(あれは…………)
那須は橋の上から、その光景を見ていた。
さほど離れていない場所から放たれた、一本の鎖。
それが上空のトリオン兵に突き立ったかと思えば、それを牽引しそのまま川へと叩き落とした。
トリオン兵は、川への着水と同時に爆発。
あれがもし市街地に落ちていたらと考えるとゾッとするが、一先ず被害は避けられたらしい。
問題は。
今の現象は、明らかにボーダーのトリガーでは成し得ないものである事だ。
まず、あんな見た目のトリガーは存在しない。
近いのがワイヤートリガーのスパイダーであるが、上空まで到達させる射程を確保する為にはかなりのトリオンが必要だ。
それこそ二宮クラスか、もしくは黒トリガー級か。
加えて。
その鎖を操っていた少年は、那須の知る誰でもなかった。
白い髪の、小柄な少年。
下手をすれば小学生とも思えるような幼い外見をしているが、なんとなく緑川と似た雰囲気があるので中学生くらいだろうか。
物々しい黒い戦闘服を着た少年は、戦闘体を解除して生身に戻っている。
その制服には、覚えがあった。
確か、七海に師事していた三雲という少年と同じ制服だ。
那須の記憶が確かであれば、三門第三中学校の制服だったハズ。
(もしかして、三雲くんの関係者…………?)
不意にそんな考えを抱いたのは、三雲修という人間が
迅の事は、それなりに知っている。
七海ほど詳しいとまでは言えないが、少なくとも意味のない事をする人物ではない。
その彼が連れて来た修という少年には、必ず何らかの
もしかするとあの少年は、修の持つ役割に繋がる人間なのかもしれない。
那須は、そう解釈して一旦問題を棚上げする事に決めた。
『玲。そっちは大丈夫か?』
「ええ、問題ないわ。被害は全部撃ち落としたから」
『お疲れ様。よく頑張ったな』
「ふふ、これくらい当然よ」
そんな時、七海から通信が繋がった。
那須は目に見えるほど顔を綻ばせ、意気揚々と報告する。
ちなみに、そのにやけ顔を遠目に見た遊真は「あ、これ大丈夫なやつじゃないかな」と考えたりもしたのだが、それはまた別の話。
「玲一の方は、大丈夫なの?」
『ああ、問題ない』
那須の問いに七海は通信越しに頷き、答えた。
『たった今、終わった』
「お疲れ様、七海くん。これで出現した
嵐山はそう言って、七海を労った。
周囲には、無数のバムスターの残骸。
これらは全て七海達那須隊と、嵐山隊が破壊したものである。
此処は警戒区域の中であり、市街地ではない。
もしもこの数が市街地に出ていたら少なくとも建物への被害は抑えられなかったであろう事を考えれば、巨大質量を持つバムスターが出て来た場所が此処で良かったと言うべきだろう。
バムスターは確かに雑魚だが、巨大な体躯を持つ以上ただ動くだけで街を破壊してしまう。
市街地の破壊、という目的を主眼に置いた場合、バムスターはこの上ない適正があるのだ。
動くだけでも破壊を撒き散らし、撃破してもその巨体が倒れこめばビルの倒壊以上の被害を生み出す。
四年前に街を破壊し尽くしたその殲滅力は、伊達ではないのだ。
「ありがとうございます。上手く行ったようで何よりです。やっぱり、迅さんの言った通りになりましたね」
「ああ、
そう、この場所に七海達がいたのは、偶然ではない。
他ならぬ、迅による差配だ。
七海は昨日玉狛から帰った後に電話で、嵐山は木虎の送迎中に迅本人が直に、「明日のこの時間にこの場所で待機していて欲しい」と頼まれたのだ。
元より、七海も嵐山も迅の頼みとあれば是非もない。
二つ返事で引き受け、この場に集ったワケだ。
また、その際那須と木虎を別行動させるように言ったのも、当然ながら迅である。
木虎は修の学校へ向かうように、那須は川の付近で待機するように。
それぞれ、指示を出したワケである。
ちなみに木虎は件の修に直接絡めるという事で乗り気であったし、那須の場合は七海経由で頼んだ為断るハズもない。
