痛みを識るもの   作:デスイーター

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亀裂

(俺が、負けただと…………? こんな、玄界(ミデン)の猿共に…………!)

 

 トリオン体を破壊され、生身に戻ったエネドラは忌々し気に唇を噛み、自身を囲む敵の姿を睨みつけた。

 

 これがボーダー隊員であれば緊急脱出(ベイルアウト)システムによって自動的に基地に帰還しているところだが、近界の兵であり黒トリガーの使い手であるエネドラにそんな安全装置はない。

 

 このようにトリオン体を破壊されれば戦場で生身を曝け出す事になり、そうなった兵士の末路など言うまでもない。

 

 幸いボーダーの側に積極的に近界の兵士を殺害する理由はなく、命の危険がないとしても。

 

 そんな事情は、エネドラの側には分からない。

 

 戦場で生身になった敵を殺す事など、近界では当たり前の事だからだ。

 

 実際、エネドラは自身が仕留めて生身が投げ出された敵兵を幾人も殺して来ている。

 

 戦場で、敵兵を生かして返す理由はない。

 

 捕虜にする価値がない、もしくは余裕が無い場合。

 

 撃破した敵兵は、その場で殺しておくのが一番後腐れがないのだ。

 

 これが地球側の戦争であればわざと相手を負傷させた状態で生還させ敵軍の足を止めるといった手も使えるが、近界の戦争は生身の損傷具合に関係なく動くトリオン体によって行われる。

 

 しかも、時間経過でトリオン体は再構築が可能となってしまう為、捕虜にしないのであればその場で殺すのが普通だ。

 

 下手に生還させれば再びトリオン体を再構築して襲って来るのだから、生かして返す理由がないのだ。

 

 雑魚ならば手間を考えて見逃される事もあるが、エネドラは黒トリガー泥の王(ボルボロス)の適合者。

 

 トリオン体を再構築されれば凶悪な黒トリガーの脅威が再び襲って来るのだから、見逃す理由が何処にも無い。

 

 それが分かっているからこそ、エネドラは下手に動けない。

 

 此処で下手に敵を刺激して、()()が来るまでに殺されてしまうのは避けたい。

 

 そういった打算が働く程度には、エネドラの頭は冷静だった。

 

 怒りが一周回って落ち着いた、とでも言おうか。

 

 先程まで屈辱と怒りで荒れ狂っていた心中は、生還を最優先とする為無理やり押さえつけられている。

 

 幾ら暴言や命令違反の権化であるエネドラとはいえ、トリオン体の前で生身であるという状態がどれだけ致命的かは理解している。

 

 故に屈辱を呑み込み、機会を待つ程度の事は出来る。

 

 たとえ負けようが、生き残れば終わりではない。

 

 その事を、エネドラは良く識っているのだから。

 

「────────迎えに来たわ。エネドラ」

「ったく、おっせえんだよ」

 

 何より。

 

 待てば迎えが来る事を、エネドラは知っていた。

 

 空間に穴が開き、ミラがその姿を現す。

 

 その光景に彼を囲んでいた者達は目を見開き、しかし渦中にいるミラは動じない。

 

 空間操作トリガー、窓の影(スピラスキア)

 

 それがミラの持つ黒トリガーの名前であり、アフトクラトルの生命線でもある。

 

 今回、アフトクラトルは黒トリガーの使い手を含む精鋭を複数人送り込んでいる。

 

 当然ながら敵地で黒トリガー使いが敗れ、それが敵国に回収されるような事があれば甚大な損失となる。

 

 そうでなくとも、優秀な兵を失うのは国力を考えても看過し難い。

 

 軍事国家であるアフトクラトルにおいて、その危険性(リスク)は無視出来ない。

 

 何より、そんな失態を冒せば他の領主達に付け入る隙を与える事になる。

 

 リスク排除第一主義のハイレインからしてみれば、何の()()もなしに作戦行動に及ぶ事は避けたいのが実情だ。

 

