「よう。いつも通り派手にやってるみたいだな」
「迅さん」
北の戦場。
かつては警戒区域の一部であり、廃棄されたとはいえ住宅街が広がっていたそこは────────────────見渡す限り何もない、一面の荒野と化していた。
文字通り、建物と呼べるものが一切存在しない。
かつてそこに街並みがあったなどと、誰が信じるであろうか。
そんな末法の世でしか見られないような光景の中、瓦礫の上に腰かけている少年に迅は声をかけた。
浮世離れした雰囲気を持つその少年の名は、天羽月彦。
ボーダーが擁する規格外の戦力であるS級隊員────────────────即ち、黒トリガーの使い手である。
今は彼一人となった特別な立場に座する彼は、元は同じ立場であった迅に胡乱な目を向けた。
「どうしたの? 迅さんの担当、此処じゃないでしょ?」
「そうなんだけど、実は天羽に頼み事をしに来たんだ。俺の担当分まで、頼めないかな?」
「えー、どうして? めんどいんだけど」
天羽は迅のいきなりの申し出に難色を示し、眉を潜ませた。
まあ、気持ちは分かる。
いきなり「自分の分まで仕事をやってくれ」と言われて、悪く思わない者は少数派だ。
この反応も、当然の結果と言える。
「少し、敵さんの行動が思いの他早くてね。俺が色々やらなきゃ駄目っぽい感じなんだ。あとでハンバーガー山ほど奢ってあげるし、高級チョコもプレゼントするからさ」
「そういう事なら、まあいいよ。約束、忘れないでね」
「勿論。ありがとう、天羽。助かったよ」
自身の好物を交換条件に出されて了承した天羽に、迅はそう言って頭を下げる。
そんな迅を見て、天羽は不意に目を細めた。
「変わったね、迅さん。昔は同じ色だったのに、今はまるで違う人みたい。弱くなったように見えるけど、なんだかそうとも思えないし」
「色々あったんだよ。少なくとも、良い事がね」
「そう。よくわかんないや」
天羽はそれきり興味を失ったかのように立ち上がり、迅が来た西の方角に目を向けた。
「じゃあ、向こうは壊して来るから。迅さんも、やる事あるなら行けば?」
「ああ、そうさせて貰うよ。行って来る」
迅はそう言い残し、その場を立ち去った。
その後姿を見詰めながら、天羽は呟く。
「うん。今の迅さんも、悪くはないかな。寂しいけど、少し嬉しいのかも。あとで、詳しく聞かせて貰おうかな」
『忍田さん。ここから俺は予知をメインで動くから、忍田さんも準備お願い。タイミングはこっちで提示するよ』
人型
忍田はそれを来たか、と目を細め聞き届けた。
この「予知をメインにして動く」という言葉の意味は、戦闘を二の次にしてでも各所を回り未来予知を積極的に使っていく、という意味だ。
迅の未来予知は一度会った相手の未来であれば離れていても予知出来るが、より精度の高い予知を行う為には繰り返し相手に会った方が良い。
加えて、アフトクラトルの人間は迅にとって初対面の相手だ。
彼等の未来を視る為にも、まずはその姿を視認する必要があった。
現在三人のトリガー使いが出て来たようだが、これで相手の戦力が全てであるという保証はない。
その為にも迅が動く必要があったのだが、当然それをすれば戦闘は二の次になる。
だからこそ迅は自分の担当区域を天羽に任せ、自身は予知を第一にする動きに切り替えたのだ。
「分かった。他に必要な事があったら遠慮なく言ってくれ。手筈は以前話した通りで良いんだな?」
『うん、それで良いと思う。変更があればその都度知らせるよ』
当然、この事は予め忍田には話を通してある。
何かあれば予知メインで動く事を、既に上層部には伝えてあった。
その場合の動き方も何パターンか用意して共有してある為、問題は無い。
流石に迅もどのタイミングでそれが必要になるかは分からなかった為、天羽への事前の依頼は出来なかったのだ。
「まず、何か指示はあるか?」
