み逃した事もそれが理由だ。
されど、その二度の失敗で迅の頭は冷えていた。
インターバルを置いたとはいえ一日の間に六連戦もの試合を行い、B級上位の猛者達を相手に戦いを繰り広げた精神的疲労は確かに迅の処理能力を低下させている。
二度の失敗も、それとは決して無関係ではない。
だが。
これが、今日最後の試合である。
ならば。
残る処理能力をフルで使っても、何か問題が?
残り時間は、既に15分を切っている。
戦場では一分一秒がより長く、濃密に感じられるものだが────────迅は、それこそ一日中戦火の中を潜り抜けた経験すらある。
故に、残り15分程度────────全力を使い切る事など、造作もない。
それは無理を重ねた全力ではあるが、決して不可能ではないのだ。
普段のそれよりは、処理能力は落ちるだろう。
だが、今出来る最善の
この一戦は、迅にとって大きな意味を持つ。
かつて見出した希望の欠片が、最善の未来に辿り着けるか否か。
その試金石が、この試合だ。
七海に勝って欲しいとは思うが、手を抜いた上で勝利を与えても意味などない。
彼には、自分の全力を打倒して欲しい。
理不尽に思えるかもしれないが、それが迅の望み。
彼が
「────!」
七海は崩れ落ちるアーチを駆け、迅の下へ迫る。
グラスホッパーを使わないのは、接近に際しタイムラグが発生する事を嫌ったからか。
崩れ落ちる足場を踏みしめながら、七海は迅へと斬りかかる。
「……!」
だが、迅は冷静にこれを対処。
崩れ落ちるアーチの上で、体勢の一つすら崩さずスコーピオンを斬り払った。
間一髪で後退に成功した七海であったが、その胴には浅くない傷が刻まれている。
「旋空孤月」
しかし、この程度は必要経費だ。
七海が一歩を踏み込んだのは、熊谷が再度旋空を撃つ隙を作る為。
真下から放たれた拡張斬撃が、迅の立つアーチを斬り裂いた。
「へえ」
迅は素早く跳躍してそれを回避し、すぐさま崩れ落ちるアーチの上に着地。
即座に七海に向かって、ブレードを振り抜いた。
「────!」
今度は七海は踏み込まず、後退してそれを回避。
更にメテオラを生成し、それを四分割。
迅に向かって、爆撃を敢行した。
「意地でも落とすつもりか。でも、付き合う義理はないな」
しかし、それにも迅は対応する。
迅は飛び散った瓦礫を蹴り飛ばし、それがメテオラのキューブに直撃。
アーチに着弾する前にメテオラは誘爆し、迅はその爆風を利用して加速。
一気にアーチを駆け降り、橋上へと向かって跳躍した。
迅が十全な足場を得てしまえば、全ては振り出しに戻る。
今のような好機は、二度とは訪れないだろう。
それを許す程、迅という少年は甘くはないのだから。
「ええ、そこまでするでしょうね」
だが。
此処に、そんな迅を睥睨する者がいる。
彼女は、那須は、その機動力を以て橋の近くまでやって来ており、その周囲には無数のトリオンキューブを従えている。
先ほどまでは遠隔斬撃を警戒して距離を取っていたが、橋を細断した以上此処まで遠隔斬撃が届く可能性は限りなく低い。
伝播する地面がなければ、風刃の遠隔斬撃は届かないのだから。
今はそれよりも、攻撃の
この好機を逃す手はないと、那須自身も判断している。
故に。
「もう一度よ。吹き飛びなさい」
那須は、トリオンキューブを────────速度重視にチューニングした
「……!」
迅が橋上へ着地する、刹那。
建物の影から跳び出した無数の光弾が、橋へと着弾。
それが次々と誘爆し、橋は崩落へ至った。
当然、迅が着地しようとしていた足場も崩れ去る。
瓦礫と共に、迅が再び宙へと投げ出される。
「────」
それを。
その好機を、七海が見逃す筈もない。
崩れ落ちる瓦礫の上に立つ迅の背後に着地した彼は、近付く手間さえ惜しいとその手に持つスコーピオンを投擲した。
無論、それに気付かぬ迅ではない。
身体を捻り、投擲されたスコーピオンを回避する。
だが。
次の瞬間、迅の横を通り過ぎたスコーピオンが消滅した。
この現象は、使用者自らの意思でのブレードの破棄に他ならない。
一度破棄すれば刀身を作り出す為のトリオンが必要になる為あまり濫用するものではないが、七海ほどのトリオンの保有者であれば気にする程の消費ではない。
問題は。
何故このタイミングで、ブレードを破棄したのか。
相手が七海である以上、一つの解答が存在する。
マンティスを、使う為。
スコーピオンを連結させるマンティスという技法は、その都合上
身体から離れたスコーピオンは変形機能を失う故に、スコーピオンを出しっぱなしにしている状態ではマンティスは行えない。
