「まず確認しておきたいんだけど。三輪は、今回の事何処まで気付いてる?」
「大まかな流れがお前の思い通りになった、事くらいだ。その為に、俺を利用した事も察しが付いてる」
三輪はそう言って頭をかきながら、迅をジト目で睨みつけた。
「七海の話を聞くまで、俺は冷静じゃなかった。だから、普通なら気付くような違和感も見落としていたが────────────────振り返ってみれば、嫌でも分かる。今回、俺はお前があの近界民を入隊させる為のダシにされたワケだな」
「否定はしないよ。三輪の行動を予測して、計画を立てたのは確かだからね」
そうか、と三輪はため息を吐いた。
これまでの彼であればこの時点で「よくも利用してくれたな」と激昂していただろうが、今の彼の心は落ち着いていた。
色々と、客観視する余裕が出来たとでも言おうか。
迅が気に食わない相手であり、苦手な存在である事に変わりはない。
けれど。
そんな迅にも、彼なりの事情がある事を三輪は知った。
そうしてようやく、彼は自分の感情以外の事に目を向けるようになったのだ。
ハッキリ言って、今回の件で迅に疑いを持って以降の彼は冷静ではなかった。
争奪戦の最中もある程度冷静に立ち回っていたように見えたが、七海を相手にしている最中には迷いと困惑があった。
何故、自分と同じように近界民に身内を殺されているのに迅の味方が出来るのか。
その疑問が常に付いて回り、七海相手に本気になり切れていなかった。
手を抜いていたというワケではないが、コンディション自体が良くなかったと言うべきか。
ともあれ、三輪は近界民と迅という彼の心を乱す二つの要素に加え、同族意識を感じていた七海に敵対された事で心身の状態が非常に不安定であったと言える。
彼の敗因も、そのあたりに起因する部分が多い。
けれど。
七海から迅の境遇を聞き、己を見詰め直した今。
彼の心の靄は、取り払われている。
今の三輪は、自分の事を冷静に客観視する事が出来ている。
それは同時に。
迅の評価についても、考え直す余地が生まれたという事だ。
そうでなければ、わざわざ迅と会うなどという場に自ら来たりはしない。
迅が直接誘ったのであれば無視したかもしれないが、他ならぬ七海の提言だ。
それを聞くくらいの度量は、今の三輪にはある。
加えて、良い機会だとも思っていた。
七海の話を聞き、三輪は自分が迅の事を何も知らないという事を改めて思い知らされた。
彼にとって迅は不倶戴天の敵であり、出来る事なら視界にも入れたくない類の人間だ。
その理由の大部分は迅の姿を見るとあの日の光景が蘇るからであり、実際のところそれは彼の姿を引き金に悪夢を想起する三輪自身の心の問題である。
しかし、三輪には「迅は姉を見殺しにした」という先入観があった。
だからこそ迅に関する感情は全てマイナスのベクトルに変換されていたのだが、その
故に三輪は、重ねて迅に尋ねた。
「……………………お前は何故、
「────────ああ、成る程。七海が話したのね」
三輪の問いに、迅は得心したように頷いた。
元よりこうして三輪とは対面して話す機会を作るつもりではあったが、それが七海の手により後押しされるとは思っていなかった。
読めなかったという事は七海の突発的な提案だったのだろうが、迅の側にも断る理由はない。
未来視を駆使して三輪の居所を探り当てて会う事も出来るが、その方法だと相手の心証が悪くなりかねない事を今の迅は理解している。
誰だって、突然訪問されるよりも
突然押しかけて来られた場合は拒否感情が出る場合もあり、元から良く思っていなかった相手ならば猶更だ。
そういう意味で、七海の提案はありがたかったと言える。
しかし、まさか三輪が迅との対面に自ら赴くなど想像もしていなかったのだが。
三輪に嫌われている事は自覚していたし、それが仕方のない事であった事も理解している。
だから、印象を悪くしてでも押しかける以外に無いかと思っていたところに、七海の提案が舞い込んで来たのだ。
彼には、感謝してもしきれない。
三輪は、迅の答えを待っている。
だから、迅は。
真摯に、彼に応える事にした。
「まず、認識を正しておこう。三輪は、近界民に対してどういう認識でいる?」
「こっちの世界に来る侵略者、駆除すべき外敵。それ以外に何がある?」
「ある意味ではそれも正しい。けれど、唯一の正解ってワケでもないんだ────────────────だって、近界民ってのはつまり異なる世界に住むだけの
「…………っ!?」
人間。
迅は近界民を評して、そう言った。
それを聞いて、三輪の頭に血が上る。
反射的に怒鳴り散らそうとして────────。
────────────────近界は、単に
忘れかけていた、東の言葉が蘇った。
近界は、別世界にある
当時の三輪はその言葉を受け入れられず、無意識の内に忘却していたが。
他ならぬ迅から同様の言葉を聞き、その内容に目を向けた。
知らなければならない。
そういった心の訴えに、耳を傾けて。
「じゃあ、人型近界民は────────」
「正真正銘、近界に住んでる人間の事さ。もっとも、遠征に送られて来るぐらいの奴は大抵精鋭だから、こっちでいう太刀川さん達みたいな立場の人間だと思えば良い。あっちの人間も、戦える奴はそこまで多くはないからな」
少数精鋭が近界の遠征の基本だからね、と迅は補足した。
大抵のボーダー隊員は「近界民」という存在を一括りにしがちではあるが、真実を知る迅にとっては違う。
近界民といえど全員が戦えるワケじゃないし、むしろトリオン体になってまともに戦えるのは少数精鋭のみ、という国も珍しくはない。
