痛みを識るもの   作:デスイーター

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三雲修⑥

「迅さんも、黒トリガーを…………」

 

 修は迅が机の上に置いた黒トリガー、風刃を見て息を呑んだ。

 

 見た目は、弧月の柄のようなそれだ。

 

 一目見た限りではそのような特別な武器には見えないが、なんというか気配が違う。

 

 トリガーは、あくまでも武器だ。

 

 ボーダー隊員が戦う上で必須である武装とはいえ、それ自体はただの武器に過ぎない。

 

 だが。

 

 この風刃は、黒トリガーは。

 

 あたかも、見えない誰かがそこにいるかのような奇妙な存在感があった。

 

 まるで、大きな棺を前にしているかのよう────────否。

 

 この黒トリガーは、正しく()なのだ。

 

 遊真は、父親の。

 

 七海は、姉の。

 

 そして迅は、師の。

 

 今は亡き大切な者の想いが詰まった、棺。

 

 それが、黒トリガーなのだと。

 

 修は、理解した。

 

「そうか、これが……」

 

 遊真は複雑な面持ちで風刃に手を触れ、俯いた。

 

 頼ろうとしていた当人が既に死んでいたのだから気落ちするのは当然と言えるが、彼のそれは何処か違うように思えた。

 

 巧く言葉には出来ないが、まるでその当人の死よりも黒トリガーそのものを見た事を悲しんでいるような。

 

 そんな、気配がした。

 

「…………動揺してしまってすまない。聞きたい事があるのだが、良いだろうか?」

「いいよ」

 

 そこで動揺から復帰した忍田が、時を見計らって遊真に問いかけた。

 

 動揺自体はすぐに抑え込んだのだが、流石に風刃に触れて物想いに耽っていた遊真の邪魔をする気はなかった。

 

 故に、一呼吸置いての質問になったのだ。

 

「君の父親の名前は、空閑有吾で間違いないかい?」

「そうだよ。ボーダーの関係者って言ってたけど、知ってるの?」

 

 遊真の問いに、忍田はああ、と肯定する。

 

「勿論だ。私も林道さんも、有吾さんには世話になっていた」

「有吾さんは、旧ボーダーの創設に関わった最初期のメンバーでな。俺達にとっては先輩にあたるし、本部司令の城戸さんは同輩にあたる。旧ボーダー(おれたち)が今までやって来れたのも、有吾さんがいたからだしな」

 

 忍田と林道は、口々に有吾という人物を褒め称える。

 

 彼等の言葉には尊敬と親愛の念が滲み出ており、それだけ空閑有吾という人間の存在が大きかったであろう事が分かる。

 

「しかし、するとその黒トリガーは……」

「ああ、親父だ」

「そう、か……」

 

 遊真の答えに、二人は沈痛な面持ちとなる。

 

 無理もないだろう。

 

 昔世話になった恩師が、黒トリガーという棺となって帰って来たのだ。

 

 その心痛は、察するにあまりある。

 

 忍田は遊真に許可を貰って黒トリガー(ゆびわ)に触れ、何も言わずに手を離した。

 

 同様に林道も指輪に触れ、溜め息を吐きながら手を離す。

 

 恩師の棺に触れ、何を想ったかは彼等にしか分からない。

 

 それを追求する気は、遊真にはなかった。

 

「しかし、有吾さんの息子となれば協力しない理由はないな。住む家やお金なんかは大丈夫なのかい?」

「ああ、色々あって都合は付けたんだ。お金もホラ、ちゃんとある」

 

 遊真はそう言って懐から紙幣の束を取り出し、それを見た忍田達が呆然とする。

 

 だが、この世界に来たばかりの遊真が銀行など使える筈もない事に気が付き、溜め息を吐いた。

 

「…………こちらではあまり大金を持ち歩くのは推奨されないし、無暗に見せるべきではないんだ。後で唐沢さんにお願いして口座を用意して貰うから、銀行についての説明もしておくよ」

「あ、いや、おれは……」

「まあ、別に急ぐ話でもない。そういう便宜も図れるって事だけ、覚えていてくれればいいさ」

 

 言葉を濁した遊真を銀行についての無知からの困惑と見て取った忍田は、そう言って話を終えた。

 