『じゃあ────────を、風間さんトコに向かわせて。でないと高い確率で、風間さんが落ちる』
「了解した。そのように差配しよう」
忍田は迅の言葉をそのまま自分の指示として送り、隊員を動かした。
元より、この状態になった場合は迅の指示を忍田の命令として動く事を彼等の間で取り決めてあったのだ。
これは城戸司令も承知の上であり、当然の事ながら一般隊員にはこの事は知らされてはいない。
迅は元S級とはいえあくまで一隊員であり、ボーダーの指揮権があるワケではない。
その迅の指示が直接現場に降りるというのは組織の形式上の観点から見れば少々外聞が悪い為、この事実が公開される事はない。
ちなみに万が一の時の為に根付室長には事前にこの話を通してあり、彼の胃の痛み以外に抜かりはない。
元々、迅の予知はボーダーでもかなり重要視される要素である。
故に、彼の予知を軸にして作戦を立てている事は、正隊員達にとっては暗黙の了解のようなものだ。
未来の情報を知り得る事が出来るという莫大なアドバンテージがなければ、今日までこの街の平和を守り切る事など不可能だったのだから。
『それから、嵐山のトコには────────を向かわせてくれ。そっちの方が、巧く行く未来が視えた』
「了解した。彼女たちが担当する筈だった区域には遊撃部隊Ⅱを向かわせよう。構わないな?」
『うん、それで良い筈だ。あと、遊真はこちらからの指示は必要ないから。
さて、と迅が気合いを入れ直す気配がする。
その真剣さが分かるような声色で、迅が告げる。
『────────────────ここからが、本番だ。最善を目指して、やれる事は全部やっておくとするよ』
「どう見てもクソガキ三人組だが、ラービットを殺す程度の腕はあんだろ? 頼むから、少しは楽しませてくれよな」
粗野な性格を隠そうともせず、黒衣の男────────────────エネドラは、好戦的な笑みを浮かべる。
その顔を見ただけで、分かった。
こいつは、戦いそのものが楽しいのではない。
戦いと言う過程を通して、自分の力を誇示するのが好きなのだ。
遠征で向かった近界でも、似たような人間を見た事がある。
軍規違反で祖国から追放された傭兵や、鉄砲玉にされる素行不良の軍人が今のエネドラと似た空気を醸し出していた。
角が黒いところを見ると黒トリガーであるのは確かなのだろうが、見るからに素直に命令を聞くタイプには思えない。
上官からすれば頭の痛くなるタイプの部下であり、こういう類の人間を軍がどう扱うのかは察して知れる。
だが、それは今は余分な情報だ。
重要なのは目の前の相手が黒トリガー、即ち規格外の武器を保持する存在であり────────────────どんな初見殺しが飛んでくるか、分かったものではないという事だ。
黒トリガーはその性質上、大体の場合初見殺しの要素が強い。
規格外の出力から飛び出してくる、予測不能の攻撃。
それが黒トリガーを相手取る上での最大の脅威であり、それを実感する頃には首が胴と泣き別れになっている事などザラだ。
黒トリガーを相手取るとなった段階で、ある程度の犠牲は許容すべき。
それが近界の常識であり、黒トリガーを所持する国が狙われ難い理由でもある。
遠征では、戦力の補充が困難である。
故に、相手の保持する黒トリガーが想定以上の能力を備えていた場合、補給の望めない状況下で押し込まれるのを待つだけになるケースも多い。
だからこそ近界では相手を追い詰め過ぎて黒トリガーを作られないよう配慮するのであり、相当国力に差がなければ黒トリガー持ちの相手に易々と喧嘩を売るような真似はしない。
それだけの脅威が、黒トリガーには存在するのだ。
警戒し過ぎて、やり過ぎるという事もないだろう。
「────────! 下です」
「!」
そして、その警戒は実を結ぶ。
彼等の立つ床が罅割れ、そこから漆黒の刃が出現。
菊地原の声に応じた風間達は即座にその場から飛びのき、回避。
