『目標地点まで残り1000』
「そろそろか」
オペレーターの報告を聞き、太刀川は闇夜に包まれた夜の警戒区域の先を見据える。
現在、太刀川達遠征メンバーは三輪隊ともう一名の援軍を加えた合計11名で玉狛支部を目指していた。
待ち伏せが分かっているのだから狙撃手は最初から別行動させるべきとも思うだろうが、今回は相手が未来視を持つ迅なのである。
故に、迅と会敵する前に狙撃手を別行動させるとその位置を視られて各個撃破されかねない。
だからこそ、狙撃手を現時点で単独行動させるワケにはいかなかった。
迅に対して狙撃による不意打ちが成立しない事は事実ではあるが、それでも狙撃手の存在は無意味ではない。
彼は確かに何処から狙撃が来るか視えているが、それは無条件で回避出来る事とイコールではない。
未来視により大まかな射線は分かるとはいえ、そのタイミングは迅本人が見極めなければならない。
つまり狙撃に対して警戒しなければならない、という基本原則は変わらない。
ただどの方角から来るか予め知る事が出来る為、回避率が非常に高いというだけだ。
しかし狙撃を警戒させる事でプレッシャーを与える事は出来るし、迅の貴重な処理能力を圧迫出来るだけでも充分意味はある。
それに、やりようによっては狙撃を当てる事も不可能ではないのだ。
事実、最終試験では茜が機転を利かせて迅相手に狙撃を充てる事に成功している。
加えて、今回戦う相手は迅だけではない。
少なくとも七海は参戦する筈であり、他にも迅が個人的に集めた面子が援軍としてやって来る可能性はある。
みすみす狙撃手を無駄死にさせるような差配など、出来る筈がないのである。
「
「分かってるわよ。それくらい」
警戒区域を駆けながら太刀川が話しかけたのは、香取である。
彼女は仏頂面のままそう言って頷き、太刀川と目を合わせようともせず進行方向を睨んでいた。
「…………」
太刀川の念押しに返答しながら、香取はこの作戦に参加する事になった経緯を思い出していた。
「は? 近界民が玉狛に入隊…………?」
「ああ、そんでそいつの持ってる黒トリガーを回収する。お前をここに呼んだのは、その作戦に参加して欲しいからだ」
太刀川隊、作戦室。
そこで、米屋によって呼ばれた香取は呼び出しの要件を聞いて目を丸くした。
曰く、玉狛に近界民が入隊し、その少年が持つ黒トリガーを奪う為の作戦に参加して欲しい、という事だった。
ハッキリ言って、寝耳に水にも程がある。
玉狛に近界民が入隊、という字面からして理解出来ないし、いきなり黒トリガーなんてものを奪う、と言われれば困惑するのも無理はない。
香取にとって黒トリガーとは、即ち風刃である。
昇格試験でその脅威を散々思い知らされた香取にしてみれば、正直言って黒トリガーというだけで関わりたくない案件ではあった。
トラウマとまでは行かないが、それほどまでに迅の持つ風刃の力は香取の脳裏に深く刻み込まれていたのである。
近界民が玉狛に入隊した、というのは気になるが、香取自身は三輪ほど表立って近界民を憎悪してはいない。
確かに、親友の華の家族が死んだのは四年前の大規模侵攻で
その所為で華には家族を見捨てて香取を助ける、という選択を事実上強いてしまった事になるし、そもそも近界民はこちらの世界に度々やって来ては人を攫おうとする外敵だ。
故にそれを駆除する事に否はなく、元々華の事もあって良い感情は当然抱いていなかった。
だが。
三輪ほど、その駆除に執着している、というワケではない。
確かに、近界民は敵だ。
駆除しなければ被害が出るし、百害あって一利なしの存在と言って良い。
けれど。
三輪と違い、香取には華がいる。
即ち、守るべき大切な存在が。
