痛みを識るもの   作:デスイーター

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星の杖①

 

「────────!」

 

 その瞬間、小南の背筋に凄まじい悪感が駆け巡った。

 

 かつて戦場で幾度となく経験した、()の気配。

 

 それらと比較しても尚濃厚なその空気を感じ取り、即座に後方に跳んだ。

 

 その、刹那。

 

 ────────世界が、斬り刻まれた。

 

 小南の立っていた場所、その周囲────────────────どころではない。

 

 ヴィザの立つ場所を中心とした半径数キロメートルの範囲に存在する全ての建造物が、バターのように斬り飛ばされた。

 

 それはまるで、大きな画用紙を裁断機で粉微塵にしたかのような、無法。

 

 対象の強度や大きさなど関係ないと言わんばかりに詰め込み、無理やりに斬り刻んだかのような光景。

 

 それが、小南の目の前に広がっていた。

 

 たった今まで小南の立っていた場所も、当然の如く見えない裁断機によって斬り裂かれている。

 

 あと一瞬、退避するのが遅れていれば彼女自身もまた、その裁断(こうげき)に巻き込まれていただろう。

 

 今回もまた、小南は自身の持つ並外れた危機に対する嗅覚に救われた形となった。

 

(何があったか知らないけど、今いきなり殺気が膨れ上がった。全開ではないでしょうけど、これまでよりは断然ヤバそうな空気ね────────────────成る程)

 

 そこで小南は、遊真と修が敵の一人を撃破したという通信を聞く。

 

 それで、合点がいった。

 

 今あの翁が殺気を膨れ上がらせたのは、それが原因だろう。

 

 見た限り、その撃破された相手と言うのはこの老剣士にとって特別な存在だったのだろう。

 

 これまで微塵も感情の揺らぎを見せなかった翁が一瞬とはいえ殺気を露にしたのだから、相応に深い関係と見て良い。

 

 要は、大事にしている人間がやられて気が立った。

 

 それだけの、話だろう。

 

(かといって、それが隙になる相手じゃないわね。下手に煽れば、逆に本気度を上げるでしょうし)

 

 だが、それが付け入る隙になるかと聞かれれば否だ。

 

 確かに、翁が感情的になった事は事実だろう。

 

 しかし、だからといって我を忘れているワケではない。

 

 激昂した、というよりは。

 

 ()()()()()()()()()と表現するのが、今回は正しい。

 

 この野郎、とムキになるのではなく。

 

 成る程、では少し真面目にやりましょう、といった具合で気を引き締め直したに違いない。

 

 相手を重んじていないワケではなく、完全に私情と戦闘を切り離して思考出来る。

 

 この修羅であれば、その程度の芸当は普通にこなす。

 

 故に、此処で倒れた相手の事を揶揄したとしても、それは相手に出力制限(リミッター)を外させる行為でしかない。

 

 目の前に立つ翁は、本物の修羅だ。

 

 下手な挑発は冷静さではなく、彼が()()()()()()()としていた方針を変えさせる結果にしかならない。

 

 そしてそうなれば自分であれ生きていられる保証はないというのが、小南の見立てだ。

 

 この相手は、本気にさせてはいけない。

 

 それを、彼女は本能で感じ取っていたのだから。

 

 これまで曲がりなりにも小南が無事だったのは、相手が殲滅を目的としていなかったからだ。

 

 彼女をこの場に縫い留めておけば良いと、そう判断しているからこそ本格的に殺しには来ていない。

 

(けど、今ので大分難易度が上がったわね。さっきまでと同じと考えてちゃ、あっという間に真っ二つだわ)

 

 しかし、今ので敵のスタンスが変わった事は確かだ。

 

 本格的に本気を出しはしないだろうが、先程より攻撃的な空気を老剣士からは感じ取れる。

 

 肌がピリつき、殺気が氷点下の外気のように突き刺さる感覚。

 

 影浦のような副作用(サイドエフェクト)は持ってはいないが、小南の戦場で鍛え上げられた危機察知の直感は先ほどより数段増した凍り付くような殺意を感じていた。

 

星の杖(オルガノン)を初見で避けるとは────────────────矢張り、貴方は私の対峙して来た中でも生存能力に関しては特別優れているようですね」

 

 ヴィザは自分の攻撃を回避してみせた小南をそう言って称賛し、口元に笑みを浮かべる。

 

 好好爺じみた笑みではあるが、小南はその笑みが獲物を前にした猛獣の眼の類である事を理解していた。

 

 獲物を前にして舌なめずりをする、獣の視線────────────────ではない。

 

 相手を()()()()()()()()を思考し、冷徹に狩りを実行する狩人(ハンター)の眼だ。

 

 そこに油断は存在せず、ただ如何にして相手を殺すかに全霊を傾ける殺意の化身。

 

 翁からは、その危険極まりない気配が滲み出ていた。

 

(まったく、嫌になるわね。こんな化け物、今まで戦って来た中でも最悪の相手じゃない)

 

 過去の戦争経験を鑑みても、目の前の翁がアフトクラトルどころか近界でも最高峰の使い手であると認識せざるを得なかった。

 

