「二宮隊長の攻撃から離脱した七海隊員、影浦隊長に捕まった……っ! これは厳しいか……っ!」
「此処で影浦くんが来たか。まあ、順当と言えば順当なのかもね」
画面を見ながら加古は、意味深な笑みを浮かべた。
「いつもの影浦くんなら、とっくに目当ての相手と戦ってる頃だもの。けど、七海くんが二宮くんから度々逃げ回っている所為で、中々捕捉出来なかったみたいね」
「七海の機動力はえぐいからなー。あれがなきゃ、とうの昔に二宮に捕まって終わってたろ。撤退の判断も素早いし、中々の戦上手じゃねえか」
「でも、それを言うならそもそも二宮くんに何度も仕掛けたのは頂けないわね」
淡々と、ただ事実を言うように加古は告げる。
「あの最初の一度の遭遇で、七海くんは二宮くんとの相性の悪さを身を以て知った筈よ。MAP条件もあまり有利とは言えないし、何度も二宮くんに仕掛けるくらいなら他の相手をまず狙った方が効率的だわ」
「しかし、乱戦に巻き込む為にわざと残したという見方も出来るのでは……?」
「いいえ、今回に限って言えば二宮くんは明確に『那須隊』をターゲットにしているわ。他の相手が突っかかって来ても、適当にいなして終わりでしょう」
それに、と加古は続けた。
「二宮くんの相手をするなら、随伴してる犬飼くんをまず落とさないとお話にならないわ。二宮くんがあそこまで強気に攻められるのは、防御面を犬飼くんがサポートしているからよ」
確かに、二宮の
その為、普段であれば狙撃手が健在である間は二宮は両攻撃を行おうとはしなかった。
今、二宮には犬飼が合流し、防御面のサポートを務めている。
だからこそ、二宮はあそこまで躊躇なく両攻撃を仕掛ける事が出来ているのだ。
この場面で真っ先に落とさなければならないのは、実は犬飼の方なのである。
「そう考えると、くまちゃんが真っ先に落ちたのが悔やまれるわね。彼女の立ち回り次第では、犬飼くんを二宮くんとの合流前に落とせた可能性もあったのだし」
「でも、そりゃ結果論じゃねーか。どうすりゃ良かったってんだよ?」
「射手トリガーを『メテオラ』ではなく、別の何かに、たとえば…………いえ、これこそ結果論ね。忘れて頂戴」
加古は何かを言いかけるも中断し、画面に向き直った。
「ともあれ、影浦くんに一度捕まった以上容易に抜け出せるとは思えないわ。此処からどうなるか、その判断が明暗を分けるわよ」
「なんだあ七海、シケた面してんじゃねえ、よ……っ!」
「……っ!」
影浦は攻撃的な笑みを浮かべ、腕を、スコーピオンを振るう。
七海はそれを紙一重で回避────は、しない。
即座に『グラスホッパー』を起動し、それを踏み込み跳躍。
そして、七海がいた場所に向けて、
スコーピオンを連結させ、射程距離を伸ばす高等技術。
────『マンティス』。
影浦雅人が生み出した、スコーピオンを使用した独自技術である。
これがある為、影浦の射程距離は他の攻撃手の比ではない。
間合いを見誤れば、一瞬で首を持っていかれる。
七海はそれを知っていたが故に、大幅な回避軌道を取ったのだ。
生半可な回避では、影浦のマンティスを避ける事は出来ない。
影浦自身の身軽さもあり、一度彼に捕まった以上は抜け出すのは至難と言えた。
「く……っ!」
だが、七海は即座に撤退を選択。
グラスホッパーを起動し、それを踏み込もうとして────。
「────待てやコラ。何処行こうとしてんだ、テメェ」
「……っ!」
────移動先に突き出されたマンティスの攻撃を察し、グラスホッパーを放棄して慌ててその場から飛び退いた。
振り返れば、影浦が不機嫌そうな表情で七海を見据えている。
「俺と戦り合うのが楽しみだったっつうあの言葉は嘘だったのか、お前? なに、いきなり逃げようとしてんだよオイ」
「で、でもカゲさん、早くしないと二宮さんが……っ!」
「関係あっかコラ。捕まったらそん時ゃそん時だろ」
七海の懸念を、影浦はそう言って一蹴する。
唖然とする七海に対し、影浦は舌打ちしつつ告げる。
「大体、何をそんな必死になってんだよお前は。負けた所で、何か失うモンがあるワケでもねえ。順位だって、まだまだどうとでもなんだろ。別に、遠征目指してるワケでもねぇだろが」
「……それは……」
確かに、七海は上を目指しているとはいえ、A級になって遠征部隊に選ばれる事までは目指していない。
単純に、A級になっても那須の体調の問題で遠征部隊に選ばれる事はまずないであろう事が分かっているからだ。
太刀川から聞いた遠征艇の内情を知る限り、那須に長期間の遠征が耐えられるとは思えない。