床下からの刃を、傷一つなく躱し切った。
「────────!」
それを見て、エネドラは訝し気な顔をする。
彼の黒トリガー、
このトリガーは液状化させた刃を地面や壁の中を経由させ、相手の死角から攻撃を叩き込む事が出来る。
通常、戦闘において前後左右を警戒するのは普通だが、
故にこの地面からの奇襲攻撃はエネドラが敵兵を暗殺する際に度々用いて来た手管であったのだが、目の前の少年たちはそれをまるで来る事が分かっているかのように避けてみせた。
それが、不可解でならなかった。
風間達が今の攻撃を避けられた主な要因は、二つ。
一つは、地面から飛び出す攻撃に関して彼等は
エネドラは知る由もないが、地面を経由した攻撃という
故に、彼等にとって地面からの攻撃は
そういう類の攻撃が存在すると知っているのだから、警戒を怠らないのは当然の話だ。
そしてもう一つは、菊地原の
彼のその能力は周囲の音を精密に聴き分け、相手の挙動や攻撃の方角・タイミングを逐次知る事が可能なのだ。
「三上、菊地原の耳をリンクさせろ」
『了解。聴覚情報を共有します』
加えて、菊地原の聴覚の情報を部隊で共有する事でその恩恵を風間達もリアルタイムで受ける事が出来る。
こと集団戦への適正でいえば、同じく回避に利用出来る七海の
「────────」
菊地原は普段の悪態もつかず、無言で後ろ髪を纏め上げる。
彼はサイドエフェクトを全力で活用する際、こうやって耳を隠していた髪を纏めて聴覚精度を上げているのだ。
それは一種の
理屈としては何の意味もなくとも、彼が
「ち…………っ!」
しかし、そんな風間隊の事情はエネドラには分からない。
彼は再度壁を経由して攻撃を行うが、またもや風間隊の面々は即座に回避行動を取り刃は空を切る。
ただ、攻撃を避けられただけ。
されどそれは、これまで初見殺しの塊である
「────────」
されど。
兵士としての冷徹な思考は、そんな苛立ちの中でも消えはしない。
トリガー
故に、今は攻撃を繰り返す。
敵を罠に嵌める、千載一遇の機を待つ為に。
『無理はするな。まずは敵の能力を見極め、情報を得る事に専心してくれ』
「了解」
忍田の指示を受け、嵐山は銃を構えた。
視界の先には黒い穴から現れた大柄な男────────────────アフトクラトルのトリガー使い、ランバネインがいる。
頭部に角を持つ異形の男は、嵐山隊と十数メートルの距離を置いて対峙していた。
「銃を使うか。だが、撃ち合いならば────────」
ランバネインはそう告げて嵐山達を一瞥するとニィ、と笑みを浮かべた。
「────────!」
あの目は、識っている。
太刀川や米屋のような
それが凝縮された視線を向けられ、嵐山は即座に次の行動を決めた。
「攻撃が来る…………ッ! 防御じゃない、
「────────────────俺の
その言葉と、同時。
ランバネインの右腕に出現した巨大な砲塔が、火を噴いた。
凄まじい弾速の弾丸が、連射される。
その弾幕が直撃する寸前、嵐山と時枝はテレポーターを起動。
一気に十数メートルの距離を転移し、弾丸を回避。
木虎もまたスパイダーガンを用いて自身を跳躍させ、攻撃を回避。
その、直後。
彼等のいた場所にランバネインの弾丸が着弾し、そこにあったトリオン兵の残骸を跡形もなく吹き飛ばした。
もしも回避ではなく防御を選んでいれば、シールドごと貫かれやられていただろう。
弾速がかなり速く、威力に至っては恐らくイーグレット並かそれ以上。
少なくとも、一人が張れるシールドで防ぎ切れるような代物ではない。
しかもそれが
ただ速く、重く、強い。
シンプルなトリガーだからこそ、下手な抜け道は存在しない。
「今のを避けたか。どうやら、退屈せずに済みそうだな」
ランバネインは攻撃を避けてみせた嵐山隊を見据え、凄絶な笑みを浮かべる。
こうして、各所で人型
戦争は、此処からが本番となる。