「スパイダーを教えて欲しい?」
それは、修が木虎に師事して数日後の事。
嵐山隊の所有する訓練室にて、彼女の指導を受けていた時の事だった。
木虎の指導は、主に実戦での動き方についてである。
基礎的な訓練は烏丸の方で担っている為、木虎は修に実戦における判断力────────────────機転の
時には木虎が修と同じトリガーセットを用いて彼と戦い、どうすれば持っている手札を巧く扱えるかを実地を交えて指導していたのだ。
A級隊員としての経験は伊達ではなく、木虎の戦場における判断力はかなりのレベルにある。
それを直に教えられているのだから、修にとってこれほどありがたい事はない。
修に圧倒的に足りていないもの────────────────即ち、戦闘経験を疑似的に体感しながら、木虎の鋭い意見で都度考えを修正していくのだ。
木虎の頼りにされたいという欲求と修の目的の為なら幾らでも頭を下げるし何を言われようが前を向く事を止めないという性質が合致し、巧く嵌まった結果と言える。
今日もまた、そんな木虎の指導を受けていた修だが。
修は木虎との訓練メニューを一通りこなした後、こう言ったのだ。
「スパイダーの詳しい使い方を教えて欲しい」と。
それを聞いた木虎は、少々訝し気な顔をしながらも修にその真意を尋ねた。
彼が、意味のない事を言う事はないだろうと考えて。
「ああ、前々からスパイダーに関してはどうにか使えないかと考えていたんだ。ランク戦で使われたのは見ていたけど、木虎は自分でスパイダーを使ってるだろ? だから、教えて貰うなら木虎が良いと思ったんだ」
「ふぅん。ちなみに、なんでスパイダーに興味を持ったの?」
「あれなら、ぼくでもチームに貢献出来ると思ったからだ」
「へえ」
修の返答に、木虎は何処か嬉しそうに口元を釣り上げた。
これで見当外れな事を言うようならこの話は此処までにするつもりであったが、これなら話を聞いてやっても良さそうだと木虎は判断した。
確かに、スパイダーであれば修にとって有用な
「ぼくは、弱い。トリオンは低いし、お世辞にも戦闘能力が高いとはとても言えない。個人戦なら、B級相手に勝つ事は難しいだろう」
でも、と修は顔を上げた。
「チーム戦なら、何もぼくが得点を取る必要はないんだ。チームをサポートして、チームメイトに点を
「空閑くんだけ…………? 確か、雨取さんって子もチームにいるんでしょ? 狙撃手がいるなら、ポイントゲッターが空閑くんだけって事はないでしょう?」
「いや、駄目なんだ。千佳は、人が撃てない。ポイントゲッターには、なれないんだ」
修は、木虎に自分の部隊の最大の弱点である事実を打ち明けた。
此処が嵐山隊の訓練室であり、この場にいるのが彼女だけという事もある。
話しても彼女なら口外はしないだろうという程度には、修は木虎を信頼していた。
まだ付き合いは短いが、彼女が負けず嫌いで少々棘が多くとも、誠実な人間である事はよく知っている。
それに、A級のしかも広報部隊として多忙な嵐山隊のエースである彼女を自分の事情で時間を取って貰っているのだ。
こちらの事情を明かさなければ、フェアでは無いだろうとの考えが修にはあった。
「成る程、鳩原さんと同じか。無いものねだりをしても仕方がないし、だからこそスパイダーってワケね」
木虎は千佳が人を撃てない事に文句を言うのではなく、それなら修の考えも分かると評価した。
人を撃てない理由については分からないし敢えて聞く気もないが、それについてはチームメイトが付き合うべき問題だ。
指導を請け負ったとはいえ、踏み込むべきかそうでないかのラインはきちんと見極めている。
木虎はそのあたり、とてもシビアな価値観を持っているのだ。
親身にもなるし、相談を受ければ必要なら応じる。
だが、相手が望まないお節介まで焼く気はない。
時に優しさは、人を腐らせる毒にしかならないという事を。
彼女は、知っているのだから。