理由としても、他ならぬ
迅の予知の重要性は、二人共充分に理解しているのだから。
「そろそろ、他の場所も終わっているだろう。確認してみるか」
『生駒、そっちはどうだい?』
「今全部斬ったトコやわ。被害は殆ど出してへんから、安心してーな」
市街地に積み上げられた、複数体のモールモッドと近くの川に叩き込まれた二体のバムスターの残骸。
それを背にした生駒は隊の面々を前に
彼等もまた、迅の依頼でこの場に集っていた。
本当であれば警戒区域で迎撃したかったようだが、迅の話によれば此処で待機しなければ市街地の別の場所で開いてしまうとの事で、対処の容易なこの場で待ち構えていたのだ。
生駒隊はバムスターが出現するなり、旋空でそれを両断。
細切れになったバムスターを隠岐がグラスホッパーで川へと叩き込み、同時に出現したモールモッドは南沢と水上が各個撃破。
市街地への被害を最小限に抑え、イレギュラー門への対処を完了させた。
隊長である生駒の一声で急な召集を受けた生駒隊の面々であったが、事が近界民の迎撃である以上否はない。
生駒はなんだかんだ言いつつも、隊のメンバーからは充分以上に慕われているのだ。
その生駒が頼って来たとなれば、水上を始め生駒隊の面々が拒否などするハズもない。
本部の命令ではなく迅の依頼という形ではあったが、そのあたりの差配は迅の方でやってくれるという。
故に後顧の憂いはなく、結果として被害を最小限に撃退出来たのだから良いだろう。
そういう空気が、生駒隊の間には流れていた。
「しっかし、市街地に門が開くたぁけったいやな。これが続くってなると、割とヤバいんと違うか?」
「そやな。けど、心配せんでも迅が頑張ってるさかい、なんとかなるやろ」
水上の懸念に、生駒はそう即答した。
確かに、このイレギュラー門の案件が続けば被害を抑えきる事は不可能に近いだろう。
だが、生駒は心配してはいなかった。
何故なら、あの迅が。
生駒相手に今回の件を頭を下げて頼んで来た迅が、動いているのだ。
あの迅が動いているという事は、事態を解決に向かわせようとしているという事だ。
当然、それなりの無理をしているだろう。
その事に関して、生駒は何も思わないワケではない。
けれど。
彼が無理をする事を止める事は出来ない。
それが迅の生態のようなものである以上、止めても彼の為にならないし、そもそも止まらないだろう。
ならば、自分が出来る事はその手伝いをする事だけだ。
考える事は苦手だ。
戦場での咄嗟の機転はともかく、大局的な物の見方というのは自分には難しい。
ならそれが出来る奴に任せて、自分は戦力として力を振るえば良い。
そう割り切って、今回も生駒は刀を振るった。
全ては、迅を苦しめる万難を排す為に。
その刃を、振るったのだ。
勿論、
「そや、あっちはどうなったやろ。確認せんとあかんな」
『弓場ちゃん、そっちはだいじょぶ?』
「ったりめぇだコラ。きちっと
生駒の通信に、弓場は荒々しく頷いた。
周囲には、モールモッドの残骸が複数。
それを、弓場隊の
神田は、もういない。
兼ねてからの予定通り、A級昇格試験の試合を最後に彼は弓場隊を、ボーダーを脱隊した。
もう少し、残るべきではないか。
そんな躊躇いを見せた神田の背を、弓場は蹴り飛ばして見送った。
「こっちはこっちでやる。おめェーは自分のやるべき事をやれ」と、激励して。
帯島と外岡も、弓場と共に彼を見送った。
これまで世話になった神田との別れに帯島は涙ぐんではいたが、心配させてはいけないと最後は笑顔で見送ったのだ。
此処で無様を晒しては、神田に合わせる顔がない。
だからこそ、弓場は迅からの依頼を全力で遂行した。
その甲斐あって、街への被害を抑えながらトリオン兵を殲滅する事に成功したのである。
そして弓場は、
「柿崎ィ、そっちはどうなったァ?」
「ああ、こっちも大丈夫だ。街への被害は抑えた」
弓場からの通信に、柿崎はそう答えた。
