木虎藍にとって、香取葉子は正直あまり好きではない相手であった。
入隊したばかりであっという間にB級に上がり、隊を率いてB級上位まで上り詰めた時は手強いライバルが出来たと思ったものだったが────────それも、長くは続かなかった。
香取隊はB級上位に上がった途端、その躍進に陰りが見え始めたのである。
理由はハッキリしている。
チームの連携不足と、隊全員に共通する逃避思考。
地力はそう悪くない筈のチームは、たかだか自分より強いエースとぶつかった程度で挫折し、進む事を止めていた。
そこからの香取隊は、見れたものではなかった。
負け続ける、そういうワケではない。
だが、勝てるのは転送運に恵まれ香取が暴れられた時だけで、彼女が暴れる機会がなければそのまま押し負ける。
そんな、一種のギャンブルのような戦術────────否。
場当たり的なやり方でしか、ランク戦に臨んでいなかった。
そうなった時点で、木虎は香取隊を見限った。
ライバルとして認識する価値はないと、視界から消した。
木虎は、正しい努力を行い明確な次へ繋げる為の思考を絶やさない人物が嫌いではない。
逆に言えば、言い訳ばかりして碌に努力をせず、燻ってばかりの香取隊は早々に興味の対象から外れていた。
しかし。
その香取隊は、変わった。
切っ掛けは、那須隊と戦った今期のラウンド4。
あの試合を契機に、香取隊はそれまで燻り続けていた停滞を打ち破った。
一戦ごとに動きが洗練され、戦術的な思考を行えるようになった。
連携もきちんと意識をして、仲間の行動を気に掛けるようになった。
相手の研究を欠かさず、しっかり対策を練るようになった。
遂には、最終試験で迅に肉薄するところまで至った。
木虎は、香取隊の評価を改めざるを得なかった。
前の香取隊と、今の香取隊は別物だ。
香取は停滞を止め、チームメイトもそれに追随しようと努めている。
無理をして香取と同じステージに立とうとするのではなく、自らの役割を理解しエースに十全の動きが出来るように試合を組み立てる。
まだまだ未熟ではあるが、そんな若村と三浦の動きは奇しくも若村の師匠である犬飼や辻の背を追うものだった。
師弟であるから動きがある程度似たものになるのはある種当然とはいえ、あの犬飼の動きを少しでも
サポーターとしてのレベルは雲泥の差ではあるが、きちんとスタート地点に立てた事に違いはない。
元より、香取は才覚だけならボーダーでもトップクラスの逸材だったのだ。
それが正しい努力を始めたのだから、強くならない筈がない。
今は燻っていた期間の負債を払いきれてはいないが、いずれ彼女は高見に到達するだろう。
それだけの
故に。
手は抜かない。
全霊を以て、香取葉子を打倒する。
その決意を込めて、木虎はブレードを振り抜いた。
「────────!」
否。
だが。
彼女の右手は、何かに引っ張られるように停止していた。
何か。
言うまでもない。
この現象を、このトリガーを。
木虎は、良く知っているのだから。
「スパイダー…………ッ!」
「────────
ワイヤートリガー、スパイダー。
それを香取は。
自らの左腕と、木虎の右腕を繋げる形で展開していた。
スパイダーは通常、壁や家屋の間に張り巡らせるか、トリオン体を直接その場に縫い留める為に地面や壁との間に使用する。
しかし、香取はそれを自分自身と木虎を繋ぐ形で展開した。
自分自身も繋がれているというリスクを冒しながらも、これがこの場での最善であると理解して。
香取は左腕をぐい、と引っ張り、木虎の態勢を崩しにかかる。
このまま転倒でもすれば、それで終わりだ。
格闘戦で態勢を崩すという事は、即ち敗北に直結する。
故に、対応するより他にない。
「く…………ッ!」
間一髪で腕から出現させたスコーピオンでワイヤーを切断した木虎だが、香取はすかさず自分と木虎の右腕同士をスパイダーで縫い付ける。
香取はこのまま、意地でも木虎を逃がさないつもりだ。