 近界を跳び回る生活を送っていたのであれば銀行のようなシステムを活用していたかどうかは分からないし、そもそも近界にそういったものがあるかどうかすら不明だ。

 

 初めて触れるシステムに困惑しても無理はないだろうとの考えであったが、修はそれは違うと感じていた。

 

 遊真の困惑、それは単に銀行に対する不理解に依るものではない。

 

 あれは、きっと。

 

 ()()()()()()()()()()()事を遠慮した、そういった者の反応だ。

 

「なあ、空閑。お前はなんで、この世界に来たんだ?」

 

 それが気になり、修はそう問いかけた。

 

 恐らく、此処が分水嶺。

 

 そう確信して、問いを放った。

 

「いや、だから親父がそう言って────────」

「それは、選択肢として提示されてただけだろ? お前自身がこっちに来る事を考えた()()()が、何かあったんじゃないのか?」

「────!」

 

 修の言葉に、遊真が目を見開いた。

 

 それは、図星を当てられたが故の驚愕。

 

 一瞬の硬直の後、遊真は苦笑しながら溜息を吐いた。

 

「オサムは、変な所で勘が良いな。まるで、親父みたいだ」

「空閑……」

「そうだよ。俺は、目的────────というか、願望かな。そういうのがあって、こっちに来た。親父の話は、ただの切っ掛けだよ」

 

 遊真はそう告げるとふぅ、と息を吐き、指に嵌めた黒トリガーを見詰めた。

 

「親父の世界なら、もしかして黒トリガー(こいつ)を親父に戻す事が出来るかもしれない。そう思って、こっちに来たんだ」

「それは────」

「うん、さっき分かった。無理なんだろ? それは」

「…………残念ながら、その通りだ」

 

 忍田は遊真の目的を聞き、沈痛な面持ちでそう答えた。

 

 迅は閉口し、七海も押し黙る。

 

 それはきっと、黒トリガーを手にした者であれば誰もが考えるであろう願望だ。

 

 彼等の大切な人は、自らの意思で黒トリガーと化した。

 

 ならば、それを元に戻す事で彼等が生き返るのではないか。

 

 そう思った事のない者は、この中にはいない。

 

 なまじ、普通の死者と違い砂となり崩れ去る、という死に方である為、そういった希望を抱いてしまうのは仕方のない事ではあった。

 

「黒トリガーは製作者の分身のようなものだが、()()()()()()()()()()。言うなれば、位牌のようなものだ。適合者を選んだりするから意思のようなものが備わっている可能性はあるが、根拠のある話じゃないんだ」

「…………そうだな。黒トリガーは、あくまでも棺だ。中に入っているものがあるとすれば、製作者の亡骸か残滓のようなものだと思うよ」

 

 黒トリガーは、意思を持つか否か。

 

 そういった論争をされる事はあるし、未だ答えの出ない問いではある。

 

 だが。

 

 一度黒トリガーと化した者は、二度と元に戻る事ではない。

 

 生身からトリオン体へ変わるように、幾らでも切り替えの効くものではないのだ。

 

 取り返しのつかない、不可逆の変換。

 

 それが、黒トリガー化というものなのだから。

 

「だから、おれがこの世界にいる意味はもうないんだ。こっちは近界民には生き難い世界みたいだし、これ以上迷惑をかける前に帰った方がいいかなって」

「そんな、迷惑だなんて────」

「迷惑だろ? だって、おれを匿えば迅さん達の立場が危うくなる。敵兵を、拘束もせずに匿ってるようなものだしな」

 

 遊真の言葉は、的を得ている。

 

 確かに、彼を匿うのは少々以上にリスキーな行為だ。

 

 近界民は、今のボーダーの認識では全てが敵だ。

 

 遊真はこれまでボーダーに対して敵対的な姿勢を見せてはいないが、彼が友好的であるとの明確な論拠があるワケでもない。

 

 信じられると思ったから、では組織の方針を易々と変える事は出来ないのだ。

 

 組織というのは、生き物だ。

 

 たとえトップが大丈夫だと認識していたとしても、属する人間を納得させるには確固たる根拠が必要になる。

 

 証拠もなしに特例を作ってしまえば上層部の腐敗を招きかねないし、それ以上に下が納得しない。

 

