「迂回したか。流石に、危険は冒してくれないらしい」
奈良坂はレーダーで嵐山達の動きを見ながら、目を細めた。
現在、彼は屋根の上からいつでも狙撃出来るよう身を隠している。
バッグワームも纏っている為、レーダーにも映っていない。
そして、万が一にも迅に位置を察知されないようにそもそも迅の方へはスコープすら向けていない。
迅の未来視の精度がどの程度か分からないものの、一度照準に捉えた相手はどのタイミングで撃つのが最適かを考えるのが狙撃手の習性だ。
そして、現状を見て「撃った方が良い」と奈良坂が判断すれば、迅の見る無数の未来の映像の中に奈良坂が映り込んでしまう危険がある。
故に、基本的に迅は狙わない事を狙撃手の面々は決めていた。
もしも迅の未来視によって詳細な居場所が割れてしまえば、那須の
那須のトリオン評価値は7であり、際立って多くはないものの────────
あまり距離を取り過ぎても支援の意味がない為、今の位置も充分に那須の射程内なのだ。
もしも出水が那須を抑えてくれなければ、牽制の為の狙撃を行う事すら出来なかっただろう。
今も一発撃つごとにスイッチボックスで位置を変えているし、警戒をし過ぎて困る事はない。
それだけ、那須という駒はこういった戦場において厄介極まりないのだ。
そして勿論、彼女は従姉妹の奈良坂相手だろうと容赦はしない。
確かに従姉妹同士だけあってそれなりに交流はあるが、那須は七海と奈良坂を天秤に乗せれば即断で七海を選ぶ程度には一途だ。
良く知る相手だからと手心を加えるような甘さは、彼女にはない。
むしろ、手の内を知る相手だからこそ容赦なく弱みを突く程度には強かだ。
彼女が
故にこそ、警戒は必須なのだ。
油断すれば、纏めて食い破られるレベルの相手なのだから。
『どうします? 追いますか?』
「いや、向こうで待ち構えよう。三輪と七海の戦闘区域に入る為には、射線の通る場所に出ざるを得ない。そこに網を張って、落とせるチャンスがあれば落とすぞ」
『分かりました』
古寺に指示を出し、奈良坂はイーグレットをオフにした。
居場所が知られては困る狙撃手であるが故にバッグワームは常時纏っている為、狙撃銃を構えれば両手が塞がりシールドを張る事が出来なくなる。
その為、狙撃に移るタイミング以外は小まめに狙撃銃をオフにしている。
相手の狙撃手である佐鳥の居場所が未だ判明していない以上、カウンター
故に、万が一を備える事は重要だ。
相手は、その曲芸じみた振る舞い故に軽く見られがちだが狙撃技術自体はボーダーでも随一である佐鳥。
地味に隠密能力が非常に高い彼が、何処で待ち構えているか分かったものではないのだ。
シールドを張っても佐鳥が唯一無二の
向こうにはこちらと違ってスイッチボックスの恩恵はない為、一度居場所が割れれば追い込むのは容易い。
居所を知られてから完璧に姿を眩ませる事が出来る狙撃手など、東ぐらいのものだ。
佐鳥も近い事は出来るようだが、東ほどの精度ではないだろう。
ともあれ、佐鳥の誘き出しが成功すればメリットが大きい事に違いはない。
何せ、未来視対策の為に事前の作戦を立てられなかったこちらと違い、向こうには作戦を仕込む時間も準備をする余裕もあった。
どんな罠が仕掛けられているか、知れたものではないのだ。
警戒をしつつ、仕事を遂行する。
自分の仕事を改めて確認し、奈良坂はスイッチボックスにより転移した。
「参ったねこりゃ。建物吹き飛ばした方が良いかこれ」
出水は軽口を叩きながら自分を狙うバイパーを全弾撃ち落とし、ため息を吐いた。
その間にも彼の両腕には瞬時にトリオンキューブが生成・分割されており、発射までに一秒もかかっていない。
光弾が向かう先で悉く撃ち落とされているのを確認し次弾を生成しながら、出水は目を細めた。
