未来への展望
「くそ…………っ!」
ガンッ、と勢い任せに三輪は壁を叩く。
トリオン体ではなく生身であった為壁に傷が付く事はなく、ただ三輪の手が赤く腫れるだけで終わる。
三輪はあの場から緊急脱出を使用して離脱し、隊室に引き籠っていた。
最初は自身が城戸へ報告に赴こうとしたのだが、三輪の精神状態を慮った米屋が止めた為、奈良坂が代行として向かう事となった。
そうして手持無沙汰となった三輪は、一人隊室に残り燻った感情を持て余していたワケである。
────────別に不思議な事ではありませんよ。迅さんは最善の結果の為に動いていて、街を守る為ならその支援を行う事が最適解なんですから。少なくとも、忍田本部長はそう判断しています────────
三輪の脳裏に、あの時の七海の言葉が蘇る。
迅がただ
少なくとも三輪にとっては迅の言葉であるというだけで信頼には値せず、何を言おうが無視する────────否。聞かなかった振りが、出来た。
だが、自分と同じく大規模侵攻で姉を亡くした七海と、ボーダーの本部長までが迅に賛同している。
これは、三輪が許容出来る範囲を超えていた。
三輪自身は、七海に対する隔意はないつもりでいる。
以前試験の時に言ったように、互いの立場に干渉しないという言は守るつもりであったし、積極的に関わる事も避けていた。
だが、七海自身があまり三輪に良い感情を抱いていない事はなんとなく察していた。
三輪には理解出来ないが、七海はあろう事か迅を慕っているらしい。
その迅に敵意を剥き出しにする三輪を、七海がどう思っているかなど容易に想像がつく。
納得は出来ないし理解は不可能だが、そういう事らしかった。
その事に複雑な面持ちの三輪であったが、自分が迅に対して何があっても存在を許容出来ない以上、この問題を解決する事は不可能だ。
少なくとも今の三輪は、そう考えていた。
だから、百歩どころか億歩譲って七海だけならまだ分かる。
悪感情を抱く相手の妨害をする気持ちは分からなくはないし、迅の指示に従うという事も事態としては有り得るのだろう。
だが。
忍田本部長までそれに賛同したというのは、三輪の理解を超えていた。
三輪の知る限り、忍田本部長は本気で街の平和を考え、尽力する尊敬すべき人間だ。
その忍田本部長が、迅の判断を支持している。
この事実が、三輪の心をこれでもかと乱していた。
────────だから、俺がやるべき事は、近界民を憎む事じゃない。強くなって、大切なものを守る事です。近界民の排除は、その手段に過ぎない。もしも玉狛の思想通り、友好的な近界民と手を結んで平和が訪れるのなら、俺はその未来を歓迎します────────
三輪の脳裏に、七海と初めて会った時の彼の言葉が蘇る。
七海は、近界民と手を結ぶ事が平和に繋がるのであればそれを許容すると言った。
そして。
────────恐らくお前が気にしているのは、七海が言った
過去にボーダーは、実際にそれを行った事があると東から聞いていた。
────────他ならぬ城戸司令も、その旧ボーダーの一員だったんだぞ。つまり城戸指令も、当時はその事に賛同していたワケだ────────
東は。
その旧ボーダーの思想に、当時は城戸司令も賛同していたとも言っていた。
聞かされた当時は話を理解出来ずに荒れた三輪だが、その場は東達のとりなしでなんとか落ち着く事が出来た。
それ以降東達もこの件に触れなかった為、三輪はこの話を半ば聞かなかった事にしていた。
勿論、城戸に直接尋ねてもいない。
だって、もしも城戸が旧ボーダーの、迅の思想を是としてしまったら。
自分は。
何処にも、なくなってしまうように思えたから。
故に三輪は、この件について考える事を避けていた。
けれど。
忍田本部長の、命令書。
あれを見てから、その疑念が再燃した。
上層部の一人である忍田が迅を、近界民の存在を肯定している。
ならば。
もしかすると、城戸司令も。
忍田と同じように、近界民を肯定してしまうのではないか。
そんな恐れが、三輪を焦燥に駆り立てていた。