「ああ、ぼくがスパイダーで空閑をサポートして、千佳が砲撃で地形を変える。これが安定して出来るようになれば、大分違うと思うんだ」
「ふぅん。どうやら、スパイダーの
木虎は感心するように、笑みを浮かべる。
それを受けて、修はこくりと頷いた。
「スパイダーは、ぼくが非力でも関係が無いからね。罠を張る事に専念して、後は作り上げた有利な地形で空閑を暴れさせれば良い。それに」
「────────スパイダーは、仮に三雲くんが落ちても戦場に残り続ける。この点も、無視は出来ないわ」
木虎は修の答えに満足し、そう補足した。
彼女の言う通り、スパイダーは一度展開すれば物理的に排除されるまで戦場に残り続ける。
罠を張る過程で仮に修が落とされたとしても、彼が築き上げたワイヤー地帯は消えはしない。
その点も、トリオンが低く落とされ易い修にとってうってつけと言えた。
「木虎…………」
「いいわ、スパイダーの使い方。一から、叩き込んであげる。私の体験も交えて、色んな使い方を教えてあげるわ」
木虎はそう告げ、にこりと笑った。
「巧く嵌まれば、格上だって殺せるようになるわ。非力でも勝者になり得るんだって事、証明してやろうじゃない」
(勝てた。木虎のお陰だな)
修は今でも信じられない面持ちで勝利の結果を受け入れながら、内心で木虎に感謝した。
今の勝利は、彼女の指導なくしては有り得なかった。
勿論、烏丸の基礎訓練で拙いながらも技術を磨いた事も無関係ではない。
それがなければ、そもそも勝負の土台にすら立てなかったのだから。
だが、より直接的に勝利に貢献したのが木虎の指導である事も間違いではない。
彼女にスパイダーの扱い方、特に開けた地形でどう使うか、を教わっていなければ風間には勝てなかっただろう。
烏丸の基礎訓練による、地力の向上。
木虎の指導による、スパイダーの習得。
そして、七海に教わった置き弾の技術とその使い方。
それらがなければ、きっとこの勝利は有り得なかった。
間違っても、実力で風間に勝てただなんて思ってはいない。
彼等の助けがあったからこそ、この結果がある。
修は、それを改めて噛み締めていた。
「まさか、スパイダーとはな。木虎に教わったのか?」
「はい、彼女に教えを受けました。少し前から、指導を受けていたので」
「そうか。だが、それだけではないな? あの腕を蹴り上げて目晦ましに使ったのは、七海の真似か?」
「あ、はい。七海先輩の試合は見ていたので、参考にしました」
風間の問いを、修はそう言って肯定した。
確かに、七海はROUND5において切り離された自分の腕を蹴り飛ばして武器に使う、という運用をした。
自分の身体の一部さえも武器と看做すその冷徹さは七海らしいと風間は評価していたのだが、まさかそれと同じ事を修がやるとは思わなかった。
七海の場合はスコーピオンがあった為に切断された腕を疑似的な柄にしていたのでまだ分かるが、修は自分の腕を完全に一個の障害物と看做す運用で風間の虚を突いた。
その機転に、確かな七海の影響を感じ取った風間であった。
「三雲。俺は、迅から詳しい事は聞いていない。だが、あいつと七海は、ようやく前を向こうとしている。そしてどうやら、お前はあいつ等が望む未来に必要な人材らしい」
風間は不意に真剣な表情になり、修にそう告げた。
修はこくりと頷き、風間の言葉を傾聴している。
これが、風間なりの激励であると考えて。
「分かっているとは思うが、お前は弱い。だが、自分の弱さを自覚していてそれすら武器にしようという気概は────────────────俺は、嫌いじゃない。そんなお前だからこそ、やれる事があるんだろう」
だから、と風間は続ける。
「お前は、お前のやれる事をやれば良い。それが、あいつ等の為にもなる。無意味な無茶はするなよ。考えて動け。俺から言えるのはそれだけだ」
「はい、ありがとうございます」
風間の激励に、修はそう言って頭を下げた。
それを見て風間は薄く笑みを浮かべ、ぽん、と修の肩を叩いた。