トリオン体ならば自由に動けるとはいえ、万が一を考えれば医療設備の整わない場所に長期間滞在する事は出来ない。
その為、A級そのものは目指しても、遠征部隊に志願する事までは考えてはいなかった。
影浦もその事は知っていた為、こう聞いたのである。
即ち、
「…………別に、勝ちに拘る事をどうこう言うつもりはねえよ。誰だって、やるなら勝ちてぇモンだかんな。けどよ、おめーは必死になり過ぎだ。明確な目標があるワケでもねえ癖に、なんでそこまで負けを恐れてんだ?」
「それは……」
「…………チッ、柄にもねえ事させんな。説教なんざ、俺のやる事じゃねえだろうが」
影浦はそう告げると、獰猛な笑みを浮かべた。
「全部忘れて、楽しめよ。七海。下らねぇ事に拘ってねーで、好きなようにやりゃあいいじゃねえか」
「カゲさん、でも俺は……っ!」
「ウダウダ言うんじゃねえ……っ! 行くぞオラア……ッ!」
七海の反論は聞かず、影浦はスコーピオンを────否、マンティスを振り下ろす。
それを七海はバックステップで回避し、逃走を図る。
しかし、影浦はそれを許さない。
更に一歩を踏み込み、鞭のようにしなるマンティスでその行く手を塞いだ。
「……っ!」
迫り来るマンティスを、七海は咄嗟にシールドでガード。
尚もそこから逃走しようとするが、その前に影浦が回り込む。
「まだ逃げんのか、テメェ……ッ! そんなに、
「……っ!?」
「なんで分かった、って顔だな? その顔に出てんだよ、ハッキリとなあ……っ!」
影浦は攻撃の手を緩めず、マンティスを振るいながら七海を追い立てる。
「余計な事考えたままでよぉ、上を狙えると本気で思ってんのかテメェは……っ!? テメェの女の事くれぇ、テメェでどうにかしやがれ……っ! 女に振り回されて、びくついてんじゃねえよ馬鹿が……っ!」
「く……っ!」
七海は影浦の言葉に何も言い返せず、次第に追い込まれて行く。
念願の、影浦との公式の場での戦いの筈だった。
戦いの前にも、確かな高揚があった筈だ。
なのに。
なのに。
何故、こんなにも、苦しい気持ちで戦っている……?
これは、彼との戦いは、自分が望んだものではなかったのか……?
(…………本音を言えば、カゲさんとの戦いにのめり込みたい。けど、そうしたら玲が……っ!)
…………そう、それが七海の焦りの原因。
もし、此処で影浦と戦い、二宮に捕捉されてしまった場合。
那須は、必ず無茶をする。
無茶をして、落とされてしまう。
それだけは。
それだけは、七海は看過出来なかった。
ハッキリ言って、眼の前で那須が落とされる所を見てしまえば、七海は冷静でいられる自信はなかった。
────さよなら、玲一。ずっと、見守っているからね────
…………朧げな意識の中で聞いたあの姉の最期の言葉は、今でも脳裏に焼き付いている。
あの時の絶望は、筆舌に尽くし難い。
あんな経験をもう一度するくらいなら、
七海の意識は、無意識は、明確にそう訴えていた。
無論、ランク戦と実戦は明確には異なる事は頭では理解している。
しかし、七海の
仮想空間の、負けても死なない戦いであると分かっていても、
しかし同時に、七海には那須への負い目がある。
那須の要求を、拒む事が出来ないでいる。
今、那須は熊谷の仇討ちの為に二宮を落とす事を欲している。
その願いを叶える為には、こんな所で足止めを喰らうワケにはいかない。
たとえ、その相手が戦う事を熱望していた自分の師匠だとしても。
那須の願いを、受け入れないワケにはいかない。
それが、どれ程歪な思考なのかも気付かないまま。
七海は、尚も逃走にだけ意識を向ける。
此処から離脱して、機会を作り、二宮を落とす。
その為に、七海は己の師に背を向けた。
…………背後から、失望の溜め息が聞こえた。
尚も己のエゴに拘る七海に。
影浦は、激しい怒りを燃やした。
『…………ユズル。狙え』
「…………分かった」
通信から、影浦のドスの効いた声が聞こえる。
ユズルは何も聞き返さず、了解の返事を伝えた。
彼としては七海の気持ちは分からないでもないが、影浦の怒りも同様に理解出来る。
此処で影浦が物理的に七海の性根を叩き直すと言うのなら、ユズルとしても否はなかった。
ユズルは狙撃銃を構え、スコープに標的を映し出す。
狙うのは影浦と戦り合っている七海────ではない。
単に七海を狙っても、サイドエフェクトで察知されて避けられるのがオチだ。
だからこそ、七海が
好機は、
「玲一……っ!」
「玲……っ!?」
影浦に捕まった七海の姿に、業を煮やしたのだろう。