 ボーダーの大部分は城戸司令の派閥、つまり近界民を排除すべしという考えの人間が占める。

 

 城戸司令はそういった者達をかき集める為に今の方針に転換をしたのだから、当然と言えば当然の話ではあるのだ。

 

 そして、そういった者達は遊真が近界民というだけで排除すべき()として認識する。

 

 組織の多くを占める者達がそういった考えを持っているのだから、トップの一存で遊真に寛容な扱いをしてしまえば相応の反発は必至だ。

 

 特に、三輪が最たるものだろう。

 

 彼は、絶対に近界民の存在を許容しない。

 

 もし、組織の方針として近界民の存在を許容する事を明確化すれば彼はどうなるか。

 

 流石に離反まではしないであろうが、これまで通りとはいかないだろう。

 

 少なくとも、土壇場で暴走する危険性は一気に上昇する。

 

 そういった危険を排除する為には、組織として易々と近界民の存在を受け入れるワケにはいかないのだ。

 

 たとえそれが。

 

 かつての旧ボーダー(じぶんたち)と、相容れない考えだとしても。

 

 組織体制の維持は、防衛の観点から見ても必須事項なのだから。

 

「────────遊真。お前、独りで死ぬ気か?」

「まあバレるか。未来が視える、って言ってたもんね」

「え……?」

 

 迅の質問を遊真が肯定し、修の顔色が変わった。

 

 それだけ、迅の言葉は衝撃的だったからだ。

 

「それは、どういう……」

「考えてみれば、簡単な事だ。黒トリガーといったって、万能じゃない。七海が痛覚を失ったように、黒トリガーで延命した遊真の寿命には限界がある。正しくは、トリガーに保存した生身の肉体の限界が」

「……!」

 

 そう、遊真の話では、致命傷を負った遊真の身体はトリガーの中に格納され、今彼が使っているのはトリオン体である。

 

 11歳の時にトリオン体に変わったのだから、当然肉体の成長などする筈がない。

 

 文字通りの意味で、遊真の時間は止まっているのだ。

 

 だが、彼の生身の肉体はそうではない。

 

 黒トリガーに出来た事は、あくまでも彼の()()

 

 致命傷自体を、どうにか出来たワケではない。

 

 故に、今遊真の身体はこうしている間にも刻一刻と死へと向かっている。

 

 それが、最早成長しない遊真の寿()()と言えるワケだ。

 

「そんな状態で近界に戻れば、何処かで野垂れ死ぬしかない。お前は、そうするつもりなんだな?」

「そうだね。親父が戻って来るなら考えたかもしれないけど、無理ならこっちに留まる意味はないかな。唯一の目的は、なくなっちゃったし」

 

 遊真の言葉を、迅達は否定出来なかった。

 

 何故なら、彼の気持ちが痛いほど分かるからだ。

 

 特に。

 

 同じように黒トリガーを持つ、迅と七海には。

 

 彼等は、喪失の痛みを識っている。

 

 どれだけ時が過ぎようと風化しない、目の前で大切な人が自らの意思で物言わぬ黒い棺に変わってしまった悲劇の記憶。

 

 その記憶が、常に彼等を苛むのだ。

 

 自分は果たして、大切な人の死を許容してまで生きていていいのだろうか、と。

 

 だからこそ、七海や迅は極度に自罰的な傾向があった。

 

 自分の身よりも他者を優先してしまう、過剰な程の利他的行動。

 

 それはきっと、一種の自殺願望に他ならない。

 

 自分の価値を信じる事が出来ないから、自分というものの評価が極端に低い。

 

 故に、平気で身を捨ててしまえる。

 

 そんな歪さが、彼等にはあった。

 

 故に、何も言えない。

 

 自らの死を許容する遊真の姿は。

 

 まさしく、鏡映しの自分自身そのものなのだから。

 

 同様に、忍田や林道も何も言えない。

 

 彼等もまた、多くの者を目の前で失ってしまった経験がある。

 

 喪失の痛みは、充分過ぎるほど知っている。

 

 迅や七海ほど極端でないとはいえ、彼等もまた遊真の気持ちは痛い程分かる。

 

 単純な、知ったかぶりの推察ではない。

 

 同じ境遇だからこそ、理解出来てしまうのだ。

 

 今の遊真の心の痛みが、どれ程のものか。

 

