痛みを識るもの   作:デスイーター

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小南桐絵⑤

「取り敢えず、これで今回の問題は解決か」

 

 ボーダー本部、司令室。

 

 そこに集まった城戸と忍田、そして林藤は共に顔を見合わせながら深く息を吐いた。

 

 一人の近界民を巡る、一連の騒動。

 

 それに一応の終着が見えたのだから、安堵するのも当然といえば当然だろう。

 

 各々の頑張りの成果もあって、悪くない落としどころになったのだから。

 

「ま、迅としても肩の荷が一つ下りたろ。いや、()()かな」

「それは、風刃の事を指しているのですか?」

「ああ、今回の件はあいつにとっても良い区切りになったって事だろ。あんだけ執着した風刃を、自分から手放す切っ掛けとしてはな」

 

 林藤は忍田にそう返し、テーブルの上に安置された風刃を見据えた。

 

 その細められた目は、懐古と────────────────何処か、充足を感じられた。

 

「あいつにとって、最上さんは────────────────風刃は、特別だった。玲奈が黒トリガーになっちまってから、あいつの心の支えになれるのはあれしかなかったからな」

 

 迅は過去に幾度も、喪失を経験している。

 

 その中でも、師である最上と懸想していた玲奈の死は彼にとって特に重い。

 

 他の面々が亡くなった時も相応にショックは受けていただろうが、関係が深かった者の死というのは受ける影響が段違いになる。

 

 この二人の死が、迅の心を大きく軋ませた事は言うまでもない。

 

 そんな中、迅が縋る事が出来たのが師の形見────────────────彼にとって、師の分身のようなものだった風刃だけだったのだ。

 

 黒トリガーは、遺された者にとっては棺と同じ意味を持つ。

 

 玲奈の棺である黒トリガーが七海の右腕となっている以上、迅が常に傍に置く事が出来たのは風刃しかなかったのだ。

 

 風刃は迅にとって強力な武器である以上に、ボロボロになった心を支える唯一の拠り所でもあった。

 

 だからこそ風刃の争奪戦の際には鬼気迫る執着を見せたし、常に手元に置いていた。

 

 けれど。

 

 今回迅は、その風刃を自ら手放す選択をした。

 

 他ならぬ、彼自身の意思によって。

 

 未来を変える為に止むを得ずに行った、という面もなくはないだろう。

 

 だけど、決してそれだけではない。

 

 迅は自分の意思で、風刃を手放すべきと考えて実行に移した。

 

 それが出来たのはきっと、彼がようやく大切な者達の死を正面から受け入れられたからだ。

 

 それまでの迅は黒トリガーという故人の分身とも言えるものを傍に置く事で、辛い事から────────────────大切な人の死から、目を背けていた。

 

 黒く小さな冷たい棺をその手に抱え、未来(かこ)だけを見続ける事で過去(げんじつ)から目を逸らしていた。

 

 そうしなければ、心を保っていられなかったから。

 

 けれど、迅は七海との一件を経て現実と向き合い、本当の意味で未来に進む決断を下した。

 

 だからこそ、過去の象徴である風刃を手放すべき、と考えたのだろう。

 

 これまで停滞させ続けて来た心にけじめを付ける為に、その契機として風刃を手放した。

 

 その事が。

 

 迅がその決意に至る事が出来た事が、林藤は嬉しかったのだろう。

 

 これまでずっと、過去に囚われ燻り続けていた迅を見て来たのだから。

 

「俺は実を言えば、あいつが風刃を持つ事にゃあ反対だった。玲奈を失って自棄になったあいつが緊急脱出機能のない黒トリガーを、まして最上さんの形見のそれを持ってたら、いつか何処かで死んじまう。その可能性は、決して少なくなかったからな」

「……………………そうだな。以前の迅であれば、風刃と自分の命を秤にかけて後者を取ってしまう可能性もあっただろう。その点は、林藤と同意見だ」

「彼は、自分を蔑ろにし過ぎる傾向がありますからね。確かに、そういった危険性はあったと思います」

 

 加えて、緊急脱出機能のない黒トリガーを自分の命を軽視する傾向にある迅に持たせ続けるのは危険だと考えていた事もある。

 

 以前の迅は自分が犠牲になる事で最善の未来に繋がる可能性があるのなら、躊躇なくそれを実行してしまいそうな怖さがあった。

 

 それは彼が最上も玲奈もいない世界で生き続ける事そのものが苦痛であった事の証左でもあり、彼の危うさの根源でもあった。

 

 以前の迅を形成していたのは玲奈の遺志に縋る事で何とかこの世界を愛そうという強迫観念であり、それがなければとっくの昔に何もかも放棄しまっていた可能性も捨てきれない。

 

 そういう意味で玲奈の遺志を継ぐ事は本人が生きる為に必要な工程でもあったのだが、裏を返せばそれは彼自身の命よりも優先すべき事柄である、という事になる。

 