周囲にはモールモッドの残骸があり、それらは全て柿崎隊の面々によって斬り伏せられていた。
建物に被害が出かねない銃撃は行わず、弧月オンリーで対処した結果である。
そのあたりの機微は、嵐山隊にいた時に学んでいた。
元々根付がプッシュしていただけあって、正式に広報部隊としてのオファーを受ける前からそのあたりのいろははそれとなく教えられていたのである。
広報部隊になる事が決まった段階で隊を抜けた柿崎ではあるが、叩き込まれたノウハウまでは消えていない。
根付が今でも諦めてはいない程度には、彼の能力は優秀だった。
その彼もまた、迅の頼みでこの場を訪れていた。
普段全く頼ってくれない迅の頼みとあれば乗るのは吝かではないし、街を守りたいという想いは共通している。
とうの柿崎隊の面々も隊長の柿崎が動くとあれば否はなく、一も二もなく付いて来てくれた。
「文香も虎太郎もありがとな。助かったよ」
「いえ、隊長の頼みですし」
「そうですよ。街を守る為ですし、このくらい当然です」
柿崎の労いに、二人は笑ってそう答えた。
照屋も虎太郎も、どちらも満足気な顔をしている。
それだけ、柿崎の役に立てた事が嬉しいのだろう。
ちなみに、これまで自分の考えを隠しがちだった迅に対して、照屋はあまり良い印象を抱いていない。
柿崎のように自分の考えを部下に告げ、きちんと意思疎通を図る誠実な男性が照屋の
迅はそれとは対極の位置にいたのだが、今回は「街を守る」という意図を明確に告げていた為ある程度彼の評価を修正した事は彼女だけが知っている。
もしも目的を告げずに柿崎を利用するようなやり方であれば、彼女は決して許容しなかったであろう。
そういう意味で、七海の頑張りの成果であると言えなくもない。
「迅、頼まれた仕事はこなせたぜ。被害も抑えられたから、安心して良いぞ」
「ありがとう、皆。お陰で大分被害を減らせたよ」
迅は街を歩き、また危険な未来の兆候がないか確認しながら協力してくれた友人達を通信越しに労った。
今回、実を言うと迅が協力を要請するのは嵐山だけの予定であった。
広報部隊としての経験を積んでいる嵐山は、大衆の機微を理解している。
同時に、組織人としての視点もしっかり持っている。
故に、こういう裏事情の絡んだ事態に対し、なんだかんだ一番適正があるのが、彼なのだ。
だからこそ迅は躊躇なく嵐山を巻き込めたのであるが、その彼から告げられたのだ。
どうせなら、生駒達にも頼もうと。
昇格試験の一件で、生駒達は迅に対し何か出来る事がないかと度々話していた。
無理をしているのは明らかだった為、少しでもその助けになれないかと考えていたワケである。
あの後四人が揃う度に、その話題を口にしていたものだ。
故に、嵐山は迅が自分を頼って来てくれた事が嬉しかった。
迅が自分から誰かを直接頼るなどという事は、今まで殆どなかったのだから。
だからこそ、考えたのだ。
自分だけ
故に嵐山は迅に生駒達に頼るよう進言し、その理由を聞いた迅は頷いた。
彼等に心配をかけた自覚は、しっかりあったのだから。
『水臭いのはもうナシやで。このくらい、いつでも頼ってええからな』
『おう、生駒の野郎の言う通りだ。迷惑くらい、いつでもかけろ』
『俺も、出来る事があればやるから安心して頼って欲しい。他の奴らと比べちゃ頼りないかもしれないけど、やれる事はあるからさ』
生駒達からも、口々にそう告げられた。
俺は良い友達を持ったなあと、迅はしみじみ感慨に浸った。
通信の向こうで「隊長は
隊の人間関係にまで、口を出す気はないのだから。
「さて、これで一先ず今日は安心だ。後は、俺の仕事をするかね」
迅は携帯手端末を見据え呟く。
その端末には、本部への出頭命令が映し出されていた。
件名は、『本日の市街地に出現した門について』。
加えて本文の最後には、もう一つ。
『三雲修の扱いについて』と書かれた内容が、城戸の名前で記されていた。