「あらら、行っちまったか。まあしゃーねーわな」
米屋は緊急脱出した三輪の姿を見てそうぼやき、トリガーを解除。
未だ戦闘体のままでいる遊真の前に、その生身を曝け出した。
「ま、問答無用で襲い掛かったんだ。殺されても文句は言わねーよ。煮るなり焼くなり好きにしな」
「別にいいよ。あんたじゃきっとおれは殺せないし」
「言うねえ。じゃあ、後でそういうの抜きで戦ろうぜ。お前の立場がどうなっかはまだわかんねーけどよ」
飄々とした様子で告げる米屋を、遊真は物珍し気に見詰めていた。
米屋は問答無用といった風情で襲い掛かった三輪に協調していた為、てっきり彼も近界民の存在を許容出来ないタイプだと考えていたのだが────────どうやら、それは違うらしい。
少なくとも、米屋からは三輪から感じた憎悪のような負の感情は感じ取れない。
今の発言に嘘がなかったように、彼の精神性は三輪のそれとは異なるようだ。
「今の奴は近界民を良く思ってなかったみたいだけど、あんたは違うの?」
「俺は別に近界民の被害はなんも受けてねーからな。家を壊された奈良坂や、姉さんを殺された三輪みてーに恨んじゃいねーよ」
まあ敵対する奴にゃ容赦しねーけどな、と米屋は告げる。
遊真のサイドエフェクトに、嘘の反応はない。
つまり米屋の言葉は真実であり、彼は本当に近界民に対しては含むところはないのであろう。
だが、敵対するなら容赦しない、という発言も一切の嘘がなかった。
そして。
米屋は、今後敵対するかどうかについては
即ち、彼は三輪の行動を止める気は一切ない、という事実が浮かび上がる。
「米屋さん。彼を止める気は、ないんですね?」
「ああ、ねーな。どっちが悪いかっつーとまあ
だからな、と米屋は笑みを浮かべ、告げる。
「遠慮はいらねーから、次は全力で来いよ。後腐れがねー方が、色々すっきりすんだろ」
「分かりました。迅さんにも、そう伝えておきます」
七海は米屋の覚悟がブレない事を悟り、力強くそう答えた。
普段飄々としてはいるが、米屋はなんだかんだで相当に義理堅い。
一度三輪の味方をすると決めた以上、言葉だけでは絶対に止まらないだろう。
三輪自身を思い改めさせるまで、米屋もまた止まらない。
その事を強く理解し、七海は三輪隊との激突が矢張り不可避である事を感じ取った。
先ほどの三輪は、試験の時とはまるで別人だった。
まがりなりにも試験官として公正に接して来た三輪と、剥き出しの憎悪を露にして感情の儘に叫ぶ先ほどの三輪の雰囲気はまるで違う。
恐らく、あれが三輪の憎悪の本質。
己を苛み続ける憎悪という名の火を、自らの心を薪にくべて燃えし続けている。
過ぎたる憎悪は自分を傷付けるだけだというのに、止まらない────────否。
自らを許せないからこそ、
それが、今の三輪なのだ。
此処に至り、七海は改めて理解する。
三輪は、言葉だけでは決して止まらない。
彼を止める為には、明確に白黒を付けた上で落としどころを探るしかない。
自分では止まれない者を止めるには、それしかないのだから。
「お、急いで来たけど三輪はもういないか。せっかちな奴だな」
「迅さん」
そんな時、奈良坂と古寺を連れた迅が廃駅へとやって来た。
この様子だと、どうやら狙撃手二人は戦闘を介さずに穏便に武装解除する事に成功したようだ。
まあ、近付かれた時点で狙撃手にとっては負けなので、ある意味仕方ないといえば仕方ないのだが。
「七海。お前が来ていたとはな。まさか、玲もいるのか?」
そこで、奈良坂が七海に話しかけた。
奈良坂にしてみれば、従姉妹のパートナーである七海がこのような場に居合わせた事自体複雑な心境なのだろう。
なんだかんだで那須の事は気にかけていたので、気になるのは当然といえば当然だ。
「いえ、俺一人です。玲は来ていません」
「そうか」
奈良坂は何か言いたげにしていたが、一先ず飲み込んだようだ。
彼としては七海にも那須にもこういった事には関わって欲しくはないのだろうが、お互いの立場の違いも理解している。
今回の一件、奈良坂はあくまでも三輪隊の狙撃手として関わるつもりでいる。
米屋のように覚悟を決めて開き直っているワケではないが、彼自身
奈良坂もまた、近界民の被害者だからだ。
とはいっても、三輪のように身内を殺されたワケではない。
家を壊され、日常を生きる場所を一度破壊された。
人によっては、命があっただけでも儲けもの、と言うかもしれない。
だが、それは断じて違う。
家を壊される、というのは当人にとってみればただ事ではないのだ。