「荒れてんなあ。手、痛そうだぜ」
「…………陽介」
三輪は、聞き慣れた陽気な声に振り向いた。
そこに立っていたのは、米屋だ。
彼はいつも通りの飄々とした面持ちで、三輪の姿を見据えている。
恥ずかしいところを見られた、とは思わない。
だって今更だ。
三輪は口には出さないが、この友人が自分に向ける友誼が本物である事は理解していた。
積極的に迅に噛みつく自分が、本部の中でも浮いているのは理解していた。
確かに、迅は近界民に憎悪を抱く者達にとっては理解し難い存在だ。
彼や玉狛の立場を疎ましく思う者も、また多い。
だが。
迅の未来視が、ボーダーにとってこの上なく有用である事もまた事実なのだ。
そんな迅を一方的に敵視する三輪を、良く思わない者もまたいないワケではない。
にも関わらず、米屋はそんな事は知った事かとばかりに三輪の隣に陣取っていた。
自分なんて見限って他の者を隊長にした方が動き易い筈なのに、米屋は何も言わずに自分を隊長と仰ぎ、また友人としても尊重している。
その事が、三輪の拠り所となっている事もまた、事実であった。
こんな自分でも、肯定してくれる友人がいる。
それは迅と同じく強烈な自己嫌悪を抱える三輪にとって、一種の救いでもあった。
何の事はない。
迅も三輪も、結局のところ自分自身が誰よりも一番嫌いなのだ。
つまり、三輪が迅を嫌うのは同族嫌悪という側面もある。
自分と似た者ほど、自己嫌悪を抱える者にとって許容出来ない存在はいないのだから。
「朗報だぜ。城戸司令から、件の近界民の黒トリガー奪取の命令が来たんだよ。遠征に行ってる、トップチームと合流してからな」
「…………! そうか…………っ!」
米屋の言葉に、三輪は暗い喜びを露にする。
矢張り、城戸司令は近界民を許容などしていない。
近界民は全て、駆除すべき外敵。
その認識に、間違いなどない。
あってたまるか。
有り得て良い筈が、ないのだ。
そんな、
「…………」
再び暗い感情を噴出させる三輪を見て、米屋は内心でため息を吐きつつ「しゃーねえな」と開き直った。
本当であれば、止めるべきなのだろう。
今回の一件は、三輪の暴走を城戸司令が黙認したという面が大きい事を米屋は理解していた。
三輪は気付いてはいないが、今回の件はどうにも作為が過ぎる。
恐らく自分たちは近界民を発見したのではなく、
迅は、三輪の尾行に気が付いていた。
そして、三輪が同席した上層部との会談で、あからさまに修を特別扱いした。
その段階で、三輪が修を注視する事は予想出来た筈だ。
だというのに今日の邂逅では修は迅を伴わずに廃駅へ向かい、そこで近界民と会っていた。
この時点で嫌な予感はしていたが、図ったように七海が現れた事で米屋の予感は確信へ変わった。
今回の件で、踊らされているのは三輪であると。
目的は、なんとなく分かる。
きっと、派閥同士の抗争に落としどころを用意したいのだろう。
その為には三輪の心証を変える事が一番なのは、誰が見ても分かる。
三輪がある意味溝を埋める為に邪魔な存在になっているのは、一面から見れば事実なのだから。
(けど、だからと言って良い気はしねーよな。
事情があるのは分かる。
これが最善の方法であるとも理解している。
されど。
ある意味で三輪を利用しているという事実は、消えてなくなりはしない。
理は、向こうにあるのだろう。
悪いのがどちらかと問われればこちらである事も、理解している。
だが。
隊長を虚仮にされた以上、黙っていられる程米屋は大人ではない。
今この瞬間、手を抜いてあちらに合わせるという考えは完全に米屋の内から消え去った。
そちらがそのつもりであれば、こちらも全力でやってやろう。
手加減も、容赦もしない。
三輪隊の一員として、そして何より三輪の友人として。
全力で、叩き潰す。
その為に、やれる事はやってやろう。
そう考えて。
(────────そういや、あの子も近界民に恨みがあるんだったか。七海とも確執あるっぽいし、誘えば来るかねえ)
試験の折。
自分を緊急脱出させた少女の姿が、脳裏に浮かんだ。