 そんな精神状態の迅に、緊急脱出機能のない風刃を持たせ続ける事が如何に危険か。

 

 それを理解していながら、風刃を無理に取り上げれば迅が壊れてしまう事も分かっていたが為に林藤は何も言えなかった。

 

「けど、今の迅はもう大丈夫だ。ちゃんと自分の事も勘定に含めるようになっていたし、前みたいに強迫観念で行動しちゃいない。あいつはもう、未来(さき)を見据える事が出来てるよ」

「林藤がそう言うのなら、大丈夫なのだろう。風刃に関しては、特別な配慮をする必要はないな?」

「ないと思うぜ。むしろ、適合者に風刃の使い方を教えるっつってたしな。あいつなりにけじめは着いたし、後は俺らがどうこうする事じゃないよ」

 

 こういうのは、本人の問題だろ? と林藤は笑みを浮かべた。

 

 確かに、彼の言う通り風刃の件は迅の心の在り様の問題だ。

 

 本人が未だに執着しているならばともかく、そうでないなら余計な真似は野暮というものだろう。

 

 その事に異を唱える者は、此処にはいなかった。

 

「だが、まだ近く起こる大規模侵攻という最大の問題が残っている。気は抜けんぞ」

「言われるまでもありません。今後も迅と協力して、出来る限りの準備を行いましょう」

「遊真も協力してくれるみたいだし、忙しくなるな。だからといって、投げ出しはしないけどよ」

 

 三人はそう言って気を引き締め、次の議題に移った。

 

 そんな彼等を、見守るように。

 

 差し込む灯りに照らされた風刃が、鈍い光を放っていた。

 

 

 

 

「お帰りなさい。上手くいった?」

「当然。七海達にも、随分助けられたよ」

 

 玉狛支部。

 

 そこへ七海と那須を連れ立って帰って来た迅は、出迎えた小南に笑顔でそう告げた。

 

 今夜起きた争奪戦の事は、既に支部の面々には周知してある。

 

 というよりも、小南が迅を押し切って伝えるよう促したのだ。

 

 迅は修や遊真に伝えるべきか多少迷っていたが、そこは小南が問答無用で「いいから伝えなさい」とごり押した。

 

 彼女曰く、「こういうのは早めに知っといた方が良いのよ」との事だが、迅も強く反対する理由はなかった為支部の面々に話を通す事にした。

 

 話を聞いた修と千佳は驚き、遊真は得心し、レイジと烏丸は迅を案じた。

 

 特に、風刃を手放す件に関しては彼の事情を知る者達から心配された。

 

 だけど、迅が強がりでもなんでもなく、自分の意思で風刃を手放す事を決めていた事を理解し、レイジ達も引き下がった。

 

 七海は最初から迅の意思であれば反対しないと決めていたし、那須は七海がそう言っている以上自分が口出しする事ではないと割り切っていた為その場はそれで収まった。

 

 そして、今。

 

 迅の腰から、風刃がなくなっている。

 

 それは。

 

 彼が、有言を問題なく実行した証明である。

 

 その迅の姿を見た小南はなんとも言えない表情をしつつも、彼の背中をバシン、と叩いた。

 

「色々言いたい事はあるんでしょうけど、明日にしなさい。アンタ、随分疲れてるじゃないの」

「いや、俺は…………」

問答無用(いいから)休みなさい。文句あるなら瑠花を呼ぶわよ」

 

 遂には瑠花の名前まで持ち出され、迅は「それは勘弁」と大人しく小南に従った。

 

 修達からすれば色々聞きたい事はあるのだろうが、小南がこうなっている以上口出しすればどうなるかは明白だ。

 

 大人しく引き下がる事を即断し、けれど最大の懸念は流石に聞いておきたかったので。

 

 一つだけ、尋ねた。

 

「迅さん。空閑の入隊の件は…………」

「勿論、OKを貰ったよ。詳しい話は明日するから、心配しないで」

「ホラ、さっさと行く…………!」

 

 修が望んだ答えを聞いて安堵する中、迅は小南に急かされてその場を去って行った。

 

 その様子を見た七海と那須はやや圧倒されながらも、レイジに目を向ける。

 

 その視線の意図に気付いたレイジは深く溜め息を吐き、頷いた。

 

「……………………取り敢えず、泊まっていけ。もう、夜も遅いからな」

 

 

 

 

「うおっと」

 

 迅は強制的に自室に押し込まれ、同時に小南が部屋の鍵をガチャン、と閉める。

 

 その行動に迅が文句を言う前に、小南は迅をベッドに叩き込み、その隣に腰を下ろした。

 

 突然の行動に啞然とする迅を尻目に、小南はふぅ、とため息を吐いた。

 

「で? アンタ今大丈夫なの?」

「いや、大丈夫だって。これは前から決めていた事で────────」

「決めてたからって、今まで当たり前のように持ってたものを手放して何も感じてないワケないでしょ。アンタ、メンタルよわよわだし」

 