だからこそ、香取の中の比重は近界民の排除よりも、友との平穏な生活を守る事の方に向いていた。
故に、香取だけならばこの作戦に参加する理由はなかった。
勝手にやってなさい、というのが香取の正直な感想である。
派閥抗争なんて興味はないし、裏にどんな事情があったとしても香取の与り知らぬ事だ。
しかも秘密作戦という以上は、表立って報酬が出るとも考え難い。
ポイントくらいは融通してくれるかもしれないが、労力に見合うものかと言われれば疑問が残る。
そんなものに好き好んで関わる程、香取は組織への帰属意識は高くはなかった。
「華。どうしたい?」
だから。
香取は、華に相談してみる事にした。
その場で断る事も出来たが、一度彼女には相談しておきたかったのだ。
何故ならば。
きっと、華の方は近界民を憎悪しているだろうから。
口には出さずとも、彼女が近界民という言葉を口にする時は仄かに暗い感情が漏れ出ていた。
その程度の親友の機微は、香取には理解出来ている。
たった一人の、大切な親友なのだ。
寡黙なのは昔からだし、言葉に出さずとも何を考えているかはそこそこ分かる。
故にこそ、華に伺いを立てたのだ。
「葉子が良いなら、参加して欲しい……………………かな」
返答は、是。
華は、香取の作戦参加を願った。
「そっか。ならやるわ」
「いいの?」
「華がやりたいんでしょ? だったら、やるに決まってるじゃない」
香取はそう言って、華に笑いかけた。
彼女自身は今回の作戦に思うところはないが、華は違うのだろう。
憎むべき近界民が玉狛に入隊し、あまつさえ黒トリガーという規格外の武力まで持っている。
近界民の存在を許容出来ない事と同時に、それは一つの恐怖でもある筈だ。
彼女たちは、黒トリガーの力を直に体感している。
だからこそ、その脅威が正しく理解出来た。
香取にとって近界民は外敵であり、華にとっては両親を奪った憎むべき敵。
そして同時に、拭い難い悪夢の象徴でもある。
玉狛に入隊したという以上は表立って敵対的な行動は取っていないのだろうが、今後もそうであるという保証は何処にも無い。
いつ、
故にこそ、その存在は許容出来ない。
そんなものがいると分かってしまえば、安心して眠れはしない。
つまり、華にとってその近界民は平穏を脅かす
「近界民なんて、アタシがぶっ飛ばしてやるわ。だから安心してよ、華」
────────香取にとって、親友の敵は自分の敵に他ならない。
華の敵である、という時点で香取がその存在を許容する事はない。
大切な親友の平穏を脅かすという時点で、駆除以外に選択肢は有り得ない。
それを匿う玉狛も、香取にとっては敵だ。
あの迅の事だから何か考えがあるのだろうが、それでも香取にとって華の想い以上に優先するものは何もない。
あの日から、香取は華の為に生きると決めた。
七海のように滅私奉公という柄ではないけれど、それでも可能な限り華の為に出来る事があれば動くつもりでいる。
それは、これまでもこれからも変わらない。
相手にどんな事情があったとしても、そんな事は関係ない。
物語の主人公のようなバックボーンがあったとしても、だからといって
自分は自分、他人は他人だ。
他人の事情を斟酌したところで、それが自らの身に翻って益になる事など早々ない。
故に、最優先すべきは自分の事情。
それを邪魔すると言うのであれば、実力行使も止む無しである。
こちらを引き下がらせたいのであれば、相応の落としどころを用意して貰う以外に道はない。
少なくとも、言葉だけで止まるつもりは今の香取にはなかった。
「詳しい話を聞かせなさいよ。その作戦、受けたげるわ」
(なんて啖呵切ったはいいけど、このヒゲ謀りやがったわね…………っ! 相手にあいつがいるって聞いてなきゃ、ボイコットしてるトコだわ…………っ!)