 自分の命が失われる瀬戸際に陥った経験など、小南には腐る程ある。

 

 それだけ近界の戦場というのは危険な場所であり、緊急脱出(ベイルアウト)がなかった時代にそういった数々の死線を体験して来た。

 

 だが、目の前に立つ老剣士(きょうい)はそれらとは全くベクトルが違う。

 

 軍勢としての、環境としての脅威ではない。

 

 ただ、そこに立つだけであらゆる存在を駆逐する生きた災害。

 

 単騎で地獄を顕現し得る、一人の修羅。

 

 目の前の剣士は、そういった手合いだ。

 

 間違っても、小南一人でどうにかなるような相手ではない。

 

 しかし、生半可な相手を連れてきても何も出来ずにやられるだけだ。

 

 少なくとも、小南と同等かそれに匹敵する危機感知能力がなければ話にならない。

 

 そして、それはあくまで最低限の基準だ。

 

 誰が援軍に来たとしても、目の前の剣士に()()()イメージを小南は抱く事が出来なかった。

 

(勝ち方を考えるのは、まだ早いわね。今は一秒でも長く時間を稼いで、こいつの事を暴かないと────────────────さっきは、斬線すら見えなかったし)

 

 先程の攻撃の正体も、未だ不明なのだ。

 

 建物が()()()()()()事から、斬撃に類するものだという事は予想出来るが────────────────その斬撃の軌跡を、小南は視認する事が出来なかった。

 

 何らかの仕掛け(トリック)があるだとか、そういう話ではない。

 

 恐らく、単純に()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 歴戦の兵士である小南ですら、視認不能な速度の広範囲の斬撃。

 

 それが恐らく、ヴィザの持つ黒トリガー────────────────星の杖(オルガノン)の、能力なのだ。

 

 いわば範囲と速度を超強化した旋空に近いのであろうが、単純な線の攻撃であるあちらとは少し違う気がした。

 

 破壊の規模は忍田が旋空を撃ち続けた痕に似ているが、攻撃範囲の広さが尋常ではない。

 

 生駒旋空を超える速度の斬撃を、全方位に撃ち放ったかのような。

 

 そういった、理不尽の塊のような攻撃であったのだから。

 

(オルガノンっていうのは確か、話に聞いたアフトクラトルの国宝よね? つまりこいつが一番厄介な強敵って認識は、間違ってなかったワケだ)

 

 迅から聞いた話によれば、今回の大規模侵攻では一人、洒落にならない強さの相手が来るらしい。

 

 それは迅や小南でさえ勝てないレベルの相手であり、この敵をどう相手取るかで未来が変わるのだと彼は話していた。

 

 かつての彼であれば、小南にこの話はせずに逃げられるように手を回しただろう。

 

 だがそれは、あくまで以前の迅であればの話だ。

 

 七海との一件を経て人を頼る事を覚えた今の迅は、小南という戦力を遊ばせるような愚は冒さない。

 

 今、このタイミングでこの翁を足止め出来るのは小南しかいない。

 

 此処で彼女が逃げれば、間違いなくこの老剣士はボーダー側に甚大な被害を齎す。

 

 故に、彼女は他の全てを投げ捨ててでもこの場で彼を相手取る必要がある。

 

 未だ、人型は一人倒されただけなのだ。

 

 聞けば東部では嵐山達が、南西部では影浦が、それぞれ人型と戦っているらしい。

 

 特に、影浦の相手は黒トリガー使いであるとの事だ。

 

 恐らく彼の副作用(サイドエフェクト)を駆使して時間稼ぎに徹しているのだろうが、万が一にも彼等の元へこの老剣士を向かわせるワケにはいかない。

 

 影浦はまだサイドエフェクトがあるから即死はしない可能性はあるが、それでも黒トリガー二人の相手はキツいなんてものじゃない筈だ。

 

 嵐山にしても、相手が黒トリガーではないとはいえ相当の手練れという話である。

 

 どちらにせよ、此処で翁を見過ごすという選択肢は存在しない。

 

 この剣士は、ラービットなどとは比較にならない脅威である。

 

 ラービットはまだ他の隊員でも対処は可能だが、こいつだけは駄目だ。

 

 然るべき準備もなしに挑めば、撃破数(したい)を増やすだけである。

 

 小南はそう判断し、視界の先のヴィザを睨みつけた。

 

「しかし、困りましたな。手早く片付けようと思うのですが、お嬢さんの首は簡単には斬れそうにありません。ですから────────」

「────────!」

 

 瞬間、再び駆け巡った先程以上の悪感に従い、小南は即座に退避を選択し────────────────。

 

「え…………?」

 

 ────────────────その左手首が、無造作に斬り落とされていた。

 

 今回どころか、年単位で存在しなかった小南の明確な被弾。

 

 それが今、全くの兆候なく成し遂げられた。

 

 小南は、危機感知の直感に従い回避を選択した。

 

 今までであれば、それで攻撃は完全に回避出来ていた筈だ。

 

 だが。

 

 翁の一撃は、その彼女が逃げる先を予測していたかのように()()()()いた。

 

