「さて、やるわよ」
香取はやる気充分、といった感じで拳を握り締める。
此処は、玉狛支部の訓練場。
香取と遊真は、模擬戦を行うべくこの場所に足を踏み入れていた。
既に香取はトリオン体になっており、遊真もそれは同様だ。
但し。
遊真のそれは、
即ち、黒トリガーを使用した姿であった。
「確認するけど、ホントにいいの? おれが、
「その為にこんなトコまで来たんだから、当たり前じゃない。むしろ、そうでないと意味がないのよ。アタシが手に入れたいのは、格上相手との戦闘経験なんだから」
「へえ」
遊真は香取の返答に、興味深げに笑みを浮かべる。
香取は、模擬戦を行う上で一つ条件を付けてきた。
それは、遊真が黒トリガーを使用する事。
普通に考えれば、勝率を下げるだけの行為である。
黒トリガーの力を知らないのならばともかく、香取はその身を以てそれを理解している。
風刃を持った迅との戦いで、黒トリガーの脅威は承知の上。
にも関わらずそれを使用した戦いを望んでいるのは、偏に経験値を稼ぐ為だ。
香取は今回の木虎の一戦を経て、自分にはまだまだ格上相手との戦闘経験が足りないと思い知った。
これまでも風間や太刀川といった実力者にランク戦を挑んではいるが、彼等の実力は積み重ねた技術に依るもの────────────────即ち、
対して、黒トリガーは文字通り
個々で性質が異なり、その能力は黒トリガー故の脅威的な出力も相俟って初見殺しの要素が非常に高い。
そして、本物の戦場ではランク戦と異なり
近々起こると言う大規模侵攻においては未知のトリガーを相手に戦う事になり、如何なる初見殺しを食らおうとその場で対応する能力が求められる。
まず、どんな能力が相手であろうと瞬殺されないだけの機転は必須。
その場の接敵で勝てずとも、最低限有用な情報を持ち帰るだけの粘りは見せなければならない。
そういった相手に対応するには、既存のトリガーを使用した熟練者のみを相手にするだけでは不足だ。
正しく
それが、必要なのだ。
そういう意味で、遊真はうってつけの存在と言えた。
既にタネが割れた風刃とは異なる、未知の黒トリガーの使い手。
そして、近界民故の多種多様な戦闘経験の持ち主。
そんな相手に、都合良く戦う機会が巡って来た。
この好機を活かさずして、どうするというのか。
(絶対、今回の経験を糧にしてやる。役に立って貰うわよ、
負けて元々、とは思っていない。
だが、どんな結果になろうが経験だけは持ち帰る。
香取は、その意気を込めて、遊真を睨みつけた。
(いいね。楽しそうだ)
その視線を受けて、遊真はニヤリと笑みを浮かべた。
自分に対する敵意を隠しもせず、「利用してやる」と言外に叫んでいるその姿勢は嫌いではない。
きっと彼女は、近界民を快く思っていないタイプの人種だろう。
その証拠に、修達からは感じられなかった
まあ、当然といえば当然だ。
この世界の人間にとって近界民は忌むべき
彼女自身かその身内が近界民に被害を受けているのだとすれば、この感情も当然だろう。
だが決して、香取はその感情に振り回されてはいない。
それはそれとして、遊真が自分にとって有益な相手であると判断してこの場に臨んでいる。
その割り切りは、傭兵をやっていた遊真から見ても好ましいものだった。
傭兵などというものをやっていれば、敵味方が目まぐるしく変わるなんてのは日常茶飯事だ。
昨日まで同じ釜の飯を食っていた相手と、次の日には命のやり取りをする事もある。
敵味方なんてものは、雇い主次第で幾らでも変わる。
自分がそうであるように、いつ誰に刃を向けられてもおかしくはない環境。
それが傭兵の宿痾であり、それを理解出来なかった者から死んでいくのだ。
そういう意味で、香取の割り切り方は遊真からしても慣れ親しんだそれだ。
彼女からは歴戦の兵から感じるような圧はないが、それでも才気に溢れた空気を醸し出している。
傭兵風に言うならば、初陣上がりの期待の新兵、といった風情だ。
負けるとまでは思わないが、少なくとも退屈はしなさそうである。
元より修と迅の頼みである為引き受ける事は吝かではなかった遊真ではあるが、これなら力を見せるのに不足はない。
そう感じて、遊真は思考を即座に完全な戦闘モードに切り替える。
「…………!」
途端、遊真の変化を感じ取った香取がびくり、と反応した。
遊真の纏う空気が浮世離れした子供のそれから、歴戦の兵士のものへと変わる。
その気配を、香取は知っている。
迅悠一。
昇格試験で相対したあの黒トリガーの使い手の纏うそれと、同一。
本物の戦場を識る、命のやり取りに慣れた殺伐とした空気。
即ち、無機質な
相手を倒してやろう、打ち負かしてやろう、といった闘争心は、誰しもが持っているものである。
そういった者達は戦いとなれば昂揚し、攻撃に感情が乗るものだ。
だが、遊真のそれはそういったものとは違う。
機械的に、如何に効率的に相手を
そういった、淡々とした静かな殺意。
それが、迅や遊真といった戦場を識る者が持つ凄みの正体である。
香取は、それを感じて。
(上等…………っ!)
