太刀川慶が初めて迅悠一と出会った時、抱いた感想は「つまんなそうな目をしてる奴」だった。
その頃の迅は表面上は笑顔を見せてはいたが目は全く笑っておらず、加減を知らなかった。
何事にも全力、と言えば聞こえは良いが、限度がある。
迅は常に何かをしていなければ落ち着かないというか、立ち止まる事に恐怖さえ感じているように見えた。
表面上は笑っていてもその在り様は鬼気迫るものであり、忍田等から「休め」と言われていたが、彼は意に介する素振りも見せなかった。
自分の師である忍田もそんな迅の無理には気付いていたが、どうやら迅には何かしらの負い目があるらしく強くは言えないようだった。
そもそも迅の事も忍田に聞いて存在を知った為、その時点である程度興味はあった。
これまでの経緯だとか迅の人間性だとか、そこらへんはどうでもいい。
太刀川が興味を抱いたのは、あの忍田が迅を評して「強い」と言った為だ。
忍田は太刀川の剣の師であり、今まで碌に勝てた覚えがない。
他の面々とは明らかにレベルの違う実力を持ち、その観察眼も超一流だ。
相手の実力に対する判断は、今のところ間違えた試しがない。
そんな忍田が、「強い」と評する迅。
興味を惹かれない、ワケがなかった。
取り敢えず、ランク戦に誘ってみた。
その時は苦笑しながら断った迅だったが、太刀川はその目の奥に燻る戦意を感じ取った。
口では「生憎暇がなくてね」なんて言っていたが、どうやら戦う事に何の興味も抱いていないというクチではないようだ。
表面上は取り繕ってはいたが、戦う事に関する欲を太刀川が見逃す筈もない。
だから、何度でもランク戦に誘った。
繰り返し誘う度に無碍に断られてはいたが、太刀川に対しては強い拒絶もなかった。
なので、
太刀川は忍田経由で迅にランク戦を受けて貰うよう要請し、その結果として迅とのランク戦が実現した。
忍田からの頼みはどうやら断れなかったらしく、迅は不承不承ランク戦の場に姿を現した。
10本勝負の約束で始めたランク戦は、初手は迅が勝利した。
剣の腕では、間違いなく勝っていた。
けれど、迅はまるでこちらの行動が全て分かっているかのように太刀川の手を一つ一つ潰し、詰め将棋のように勝利をもぎ取っていった。
その時に、彼が未来視という
ずるい、とは思わなかった。
才能なんてものは一人一人違うのが当然で、それが自分が剣の腕であり、迅がサイドエフェクトだったというだけだ。
だから、二戦目は色々試した。
未来が見える、というのが本当ならば普通に考えれば勝ち目はないが────────だとしても、迅からは余裕は感じられなかった。
一戦目にしても一つ一つ丁寧に対応してはいたが、実力そのものに大きな開きがあるとは思えなかった。
なので何も考えず我武者羅に打ち込んでみたり、土壇場で最善ではなく次善の選択に変えてみたりした。
結果として、後者を実践した時に迅の腕に傷を付ける事に成功した。
それでも勝つ事は出来ず次の三戦目も負けで終わったが、四戦目で初めて勝ち星を取った。
その時の迅の驚いた顔は、今でも覚えている。
多分、その時だ。
その時、迅の眼の奥に宿っていた闘志が完全に表に出て来た。
そこからの迅は、まるで別人だった。
それまでの飄々として笑みを鳴りを潜め、心底楽しそうに剣を振るった。
剣の腕には自信があった太刀川であったが、とにかく迅は戦い方が巧かった。
サイドエフェクトの恩恵もあるのだろうが、相手がどう動くのか。
そして、どう行動すれば相手の意表を突けるのか。
その判断と機転が、他の者の比ではなかった。
剣の腕事態は太刀川が上であったが、所々の機転の鋭さが段違いであり、結局その10本勝負は3:7で太刀川の負けだった。
悔しかった。
思えば、個人ランク戦で負けたのはそれが初めてだった。
それまでは忍田以外に敗北を知らず、退屈を覚えていた太刀川だったが────────迅相手の戦いは、心躍った。
初めての敗北の味を嚙み砕いた太刀川は、それからも何度も迅にランク戦を挑んだ。
今度は迅も断る事はなく、太刀川と共に個人ランク戦に興じていった。
戦ううちにとにかく手数を増やす事が迅に対する最適解である事を理解し、太刀川は二刀流になる事にした。
二刀を使い始めたばかりの頃はまだ負けが込んでいたが、やがて勝率は五分になるようになり、時には太刀川が勝る事もあった。
10本勝負で初めて勝った時の感動は、今でも忘れ難い。
その後迅がスコーピオンを開発して太刀川の二刀流に対抗して来た後も、一進一退の勝負が続いた。