自分の家、というのは大抵の場合その人物が安心して過ごす事が出来る場所の事を指す。
その安息の地を壊された、という心理的負担は相応に大きい。
被害の種類に、貴賤はないのだ。
「んじゃ、俺らは行くぜ。今後ともよろしくな」
頃合いと見た米屋はそう告げ、その場を後にする。
奈良坂と古寺もまた会釈しながらそれに続き、廃駅を後にした。
それを見送った迅は、ふぅ、とため息を吐く。
「じゃあ、俺たちも行くか。三輪隊だけだと報告が偏るだろうし、七海と三雲くんも付いて来てくれるとありがたいんだけど」
「勿論、お供します」
「ええ、ぼくも行きます」
二人の返事に、迅はありがとう、と一言礼を告げた。
迷わずの即答に、迅の心に温かなものが満ちる。
自分は良い後輩を持ったと、噛みしめながら。
「じゃあ、遊真に千佳ちゃんだっけ。悪いけど、先に帰っていてくれるかな? まだ遊真を本部縫に連れてくのは、時期尚早だしさ」
「わかった」
「は、はい」
迅の指示に、遊真と千佳はそれぞれ頷く。
最終的には入隊させるのが目標ではあるが、公的な許可が下りていない状況で遊真を本部に招き入れるのには危険が伴う。
こういうものは、段取りが肝要であるのだから。
「じゃあ、行こうか。本部へ」
「成る程。報告ご苦労」
ボーダー、司令室。
そこへ集まった上層部の面々と、召集を受けた迅とそれに付いて来た七海と修。
迅から話を聞いた城戸は、そう告げて頷いた。
三輪は、此処にはいない。
残念ながら、冷静に話が出来る精神状態ではないからだ。
三輪からの報告は奈良坂が既に代行し、終えている。
今の混乱しきった精神状態では何を言うか分からないと、流石に米屋がストップをかけた結果である。
流石に、動転した隊長を報告に行かせるのはどうかと思ったようであった。
「しかし、どういう事ですかな? 忍田本部長。この命令書によれば貴方は事情をご存じだったようですが、何故我々と情報を共有しなかったのです?」
「そうじゃの。納得いく説明が欲しいわい」
「下手に話せば、混乱の元になると考えた故だ。空閑くんの身元を証明出来る準備が出来たら、話すつもりだった。理由は、察して貰えると思うが」
ちなみに、根付と鬼怒田の関心は忍田の名前で出された命令書である。
この内容は、明らかに遊真の事情を理解した上で指示を出したとしか思えない。
少なくとも、忍田は遊真の事を知っていた。
そして、その情報を上層部と共有しなかった。
二人は、そこを問題視しているのである。
確かに、報連相は組織の基本だ。
それを怠る事は、追及されるだけの理由足りえる。
だが。
今回の場合、下手に話せば混乱が起きる事は必至だった。
何せ、遊真の事情が事情である。
ボーダー創設に関わった人物の息子とはいえ、それを証明出来るものは何一つないのだ。
つまり、客観的に見て遊真は「ボーダー関係者を名乗る黒トリガーという強力な武力を持った近界民」でしかないワケである。
そんな存在を、果たして組織として許容出来るか否か。
忍田は、そのあたりを憂慮したのである。
(まあ、確かに組織として受け入れるのが難しい事は確かだな)
唐沢は話を聞きながら、空閑遊真という近界民の
このボーダーには、近界民に対し拒否感情を持つ者が多い。
加えて言えば、三輪という裏の広告塔によって集まった人材は、特にその傾向が強い。
復讐心を煽る形で入隊を促したに等しいのだから、当然といえば当然である。
そういった者達が遊真の存在を知った時、どう行動するか。
それは、三輪の行動が物語っている。
そのあたりの事情を考慮すると、現時点で遊真の存在を受け入れるのはリスクが大き過ぎるのである。
(その程度の事は、忍田本部長も理解している筈。ハッキリ言って、此処で彼の存在が明らかになったのは想定外────────いや、違うな。最初から、此処で明かすつもりだったか)
唐沢は何かに気付いたように迅と、そして彼の隣にいる七海と修に視線を移す。
根付と鬼怒田が口々に文句を付けるのを聞き流しながら、今回の一件の根幹に辿り着く。
(忍田本部長のやり方じゃあない。糸を引いているのは、迅くんか。七海くんは迅くんを慕っているらしいし、今回の絵図を引く為の仕込みもばっちりというワケか)
色々と人には言えない経歴を持つ唐沢だが、それ故に今回の裏事情に誰よりも早く到達出来たと言える。
今回の一件は、恐らく計画されていたもの。
話によれば迅は三輪の尾行には気付いていたらしいし、彼がイレギュラー門の騒ぎの時に修をこの場に連れて来た時点で、彼が目を付けられるであろう事は予測出来た筈だ。