より一層、奮起した。
格上なのは、承知の上。
だからこそ、挑む意義がある。
香取はその手にスコーピオンを携え────────。
「え…………?」
────────その瞬間には、遊真の手で頭部を吹き飛ばされていた。
何が起こったのかは、言うまでもない。
既に役目を終えて消えていく、空中に残る「強」の文字の残滓がそれを物語っている。
戦闘開始直後、香取は遊真の一撃を受けて落とされた。
ただ、それだけの話なのだから。
「実戦形式が良いみたいだし、構わないよね?
「…………! 上等じゃない。次、行くわよ」
香取は遊真の言葉に舌打ちしつつ、修復が終わったトリオン体で再び武器を構えた。
そして。
そのまま、第二ラウンドを開始した。
「香取先輩相手でも、此処まで一方的なのか…………」
修は二人の模擬戦を見ながら、感嘆の息を漏らした。
遊真が強いのは、承知していた。
まともに彼の戦闘を見たのはバムスターの一件と廃駅での戦いくらいだが、A級隊員である三輪隊の面々を七海の協力があったとはいえ一方的にやり込めた姿は記憶に新しい。
A級である三輪や米屋相手に勝利を収めているのだから、B級である香取が勝てないのは当然────────────────とは、思わない。
修は、香取の試合をログで目にしている。
確かにA級隊員と比べれば粗があるかもしれないが────────────────それでも、木虎と相打った件を鑑みれば格上に勝つ芽がない、とはとても言えないだろう。
だが、その香取を遊真は完全に翻弄していた。
環境の問題、というのもある。
彼等が戦っている訓練室は何もない広い空間であり、香取が得意とする壁や障害物を利用した三次元機動は行えない。
それは遊真にも言える事なのだが、彼はそれを黒トリガーの出力と手札の多さでカバーしていた。
遊真の黒トリガーの能力は、他のトリガーのコピー。
風刃のような一点特化型ではなく、万能型とでも言おうか。
相手の能力をコピーする、という手間を挟む必要があるが────────────────その汎用性は、他の追随を許さない。
まず、トリオン体を強化し膂力やトリガーの性能を上げる
先ほどから主に遊真はこれを用いており、その出力に香取は対応し切れていない。
速く、重い。
単純明快な分、それは強い。
これが入り組んだ地形であれば、まだやりようはあっただろう。
だが、障害物がなく利用出来る地形がない訓練室では逃げ回るのにも限度がある。
加えて、シールドを張っても
更に鉛弾の欠点であった弾速の低下や射程距離の限界といったものも黒トリガーの出力で強引に補強しており、アステロイドのコピーである
戦績は、既に5:0。
勝敗が決まっても10本全て行う、という条件である為続行しているが、これまで香取は一度たりとも遊真に有効打を与えられていないのが現状であった。
「条件が悪過ぎたな。これなら、狙撃手用のやつを貸してやれば良かったか」
「何言ってんのよ。地形が悪いとか、関係ないでしょ。遊真なら何処でやっても、香取ちゃんには勝てるわ。何せ、あたしが教えてるんだからねっ!」
香取が一方的にやられている原因をMAPの不利にあると言及したレイジに対し、小南はふんすっ、とここぞとばかりに弟子アピールをする。
先日から遊真の師匠となった小南は、彼が無双している現状が嬉しくて仕方ないらしい。
身内カウントした相手には甘くなる玉狛の人間らしい挙動だが、そこで隣で観戦している染井に気付いてあ、と冷や汗を流す。
小南の発言は身内贔屓全開のそれであったが、聞きようによっては香取を馬鹿にしているようにも取れる。
それを、香取の身内である染井がどのように受け止めるか。
今更になって小南はその事に気付き、ばつの悪そうな顔をした。
「あ、ごめんね。別に香取ちゃんを馬鹿にしたワケじゃなくて」
「構いません。葉子が彼より弱いのは、事実ですから」
染井は小南の謝罪に普段通りの無表情で答え、それに、と続けた。
「こうなるのを分かっていて黒トリガーを使用しての模擬戦を願い出たのは、葉子の方ですから。文句を言う筋合いは、無いと思います」