楽しかったと、そう言える時間は過ぎていった。
だけど。
迅は風刃を手にしてS級隊員となり、ランク戦が出来なくなった。
何故、と詰め寄る事はしなかった。
風刃と迅を巡る事情は忍田から簡単に聞いていたし、師の形見であればその所有権を持ちたいというのは当然の感情だ。
そもそも、風刃の所有者をこれまで正式に決めなかった事がおかしかったのだ。
どうやら色々手を尽くして有耶無耶にしていたようだが、組織の規模が大きくなるにつれそれが不可能になったらしい。
黒トリガーという強大な力を誰が所持するかは重要な案件であるし、組織としてそれを決めないままというのは出来なかったというワケだ。
心情としては無条件で迅に与えたかったのだろうが、風刃は生憎と適合者が多い黒トリガーだった。
なので適合者を集めて試合を行い、その勝利者に風刃を与える事になり────────迅は、鬼気迫る勢いで彼等全員に勝利した。
或いは、太刀川が適合者に選ばれていればその時に雌雄を決する事が出来たのだろうが────────太刀川は、風刃に選ばれなかった。
特例として試合の観戦が許可された為太刀川は忍田と共に迅の様子を見ていたが、その心中は穏やかではなかった。
迅が全員に勝利して風刃を手にした時、太刀川の心は諦観が支配した。
気持ちはなんとなく分かる。
自分ももしも忍田が黒トリガーになったら、それを手にする為に死に物狂いになるだろう。
だけど。
そういう理屈とは別のところで、「ああ、もう迅とは戦えないんだな」という落胆が太刀川の心を支配していた。
そんな太刀川の心情を、迅も察していたのだろう。
それから二人の仲は疎遠になり、太刀川はやる気を失っていた。
暫くランク戦からも遠のき、その間に一位の座を小南に奪われたりもした。
強い奴が来たと聞いて、その小南とも戦った。
迅以外に自分とまともに戦り合える奴はいないだろうと意気消沈していた太刀川は小南によって物理的に性根を叩きのめされ、消えかけていた戦いへの情熱を取り戻した。
風間にも発破をかけられた事で太刀川はやる気を取り戻し、再びランク戦へのめり込んだ。
その後小南がランク戦から離れた事で多少やる気に陰りが見えもしたが、その頃には後進も育って来ていて、ランク戦の熱が冷める事はなかった。
けれど。
今でも、願う事がある。
もう一度、本気の迅と戦いたい。
あの興奮を、もう一度味わいたい。
そんな想いを、ずっと抱き続けて来た。
無理だろうと思ってはいても、その願いが消える事はなかった。
だから。
────────その内、強くなった七海と『風刃』を持った俺とやり合える機会が来るよ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる────────
その
心に燻っていた熱が、再燃したのを理解した。
迅から託された七海もまた先が楽しみな逸材であり、自己評価が低いのは気になったが強くなるならそれでいいだろと手を抜かずに鍛えあげた。
七海に稽古を付けるのは思った以上に楽しく、これが師匠の遣り甲斐かと思った以上に初めて弟子を持つ経験を噛み締めている自分がいた。
でも、それ以上に。
いつの日か、迅と再戦する日を。
心の底から、待ち望んでいた。
そして、今。
太刀川は、迅と相対している。
戦場全体の戦況は、ハッキリ言って悪いだろう。
勿論未来視対策も手を尽くしてはいたが、戦術的な視点となると迅を出し抜くのは相当難しいのは元から理解していた。
念願の迅との戦いとはいえ戦術的な勝利も諦めるつもりはなかった為、風間と組んで迅と戦ったが────────その風間も、迅の手によって倒された。
現在彼等に介入出来る者はおらず、此処にいるのは自分の迅の二人だけ。
奇しくも、太刀川が望み続けた迅との一騎打ちの舞台。
それが、整ったのだ。
太刀川は指揮権を出水に預け、迅との戦闘を開始した。
迅もまた、闘志をその瞳に宿し太刀川の剣に応じた。
変わらず、剣の腕それ自体は太刀川が上だ。
だが。
迅の読みの深さと機転の鋭さは、健在だった。
「────────!」
太刀川が踏み込み、弧月を振り下ろす。
迅は風刃のブレードでそれを受け止め、斬撃の軌道を反らす。
相手の態勢を崩す事を狙った一手ではあるが、これは剣術の領域だ。
故に。
太刀川が、それに引っかかる筈もない。
迅が意図的に力を抜いて剣を受け流そうとしたその時には、既に太刀川は弧月を引き戻していた。
態勢が崩れる事はなく、続け様に下から突き上げるように剣を振るう。