近界にも、
「だから当然、近界民にも良い奴も悪い奴もいる。話が分かる奴もいるし、話が通じない奴もいる。こっちの世界で同じで、あっちにも色んな人間がいるんだ。この世界に攻めて来る奴は、その中の一部に過ぎないんだよ」
まあ、その
近界にとって玄界は、いわば植民地時代のアフリカだ。
搾取する事で利益が狙える場所であり、尚且つ相手に抵抗する手段が乏しい。
だからこそ、今日まで繰り返しトリオン兵を送られて資源────────────────即ち、人間を狙われているのだ。
国力に差があり過ぎる場合、外交は一方的な搾取か侵略に偏りがちだ。
相手に抵抗する余地が少ないなら、幾らでも資源を搾り取れる。
植民地時代のアフリカがそうであったように、近界から見てこの世界は「やり返される危険が低く、資源に溢れた場所」であるのだ。
国の運営というのは、綺麗事だけで行えるようなものではない。
相手から搾取して国力を上げられるのなら、たとえそれが非人道的手段であろうと自国に被害やしっぺ返しが及ばない範疇であれば推奨される。
それが、政治というものなのだから。
「だから、近界国家にも俺たちの力を示して「一方的な搾取以外の外交手段がある」って考えて貰わなきゃいけなかった。だから何度も近界に行って、必要があれば戦争にも参加したよ」
「戦争、か…………」
三輪は迅から「戦争」という言葉を聞き、ようやく彼が自分とは文字通り違う世界で生きて来た事を悟る。
確かに三輪は戦闘に身を置く兵士ではあるが、本物の────────────────命がかかった戦場には、赴いた事はない。
防衛任務がそれだと言えばそうなのだが、今は
故に本当の意味で命の危険を感じた事がなく、本物の死線を潜った経験のある迅とは価値観が違って当然だ。
それを、三輪は思い知る事になる。
「その甲斐あって、近界国家の三つと同盟を結ぶ事に成功したんだ。今のボーダーの発展も、その同盟国の協力がなきゃ成立しなかった。そういう意味で、ボーダーと近界民は切っても切れない関係にあるんだよ」
「…………っ!」
詳しい事は機密だから城戸さんの許可なしには言えないけどね、と迅は補足した。
一方、今のボーダーが近界民の協力ありきで成り立っていると聞いた三輪は内心激しく動揺していた。
近界民を
だけど、抑えた。
まだ、聞きたい事は残っているのだから。
「……………………じゃあ、お前が今回庇った近界民は、それに匹敵する利益を生み出す可能性がある奴、って事なのか…………?」
「あながち間違ってはいないね。彼は、遊真は俺の未来視で視た最善の未来に至る為の最後の
ちなみに、これは三人には話してあるよ、と迅は続けた。
未来視が視た、最善の未来。
そこに辿り着く為に必要な、ピース。
その一人が、件の近界民なのだという。
それだけでも驚きだが、何より。
その中に七海の名前があった事もまた、三輪は無視出来なかった。
「三雲と、七海が…………? お前は、七海の事も利用する気なのか…………?」
「ああ、その通りさ。四年前に彼を助けたのだって、その未来が視えたからだしね。最善の未来に辿り着く為のパーツとして、七海を利用した。それは否定しないよ」
「……………………一つ、聞かせろ」
「何かな?」
迅はじっとこちらを見据える三輪を見て、目を細めた。
彼が何を尋ねるか。
それが、予想出来たのだから。
「お前は、その為に七海の姉を見殺しにしたのか?」
「そうだ」
ぴくり、と三輪の眉が吊り上がる。
予想していた答えだが、返答次第では爆発する。
そんな、雰囲気だ。
「お前は、その事を後悔しているか?」
「後悔は、していないよ。だってそれは、玲奈に対する侮辱だ」
けれど。
その迅の返答を聞いた事で、三輪は目を丸くした。
思っていた答えと、何かが違う気がしたから。
「……………………好きな人を見殺しにしておいて、本当に後悔はないのか…………?」
「全然無い、と言えば嘘になるけどね。でも、そういうのを引きずるのはもう止めたんだ。そんな事、玲奈も望まないしね」
そう告げる迅の顔は、晴れやかだった。
無理をしている、というのとは少し違う。
確たる信念を以て、その答えに辿り着いた。
そんな雰囲気が、今の迅にはあったのだから。
「俺は、七海を助けたいっていう玲奈を止められなかった。その事に関して何も思わなかったなんて嘘でも言えないし、後悔が全くないってワケじゃない」
けど、と迅は続けた。
「玲奈は、俺に願ったんだ。最善の未来に、辿り着く事を。なら、俺に休んでる暇はない。玲奈の想いを継いだんだから、俺はそれを叶えなくちゃいけない────────────────いや、叶えたいんだ」
その迅の宣誓を聞いて、三輪の中に燻っていた迅への疑心が晴れるのを感じた。
────────要は、視点の違いよ。襲って来る近界民を撃退するのは当然だけど、どうやってその襲撃事態を減らせるか、この世界をより安全な状態に持って行くか。そういう未来の展望を、七海くんは語ってたってワケ────────
不意に、加古の言葉が蘇る。
確かに、これは
近界民が憎いから、近界民を殺す。
それしか考えて来なかった三輪と異なり、迅は明確な
彼とて、近界民に何の隔意も無いというワケではないのだろう。
しかし彼はその感情を優先事項の下に置き、自らの願いの為に邁進していた。
感情だけで動いていた三輪とは、雲泥の違いである。
そう考えると、三輪は自分が小さな人間に思えて。
(想いを継ぐ、か。俺は、姉さんに対してどう向き合えば良かったんだろう…………?)