「そっか。やっぱり、木虎ちゃんに勝てなかったのが原因?」
「それもありますが、葉子自身力不足を感じていたんでしょう。近々、大規模侵攻が起こるという事もありますし」
そこまで言うと染井は小南の方に向き直り、しばしの逡巡の後口を開いた。
「私達は、四年前の大規模侵攻の被害者です。葉子は家を失って、私は両親も失いました。だから、もう一度あれが来ると聞いて黙っている事は出来なかったんだと思います」
「……………………そっか。華ちゃん達も、あたし達が取りこぼしちゃった一人なんだ。あたし達の事、恨んでる?」
「いえ、当時は戦力が充分でなかった為に対応力に欠けていたらしいですし。むしろ、貴方たちがいなければもっと酷い事になっていたと思いますから」
恨んでいません、と染井は答えた。
この場に遊真はいない為、その言葉が本心かどうかは分からない。
だけど、少なくとも三輪のような極端な感情を抱いているワケではなさそうだ。
それでも、と小南は思う。
香取と染井は、自分たちが取りこぼしてしまった者達の一人なのだ。
迅ほど背負い込むワケではないが、何も感じていない、と言えば嘘になる。
確かに、仕方のない面はあっただろう。
だが、自分たちは当事者だった。
あの日、誰かに手を差し伸べられた立場にいたのは────────────────自分たち、旧ボーダーだけなのだ。
染井達は、そんな自分たちが手を差し伸べられなかった無数の人間の一人でしかない。
しかし、こうしてその事を知らされて、心穏やかでいられる程小南は鈍感ではない。
もしかすると、香取を軽んじられた意趣返しだったのかもしれないが────────────────そうであっても、甘んじて受ける義務が自分にはある。
そう考えて、小南は染井の眼を正面から見据え直した。
「じゃあ華ちゃんは、遊真の事はどう思ってるの?」
「その前に、一つ聞いてもいいですか?」
「なに?」
「人型
「……………………そうよ」
染井の質問を、小南はそう言って肯定した。
それを聞き、染井は矢張りですか、と得心したように頷く。
自身の仮説が、間違っていなかった事を確信して。
「つまり、近界民とは文字通り近界という異世界に住む人間であって────────────────言うなれば、交流の手段が乏しく技術格差がある為に侵略という手段が目立つだけの外国人、という事ですね?」
「その通りだ。よく、その結論に辿り着いたな」
レイジの称賛に、染井はいえ、と謙遜する。
「あの遊真って子を見る限り、浮世離れした空気は感じますが普通の人間に見えます。それに、そう考えれば色々と辻褄が合います」
だってそうでしょう、と染井は続ける。
「トリオン兵は、人間を近界に攫います。なら、攫った先でその人達を
それに、と染井は顔を上げる。
「
「確かに、お前の言う通りだ。そのあたりが、事実を公表しない理由でもある」
「仕方がない事だと思います。ただでさえボーダーは軍隊としての性質が強いので、相手が人間だと分かればマスメディアも対応を変えて来るでしょうから」
染井の言う通り、ボーダーは色々言葉を濁しているが実態は私設軍隊としての性質が強い。
政府公認というワケでもないのだから、余計な横槍を入れる隙を見せるべきではない。
そういった組織としての立場も、染井はどうやら理解しているようだ。
このあたり、理論的に物事を考える癖の付いた彼女らしい視点と言える。
「ですので、あの子の立場はこちらに協力的な姿勢を持った異世界人、というものでしかないんだと思います。明確に敵対する立場でないなら、私から言う事は何もありません」
それに、と染井は薄っすらとその口元に笑みを浮かべた。
ほんの僅かな、些細な笑み。
それは────────。
「葉子は、何も出来ずに帰る事はしないと思います。あの子は頑固で意地っ張りだけど────────────────やる事が決まりさえすれば、迷ったりはしませんから」
────────────────友を信頼するが故の、彼女なりの身内贔屓。
このままでは終わらない、という。
一つの、宣誓だった。