香取は飄々とした様子で路地を駆ける太刀川の背を睨みつけながら、心中で舌打ちした。
あの後、華を先に帰した後で太刀川が今回の作戦の裏事情をぶっちゃけやがったのだ。
曰く、この作戦はある意味では出来レースであり、派閥間抗争に丁度良い落としどころを作る事が目的であると。
そして、件の近界民の安全は忍田と林道の両名によって担保されており、彼の立場を確保する為の仕込みでもある事を。
聞いた時、思わず殴り掛からなかった事を香取は誇って良いだろう。
華の為と意気込んで参加を宣言した矢先に、その前提を覆されたのである。
しかも、作戦内容を聞いて頷いてしまったから今更取り消しは利かない。
彼女が署名した作戦参加の誓約書には、署名後に参加を取り止める事は出来ないと明記されている。
守秘義務だらけの作戦に参加する以上当然の文面ではあったのだが、明かすタイミングからして謀っていたとしか思えない。
少なくとも、署名する前に聞かされていれば香取は華を連れてそのまま帰っただろう。
こんな茶番に参加する意味を見出すほど、香取はボーダーという組織そのものに忠誠を誓ってはいないのだから。
そんな香取が大人しく作戦に参加したのは、戦う相手に高確率で七海がいる、と聞いたからである。
七海には、都合三回敗北している。
那須隊がA級に上がり、もうリベンジする機会は早々無いと思っていた矢先に、望外のチャンスが転がって来た形になるのだ。
故に香取はプライドと実利を取った結果、作戦への参加を決めた。
当然、太刀川から聞かされた裏事情は華には話していない。
今聞かされたところで納得など出来ないであろうし、それならば香取の腹の内で留めて置いた方がまだ良い。
落としどころさえ見つかれば華とて納得せざるを得ない為、なんとかしてそこまで持っていくつもりだ。
もっとも。
相手が七海である時点で、香取に手を抜く選択肢などある筈もないのだが。
迅に対しても最終試験でしてやられた借りがあるが、流石に彼相手に勝てると思うほど香取は驕ってはいない。
試験という括りであったからこそある程度善戦出来たが、今回はそんな形式など無い。
文字通り全身全霊で襲って来る迅など、香取は相手にしたくはなかった。
幸い、こちらには太刀川や風間がいる。
迅が出て来たら、基本的に彼等に相手をして貰う事になっている。
というよりも、それ以外に選択肢など無いのだが。
迅相手には人海戦術が有効ではあるが、それは彼が一人きりの場合に限る。
味方を揃えているのであれば当然彼の動きは違うものになるであろうし、適当に負担を分散する事も出来る。
相手が一人きりでオペレーターの支援もなかった最終試験の時とは、前提条件がまるで違うのだ。
同じ感覚で挑めば、結末は言うまでもない。
迅は無敵の存在ではないが、決して侮って良い類の相手ではないのだから。
『目標地点まで、残り500』
オペレーターから、到達までの距離が報告される。
そして、太刀川は。
「止まれ…………っ!」
進行方向を見て声を張り上げ、その号令でトップチームの進軍が止まった。
「────────」
視線の先に立つのは、迅。
迅と太刀川の、視線が交差する。
一瞬の、視線の交錯。
迅は薄笑いを浮かべ、太刀川は不敵に笑う。
数年越しの、ライバルとの戦場での邂逅。
それが、自然二人の戦意を高揚させる。
「迅」
「何をしに来たの、なんて言わないよ。今更、白々しいにも程があるしね」
だから、と迅はニヤリと笑う。
「約束を、果たしに来たよ。何の事、なんて言わないでしょ」
「当然だ。こっちは散々待たされたんだ。余計な事はいいからさ、さっさと始めようぜ」
太刀川もまた、そう言ってニヤリと笑う。
迅と太刀川。
二人が浮かべるのは、同種の笑み。
それは、戦いに滾る修羅の貌。
理由は違えど、二人は己の意思で剣を持って此処にいる。
互いに譲れない理由はあれど、双方共に負けるつもりなど微塵もない。
ただ、勝つ為に来た。
そう、言外に語っていた。
「そうだね。問答は無用だろうし、始めようか」
「ああ、待ちくたびれたぜ。迅」
その言葉が、合図。
迅は、風刃を抜刀。
太刀川もまた、弧月を抜刀。
二人は、戦闘態勢に移行した。
「…………!」
ピリピリと、空気がひりつくのを香取は感じていた。
迅と太刀川。
二人の放つ剣気が、尋常ではない。
一瞬でも油断すれば、呑まれてしまいそうな闘気。
可視化されたそれが、二人の間から立ち上っているかのようだった。
「上…………っ!」
「────────」
その最中。
何かに気付いた菊地原が、声を張り上げる。
そして。
さも当然のように、太刀川は動く。
次の瞬間、鈍い金属音と共に太刀川の弧月が短刀型のスコーピオンを────────上空から飛来した、七海の刃を受け止めていた。
「来たか、七海…………っ!」
「ええ、相手をして貰いますよ。太刀川さん」
七海は不敵な笑みを浮かべ、即座に跳躍して迅の隣に着地する。
開戦のゴングは、鳴らされた。
黒トリガー争奪戦。
その幕が、遂に上がったのだ。