 それを解決し得るワイルドカードが、このミラの窓の影だ。

 

 これがあれば、たとえ黒トリガー使いが敗北しようとも即座に回収する事が出来る。

 

 戦闘能力自体はそこまで突出してはいないが、戦略的価値は計り知れない。

 

 これは、そういう黒トリガーだ。

 

 今回の遠征で、何に置いても失う事の出来ない替えの利かない駒。

 

 それが、ミラとその黒トリガーである事は疑いようがない。

 

 極論、ミラがいなければハイレインは今回の作戦にゴーサインをする事はなかっただろう。

 

 ヴィザという国宝の使い手を連れ出す事が出来たのも、彼女の存在があればこそだ。

 

 ミラという保険があるからこそ、万が一にも失えないヴィザの同行が可能となったワケだ。

 

 ヴィザが敗れるなどといった結果は想像すら出来ないが、リスクヘッジが出来ないようでは領主など務まらない。

 

 それに、こういった事は()()が重要になるのだ。

 

 失ってはならない駒を持ち出す以上、それを回収出来る保険は必須。

 

 これは、そういう話なのである。

 

 それは、エネドラにも同じ事は言える。

 

 本国での重要度は無論星の杖(オルガノン)には劣るが、泥の王(ボルボロス)もまたアフトクラトルが誇る黒トリガーの一つ。

 

 使い手たるエネドラも含め、無為に失って良い代物ではない。

 

 少なくともエネドラは、自身の価値をそう判じていた。

 

 多少の命令違反程度で、自分が切られる事はない。

 

 泥の王の主は、自分なのだからと。

 

(猿共に負けたのは癪だが、生きてりゃ勝ちだ。戻った後も、退屈はしなさそうだしな)

 

 エネドラは帰還後の予定を考え、ほくそ笑む。

 

 遠征から戻れば結果次第だが、エリン家との抗争が始まるだろう。

 

 金の雛鳥は未だ見つかってはいないし、あのハイレインの事だから躊躇なんてするハズがない。

 

 連中に特に思い入れはないのだし、ヒュース(あいつ)の身内をぶっ殺してやるのも面白そうだ。

 

 そんな事を、エネドラは考えていた。

 

 そう考えて、ミラに手を伸ばし。

 

 ミラは、その手を取り────────。

 

「あら、ごめんなさいね────────────────回収を命令されたのは、黒トリガーだけなの」

 

 ────────空間から突き出た刃によって、エネドラの腕を斬り落とした。

 

「な…………? ぐ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ…………っ!!」

 

 生身の腕が切断され、絶叫するエネドラ。

 

 ミラはそんなエネドラを、冷ややかに/悲しそうに

 

 ため息を吐いて、見詰めていた。

 

「はっきり言って、今のあなたはもう私たちの手に余るの────────────────気付いてる? あなたのその、眼の色。トリガー(ホーン)が脳まで根を張っている証拠よ。あなたの命は、もう長くない」

 

 エネドラは、黒トリガーを含めた自身の価値を考え自分が切り捨てられる事はないだろうと思っていた。

 

「泥の王はもっと相応しい使い手が引き継ぐわ。あなたの角から得たデータで、適合者はすぐ見つかる」

 

 それは、泥の王(ボルボロス)が自分以外に適合などしないだろうという驕り。

 

 トリガー(ホーン)の浸食によって冒された思考が、敢えて考えないようにしていた現実。

 

「ふざけんな、泥の王(ボルボロス)はオレの…………っ!」

 

 そして。

 

 泥の王を誰にも使わせまいとする、角の浸食でボロボロの精神の中で彼が残していた絶対の意思。

 

 ミラはそんな彼の自我の残滓を哀れむように見据え────────。

 

「…………」

 

 ────────────────介錯の為に展開した無数の棘が、シールドによって止められた瞬間を見届けた。

 

「な…………?」

 