だからこそそれを逆手に取り、望むタイミングで遊真の存在を明かす引き金とした。
全体の流れとしては、こんなところだろう。
(問題は、何故そんな真似をしたかだが────────まあ、想像はつく。いい加減、派閥対立に落としどころを用意したいのだろうね。迅くんも、城戸司令も)
このボーダーには、三つの派閥がある。
一つは、近界民への恨みを持つ者が中心となった城戸派閥。
二つ目が、街を守る事を最優先としている忍田派閥。
最後の一つが、親近界民を掲げる玉狛支部。
最大派閥である城戸派閥はその方針上玉狛とは隔意があり、対立関係にある。
もっとも、これはあくまで所属している隊員達の暗黙の了解のようなものだ。
城戸自身は表立って派閥争いをした事はないし、玉狛も別段何か行動を起こしたワケでもない。
ただ、周囲の人間が「親近界民なんて言ってる玉狛と城戸派閥に溝がない筈がない」と考え、その大衆意識がいつの間にか認知事実として広まっているだけだ。
しかし、城戸派閥に属する人間が玉狛の事を良く思っていない事は事実である。
三輪がその代表例であり、大多数の城戸派閥の人間は声をあげずとも彼に同調している。
少なくとも、三輪が声をあげる事を止めない限り、派閥間の溝が埋まる事はないだろう。
彼自身にその意識はないが、三輪はそれだけの影響力があるのだ。
城戸の懐刀であり、近界民を憎悪する第一人者であるという立場は、それだけの力があるワケである。
(極論、三輪くんの意識を変える事が出来ればこの問題はある程度のカタが付く。今回は、その下準備というワケだ)
事情を理解した唐沢は、何も言わず静観する事を決めた。
組織の害になる行動ならばともかく、迅の目的は恐らく組織の纏まりの向上と遊真の立場の確保。
ボーダーの益になる行動である事が明確である以上、それを邪魔する意思は唐沢にはない。
黙って椅子に座り、事態を見守る事にした唐沢であった。
「しかし、有吾の息子ときたか。あいつに連れ合いはいなかった筈だが、まさか近界民との間の子だとでも言うつもりか?」
「恐らくそうなんじゃないかな。まあ、別段不思議な事でもないでしょ。有吾さん、そういうの気にしない人だったし」
「だとしても、証拠がない。名を騙っているだけの可能性がある」
城戸と林道は、遊真の出自の是非について議論している。
確たる証拠となるものがない為水掛け論になっているが、これは最初から想定されたものだ。
下手に議論が纏まってしまうと、この先の展開に繋げる事が難しくなる。
故に、この場の議論の目的は一つ。
自然な形で、議論を
「まあまあ、幸い三雲くんがその
そこで、迅の一言である。
一見、場を収める為の発言に思えるが────────その真意は、異なる。
それは、即ち。
「確かに黒トリガーは戦力になる。よしわかった────────その
城戸のこの発言を引き出す為の、仕込み。
表面的な派閥間の隔意を決定づける、その為の一手である。
その発言に根付と鬼怒田は賛成の意を示し、忍田は非難の声をあげる。
これにて、派閥間の隔意────────それが、目に見える形となって表出した。
少なくとも、表向きには。
「ボーダートップチームの面々は遠征中で不在だが、黒トリガーには黒トリガーをぶつければ良い。迅、お前に黒トリガーの回収を命じる。速やかに任務を遂行しろ」
城戸が、迅に黒トリガー奪取を命じる。
詳細までは教えていなかった修が目を見開き、裏事情を聞かされていた七海は目を細めて事態の推移を見守った。
迅は頃合いと見て、打ち合わせ通りの
「それは出来ません。俺は玉狛支部の人間です。俺を使いたいなら、林道支部長を通して下さい」
命令の重複を避ける為、ボーダー内部では直属の上官のみが部下に命令出来る事になっている。
その規則を盾に、迅は林道に話が向くよう差し向けた。
そして、当然の如く城戸は林道に指示を出す。
「林道支部長。命令したまえ」
「…………やれやれ。迅、支部長命令だ。黒トリガーを捕まえて来い」
但し、と言いながら林道はニヤリと笑い────────。
「
「了解、
その一言へ、繋げた。
沸き立つ面々。
目を丸くする根付と鬼怒田、興味津々で見守る唐沢。
場が収まった事で安堵する忍田に、二人の様子から自身の命令が遂行されない可能性を察した様子を見せる城戸。
本気の面々と、茶番を演じた面々。
その双方の意図が入り交じり、会議は混沌のままに終わる。
開戦の契機は、整えた。
これより、黒トリガーを巡る争い。
派閥間代理戦争、黒トリガー争奪戦が始まる。
開戦のゴングが鳴る時は、近い。