分割したトリオンキューブを従えた那須が、物陰から飛び出した。
「出て来たか、那須……っ!」
影浦は怒りの形相のまま那須を睨みつけ、彼女に向かってマンティスを伸ばす。
しかし、頭に血が登ってはいても那須は戦闘巧者。
決して影浦の射程距離には近寄らず、バイパーを放つ。
「うざってぇな……っ!」
だが、影浦もまた回避技術は相当なものがある。
マンティスの使用中は両攻撃状態でシールドを出せないにも関わらず、影浦は身のこなしのみで全てのバイパーを躱し切る。
だが、影浦といえど複雑な軌道を描くバイパーを躱し切るには攻撃の手を緩めざるを得ない。
その隙を逃さず、七海はグラスホッパーを用いてその場から離脱。
那須と合流し、そのまま逃走を図る。
「やっぱ、そうすんのか。テメェは……っ!」
そして、告げる。
「────やれ、ユズル」
『了解』
簡潔な、攻撃命令。
命令に従った狙撃手の弾丸が、
「……っ!」
その弾丸の存在に気付いたのは、当然サイドエフェクトを持つ七海だった。
彼のサイドエフェクトの感知によれば、弾丸は那須の身体を貫通してそのまま自分に直撃する弾道を描いている。
那須は自分と違いグラスホッパーを持っていない為、空中では足場がなければ回避機動を行えない。
かと言って下に降りれば、影浦に再び捕まってしまう。
故に、手段は一つ。
七海は、それを即座に実行に移し、狙撃を、
「防がれた……っ!?」
その狙撃を防がれたユズルは、驚きの声をあげる。
敢えて七海を直接狙わず、彼にも当たる軌道で那須を狙った。
そうする事で七海に那須を庇わせ、強引に被弾させるつもりだった。
だが、此処で躊躇なく
渾身の一射は、無駄に終わった。
少なくともユズルは、そう判断した。
「────」
しかし、
白いバッグワームを着た彼は、『アイビス』を構え、引き金を引く。
『始まりの狙撃手』の狙撃が、東の一射が、放たれた。
「……え……?」
最初、那須は何が起きたのか分からなかった。
突然自分の側面に展開されたシールドで狙撃が防がれた事は、分かった。
自分には反応出来なかった狙撃を、七海が感知して防御してくれたのだと理解した。
けれど。
けれど。
その直後、七海が自分の身体を強引に引き寄せ、
一射目とは別の場所から放たれたその狙撃は、自分を狙ったものだった筈だ。
七海が那須の身体を引き寄せなければ、その弾丸は那須に直撃していた筈だ。
だが、七海はそれを察知し、
その状況は、否応なく那須の記憶の奥底、最も忌まわしき記憶を想起させる。
────玲一、玲一……っ!────
降りしきる雨の中、右腕を失った玲一を、刻一刻と死に向かう幼馴染を見ているしかなかった記憶が蘇る。
恥ずかしげもなく玲奈に縋り、結果として彼女にその命を投げ出させてしまった記憶が、明確な心の痛みと共に
那須の眼に映るのは、
過去の記憶と、現在の映像が、混ざり合い、重なり、彼女の心を搔き乱す。
その一瞬、その光景を見て。
那須の感情は、決壊した。
「あ、あ、あぁ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……っ!!!!!」
抑え切れない激情が溢れ出した那須は、七海の右腕を奪った
自分を制止する七海の声も、最早聞こえない。
ただ、堰を切った激情の命ずるまま、大切なものを害した敵を討ち果たす。
今の彼女には、それしかなかった。
それしか、考える事が出来なかった。
思考が染まる。
怒りに、憎悪に、そして悲嘆に。
真っ赤になった思考回路で、那須は
「…………あ…………」
────けれど、そんな猪武者など格好の的。
狙撃の第二射が、那須に向かって撃ち放たれた。
激情のままに跳躍した彼女に、回避する余地など有りはしない。
弾丸は寸分違わず、那須の胸に吸い込まれ────。
「ぐ……っ!」
「…………え…………?」
────那須の前に飛び出した、七海の胸を貫いた。
その衝撃で那須と共に七海の身体は近くの建物の屋上へと吹き飛ばされ、落下する。
「…………だい、じょうぶか……?」
「れい、いち……」
胸を射抜かれた七海は傷口から全身に罅割れが広がり、トリオンが漏れ出していた。
致命傷なのは、見れば分かる。
負けても、命は失われない。
それが分かっていても、その光景は否応なく過去の悪夢を想起させる。
その姿を見た那須に、激しい後悔が襲い掛かる。
唯一、幸運な事があるとしたら。
────七海の身体が崩れ去る前に、
『『戦闘体、活動限界。
奇しくも、同時。
同時に告げられた機械音声が、那須と七海、二人の敗北を告げた。