 驚いたのは、エネドラも同じだ。

 

 彼は自身が殺されるところだった事を悟り、その場から飛び退く。

 

 同時に、こちらに腕を掲げシールドを展開していた────────────────彼の命を救った風間の姿を見て、感情の儘に叫んだ。

 

「てめぇ、どういうつもりだ…………っ!? オレを助けて、情けのつもりかよ…………っ!?」

「勘違いするな。お前は、貴重な情報源だ。それをみすみす取り逃す馬鹿が何処にいる」

 

 風間は何も、情けをかけたワケではない。

 

 生身となり、今のやり取りを見る限り国からも切り捨てられたエネドラは格好の情報源だ。

 

 一度裏切られた以上、エネドラが情報を出し渋る可能性は低いと見ている。

 

 自身を打ち倒したこちらへの反感を考えれば難しくはあるだろうが、情報を引き出す可能性自体は不可能とまでは言えない。

 

 風間は隠れていた歌川に止血を指示し、抵抗する術のないエネドラは黙って治療を受け入れる。

 

 その様子を見ていたミラは複雑な胸中をその眼に宿しながら、深く溜め息を吐いた。

 

「エネドラの処理を済ませてしまおうと思ったのだけれど、私一人じゃあなた達の手を掻い潜るのは難しそうね。私は見ての通り戦闘向きじゃないし、こんな些事で隊長の手を煩わせるワケにもいかないわ」

「なら退け。お前から手を出さない限り、こちらに追撃の意図はない」

 

 風間はそう告げながら、油断なくミラを見据えた。

 

 此処で退くのであれば、追撃するつもりがないのは本当だ。

 

 遠征艇でやって来ている敵国を無駄に刺激すれば、向こうが形振り構わなくなる危険がある。

 

 黒トリガーの回収に手を出さなかったのも、そういう理由だ。

 

 何かしらの担保があるならともかく、敵国の黒トリガーの奪取などという逆鱗を踏んでしまえばどんな手で取り戻しに来るか知れたものではない。

 

 ────────────────敵の黒トリガー使いを倒したら、そいつは生かして確保してくれ。黒トリガー自体は、敵に回収させて構わないから────────────────

 

 何より、風間は迅からそんな密命を受けていた。

 

 戦略的に考えれば使い手よりも黒トリガーの方が優先度は高いが、あの迅が出した指示だ。

 

 そこには何らかの意図がある筈であり、風間もそれは疑ってはいない。

 

 この状況まで視えていたかどうかは分からないが、エネドラを生かして確保する事に何らかの意味が生まれて来るのだろう。

 

 それを考えるのは、自分の役割ではない。

 

 風間はミラがいつ攻撃して来ても良いように警戒しながら、彼女を見据えた。

 

 口ではああ言っているが、敵の言う事を真面に信じる程風間は愚かではない。

 

 交渉での詐術、油断させてからの不意打ちは戦の場では常套手段だ。

 

 特に、空間操作のトリガーなどという代物を使う相手だ。

 

 その手の手段には事欠かないだろうし、何より風間の勘が警鐘を鳴らしていた。

 

 今此処で、警戒を緩めるべきではないと。

 

「ええ、そのつもりよ────────────────でもね、()()()()()裏切り者の処分は済ませないといけないのよ。これも命令でね。恨まないで頂戴」

「────────!」

 

 その懸念は、現実となる。

 

 再び攻撃が来るかと身構えた、風間の視界に。

 

 空を覆う、巨大な黒い穴が────────────────窓の影(スピラスキア)()()が、姿を見せる。

 

 そして、そこから現れたのは口を閉じ自爆モードとなったイルガー。

 

 以前太刀川達が迎撃した爆撃用トリオン兵が、その威容を露にしていた。

 

「何を出すかと思えば、またそいつか。風間さん、ちょいと斬って来るぜ」

 

 それを見ていた太刀川は、躊躇いなくイルガーの迎撃に向かう。

 