(迅さんや七海にゃ悪いが、トコトンやってやるぜ。純粋に、戦るのが楽しみでもあるしな。取りあえず、勧誘の許可貰わねーとな)
米屋はニヤリと隠れ笑い、三輪を連れて隊室を出た。
その脳裏に、今後の展望を浮かべながら。
「ようこそ、玉狛支部へ。えーと、千佳ちゃんでいいんだよね?」
「あ、はい。雨取千佳です。よろしくお願いします」
一方、玉狛支部。
此処では、修に連れられて遊真と共にやって来た千佳を、宇佐美が歓待していた。
迅曰く、こうなった以上すぐ襲ってくる事はないだろうが、千佳は三輪隊に顔を見られている。
何よりも彼女が莫大なトリオンの持ち主である事が判明した為、万が一にも近界民に攫われるような事があってはマズイと、連れて来た次第である。
改めて計測してみたところ、千佳のトリオン量は38。
数値上はあの二宮の三倍ほどのトリオン量であり、しかもこれは正確な数値ではない。
測定不能と出た為に便宜上この数値としているだけで、上限は更に上である可能性がある。
ハッキリ言って、近界民にとっては何が何でも手に入れたい逸材である事は疑いようがない。
そんな彼女が幾ら近界民の察知能力と気配遮断能力があるとはいえ、何の保護もなしは危険過ぎると、一先ずこの玉狛支部に連れて来た次第である。
まあ、これは修の要望も大きい。
修は前々から、ボーダーに保護を求めようとしない千佳を散々心配していた。
その時は理由が分からなかったとはいえ、近界民に狙われている事は確かなのだ。
だというのに千佳は、一向にボーダーに保護を求めようとしない。
過去のトラウマがあるので修自身も強くは言えず、忸怩たる想いを抱いていた。
そんな修にとって、今回の件は渡りに船であったと言える。
あのイレギュラー門の一件の後、迅に千佳の事を相談したらこう言われたのだ。
「どう足掻いても彼女の存在はバレるからいっその事玉狛へ連れて来るよう取り図ろう」と。
迅が言うには、修の存在が三輪にバレた時点で遅かれ早かれ千佳の事も知られていたらしい。
更に、迅が見ていた未来の中に必ずといっていい程現れていた見覚えのない少女の正体が、他ならぬ千佳なのだという。
これは、あの廃駅で迅が千佳に直接邂逅して改めて確認した為間違いはないそうだ。
無論、修としては千佳を面倒ごとに巻き込む事に抵抗はあった。
だが、同時にこれが千佳の安全を獲得する絶好の機会である事もまた事実。
葛藤の中揺れ動いていた修に、七海が告げたのだ。
「迷うくらいなら、直接聞けばいい」と。
結果として、千佳は了承した。
面倒事に巻き込む事も、危ない目に遭うかもしれないという事も伝えた。
しかし、千佳の返答は是。
曰く、「修くんがそうした方が良いと思うんなら、わたしは良いと思う」との事であった。
これは、あの廃駅での一件を終えた後も変わらなかった。
千佳はあの廃駅で、初めてトリガーを使って戦う人間を見た。
そして、思ったらしい。
自分にも、あんな力があったなら。
もしかすると、これまでとは別の道が開けるかもしれないと。
そう考え、千佳はこの玉狛の門を叩いた。
「それで、千佳ちゃんはボーダーに入りたいんだっけか」
「はい。わたしに出来る事なんかないかもしれないけど、それでも────────選択肢があるなら、やってみたいなって」
「千佳…………」
修は千佳の言葉を聞いて、複雑な面持ちをしていた。
彼としては千佳がボーダーに保護を求めるようになればと考えていたのだが、此処で彼女が予想外の結論に至った事に困惑していた。
しかし、同時に納得もしていた。
矢張り、千佳は兄の事を未だに引きずっているのだと。
話によれば、どうやら千佳は遊真から兄が、雨取麟児が近界で生きている可能性がある、という事を聞いたのだという。
詳しく言えば、近界に攫われた人間の扱いを聞いただけだったのだが、それでも一縷の希望が出来た事に変わりはない。
もっとも、麟児は攫われたのではなく自らの意思で近界に密航したのだが、これは千佳には伝えていない為結果としては変わらない。
兄を、探しに行きたい。