遺志を継ぐ、という事に対して考えが及んだ。
今まで、考えてもみなかった。
姉の憎い敵を殺す、としか考えて来なかった三輪であるが────────────────新たな知見を得て、姉の想いを継ぐにはどうすべきか、を思案した。
殺された姉の仇を取る為、このまま
それとも。
姉のような被害者を生まない為に、全力で組織に貢献するか。
考えるまでもない。
これまで通り────────────────否。
これまでと異なり感情ではなく、何が最善かを色眼鏡で見る事なく考えて、それを実行に移す。
近界民の被害を減らし、街を守る為に戦う。
その為ならば、嫌いな相手とでも協力しよう。
そういった想いが、三輪の中に芽生えていた。
「迅、聞かせろ。姉さんは、助からなかったのか?」
だから、しこりを消す為に最後の質問をした。
迅との因縁、その原点。
今まで思い込みでしか考えて来なかった答えを、聞く為に。
「ああ、俺が着いた時にはもう手遅れだった。お姉さんの未来は何も視えなかったし、何より────────────────手遅れかどうかは、見れば分かったからね。そういうの、もう見慣れちゃったからさ」
「…………っ!」
見慣れた。
それはつまり。
それだけ、人の死を経験して来たという事だ。
戦争で人死にが身近になっていた迅から見ても、姉の状態は明らかに手遅れだったという。
なんとなく、そうだとは思っていた。
三輪が抱き起こしていた姉の身体が冷たかったのは、決して雨の所為だけではない。
きっとその時には既に、姉の命は殆ど燃え尽きていたのだろう。
胸に、穴が空いていたのだ。
生きている方が、よっぽどおかしい。
それでも、当時の三輪はそれを認めたくなくて。
偶然その場に現れた迅に縋り、応えてくれなかった彼に八つ当たりの感情をぶつけた。
これは、それだけの話だったのだ。
「でも、その場でお前の未来が視えたんだ。あそこで俺が何も言わずに立ち去れば、お前は近界民への憎悪と俺への敵愾心で成長して、ボーダーに大きく貢献する人間になる未来が。だから、お前は俺を恨んで良いんだ。結局、お前の想いを目的の為に使った事は事実だから」
迅はそう言って、頭を下げた。
そして。
「────────すまない。俺は、お前を利用した」
何処か自罰的に、迅は三輪に対する長年の負い目を告げた。
ずっと、謝りたかった。
あの時の自分は冷静ではなかったとはいえ、三輪に対する仕打ちはそんな免罪符で許されるものではない。
失う辛さは、誰より知っているのに。
三輪の心を、未来の為と言って利用した。
それがどれ程罪深い事かは、迅本人が良く分かっている。
だから、罵倒も何もかも覚悟の上だった。
「罵倒なんて期待するな。お前の思い通りになる気はない」
「…………?」
だから。
何処か呆れたようにそう告げる三輪に、迅は面食らうしかなかった。
「……………………お前は、俺を恨んでいないのか?」
「今の話しぶりだと、俺がボーダーに入り易いよう手を回していたんだろうが。お前の思い通りに動いたというのは癪ではあるが、今の立場を手に入れられたのもそういう後押しがあったからだと考えれば、安いものだ」
それに、と三輪は続ける。
「俺は、お前の採点係じゃない。自傷がしたいなら、一人でやってろ」
だから罵倒なんてしてやらない、と三輪は告げる。
話は終わりだとばかりに三輪は踵を返し、屋上の出口へ向かう。
そして。
「────────迅。やるからには、しくじるなよ。必要なら、手も貸してやる。言いたい事は、それだけだ」
三輪はそう言い残し、屋上を去って行った。
迅はその後姿を見ながら、苦笑し。
安堵の息を、漏らした。