 風間としても、異論はない。

 

 この場でイルガーを上空で素早く撃墜出来るのは太刀川だけであり、すぐにグラスホッパーで飛べば充分間に合う距離だ。

 

 だが。

 

(イルガーが太刀川に迎撃された事は、向こうも知っている筈だ。あんな罠を仕掛けていたのだから、少なくともあいつを名在り(ネームド)として扱っている事は間違いない)

 

 そんな無駄な事を、今更するだろうかという疑念が沸き上がった。

 

 太刀川がイルガーを撃破した事は、向こうも承知している筈なのだ。

 

 でなければ、わざわざ砲撃型のラービットを用意して不意打ちを狙ったりはしない。

 

 囮として使い潰した代物を、今此処で再び使う。

 

 それも、以前イルガーを倒した太刀川のいる場所で。

 

 その違和感に、風間は声をあげようとして────────────────。

 

「────────────────かかったわね」

「────────!」

 

 グラスホッパーを踏み込み、上空へ飛び上がろうとした太刀川が。

 

 目の前に開いた黒い穴に、呑み込まれる光景を見た。

 

 

 

 

「お、どうやら風間さん達が敵の黒トリガーを撃破したみたいだ」

「そう。じゃあ、あたし達も踏ん張らないとね」

 

 南の戦場。

 

 そこでは、迅と小南が油断なくヴィザを見据えながら軽口を叩いていた。

 

 あれから迅が来た事で未来視のバックアップが入り、二人はなんとかこれまで敵の攻撃を凌ぐ事が出来ていた。

 

 あくまでも凌ぐだけで反撃をする余裕はないが、未来視をフルに用いる事でどうにか致命打を食らう事だけは避けていた。

 

 とはいえ、余裕があるワケでもない。

 

 目の前にいるヴィザに関する未来映像(ルート)だけを集中して視続ける事で、なんとか攻撃を捌いている状態だ。

 

 他の者達の未来も視界に映ってはいるが、ヴィザの目の前にそちらに余所見をする余裕はない。

 

 目の前の相手の攻撃(みらい)に集中して視続けなければ、此処まで生き残る事は出来なかったのだから。

 

「え…………?」

 

 だから、読み逃した。

 

 迅の視界の、その先。

 

 空に空いた穴から、太刀川が放り出された光景を見て。

 

 その太刀川に視えた、未来を視て。

 

 一気に、その顔が青冷めた。

 

「太刀川さん…………っ!」

「────────!」

 

 空に放り出された、太刀川が迅の声に反応し防御態勢を取る。

 

 自身の状況を迅の存在ですぐさま理解した太刀川は、自分が敵の中でも最強の駒のいる場所に飛ばされた事を察した。

 

 空中では碌に身動きは取れないが、太刀川にはグラスホッパーがある。

 

 とはいえ、それを使うつもりはなかった。

 

 太刀川の直感が、回避では間に合わないと告げていたからだ。

 

 故に取るべきは、弧月による受け太刀。

 

 聞けば、敵の攻撃方法は斬撃だという。

 

 斬撃の威力がどれ程かは分からないが、来ると分かっていればやりようもある。

 

「────────────────残念でしたな」

「…………!」

 

 ────────────────だが、そんな思惑は。

 

 太刀川の弧月が一撃目を凌いだ刹那、ほぼ同時に放たれた一撃によって彼の胴ごと両断された。

 

 その斬撃を目で捉える事は出来なかったが、一撃目の防御は成功していた。

 

 だが、太刀川に出来たのはそこまでだった。

 

 太刀川が防御の為に二刀を使った、その直後。

 

 それをすり抜けるように放たれた第二撃によって、彼の身体は両断されたのだから。

 

「やられたな────────────────俺も、浮かれてたか」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、彼の脱落を告げる。

 

 太刀川は無念の想いを抱いて、光と共に戦場から離脱した。

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