「…………っ!」
ポスン、と音を立てて香取の生身の身体が緊急脱出用ベッドに落下する。
戦闘直後の倦怠感がもたげていたが、先程の木虎の顔を思い出し────────事実上の敗北を改めて認識し、ぽすぽすとベッドに向かって八つ当たりをした。
「葉子。お疲れ様」
「華…………」
そこに、オペレーターの華がやって来る。
此処は香取隊の隊室であり、今日は若村と三浦は先に帰しているのでこの場にいるのは少女二人のみである為彼女が出て来るのはなんらおかしな事でもない。
傍から見れば戦闘を終えた彼女を労いに来たように見えるが────────付き合いの長い香取は、それだけではない事を察していた。
「えーと、バレた…………?」
「なんとなく。私より色々知ってるんじゃないかなって事くらいは」
そっか、と香取は観念したようにため息を吐いた。
元より、彼女は自分の感情を隠す事が下手な部類だ。
しかも、相手は幼馴染である華だ。
自分の隠しごとなど、とうの昔に見破っていたのだろう。
元より、いつまでも隠しておくつもりもなかったのだが。
「言っとくけど、アタシだって知ったのは作戦開始直前だかんね。あのヒゲが土壇場でぶっちゃけやがったから、色々困ってたのよ」
「葉子は、それを聞いたら私が協力しないと思った?」
「それは疑ってないわよ。華が、アタシの誘いを断った事なんてないじゃん」
そうね、と華は香取の言葉を肯定し、頷いた。
昔からこの寡黙な友人は自分から何かに誘う事は早々ないが、香取からの誘いを断った事は一度もない。
乗り気な姿を見せた事などついぞないが、香取としてもうきうきで自分の誘いに乗る華なんて頓珍漢なものを見たら幻覚を疑うだろう。
ともあれ、華は多くは語らないが基本的に香取の意思を最大限に尊重してくれている。
仮に自分にとって不都合な面が出て来たとしても、香取の誘いを反故にするという選択肢は彼女にはない。
なんだかんだ言いつつも、華の中の優先事項の最上位に香取がいる事だけは間違いがないのだから。
だから、それは香取は心配してはいなかった。
仮に事実を告げても、彼女なら黙って協力してくれるだろうと。
故に。
「でも、本番前に余計な心労かけてもあれでしょ。だったら、終わってから言った方が良いかなって」
香取は純粋に、華の心情を慮って情報共有を後回しにしただけだ。
意外過ぎる作戦の実態を知って面倒くさくなった事もあるが、華の心情に配慮したというのも間違いではない。
香取にとっての最優先事項は、華。
それもまた、変わらない事実なのだから。
「そう。なら良いわ。説明は、今からしてくれるんでしょ?」
「ええ、勿論」
そうして、香取は太刀川から聞かされたこの作戦の裏事情を説明する。
今回の作戦が派閥間抗争の代理戦争であり、巧い落としどころを作る為の茶番の類である事。
そして、上層部は恐らくではあるが最初から件の近界民を受け入れるつもりである事。
それらの説明を、愚痴交じりに行った。
それを聞いて華は数瞬黙り、そして。
ため息を、吐いた。
「…………そっか。ボーダーは、近界民を受け入れるのね」
「やっぱり、嫌? 華、
「好きではないわ。結局のところ、近界民がいなければ父さんと母さんが死ぬ事もなかったのだし」
でも、と華は続ける。
「今の私にとっては、ただの外敵よ。近界民を放っておいたら被害が出るし、防衛任務で討伐すればお金も出るから葉子達に倒して貰ってるだけ。上層部が認めたって事は、その近界民の子はボーダーに協力的なんでしょう。だったら、私がとやかく言う事じゃないわ」
華は努めて冷静な声で、そう告げた。
確かに、四年前の大規模侵攻で彼女の両親が死んだのは近界民の所為だ。
香取はあの件で華に両親を見捨てさせた事を気に病んでいるが、そもそも少女の細腕ではしっかりした作りだったが故に重く持ち上げる事すら容易ではない自宅の屋根の瓦礫は退けられるものではなく、香取の家の屋根の方が退けられる確率が高かった為にそうしただけだ。
その事に関して何も思っていないワケではないが、香取を助けた事を後悔した事は一度もない。
確かに近界民に関して思うところがないワケではないが、その感情と香取の意思を天秤に乗せれば後者の方に傾くのは言うまでもない。