だからこそ、次の
「こっちか」
だが。
だからこそ、それは無いと迅は断じ────────背後の瓦礫から伸びたブレードを、斬り払った。
七海がスコーピオンを破棄したのは、マンティスを使うと思わせる為。
迅の判断力の高さを信じたが故の、
本命は、それを囮にした
正面からマンティスで攻撃すると見せかけ、背後からの奇襲で仕留める。
もぐら爪は地面を経由するという都合上、迅の未来視でも
使用には欠点が存在する為気軽に使える攻撃ではないが、ここぞという時の詰めの一手では役に立つ。
故にこそ、この局面で使用する。
それが、七海の選択だった。
されど。
迅は、七海の機転を、判断力を信頼していたからこそ、それを読み切った。
彼ならば、此処までやれる。
そう信頼していたが故に、七海の攻撃は読み切られた。
「
七海が選択したもぐら爪という攻撃は、致命的な弱点がある。
それは、使用中その場からの移動が出来ないという事。
即ち、今この瞬間七海の高い回避能力は死んでいる。
スコーピオンによる受け太刀も、集中シールドによる防御も、風刃のブレードの威力の前では意味がない。
風間ほどの受け太刀の技術があれば話は別だが、七海のそれはそのレベルには至っていない。
迅が一歩を踏み込み、ブレードを振り抜く。
避けようがない、致死の一撃。
七海が欠けては、迅に対する最大の前衛が欠けてしまえば、彼に勝てる確率は一気に希薄化する。
彼が落ちた時点で勝ち目はないと言っても、過言ではない。
しかし、もぐら爪を使用している以上この攻撃は避けようがない。
文字通りの、
「────!」
その一撃は。
七海がその場から消失した事により、空を切った。
この現象は、間違いない。
茜が得意とし、前回の試験では多くの者が各々の使い方で使用したオプショントリガー。
転移トリガー、テレポーター。
それを、七海が使用したのだ。
外したトリガーは、恐らくバッグワーム。
迅相手ではレーダーからの隠蔽は効果が薄いと考えたからこそ、有用なトリガーへ切り替えたのだろう。
初見殺し性能そのものは、高いトリガーなのだから。
迅は背後を確認するが、そこに七海の姿はない。
テレポーターの転移先は、視界の先数十メートル。
だが、この局面で迅から大きく離れる意味はない。
故に、近くにいる。
されど、視界内に彼の姿は無い。
ならば。
「
迅が立つ、瓦礫の真下。
その場所以外、有り得ない。
距離的に、マンティスでは届かないだろう。
ならば、下からメテオラで足場ごと吹き飛ばすのが狙いか。
「違うな」
「……!」
否。
彼は、囮。
本命は、橋の上で弧月を構えていた熊谷。
迅が立つのは瓦礫の上である為、此処からでは遠隔斬撃は届かない。
彼女の旋空を、妨害する手段は無い。
「え……っ!?」
それこそ、否。
弧月を構えていた熊谷の両腕は、支柱を伝って伝播された遠隔斬撃により斬り落とされた。
迅は先ほど、既に遠隔斬撃を撃ち出していたのだ。
他でもない、川の中へ向かって。
足場としたのは、橋の支柱。
それを伝って川底へ到達した遠隔斬撃は、同じように支柱を伝って橋を駆け上がり、熊谷へ直撃。
彼女の
まだ熊谷には
彼女の練度では、迅が態勢を立て直すまでには到底間に合わない。
迅が立つ瓦礫には相応の分厚さがある為、もぐら爪ではギリギリ届かない。
瓦礫を迂回して来ても、その頃には迅は迎撃準備を終えている。
間に合わない。
最後の
「え……?」
否。
これこそ。
この時こそ、七海が待ち望んだ、最大の好機であった。
迅の、風刃を握る右腕が。
背後から伸びたブレードによって、斬り落とされた。
何が起きたかは、見れば分かる。
それによる、攻撃だ。
だが、おかしい。
この瓦礫の向こうからでは、もぐら爪はギリギリ射程が届かない筈だ。
もぐら爪マンティスにしても、七海のそれは影浦ほどの練度はない。
この短時間で届かせる事は、不可能だ。
「そういう、事か……っ!」
なんの事はない。
攻撃の正体は、もぐら爪マンティスによるものだ。
だが。
ただの、もぐら爪マンティスではない。
正確には、その亜種。
設置していたスコーピオンにもぐら爪を連結させた、変則マンティスである。
七海は先ほど、テレポーターで移動した。
そして、その時彼は地面にもぐら爪を突き刺している状態であった。
その状態で転移した七海ではあるが、その際に地面に突き刺したスコーピオンはそのまま瓦礫の中に埋まっていた。
