「く…………」
戦闘体が破壊され、生身のヒュースが路地に現れる。
ヒュースは悔し気に唇を噛み、目の前に立つ二人を見据えていた。
近界には、
故に戦闘体の破壊はイコール生身の露出であり、そうなってしまえば抵抗手段など存在しない。
生身の身体では、トリオン体相手に抗する術などないのだから。
「やったな、オサム」
「ああ、なんとかな」
遊真と修は、互いの健闘を称え合う。
ヒュースを犠牲なく倒す事が出来たのは、間違いなく修の奮闘があったからだ。
遊真だけでも倒すだけであれば出来たであろうが、相応の代償を支払う事になっていた可能性が高い。
それだけヒュースという兵士は強く、そして戦場を識っていた。
彼の敗因の一つに戦争経験の不足があるが、それはあくまでランバネインのような歴戦の猛将と比較した場合の話であり、ヒュースが戦争に赴いた回数は決して少なくはない。
玄界のトリガーと、無力ではない弱者という二つの
それが、彼を敗北に至らせた最たるものなのだ。
負けた事自体は屈辱であるが、自らの敗因を理解出来ない程ヒュースは愚かではない。
口には出さないが、自分の敗北の大きな要因として修の奮闘があった事は彼も認めている。
故に、此処で悪態をつきはしない。
戦闘中に心理攻撃をされていたのならともかく、今の自分は尋常に戦い、負けた敗残者だ。
横槍が卑怯だなどという戯れ言をほざくつもりはないし、そもそも戦場では結果を出した者こそが正義なのだ。
そのあたりの清濁を呑み込めないような価値観は、軍事国家に育ったヒュースとは無縁だ。
だからこそ、自分を前に互いの健闘を称え合う二人を見ても何も口には出さない。
負けたとはいえ情報を喋るつもりは微塵もなく、敵に捕らえられ拷問にかけられたとしても自分が口を開く事はないだろう。
それだけの忠誠心が、ヒュースにはあるのだから、
(いや、そろそろ迎えが来るハズだ。トリオン体を破壊された場合は、ミラが回収する手筈となっているのだから)
加えて、自分が囚われる事はそもそもない。
この作戦では戦闘体が破壊された場合は作戦開始時に身に着けていたビーコンを頼りに、ミラが
トリオン体を破壊されていても、この生身の肉体の方にビーコンは装着している。
先程まで通信が繋がっていたのだから、こちらの敗北はハイレインに伝わっている筈だ。
ならば、迎えに来ない筈がない。
だからこそヒュースは口を開かず、ただその迎えを待った。
「そいつは俺が支部に連行する。お前達は、本部の指示に従え」
「わかった」
「わかりました」
だが。
先程ラービットを殴り飛ばしていた男が自分を連行する為にやって来ても尚、ミラの迎えは来なかった。
こちらの状況を感知していない、という事は有り得ない。
操作権を貸与されていたとはいえ、ラービットのカメラアイの映像は逐次向こうに届いている筈だ。
加えてこの街には偵察用のトリオン兵であるバドが無数に展開されている。
これらは戦場の俯瞰情報の取得が主な役割であり、ヒュース達トリガー使いの戦闘個所には必ず配置されている。
幾ら
この玄界で生身となった敵兵をどう扱っているかについては情報がないが、近界の常識としては殺すか捕獲するかの二択である。
どちらにせよミラが向かう前にビーコンを壊されてしまってはたまったものではない為、敗北後の回収は迅速に行われる。
なのに、来ない。
近くに
敗北したヒュースを回収しに来る者は、ついぞ現れなかった。
(何故、何故ですかハイレイン隊長…………ッ! 何故、迎えに来て下さらないのです…………っ!? 貴方は、何をお考えなのですか…………っ!?)