そう願う少女の想いを、修は無碍には出来なかった。
「でも、遠征に行くにはA級隊員にならなきゃいけないんだろ? つまり、テレビで見る嵐山さんやさっき空閑と戦ってた人たちと並ぶって事だ。それがどれだけ難しいか、分かっているのか?」
「それでも、じっとしていられないの。ちょっとでも、可能性があるなら」
それに、と千佳は続けた。
「修くんが指導して貰った七海先輩のチームも、一期でA級になれたんでしょ? 同じ事が出来るかは分からないけど、不可能じゃないならやってみたいなって」
「それは、元から七海先輩たちが強かったからだろう。ぼくはまだ、B級に上がったばかりで、千佳はC級からだ。こんな状態で、どうやって上を────────」
目指すんだ、と言おうとした修であったが、はたと気付く。
確かに、自分と千佳だけでA級を目指すなんて夢物語もいいところだろう。
自分は裏技のようなものでB級まで上がれただけで真っ当に戦えば弱いし、トリオンも低い。
千佳はトリオンだけは莫大だが、そもそも戦いに向いているとは思わない。
この二人でチームを組んだところで、相手を落とせるビジョンは全く浮かばなかった。
しかし。
その問題を解決する為の手段を、修は既に知っていた。
足りないのならば、他所から持って来れば良い。
自分たちだけで勝てないのならば、強い奴を仲間にすれば良い。
幸い、修には当てがあった。
既に協力を確約し、自分の味方と言える少年の存在が。
「空閑」
「おう」
そして、彼は。
遊真は、待ってましたとばかりに、ニヤリと笑みを浮かべた。
「聞いての通りだ。千佳はボーダーに入ってA級を目指したいみたいだが、ぼくらだけでなれるとは思えない」
だから、と修は続けた。
「お前も、一緒にやんないか? 迅さんの件とはまた別に、ぼくに力を貸して欲しい。返してやれるものなんかないけど、それでも良ければ────────」
「いいぜ。一緒にやろう」
遊真は修が言葉を重ねる前に、そう答えた。
そんな事、言われるまでもないと言わんばかりに。
不敵な笑みを浮かべ、告げた。
「リーダーは、オサムだ。これが条件だ」
「わたしも、隊長は修くんが良いと思う。修くんが、いいな」
「────────分かった。やるよ。そこまで言われちゃ、仕方ないな」
最初は遊真に隊長をやって貰おうとしていた修であったが、こうまで言われては断れない。
それに、返せるものがないと言ったのは修自身だ。
ならば、隊長を引き受けるくらいの条件程度、飲めなくてなんとする。
遊真は、自分自身を戦力として提供出来る。
千佳も、多量のトリオンを活かした働きが出来るだろう。
ならば、修がチームに貢献出来るとしたら、戦術面くらいしか無い筈だ。
────────貴方のやり方は間違っていないわ。力で劣るなら、頭を使う。戦いでは当然の事よ────────
脳裏に、木虎の言葉が蘇る。
自分は、確かに弱い。
これまでのC級ランク戦だって小狡い手を駆使して勝っただけで、正面から勝てた事は一度もない。
けれど。
そのやり方で良いのだと、木虎は言ってくれた。
ならば。
どうせなら、徹底的にそのやり方を貫いてやろう。
これまでと同じやり方では通じなくとも、B級にはB級なりの攻略法が必ずある筈だ。
対戦記録を見て、様々な人に話を聞いて、対策を練る。
それを積み重ねていけば、きっと届く。
何せ、こちらには歴戦の使い手である遊真と、莫大なトリオンを抱える千佳がいるのだ。
加えて、前期のランク戦を見ていく中で興味深いトリガーも見つけてある。
学校でモールモッドの動きを止めたのはあのトリガーだろうし、幸い木虎は指導を引き受けてくれている。
頼めば、教えて貰えるだろう。
全て上手く行く、とは限らないけれど。
それでも。
今は、それで充分。
「チームを組もう。そして、A級になろう。ぼくたちで、遠征部隊を目指すんだ」
「ああ」
「うん」
修の発破に、二人は笑顔で返答する。
此処に。
チーム、三雲隊。
玉狛第二、その結成が確約された。
彼等の物語、その幕が。
今、上がったのだ。