(那須さんの機動力が厄介過ぎるな。試験の時とは違って上取れてないから若干不利だし、かといって上に出たら佐鳥に狙われるよな)
那須と正面から戦り合うのは昇格試験の時以来だが、あの時とは前提条件が違う。
まず、伏兵がいない。
今の出水は正真正銘孤立無援の状態であり、仲間の援護は期待出来ない。
それは那須とて同じだが、彼女には圧倒的な機動力がある。
常に発射地点を入れ替えながら弾幕を張る為、逐一対処するのがかなり難しい。
加えて、あの時は上を取れていた為にある程度那須の位置を俯瞰視点で見る事が出来たが、今迂闊に屋根の上に出れば佐鳥に狙われる可能性が高い。
佐鳥の攻撃自体は
一度でも隙を見せれば。そこを突き崩して食い破って来る。
それだけのポテンシャルが、彼女にはある。
故に。
じり貧だと分かっていても、この場は膠着状態が一秒でも長く続くように気張るしかないのだ。
幸い、時間は彼の味方だ。
何故ならば────────。
(長期戦になれば、負けね。トリオンの差があるもの)
────────トリオン量、その明確な差があるからだ。
那須のトリオン評価値は、7。
対して、出水のトリオン評価値は12。
トリオンに関して凡そ二倍近くの差が、二人にはあるのだ。
つまり、このまま弾幕を相殺し続ければ那須はトリオン切れで落ちる。
長期戦は、即ち那須の負けなのだ。
出水は当然、そのつもりで戦っている。
(消費を抑えて戦う手もあるけれど、攻撃の手を緩めればきっと出水くんはそこを突いて来る。手は、抜けないわね)
しかし、こればかりは那須にも如何ともし難い。
何故ならば、出水相手に抑えに回るのであれば全力で攻撃し続ける他ないからだ。
少しでも手を緩めれば、恐らく出水はその分の余力を味方のサポートに回す。
今はどの戦場も、危ういバランスの上で成り立っている。
何処に介入されても、悪い方向に転がるのは目に見えている。
故に、手は抜けない。
全力を以て、出水をこの場に縫い留める。
そう改めて決意し、那須は出水との
「どうした。折角那須の救援が来たのに、防戦一方か迅…………っ!」
「無茶言うねえ。ホント」
迅は太刀川の剣戟を捌きながら、苦笑いを浮かべた。
確かに、出水という射程持ちがいなくなった事で迅への圧力は軽減された。
だが太刀川は一切手を緩めずとにかく迅に距離を取らせなかった。
風間隊の面々も既にカメレオンを起動して周囲に潜んでおり、時折姿を見せて攻撃を仕掛けて来るので気が抜けない。
こうしている間も、迅の眼には様々な未来の可能性が並列に映り込んでいる。
相手の人数は、四人。
つまり、四人分の未来────────それも一人分すら無数に広がっている未来の映像を、片っ端から精査して必要な情報を手繰り寄せながら戦っているのだ。
しかも、全員が全員並々ならぬ使い手である上に、純粋な剣の腕では太刀川の方に分があるのだ。
普通のブレードでは勝てなかったからこそかつての迅はスコーピオンを開発したのであり、その差は未だに縮まってはいない。
天性の才能を月見式スパルタ術で鍛え上げただけあって、太刀川の剣の腕は至高の領域に近い。
この距離でやり合っていれば、いずれ押し負ける。
それが分かっているからこそ、太刀川は手を緩めない。
加えて、風間隊の中でも菊地原が隠密に徹しているのが非常に厄介であった。
菊地原がいる限り、彼等に不意打ちは通用しない。
彼の耳が機能している限り、どんな攻撃であろうと事前に察知される。
可能な限り初手で落としておきたい相手であったが、恐らく最初から身を守るように厳命されていたのだろう。
油断も隙も一切見せず、迅が攻撃を打ち込む隙を菊地原は作らなかった。
遠隔斬撃の速度を知らなければ初見殺しで落とせたかもしれないが、今の彼等は風刃の力を知っている。
他ならぬ、迅と那須隊の試合によって。
あの試合を見た後で、風刃の力を侮る者はいないだろう。