 普段の彼女であれば、まず有り得ない失態────────────────ではない。

 

 ヴィザは彼女が危機感知に用いていたもの────────────────即ち、相手の殺意の察知を逆利用したのだ。

 

 小南は影浦と違いサイドエフェクトは所持していないが、戦場での度重なる死線の経験により相手の殺意に対する感知能力は彼に近い領域に達している。

 

 人は相手を攻撃する時、それも殺すつもりで行う時は大なり小なり確実に殺気を向けるものだ。

 

 小南はそれを鍛え抜かれた直感で察知し、その攻撃の軌道を避けていたのだ。

 

 加えて潜り抜けた死線の積み重ねにより、状況判断能力もかなりのものに仕上がっている。

 

 殺意を感知する直感と、潜り抜けた死線から経た戦闘経験。

 

 それが、小南の高い生存能力の源だった。

 

「────────この通り。歴戦の兵士ほど、()()には引っかかる。私はただ、殺意を向けた所とは違う場所に刃を置いただけなのですがね」

「簡単に、言ってくれるわね…………っ!」

 

 だが、それこそをヴィザは利用した。

 

 殺意を、即ち攻撃意思そのものを陽動(フェイント)として扱い、それを回避しようとして動いた先にこそ本命の攻撃を置く。

 

 それが、たった今ヴィザがやってのけた芸当である。

 

 当然の事ながら、並大抵の人間が出来る所業ではない。

 

 殺気を消すだけなら遊真や東といった歴戦の経験と天賦の才覚を持つ規格外であれば可能ではあるが、殺意を陽動として用いるなどといった領域には彼等ですら届いてはいない。

 

 これが、ヴィザの脅威の本質。

 

 老年に至るまで数々の戦場で極限まで鍛え上げられた経験の厚みと、殺意の統御。

 

 恐らく、殺気を消して攻撃を行う事も、この翁には可能だろう。

 

 実際、今の攻撃がそうなのだ。

 

 殺意を別の場所に向けながら、本命の攻撃を殺気を消して実行する。

 

 小南が歴戦の兵士でなければ、危機感知能力がなければ引っ掛かりはしなかったであろう致死の罠。

 

 それでも彼女の手首を狙ったのは、首や胴といった急所を狙えば小南の培われた経験と勘が無意識の内に攻撃を察知していたであろうからに他ならない。

 

 無数の死線を潜り抜けた結果、小南は自分が死に至る攻撃に対しては特に敏感だ。

 

 たとえ直前まで察知出来ていなかったとしても、致死の攻撃だけは回避する。

 

 そういう()が、小南には付いていた。

 

 ヴィザは小南のそんな性質すら見抜き、四肢の中で比較的警戒が薄かった手首を狙ったのだ。

 

 急所は当然、一番警戒の厚い場所だ。

 

 そこを狙えば回避されるであろうと、ヴィザは冷静に判断していた。

 

 足もまた、小南にとっては急所と同義だ。

 

 戦場で機動力が削がれる事がどれだけ死に直結するかを、死線踏破者である小南は嫌という程知っている。

 

 だからこそ、彼女にとっては機動力を司る脚部への攻撃は急所への攻撃と同等であると看做される。

 

 そして、他と比べて警戒の厚くはない腕部もまた、利き腕を落とされる事には敏感だ。

 

 故に、ヴィザは左腕を狙った。

 

 四肢の中で最も警戒が薄く、尚且つ彼女の攻撃能力を削ぐ事が出来る個所であるが故に。

 

 小南の武器である双月は、大斧状態であれば両手持ちの武器となる。

 

 身の丈を超える大斧を自在に扱う為には、両腕での使用が不可欠だ。

 

 左手首を失った今の状態では、小南の攻撃能力は激減したといって良い。

 

 これまでのようにラービットを殲滅して回るには、相応の時間をかけなければならないだろう。

 

(やってくれたわね。本当、規格外だわこいつ)

 

 これで、ヴィザがこの場に赴いた目的は半ば達成されたと言っても過言ではない。

 

 今の小南では、先程のような速度でのラービット殲滅は望めない。

 

 つまり、此処で彼が小南を放置するという選択も、有り得ない話ではなくなって来たという事だ。

 

「お嬢さんのような方を斬るのは心苦しいですが、これも任務。私も心を鬼にして、役目を遂行すると致しましょう────────────────付き合って、頂けますかな?」

「ちっ、嫌な爺さんね…………っ!」

 

 要するに、今のは「逃げる素振りがあれば別の場所に赴く」という一種の脅迫だ。

 

 小南が逃げれば、彼女を放置して別の戦場を蹂躙すると────────────────ヴィザは、そう言っているのだ。

 

 そんな真似をされるワケにはいかない為、小南は彼と戦う以外に道はない。

 

 しかも、攻撃意思を見せなければ恐らく彼は本当に小南を放置して別の戦場へ向かうだろう。

 

 左手首がなくなった今、難易度は先ほどの比ではなくなっているが────────────────やるしか、ないのだ。

 

「────────!」

 

 小南は意を決し、片手に双月を構えながら修羅の剣聖との戦闘を再開した。

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