それでも近界民への憎悪は皆無ではないので城戸派閥に属してはいるが、三輪のようにそれを表立って表明する程感情的にもなれない。
つまるところ、単純な話だ。
近界民への憎悪に身を任せるよりも、香取と共に日々を過ごせればそれで良い。
華の感情は、これに尽きる。
だから、杞憂なのだ。
自分は、香取のように情動に任せて動けるほど器用ではない。
ただ、誰よりも大切な幼馴染と共に幸せを取りこぼさずに過ごせれば良い。
彼女がいれば他に何も要らない、というワケにはいかないけれど。
それでも。
一番大事なものは、昔から何も変わらないのだから。
「じゃあ、後は結果を待ちましょ。アタシはもう落ちちゃったし、最低限の義理は果たしたでしょ」
「そうね。無理をしてまでサポートする気にはなれないし、それでいいと思う」
「決まりね。まあ、後でヒゲには文句を言うとして。それから例の近界民ってやつ、後で見に行ってやるわ。今回の件もあるし、嫌とは言わないでしょ。きっと」
香取はそれに、とニヤリと笑みを浮かべた。
「一応木虎は倒せたし、後はあっちでどうにかするでしょ。仮にも、A級トップチームなんだしね」
「────────香取と当真がやられたか。やってくれたな」
風間は迅と対峙しながら、報告を聞いて目を細めた。
香取の脱落は木虎と当たったと聞いた時から想定していたが、当真がやられた事は素直に驚いた。
当真は口では色々言ってはいるがその慎重さを風間は評価しており、滅多な事で下手は打たない相手だと考えている。
今回も狙撃後はすぐにスイッチボックスによる転移を実行しようとした筈であり、この場合はその動きを読み切り正確に当真に弾丸を叩き込んだ佐鳥の隠密性と技量を褒めるべきだろう。
(この近辺に潜んでいるかと考えていたが、当真の撃破を優先してそちらに隠れていたとはな)
風間は佐鳥が出て来るなら自分たちの所かもしくは三輪の所だろうと、予測していた。
自分たちは現在迅相手に太刀川と二人がかりで拮抗している状態であり、狙撃という不確定要素が加われば崩れる可能性は低くない。
同様に、狙撃が効かないという特性を持つ七海であれば狙撃の援護を有効活用出来る上に彼に対する
だが佐鳥はそれらの戦場を放置し、当真の撃破を最優先した。
それだけ、スイッチボックスの活用に慣れた当真という駒の危険性を重く見積もったのだろう。
風間達攻撃手とは違う、狙撃手としての視点。
それを、見誤ったと言える。
(だが、これで佐鳥の位置は判明した。
されど、佐鳥の位置が分かったという事実は変わらない。
風間はその認識を以て、一つの命令を下した。
(
(────────了解)
「さて、仕事はしたしとんずらしたいけど────────」
佐鳥は家屋の屋根の上でため息を吐き、背後を振り向く。
その視線の先で、数軒先の屋根の上にいきなり出現した菊地原がスコーピオンを携えていた。
彼は、この場に仕掛けられていたスイッチボックスを用いて佐鳥を仕留めに来たのだろう。
他の人員が全て戦闘中であるが故に、この場で佐鳥に差し向けられる隊員は他にいない。
三輪隊の狙撃手二人が来る可能性も考慮していたが、どうやらこの様子からして最初から菊地原は自分に狙いを定めていたらしい。
その証拠に、菊地原のこちらを見る眼は彼らしくないやる気に満ち溢れていた。
どうにも、ただ仕事だから落としに来たという以上の敵愾心が見える。
「あれ? もしかしてこの間の試験の事根に持ってる?」
「うるさい死ね」
佐鳥の挑発に青筋を浮かべた菊地原は、そのまま一息で跳躍しブレードを振りかぶる。
この距離に詰められた時点で、狙撃手に抗する手段はない。
ライトニングを持って来ているかは分からないが、仮にそちらに切り替えたとしても姿を晒している狙撃手など怖くはない。
「…………っ!」
あの時。
昇格試験の第三試合では、佐鳥は距離を詰められた状態から反撃し、菊地原を相打ちへと持ち込んだ。
あの敗北は菊地原にとって苦い体験であり、今回佐鳥落としに志願したのもそのあたりの感情が関係していないと言えば嘘になる。
本来であれば戦場を動き回りながら
菊地原という生きた索敵網から逃れてのけた佐鳥の隠密能力は大したものだが、一度こうして対面した以上やる事は変わらない。