「だからといってあまり気負うな。あいつ等も別に、お前のしかめ面を見たいワケじゃないだろう」
風間の言葉を受け、修は。
こくりと頷き、笑みを返した。
「ぼくはぼくのやれる範囲で、出来る事をするつもりです。それが、あの人たちへの恩返しだと思いますから」
「おいおい、風間に勝っちまうとはな」
「大金星ですね。いやあ、凄い子が入って来ましたね」
試合を見ていた諏訪は、風間の強さを良く知るが故にそれに一矢報いて見せた修の姿に驚いていた。
散弾の発想とそこからの作戦には驚いたが、それでも傷の一つでも付けられれば御の字だとは思っていた。
だが実際は、スパイダーという隠し玉と置き弾という切り札を用いて勝利を得た。
それまでに24回も負けてはいるが、それでもあの風間に勝ったという事実は消えはしない。
この場にC級隊員は空閑を除いていないが、風間と修が試合をする事自体は知られている。
人の口に戸は立てられぬ以上、遅かれ早かれこの事は広まる筈だ。
そうなれば、余計なちょっかいをして来る輩も出て来るだろう。
何にせよ、今後も波乱とは縁がありそうだ。
(同情するぜ。どんな事情があるかは知らねーが、色々苦労するんだろうな。まあ、何かあれば気にかけてやっか。
「風間さん、あんなのに負けてちゃ駄目でしょ。最後、手加減したんじゃないですか?」
菊地原は風間が戻って来て開口一番、不機嫌そうにそう告げた。
口元はへの字になており、ジト目で風間を見る様子は明らかに拗ねている事が丸わかりだった。
それだけ、敬愛する風間が傍から見ても弱過ぎる相手に負けたのが我慢ならないのだろう。
身内相手には一種の独占欲を見せる、菊地原らしい嫉妬であった。
「手を抜いたつもりはない。結果として負けただけだ。言い訳はしない」
「もう、しっかりして下さいよ風間さん」
「まあまあ、風間さんだってそういう事もあるさ」
ぶうぶう、と文句を垂れ流す菊地原を宥めながら、歌川はそれに、と思案する。
(手は抜いていなかったが、合格ラインを超えたから攻撃を甘んじて受けたんだろうな。本当の意味で本気なら、幾らでもやりようはあっただろうし)
確かに、風間は手は抜きはしなかったのだろう。
だが、本気だったかと問われれば疑問が残る。
もしもこれが形振り構わず勝利を求める戦いであったのならば、恐らく風間は堅実な手のみを打つ。
風間の戦闘スタイルは攻撃特化に見えるが、その本質は膨大な戦闘経験に基づいた類まれな観察眼と優れた機転にある。
最後の攻防も、修の機転が風間の合格ラインを超えたからこそ、真っ向から迎え撃ったのだ。
そうでなければ、腕で視界が塞がれたと同時に固定シールドを張るなどやりようは幾らでもあった。
修にシールドを突破できるだけの攻撃力がない以上、それだけで反撃の芽を封じられるからである。
(もっとも、あくまで仮定だけどな。実際は、それをやっても対応出来た可能性もあるんだし。今更言っても仕方がないな)
勿論、それはあくまで
そうなったらそうなったで修も別の対応をした可能性はあるし、結果として彼が勝利をもぎ取ったという事実は消えない。
言うなれば、今回の風間は試験官だった。
修はその風間の眼から見て、
要は、それだけの話なのだから。
(今頃、烏丸達から褒められてるかな。あれだけ見事に勝てたんだから、師匠としても鼻高々だろうしな)
「最後に一勝したのはいいけれど、24敗は負け過ぎ。本来なら、というか普通にアウトよ。ちゃんと反省しなさいよね」
「あ、ああ」
木虎は開口一番、そう言って修を叱咤した。
確かに、一度勝つ為に24回も負けていては普通にアウトだ。
1回や2回ならまだしも、20回以上も負けて一度勝つというのはどう考えても割に合わない。
ある程度は負けも想定していたとはいえ、傍目から見ればボロ負けと大差ないのだから。
「けど、一度でもあの風間さんに勝てたんだ。そこは褒めてあげてもいいと思うぞ」