「ヒュースが敗れた以上、回収は出来ない。金の雛鳥は、まだ発見出来ていないからな」
アフトクラトル、遠征艇。
そこで、ハイレインはヒュースの処遇に対しミラに自身の決断を伝えていた。
それを聞き、ミラはあくまで平静を装い問い返す。
「よろしいのですか? まだ作戦は失敗したワケではありませんが」
「失敗する可能性がある以上、危険は冒せない。作戦終了時に金の雛鳥を捕獲出来ていなければ、ヒュースを国に連れ帰るワケにはいかなくなる。その時に遠征艇にヒュースが乗っているなら、殺すしかなくなる。出来ればそれは避けたい」
ハイレインはミラの心情を理解しつつ、そう断言した。
確かに、作戦は失敗してはいない。
まだ「神」の候補者の所在は掴めていないが、偵察の結果膨大なトリオンの持ち主が存在する事自体は判明している。
だが、此処まで計画に瑕疵が付いて来た以上、失敗する可能性はどれだけ低かろうが考慮しなければならない。
そして、失敗した時の事を考えればヒュースを回収するワケにはいかないのだ。
「ヒュースを玄界に置き去りにするのは、あいつを排除する為だけじゃない。
そう、ヒュースが邪魔なだけの駒であるならば単純に殺してしまえば良い。
それをせずに玄界への放逐という手段を取るのは、今後の政策の為だ。
当然ながらエリン家は立場ある家柄であり、上位の家にあたるハイレインが当主に「神」になる事を強制した場合多くの反発がある。
エリン家当主は人格者として有名であり、家の内外に彼女を慕う者は多い。
だからこそ、彼女を「神」にする為には「口実」が必要不可欠なのだ。
たとえそれが傍から見て欺瞞ではあっても、口実────────────────つまりは
それが政治という世界であり、ハイレインが身を置く場所のやり方だ。
屁理屈か否かを問わず相手の粗を探し出し、そこを切り口に手段を選ばず追い落とす。
手段の好悪で躊躇うようでは政治の世界で生き残る事は出来ない事を、ハイレインは良く知っている。
自分が行おうとしているのは鬼畜の所業である事も、理解はしている。
ヒュースに対する情も、存在しないワケではない。
だが、そんな
政治の世界は事の善悪ではなく、結果と体面こそが重視される。
情に流されるような領主では統治は危ういものとなり、結果として多くの臣民に艱難辛苦が訪れるだろう。
政治は、優しいだけでは成功し得ないのだ。
有望株として徴用して来たヒュースに対する好感も、実験段階のトリガー
それら全ては、国益の為には切って捨てなければならない代物だ。
「分かりました。ではそのように」
「お前が気にする事ではない。これは、俺の判断だ。ヴィザ翁には、俺から伝えよう」
「了解しました」
努めて、短く。
ミラは様々な感情を押し殺しつつ返答し、そして。
今も戦闘中である精鋭達に、ヒュースの敗北と処置を伝えた。
「ハッ、もう負けやがったか犬っコロ…………ッ! ザマァねぇな」
ミラからヒュースの敗北を伝えられたエネドラは、そう言って盛大に侮蔑を吐いた。
元々、彼にもヒュースを置き去りにする計画は伝えてあった。
だからこそこの展開事態に驚くような事はなく、精々があれだけ大口を叩いておきながら負けた彼への嘲笑があるだけだ。
その悪感情が。
トリガー
「喜べよ。テメェ等のお仲間が一人倒したらしいぜ。まあ、あんな雑魚がやられたところで痛くも痒くもねぇがな」
「おい、何笑ってやがる。仲間が負けたんだろが」
「あぁ? テメェらのような雑魚に負けるような奴、仲間でもなんでもねぇよ。あれだけイキってた割に雑魚に負けるようじゃあ、同情する価値もねぇ。お似合いの末路、ってワケだ」
戦っていた影浦が険しい表情で糾弾するも、エネドラは嘲笑を止めない。
トリガー
世界の全てが目障りで、唾棄すべき対象であり。
同じ陣営の仲間だとしても、それは例外ではなかった。