距離を取れば削り殺される事が確定する木虎に、そもそも逃げという選択肢は封じられている。
故に、この誘いに乗るしかない。
さながら、チェーンデスマッチ。
お互いに逃げを封じ、この至近距離で削り合うという意思の表れ。
木虎はその挑戦を、笑って受け入れた。
「────────!」
「この…………っ!」
木虎は香取の首目掛けて、スコーピオンを振るう。
香取はそれを左手のスコーピオンで迎撃し、更に右でのワイヤーを引く。
ワイヤーが引かれる直前に木虎がそれを切断し、すかさず新たなワイヤーが展開される。
繋がれたのは、両者の右腕。
「…………!」
そのままワイヤーを引くかと思われた香取だが、それはせずにするりとした動きで木虎の懐に潜り込む。
そう、最初からこれが狙い。
ワイヤーを引き態勢を崩す、という目的を持っているように見せかける為に同じ行動を繰り返し、相手の眼が慣れた段階で意表を突く。
これが、香取の戦術。
スパイダーの使用というインパクトを目晦ましとし、本命の一撃に繋げる。
それが、香取が導き出した最適解。
懐に入り込んでしまえば、こちらのものだ。
このまま、木虎の胸にブレードを突き立てれば良い。
シールドを張られたとしても、木虎のトリオン量であればさほど強いシールドを張れない。
力任せに押し込む事は、可能だろう。
これで、
香取はそう、確信した。
「え…………?」
今この瞬間。
香取は、勝ちを確信した。
自身の勝利を、
それは、明確な隙。
ボーダーのトップメンバーであれば生じない、成長が早過ぎたが故の精神の陥穽。
鍛錬の果てに極地へ辿り着いた実力者は、当然その過程で精神も鍛え上げられる。
だが。
香取はその恵まれた才覚故、精神よりも先に技術が凄まじい勢いで成長してしまった。
故に。
自らの実力に、本当の意味で精神が追い付いていない。
無論以前の香取よりも精神的に成長してはいるが、突貫工事であるが為に完璧とはいかない。
今の香取は、付け焼刃を己の
その完成度の高さは流石と言えるが、本当の上位者と比較すれば穴がある。
そして。
木虎は、その
自身の右足と、香取の右腕をワイヤーで繋げる事によって。
「が…………っ!」
腕を止められた香取はそのまま木虎の一撃を受け、ブレードを胸に突き立てられた。
完全な、致命傷。
二人の一騎打ちは、香取の敗北で終わった。
「悪いけれど、
「ったく、本当生意気…………っ!」
『トリオン供給機関破損』
機械音声が、香取の致命傷を告げる。
最早、彼女の脱落は覆しようがない。
二人の女性エースの戦いは、香取の負け。
その事実は、揺るがない。
「…………ッ!?」
「────────けど、これで
────────されど。
その執念の一射が、香取ごと木虎の頭部を撃ち抜いていた。
何が起きたのか。
単純だ。
敢えて香取を射線に巻き込み、弾丸を隠す形で。
「あなた、まさか…………っ!」
「ええ、アタシがやられたら
「おっし、ヘッドショットだぜ。香取も良い仕事するなぁ」
付近の家屋。
その屋根の上でイーグレットを構えた当真は、木虎に狙撃が命中した事を確認しほくそ笑む。
「当たらない弾は撃たない」と豪語する当真にとって、香取の
相手の動きを制限する為に牽制の弾を撃て、といった要請であれば間違いなく断っていただろうが、香取はあろう事か自分を犠牲に確実に仕留めろと言って来た。
その言葉に、当真がノリノリで頷いたのは言うまでもない。
香取と木虎がぶつかれば、大抵の場合木虎が勝つ。
成長著しい香取だが、自力の安定感という面から見れば木虎には及ばない。
そして、一騎打ちという場ではその地力の差がモロに出るのだ。
良いところまではいくだろうが、あと一歩が及ばず敗れる。
それが、当真の正直な感想だった。
だが、香取はその可能性すら考慮に入れ、自分が負けた時の
狙撃技術という点で言えば随一と言える、ボーダートップ狙撃手に