「勿論、そこは評価しています。でも、改善点があるなら指摘しないと本人の為にならないと思いますので」
木虎の言い分に、烏丸はふむ、と思案する。
確かに木虎の言う通り、今回修は負けを重ね過ぎた。
普通なら、というか烏丸の眼から見ても今回はほぼ風間による蹂躙だったと言って良い。
あれだけ負け続けたならば、普通は心が折れる。
それを一切気にせずに虎視眈々とたった一度の勝利を掴む為に斬られ続ける、なんて真似が出来る者はそうはいない。
もしもこれが第三者にも公開された試合だったならば、心ない噂が立てられていたに違いない。
修がそういった所に無頓着な分、こちらで気にした方が良いのかもしれない。
木虎も修の事を色々気にかけてくれているんだな、と実感し、少し嬉しくなった烏丸であった。
「けど、風間さんに勝てたのは烏丸先輩の言う通り確かに快挙よ。良く頑張ったわね」
「ああ、木虎や烏丸先輩、それに七海先輩のお陰だよ。木虎達の指導を受けたお陰で、最後の一撃を通す事が出来たんだから」
「実戦で使うのは初めてだった割には、良い線行ってたと思うわ。けど、初見だから通用したという事は忘れないでね」
ふふん、と胸を張りまんざらでもない様子を見せながら木虎はそう告げた。
基本的に自己顕示欲の塊である彼女は、こういった心からの称賛には弱い。
修が何の裏もなく感謝を示して来た事が、彼女の琴線に触れたのだろう。
木虎の第一欲求は他人にちやほやされる事なので、それを容易に満たしてくれる修との相性は意外と悪くないのだ。
初対面さえ拗れなければ、割と良いコンビなのである。
「しかし、本当に驚いたな。まさか、風間さんに勝っちゃうなんてな」
「七海先輩…………」
修は、木虎との会話がひと段落した折を見て話しかけて来た七海を見た。
七海は穏やかな、それでいて少し嬉しそうな目で、修を見据えていた。
「どうやら、よほど木虎の指導が良かったみたいだな。歳も同じだし、割と気が合うんじゃないか?」
「七海先輩、変な邪推は止めて下さい。私はただボーダーの先達として、指導を行っていただけなのですから」
「別に変な意味じゃないぞ。良い師弟だな、って思っただけだ」
「あ…………」
木虎は七海の言葉に自分が勘違いしていた事を悟り、頬を赤らめた。
とうの修本人はキョトンとしており、加えて残念ながらこの場にその手の話題に明るい人物はいない。
故に、木虎が自爆しただけなのである。
もしもこの場に綾辻あたりでもいれば、盛大にからかわれたであろう事は言うまでもないが。
「少し裏技を吹き込んだだけで師匠らしい事はしてない俺と比べれば、雲泥の差だ。木虎は結構、指導者の才能があるのかもな」
「そうですね。他人に教える、というのも中々楽しかったですし。人に教えるのは自分の振り返りにもなりますから、悪くない経験だったと思います」
「その調子で、これからも頼む。俺が教えるよりは、そっちの方が上達が早そうだしな」
七海の言葉は謙遜ではなく、一つの事実だ。
トリオンが多く、格闘センスにも恵まれた七海では修の師として適性が高いとは言い難い。
修と同じくトリオンが低く、相応の能力的な挫折を経験した木虎だからこそ、彼に合った指導を行えるのだ。
こればかりは、素質による相性の差と言える。
七海はそれを正しく理解しているからこそ、木虎に頼んでいるワケだ。
「ええ、途中で投げ出すつもりはありません。これからも、ビシバシ鍛えていきます」
「ああ、頼む。でも、何かあれば手伝うからいつでも言ってくれ。三雲くんも、いつでも頼ってくれて良いからな」
「はい、ありがとうございます。何かあれば、頼りにさせて貰います」
修の返答を聞き、七海は深く頷いた。
そして、ああ、と何かを思い出したようにポン、と手を叩いた。
「そういえば、今夜は玉狛で食事会をするから呼んでおいてくれって頼まれてたんだ。良ければ、木虎もどうだ?」
そう言って、七海は木虎に誘いをかけて。
木虎はこくりと頷き、返答を口にした。