故に、油断した隙を突いて落とす、という手は使えない。
菊地原は正しく、風刃の脅威を理解している。
如何に黒トリガーとはいえ、タネが分かっていれば対策も可能。
それを万全にする為に、菊地原は完全に隠密に徹している。
攻め手が一つ少なくなるリスクよりも、菊地原という
完全に、対策されている。
どうやら、手を緩めるつもりは一切ないらしい。
太刀川が、目でそう訴えていた。
……………………試験に参加した結果、この戦いが不利に働くのは分かっていた。
だが、それでも実行に移したのは迅自身の意思だ。
あれは必要だと思うからこそ実行したのであり、後悔などある筈もない。
故に今は、光明を探し求める他ない。
幸い、情報だけなら文字通り山ほどある。
瞬時に精査し、即座に思考に繋げていく。
情報を精査し、そこから自身の動き方を考案し、そのメリットとデメリットを考慮しながら選択肢を削っていく。
立ち止まって、考えている時間はない。
攻撃を捌きながら、相手の
その程度の事が出来ずして、何がS級隊員か。
正しく、他の括りに入れられないからこその
S級という地位に拘りはないが、それでも戦士としての矜持はある。
これは、彼が始めた物語だ。
ならば、この程度の苦難を踏破出来ずして、未来を勝ち取る事など出来はしない。
この道を選んだのは、自分だ。
もしも昇格試験に参加しなければ遠隔斬撃が初見殺しとして機能し、楽に勝つことが出来ただろう。
だが。
最善の未来に辿り着く為に、妥協などあって良い筈がない。
次善の未来に至る
ならば、やり遂げなければ嘘だろう。
此処で気張らずに、いつ気張るというのか。
「よっと」
「…………っ!」
迅は、迫り来る太刀川に向かって足元の小石を蹴り上げ、顔面を狙う。
突然の事態に太刀川は咄嗟に顔を背け────────は、しない。
元より、肉を斬らせて骨を断てるのであれば多少の負傷はものともしない太刀川だ。
生身では大怪我に繋がりかねない小石であっても、トリオン体の前には等しく意味がない。
何せ、トリオン体にダメージを与えられるのは同じトリオンを使用した武器だけなのだ。
小石が当たったところで、ダメージは無い。
「…………っ!」
無論、それは迅も承知の上だ。
彼が欲しかったのは、刹那の隙。
突然の小石の投擲に対する、身体の防衛反応だ。
理屈の上では回避する必要のないものであっても、身体に染み付いた反射行動というものは消えない。
顔に向かって何かが飛んで来れば、反射的に顔を背けたり手で払おうとしたりするのが当然だ。
迅は、そこを狙った。
太刀川がテンポを取り戻す前に、すかさず迅はバックステップで後退。
そのまま太刀川に背を向け、全力で駆け出した。
「旋空弧月」
太刀川は、即座に追撃を選択。
これが誘いである事は理解しているが、それでも追撃しない、という選択肢はなかった。
今太刀川側が押しているように見えるのは、迅に共闘相手がいないからだ。
これがもし、迅が何れかの戦場で味方と合流してしまった場合。
形勢が不利に傾くのは、間違いない。
だが、徒に追いかけても罠に誘い込まれるのが目に見えている。
普通に追ったのでは、風刃の遠隔斬撃が決め易い車庫のような閉所へと誘い込まれるだけだろう。
故に、地形そのものを破壊する。
放棄区域とはいえ元は市街地であり、むやみに壊すのは推奨されないが一度や二度くらいは誤差の範囲だ。
少なくとも、困るのは太刀川ではない。
そう思い切って、太刀川は旋空で建物を両断した。
迅には当たらなかったが、これで一つ彼の隠れ場所を処分出来た。
「────────」
同時に、風間と歌川が両手側から奇襲。
迅に肉薄する直前にカメレオンを解除し、音もなくその背後に忍び寄る。
同時に、太刀川もまた旋空の発射態勢に入る。
二人の暗殺者と、最強の剣士。
無数の刃が、夜闇の中で煌めいた。