それを。
迅は即座に身体を捻って回避し、同時に足元の小石を蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされた小石は太刀川の眼に向かい、反射的に目を閉じそうになる。
無論、トリオン体は石が当たってもダメージを受けない。
故に回避する必要もないのだが、普通であれば顔に向かって石が飛んで来れば防御行動をするのが人間の防衛本能だ。
生身なら失明のリスクすらあるのだから当然と言えるが、この状況下ではその反応は致命的だ。
だから、太刀川は自分から前に踏み込み敢えて小石に当たりに行った。
此処で顔を反らしたり目を閉じたりすれば、確実にその隙を突かれる。
かといって、トリオン体の脚力で蹴り飛ばされた石が顔に直撃すればその衝撃で隙が出来る。
故に、勢いを付けて自ら当たりに行った。
結果として小石は額に当たって弾かれ、そのまま太刀川は攻撃態勢に移る。
だが、それも予想していたのだろう。
迅は速やかに後退し、太刀川の斬撃をブレードで弾いてみせた。
「この程度じゃ、隙になんないか」
「太刀川さんこそ、やるね」
お互い苦笑し、睨み合う。
迅の厄介なところは、こういった人間の心理や条件反射を利用して立ち回る点だ。
彼は利用出来るものはなんでも利用し、そこに一切の躊躇をしない。
トリオン体はトリオンを用いた武器でしか傷付けられない、という固定観念に縛られる事なく、あらゆる物や状況を自分の優位になるよう利用する。
その戦い方は泥臭く、戦士というよりは兵士のそれだ。
けれど、それも当然だろう。
彼は、本物の戦争を経験しているのだから。
死に物狂いで本物の死線を踏破した戦争経験こそが、彼の最大の武器なのだ。
緊急脱出のない頃から、迅は仲間と共に近界の戦場を渡り歩いた。
それは太刀川にはない経験であり、迅の明確な強みと言える。
勿論太刀川も遠征を経験し、近界の戦場に赴いた事もある。
戦場に転がった死体からトリガー等を剥ぎ取る作業は専ら風間隊が行っていたが、初めて本物の死体を目にした時は若干気分が悪くなった事を覚えている。
なにせ、戦場の死体だ。
近界の戦場はトリオン体が解除されれば一切の抵抗手段を失い、敵のトリガーの攻撃を食らって絶命する。
捕虜にする余裕があればそうするのだろうが、最前線では敵を鹵獲し連れ帰る隙さえない事が多い。
敵を捕虜にする手間というものは無視出来るものではなく、故にその後の障害にならないようその場で殺しておくのが手っ取り早い。
それに、乱戦の中でトリオン体を破壊されればトリガーの攻撃が飛び交う中に生身で放り出される事になり、まず生き残る事は出来ない。
そうした死体は五体満足で残る事は稀で、大抵酷い状態だ。
それを始めて見た時は取り乱しはしなかったが、気分が悪くなったのは当然と言えよう。
場数を踏むうちにそれも慣れてはいったが、恐らく迅はそういった経験など腐るほどしていたのだろう。
その経験が、即ち迅の力なのだ。
初めてランク戦を挑んだ時、迅から感じた血生臭い気配はそうした経験が元になっているのだろう。
保険すらない死線を、どのような心境で潜り抜けたのか。
それもまた、想像するしかない。
きっと、思い出したくもない体験だろうと推測は出来る。
けれど。
だからといって、勝ちまで譲るつもりはない。
迅の強さの根源にそうした凄絶な経験があるのは理解するが、それと勝敗とは何の関係もない。
彼が強い事も、その強さに相応の理由がある事も理解した。
だけどそれは、太刀川が迅に勝つ事を諦める理由には断じてならない。
経験が違う、場数が違う。
それがどうした。
戦う為の理由も、戦いに懸ける想いも。
何もかも違うとしても。
それは、戦いの勝敗には何の関係もない。
気持ちがどれだけ籠もっていようと、直接それが勝敗に結びつく事はないのだ。
ただ戦うのが好きだから戦う自分と、失った者達の遺志を継ぐ為に戦う迅。
その
勝敗を決めるのは互いの実力と戦術、そして運だ。
結局のところ、相手の想定を最終的に上回った者が勝つ。
それが、勝負というものだ。
「────────」
「────────」
今、目の前には本気を出した迅が風刃を握っている。
太刀川にとっては、それで充分。
此処に至る経緯だとか、作戦の裏にある事情だとか。
そんな事は、どうでも良い。
今はただ、迅に勝つ事だけを考える。
それだけを考えて、太刀川は再び迅へ向かって斬り込んだ。
それを、迅は。
不敵な笑みを浮かべて、迎え撃った。