 その痛みの前では。

 

 死なないでくれ、と告げるのはある種の拷問のようなものだ。

 

 それだけ、死という逃げ道は喪失の痛みを識った者には魅力的に見えるのだから。

 

「待ってくれ、空閑」

 

 だから。

 

 彼しか、いなかった。

 

 唯一、此処にいる者の中で喪失の痛みを経験していない。

 

 修しか。

 

 遊真の閉じた心に、踏み込める者はいないのだから。

 

「お前の話は分かった。色々言いたい事はあるけど、もしもこれまでの事を恩に感じているなら聞いて欲しい事があるんだ」

「なんだ? 出来る事だったら、いいぞ」

 

 突然の修の申し出に目を白黒させながら、遊真はそう答えた。

 

 遊真にとって、修と過ごす時間は悪くなかった。

 

 過剰なまでに世話焼きなところは彼の父親を連想させて親しみが持てたし、修があれこれと話してくれるお陰でこの世界に少しではあるが興味は持てた。

 

 だから、彼が望む事であればなんであれ叶えてやっても良い。

 

 そう思うくらいには、遊真は修に親しみを覚えていた。

 

「ぼくは、迅さんが言うには最善の未来に辿り着く為に必要な人員らしい。けど、どう考えてもぼく一人でそんな大それた事が出来るとは思えないんだ」

 

 修は、自身の価値を正しく認識していた。

 

 C級ランク戦は勝ち上がる事が出来ているが、彼自身の地力は誰よりも低い。

 

 そもそもその勝利も裏技を使ったようなもので、本当の彼の実力とは到底言えない。

 

 客観的にそれが事実かはともかく、修の主観ではそうだった。

 

 正直、彼が迅に特別扱いを受けているのは言い方は悪いが出世払いの前借りのようなものだ。

 

 現時点で修は、迅の厚遇に対する恩を何も返せてはいない。

 

 自分がいれば未来は切り開けるというが、こんな非力な自分一人で出来る事などたかが知れている。

 

 そんな自分がもし、最善の未来に辿り着く一助になれるのだとすれば。

 

「だから、お前が必要なんだ。きっと、お前がいなきゃぼくは何も出来ない。求められた期待に応える為には、お前の力が必要なんだ」

 

 それに、と修は続ける。

 

「麟児さんを探すっていう目的だって、ぼく一人じゃきっと難しい。でも、お前が協力してくれれば、きっとうまく行く筈だ」

 

 修はそう言って遊真に手を差し伸べ、告げる。

 

「ぼくの為に、この世界に残って協力をしてくれないか? 恩を返したいって思うなら、そうしてくれると助かる」

「それは、迅さんに未来の事を聞いたから? それとも、おれに同情したからか?」

「────────違う。ぼくが、そうするべきだと思ったからだ」

 

 遊真の問いかけに、修はハッキリとそう答えた。

 

 その言葉に、嘘はない。

 

 他でもない遊真自身の副作用(サイドエフェクト)が、それを真実であると捉えていた。

 

 遊真の顔が、変わる。

 

 それまでの、捨て鉢であったが故に浮世離れしていた表情ではなく。

 

 年頃の、子供らしい不敵な笑みに。

 

「分かった。そう言われちゃ、仕方ない。協力してやるよ、修」

「ありがとう、空閑。頼りにしてるよ」

 

 そうして、二人の少年は手を取り合った。

 

 事態の推移を見ていた二人の大人は安堵し、迅はほっと溜息をつく。

 

 瑠花は興味深げに修を見て、呟いた。

 

「成る程。確かにこれは、迅に必要な子ですね」

 

 同情や憐憫ではなく、敢えて己のエゴをぶつける事で道を切り開く。

 

 単なる迅の同類かと思っていたが、この精神の据わり具合は彼にはない利点である。

 

 良くも悪くも迅が選んだ人間であるという面しか見ていなかった修の価値が、瑠花の中で跳ね上がった瞬間だった。




 まだ千佳ちゃんとエンカウント前なので、もしも迅さんが未来視の事を話してなかったら修は遊真を引き留める口実を作れずアウトでした。

 瑠花ちゃんがいなきゃバッドエンドルート一直線だったという紙一重。

 やっぱりお姫様強い。
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