ヒュースはいちいち口うるさいのが気に障ったし、ランバネインはこちらの皮肉に怒りもせずに笑っているのが気に食わなかった。
ミラは時々何処か憐れむような眼で自分を見るのがムカついたし、ハイレインも根暗な性格が嫌いだった。
ヴィザもまた、あの飄々としたところが気に入らなくて/昔を思い出すようで、今は。
見ているだけで、吐き気がする/ただ、悲しいだけだ
「────────ッ!? クソッ、
エネドラの脳裏に何かが浮かび、それが形を成す前に消えていく。
自分に笑いかける女性と老人の二人の姿が見えた気がするが、エネドラの
この頭痛は、目の前の
この煩わしい頭痛も、全ては自分の思い通りにこいつが殺されていない所為だ。
そう
「さっさとくたばれよ、オラァ…………ッ!」
「ハッ、聞けねぇ相談だな。そんな、空っぽの敵意を向けて来る奴になんてよ」
そんなエネドラに、影浦はある種の憐憫を覚えながら言い返す。
感情を肌感覚で受信する
彼の敵意は、以前酒に酔った悪漢や精神が不安定な人間から向けられたものに、とても似ていた。
そもそも、眼が黒くなっている時点で脳になんらかの異常が起きているだろう事は推察出来る。
相手は人体実験も辞さない類のようだと聞いているし、その副作用か何かだろうと影浦は思考する。
だからといって、手を抜く理由は微塵もないが。
相手に事情があるのは理解出来たし、このエネドラに限れば同情すべき境遇もあるのだろう。
だが、自分たちの敵である事が変わるワケでもない。
そも、七海が求める未来に彼等の打倒が必須事項であるのだから。
倒す事に躊躇など、ある筈もないのだ。
「オラ、早く来いよおかっぱスライム。それだけ吐いといて、俺が怖ぇワケでもねぇだろが」
「上等だコラ。お望み通り、さっさと殺してやらぁ…………っ!」
そうして。
影浦とエネドラは、互いを罵り合いながら戦闘を再開した。
内に秘めるものを、明かす事なく。
「────────そうですか。分かりました」
南部の戦場。
そこで小南と対峙していたヴィザは、ハイレインの口からヒュースの敗北────────────────そして、処置の決定を聞かされた。
目を閉じたままの翁の心情は、伺い知れない。
ヒュースは、幼少時から指導を受け持っていた弟子のようなものだ。
当然それだけ長く共にいたのだから情も持っているし、可愛い孫のように思ってもいた。
だから叶うのならば今後もその成長を見届けたいと思っていたのだが、この作戦の指揮官であり領主でもあるハイレインがそう決めたのであれば自分が否と言える筈もない。
この身は、一振りの剣。
剣聖などと称えられているが、それが名誉だと思った事はない。
強者を打倒する感覚を楽しんでいない、とは言えない。
しかし、結局のところ自分はアフトクラトルの為に振るわれる刃であり────────────────国益こそが、最大限優先すべき事である事も理解している。
「神」が見つからなければ、国が死ぬ。
そして、この作戦で「神」の候補者を確保出来なければその
その場合、最大の障害と成り得るのがヒュースである事もまた、理解していた。
だからこそ、ハイレインの方針に否とは言えない。
確かに、弟子の事は大事に思っているが。
だからといって、アフトクラトルの国難を見過ごす事もまた────────────────自分には、出来ないのだから。
「さて、このままでは埒があきませんね。お嬢さんのような方を斬るのは心苦しいですが、此処は心を鬼とする事と致しましょう」
「…………!」
故に、自分がやるべき事は一つ。
何が何でも作戦を成功させ、せめてヒュースの主君が贄となる事を防ぐ。
金の雛鳥さえ確保出来れば、エリン家の当主を「神」とする必要はない。
その場合でもヒュースの回収は難しいだろうが、いざとなれば自分が
金の雛鳥さえ回収出来れば、ハイレインも文句は言わないだろう。
故に。
「────────
アフトクラトルの剣聖は。
その刃を、抜き放った。