油断なく距離を詰め、反撃の余地なく落とす。
もしくは────────。
(あの時みたいに、テレポーターで逃げてもその先を狙えば良い。視線を追えば、転移先は分かるしね)
────────反撃の方向性を予測し、その上で追撃し確実に落とす。
どちらにしろ、逃がしはしない。
その意気で、菊地原は神経を集中させて佐鳥の一挙手一投足を聴いていた。
以前はエスクードを目晦ましに使われ、テレポーターという隠し札でやられたが、今回同じ手は通用しない。
前回の使用で、菊地原は佐鳥がテレポーターを使ってくる可能性をしっかり考慮している。
考えてみれば、嵐山隊には二人もテレポーターの使い手がいるのだ。
前回の戦闘で味を占めて佐鳥が本格的にテレポーターを導入していても、なんら不思議ではない。
故に、警戒は怠らない。
流石にエスクードという燃費最悪のトリガーまでこの作戦に持ち込んでいるとは考え難いが、万が一そちらを使ってきても同じ手は食わない。
零距離狙撃という選択肢がある事さえ分かれば、それに備える事は出来る。
想定していたか否かは、反応速度に直結する。
これが想定外の事態であれば初見殺しとして機能するが、一度使った手は最早初見殺しとしては機能しない。
既知の奇策は、ただの不安定な一手に他ならないのだから。
「…………っ!」
だから、佐鳥がバッグワームを翻しこちらの視界を塞いだ時にも、冷静に対処した。
此処で視界を塞ぐ目的は、視界を塞いで射線を隠して迎撃するか、テレポーターで転移するかの二択。
どちらであっても反応出来るように、菊地原はスコーピオンを破棄して身構えた。
結果は、後者。
バッグワームごと佐鳥の姿が消失し、テレポーターでの転移が行われたのだと理解した。
上下左右、何処から来るのか。
どの方向から来ても迎撃出来るように、菊地原はその場で身構えようとして────────気付く。
少し離れた路地。
そこから、走り去る足音が聴こえて来る事に。
「あいつ…………っ! 僕を放って逃げたのか…………っ!」
菊地原は前回の試合の経験からこの場での迎撃を選ぶと思い込んでいたが、そもそも佐鳥にこの場所での決着を急ぐ理由は何もない。
決着に拘泥していたのはあくまで菊地原の方であり、佐鳥にそれに付き合う義理も理由もない。
加えて、菊地原は自分という駒の重要性を理解している。
これまで隠れ続けて来た自分が姿を見せれば欲をかいて落とそうとするだろうという考えがあったのだが、佐鳥は何処までも冷静だった。
無理に落とそうとして反撃で落とされるよりも、逃走を優先する。
それが、佐鳥の選択だった。
「逃がすか…………っ!」
額に青筋を浮かべた菊地原は、
無論。
情報共有は、徹底した上で。
(佐鳥が逃げたからそっちで見かけたら教えて。居場所は分かってるけど、またテレポーターを使うかもしれないし)
(了解した)
奈良坂は菊地原からの要請に応じ、彼から伝えられた佐鳥の逃走ルート方面に目を向けた。
今のところ、佐鳥の姿は見えない。
恐らく、狙撃手の眼を考慮して死角を通っているのだろう。
佐鳥もまた同じ狙撃手であるが故に、何処が狙撃手から見え易いのか、そして何処に射線が通っているのかを把握するのはお手の物だ。
そういった
(逃げに関して、佐鳥ほど厄介な奴もいない。これは骨が折れそうだな)
狙撃技術もそうだが、佐鳥はああ見えて総合力が非常に高い。
東ほどの理不尽さはないが、それでも狙撃手としては
普段の振る舞いが昼行燈に過ぎない事は、奈良坂も理解している。
佐鳥は狙撃手としての基本技能を高いレベルで収めている上に、機転の利かせ方が抜群に巧い。
菊地原という生きた
一筋縄ではいかないだろうというのが、奈良坂の見立てだった。
(だが、俺も狙撃手の端くれだ。順位なんかに興味はないが、このまま逃がすのも癪だ。嵐山さん達の動きにも注視しつつ、こっちも警戒しておいて損はない)
嵐山と時枝の二人は、幸い一緒に行動している。
隠密性という点で彼等と佐鳥は雲泥の差なので、彼等の監視は古寺に任せて大丈夫だろう。
むしろ、此処で折角位置が分かった佐鳥を逃してしまう方がダメージがデカい。
方針は、決まった。
奈良坂は古寺に指示を出しながら、佐鳥の監視を開始した。