 小南はそう言って、迅をジト目で睨みつけた。

 

「アンタが無茶する癖があるのは、ずっと前から知ってるわ。七海に説教されてマシにはなったけど、無理してるのを隠そうとする癖は変わらないわよね」

「そんな事は…………」

「無い、なんて言わせないわよ。けじめだとか良い機会だとか言ってたけど、それはそれよ。風刃(最上さん)を手放して、アンタが平気なワケないでしょうが」

 

 小南はそう断言し、迅はそれに反論出来なかった。

 

 城戸や忍田は迅の成長を喜び、林藤は迅の安全が確保された事をこそ喜んだ。

 

 それは前提として変化を望む大人だからこその視点であり、彼の意思を最大限に尊重したが故の考えでもある。

 

 だが、小南の視点はそれとは違う。

 

 彼等が究極的には俯瞰的(マクロ)な視点で物を見ているのと違い、小南は主観的(ミクロ)な視点で見ていたからこそ迅が平気なワケがない、と断定した。

 

 確かに、迅は覚悟を決めたのだろう。

 

 自分が現実と向き合う為の良い契機だとして、風刃を手放した。

 

 その事自体に、嘘はない。

 

 けれど。

 

 理屈で納得しているからといって、迅が何も感じていない、という事は有り得ない。

 

 だって、小南は。

 

 迅が、それが出来る程強い人間ではないと────────────────誰よりも、識っているのだから。

 

 小南だけなのだ。

 

 四年前のあの日。

 

 失意と絶望に沈み、外面を取り繕う余裕さえなかった。

 

 玲奈を失ったばかりの、迅の姿を見たのは。

 

 七海はあの時気を失っていたし、那須もまた彼の事しか考えられなかっただろう。

 

 だから。

 

 あの日。

 

 正面から迅の顔を見ていたのは、小南だけなのだ。

 

 だからこそ、分かる。

 

 今の迅は、虚勢を張っていると。

 

 風刃を手放した事を後悔している、というワケではない。

 

 むしろ、その事を自分で納得させる為に、冷却期間を置いている。

 

 迅本人の認識は、そんなところだろう。

 

 だが。

 

 小南は、こういう時迅に一人でいさせるのは悪手だと知っている。

 

 迅は元々、能力の影響もあって悲観主義的な部分が大きい。

 

 加えて、自己犠牲的な面が強い。

 

 特にそれは自分だけで物事を解決しようとする際に強く出るので、一人で考えさせても碌な事にならない。

 

 だからこそ、必要なのだ。

 

 今、彼に寄り添う者が。

 

 それは、きっと。

 

 同じ喪失の痛みを識る、小南だけにしか出来ない事だ。

 

 少なくとも小南自身はそう思っているし、これは誰にも否定させない彼女だけの権利だ。

 

 琉花には悪いが、今日は自分に譲って貰う。

 

 そう意気込んで、小南は迅にぎゅっ、と抱き着いた。

 

「寂しいなら、寂しいって言っていーのよ。此処なら誰も見てないし、誰にも聞こえないわ」

「小南がいるじゃん」

「あたしはいいの。あたしは「他の誰か」じゃないし」

 

 なにその屁理屈、と迅は苦笑するが、今更逃げる事はしない。

 

 小南の気遣いは揺れる心音から痛いほど伝わって来たし、迅自身風刃を手放して寂しい、という感情をようやく自覚出来た。

 

 腰が寂しい。

 

 言葉にすればそれだけだが、これまで当たり前のようにあったものが手元からなくなった、というのは想像以上に堪える。

 

 それを、小南の指摘でようやく理解した。

 

 風刃は、確かに迅の心を過去へ縛り付けてはいたが。

 

 同時に、彼の心の支えであった事もまた事実。

 

 故に、寂しいと考える事はむしろ当然。

 

 人は、ちゃんと悲しみを抱く権利があるのだから。

 

「最上さんがいなくなって寂しい分、今日はあたしが一緒にいたげるわよ。あたしの添い寝なんてそうそう経験出来ないんだから、感謝してよね」

「いやあ、これまでにもちょくちょくあったような」

「うっさい。黙って寝てなさい」

 

 問答無用、といったていで小南は迅をベッドに寝かせ、当然のように自分もその隣に寝転んだ。

 

 そのままくるっと迅の方を振り向き、にかっ、と笑みを浮かべた。

 

「大丈夫よ。アンタの未来は、ちゃんと動き出してるからさ」

「────────参ったな。これは一本、取られたかもだ」

 

 満面の笑みを浮かべる小南を見て、迅は苦笑する。

 

 そして、これまでの疲れもあって迅はすぐに眠りに落ちていく。

 

 自分を抱き締める、旧知の少女の温もりに包まれながら。

 

 二人は、眠りに着いた。

 

 その顔に。

 

 安らいだ笑みを、浮かべながら。

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