勝負に負けたのは香取だが、相手の駒はきっちり落とした。
それだけで、充分過ぎる戦果と言える。
当真はスコープで致命傷を負った二人を見据えながら、不敵な笑みを浮かべた。
「良い仕事だったぜ、香取」
「…………やられたわね。まさか、自分ごと撃たせるなんて」
「アンタに負けっぱなしは嫌だったからね。癪ではあるけど、ただ負けるよりはずっとマシよ」
木虎と香取の二人は共に罅割れるトリオン体で、互いを見据えていた。
最早両者の脱落は確定しており、距離的に最後の足掻きも出来そうにない。
他の戦場に介入出来る余地がない以上、二人は此処でこのまま落ちる。
それが、今回の一騎打ちの結末だった。
「ざまあないわね。どう? 格下に相打ち取られた気分は?」
ニヤリ、と笑みを浮かべる香取に木虎はため息を吐いて応答する。
戦場でのお喋りは趣味ではないが、もうやる事もないし構わないだろうと考えて。
「別に。今は貴方を格下とは思っていないわ。同格の相手として、戦ったつもりよ」
「それが上から目線だっつってんの。中坊の癖に生意気よアンタ」
「実力に年齢差は関係ありません。それから」
木虎はそこまで言うと香取に負けず劣らず、不敵な笑みを浮かべた。
「負けっぱなしで終わるとは、言ってませんから」
「は…………?」
当真は、愕然としていた。
木虎を討ち取り、スイッチボックスで移動しようとしていた彼は。
スイッチボックスに触れようとしていた右腕と頭部を、同時に粉砕されていた。
弾速と威力から、使われたのはイーグレットと見て間違いない。
それが、二発同時。
射角から考えて、同じ場所から撃ったであろう二丁の狙撃銃。
そんな馬鹿な真似をするのは、狙撃手界広しと言えどたった一人しかいない。
「佐鳥か…………っ!」
嵐山隊狙撃手、佐鳥賢。
彼の得意技である、イーグレットを二丁同時に扱う変態技術。
ツイン
その技に、違いなかった。
『戦闘体活動限界。
機械音声と共に当真の身体が崩壊し、光の柱となって消え失せる。
戦果を齎した狙撃手は、それを代価として戦場から脱落した。
「────────っ! そっちも、保険をかけてたってワケ…………ッ!」
「そういう事よ。これは個人戦ではなく、チーム戦。なら、
木虎は舌打ちする香取に、そう言って微笑んだ。
そう、最初から佐鳥は当真を討ち取るべく近辺で潜伏していたのだ。
彼の位置が発覚し次第、転移される前に確実に仕留める為に。
この戦場である意味最も厄介なのは、スイッチボックスの扱いに習熟した当真だ。
彼は、スイッチボックスを活用した戦術を十二分に心得ている。
他の者たちもその恩恵に与ってはいるが、最も効率的にスイッチボックスを活用出来るのは当真を置いて他にはいない。
慣れ親しんだ戦術というのは、付け焼刃のそれとは比較にもならない。
この戦場にスイッチボックスが仕掛けられている事が判明した時点で、佐鳥は当真を最優先で撃破するべく行動していたワケだ。
それが、最も勝利に貢献する方法だと確信して。
そして、当真が連携するなら昇格試験の第一試合で組んだ香取が最も可能性が高いと木虎は踏んでいた。
あの試合のように彼女を援護する形で撃って来ると予想していた為致命打を防ぐ事は出来なかったが、当真を釣り出すという目的は達成した為、佐鳥がすかさず動いたワケである。
木虎の敗北は痛いが、相手のエースの一人と厄介な狙撃手を潰したのだから決して無為な脱落ではない。
エースとしての仕事は、充分果たせたと言える。
してやられた事を理解した香取は内心で激昂し、しかしそれを抑え込んで啖呵を切った。
「────────見てなさい。そのうち絶対に
「待っていますよ。勝つのは私ですけど」
互いに敵愾心を露にし、二人の少女は同時に告げる。
相手への、
「「生意気」」
その言葉を最後に二人のトリオン体が崩壊し、光の柱となって消滅する。
木虎と香取。
二人の少女は、同時に戦場から弾き出された。
少女達なりの、