七海はそれをオフにせず、テレポーターで転移した後もぐら爪で繋げて亜種のマンティスへと変化させたのだ。
文字通りの、死角を狙った一撃。
それが、ようやく迅へと一太刀を入れた。
この試合、初めてのまともな迅へのダメージ。
それは、これ以上ない効果的な部位を斬り落とした。
風刃は、ブレードにその能力が凝縮されている。
故に、剣を持たなければその能力の一切が発揮出来ない。
風刃が、それを握る腕ごと宙に舞う。
これで迅は、戦闘手段を失った。
「まだだ」
否、否である。
迅は残った左腕で腕ごと弾き飛ばされた風刃を掴み取った。
これで、形勢は逆転する。
もぐら爪を使っている以上、七海は瓦礫から離れられない。
彼がスコーピオンを収納するよりも、遠隔斬撃が到達する方が────────速い。
熊谷は、当然間に合わない。
那須も、今からでは無理だろう。
「────」
故に。
此処で動くのは、彼女しかいない。
彼女は、茜は、その手に持つライトニングの引き金を、引いた。
遠方より飛来する、一発の銃弾。
迅の胸部を狙ったその一撃は、閃光の名に相応しい速度で飛来する。
極限の状況下、数々の波状攻撃によって処理能力を圧迫された迅がこの狙撃を回避するのは至難の業。
「残念」
されど。
至難の業
迅は身体を軽く捻り、ライトニングの一撃を回避。
元より、狙撃自体は視えていた。
ならば、回避する事はそう難しくはない。
あとは風刃を振るい、遠隔斬撃で七海を仕留める。
残弾は残り二発であるが、七海を仕留めた後で
七海さえ片付けてしまえば、近くにいるのは両腕を失った熊谷のみ。
その程度であれば、那須の次弾が来る前に処理出来る。
剣を失った剣士など、恐れるものではないのだから。
残る那須と茜は、対岸に付いてしまえばどうとでもなる。
一人くらいは取り逃がすかもしれないが、それはそれだ。
容赦する気も、油断する気もない。
善戦はしたが、此処までなのか。
そう思う気持ちも、なくはない。
だが、情けをかけた所で意味はない。
結果は、結果なのだ。
迅はそう割り切り、七海を仕留める為に動く。
「え……?」
その一瞬。
その刹那。
迅は、この試合で初めて油断を────────
数々の破錠攻撃を潜り抜け、予想外の連続を踏破し────────彼の処理能力は、ほぼ限界であった。
全てを乗り越えた、そう考えた瞬間。
迅の心には、僅かな空白が生じたのだ。
そこを、突かれた。
迅の左腕に着弾した、一発の弾丸によって。
その腕を貫いたのは、ライトニング。
言うまでもなく、茜の狙撃である。
ライトニングが連射可能な事は、当然知っている。
だが、迅が視た映像では────────弾丸は、一発の筈であった。
「土壇場で、判断を変えたのか……っ!」
そう、迅が視たのは、
茜は本当の土壇場、コンマ一秒の段階で判断を変え、二発目の弾丸を撃ち放ったのだ。
一発目の弾丸を放ったと同時にテレポーターで転移し、その弾道の軌道線上に自身を転移させた上で。
茜は、同年代の中でも小柄な部類に入る。
それを利用して、弾丸の軌道線上に転移しながら、ギリギリその射線を邪魔しない位置に転移する事に成功していた。
そして、撃ったのだ。
一発目の弾道と重ねるように、そして僅かに狙いをズラして。
頭部や心臓では、数々の死線を踏破した迅相手では直感で凌がれる可能性があった。
だが、腕ならば。
なくなっても戦闘続行可能な腕であれば。
急所を狙うよりは成功する確率が高いと、そう信じて。
かくして、迅の両腕は落とされた。
そしてそれは。
彼の、戦闘能力の喪失を意味していた。
「────!」
瓦礫の下から、七海が跳び出す。
その手に持つは、スコーピオン。
両腕を失い、最早抵抗する術をなくした迅へ向かって。
七海は、スコーピオンを突き立てた。
「────」
「────」
────────結果は、一つ。
七海のスコーピオンは、正確に迅の胸を貫いた。
突き立てられた胸の傷から罅割れが広がり、迅の身体が崩れて行く。
不落と思われていた高い城が、崩れ去る。
迅は、自らの敗北を受け入れ。
それでも尚、笑っていた。
「強くなったな、七海」
「はい、迅さん。皆の────────そして、貴方の、お陰です」
「そうか。それなら、良かった」
迅はそう話すと肩の力を抜き、安心したように、笑った。
「────────おめでとう。君は、君達は、
だから、と迅は七海を見据え、告げた。
「君を選んで、良かった」
その言葉と共に迅のトリオン体が崩壊し、消滅する。
今この瞬間。
七海は、那須隊は。
最大の試練を、超えたのだ。