(────────遂に来たか)
迅はたった今視えた
最善の未来へ至る為の、どうしても越えなければならない最大の
それが、やって来たのだ。
敵の最高戦力、剣聖ヴィザ。
彼が本気になる事こそ、最悪の未来に繋がりかねない道ながら────────────────唯一、最善の未来へ辿り着く道筋でもあった。
この戦いで彼が本気になる
彼はあくまでもこちらの強兵を抑える為の特機戦力に過ぎず、本気で殲滅をしにかかっては隊員の鹵獲が目的である相手にとって本末転倒な事態となる。
加えて、敵指揮官であるハイレインは決して過剰な戦果を求めているワケではなかった。
冒すリスクを考慮しながら、リターンとの釣り合いを常に考え取り返しのつく
そして、遠征において敵国を追い詰め
黒トリガーを生む可能性を生じさせてしまう事もそうだが、何より恨みを
これが占領する予定の近界国家であるならばまだしも、
それは、玄界の維持が近界のそれと異なり母トリガーに依存していない点だ。
故に、近界の国家を制圧する際には母トリガーを押さえる事が常套手段だ。
事実、アフトクラトルは近界最大級の軍事国家の名の通り、様々な国をそうやって属国に貶めて来た。
だが、玄界にとって母トリガーはあくまでも巨大なリソースでしかない。
母トリガーと玄界の維持に因果関係が存在しない以上、そこを押さえても抵抗の芽は残ってしまう。
加えて、世界そのものの広さも玄界は近界とは違い過ぎる。
近界の国家は文字通り一つの「国」規模でしかないが、玄界は無数の国が存在し国土自体の広さも段違いだ。
故に、玄界は占領するには一つの近界国家ではリソースが足らな過ぎるのだ。
本気で玄界を占領するつもりであれば複数の近界国家の同盟で攻め込む必要があるだろうが、その場合も占領後の扱い等を考えればとてもではないが現実的ではない。
要するに、
そして属国化が難しい以上、追い詰め過ぎればそれだけ「報復」の可能性は上がる。
以前ならばともかく、今の玄界はトリガー技術も成長し、歴とした「相手国」として扱えるレベルまで至っている。
四年前の時点では略奪対象の「狩場」でしかなかったが、相応の武力を持ち確かな抵抗手段を備えた時点で同じ分類として扱うのは愚策だ。
やったら、やり返される。
そんな当然の摂理が通用しなかったのは、これまではこの世界がトリガー後進国として見られていたからだ。
好き勝手に搾取しても、やり返される心配がない弱国。
そのように見られていたからこそ、国交の使者もなく略奪の尖兵だけが送られて来たのだ。
しかし、今は違う。
玄界のトリガー技術は成長し、兵の練度や層の厚さも今回の戦いで明らかになった。
少なくとも、追い込み過ぎれば相応の報復を覚悟しなければならない相手であるのは言うまでもない。
だからこそ、ハイレインは黒トリガー四本という過剰戦力をこの遠征に注いでいたのだ。
故に、ヴィザが本気を出す────────────────それをハイレインが命じる可能性は、低かった。
ヴィザが本気になればあらゆる障害を文字通り斬り捨てられるが、それは同時に玄界側に甚大な
そうなってしまえば、後々相応の報復を覚悟しなければならないだろう。
だからこそ、余程の事がない限りヴィザが本気になる事は無い筈だった。
それでも尚ハイレインがヴィザに殲滅を命じたのは、そうでもしなければ利を得る事が出来ないからだ。
今回の戦いで、アフトクラトル側が得た明確な
ヒュースの放逐とエネドラの処理という二つの案件は達成しているが、それは対外的に見れば優秀な戦力を二つ無為に失っただけなのだ。
もしも数人でも隊員を鹵獲出来ていればそれを「戦果」として言い張り、帰る事も出来ただろう。
しかし、今回正隊員はおろかC級隊員でさえ誰も捕まってはいない。
つまり、アフトクラトル側の獲得した戦果は文字通りの意味でゼロ。
このまま帰還すれば、報告書に記せる「戦果」は何もないのだ。
だからこそ、ハイレインは止むを得ずヴィザという
たとえ玄界側に報復の理由を与えようとも、戦果をもぎ取る為に。
そしてこの場合の戦果は、「神」の候補者────────────────即ち、千佳の身柄に他ならない。
アフトクラトルは、ヴィザは、こちらが彼女の身柄を差し出すまで蹂躙を続けるつもりだろう。
それが止められなかった結果こそ、「最悪の未来」。
多くの者が殺され、その果てに千佳が攫われる。
それこそがこの時点で最も確率が高く、そして絶対に避けなければならない
ヴィザ翁を撃破出来るか、否か。
それが、最善の未来へ至る為の最大の分岐点。
今、その最大の転機が訪れているのだ。
「此処から先は、戦術だけじゃどうにもならない。僅かな、奇跡のような可能性を掴めるか否か────────────────それに、全てが懸かっている」
迅はこの先で戦っている七海に想いを馳せ、顔を上げる。
色々と、思うところはある。
これまで彼が望み続けて来た、最善の未来。
その達成に手をかけたと同時に、彼が最も避けたかった最悪の未来もまた目の前に口を開けている。
どちらに至るかは、この後の結果次第。
仕込む、手回しをする、という段階は既に終わった。
この後はもう、最善を尽くして祈るしかない。
手を回すだけでも、奇跡に祈るだけでも足りない。
ヴィザとは、それ程の脅威なのだ。
本来であれば、ボーダーの全戦力を集めても尚勝ち目のない相手。
それが、本気の彼。
アフトクラトルの剣聖、ヴィザの至っている高みなのだから。
それを倒そうと言うのだから、奇跡の一つでも縋らなければならないだろう。
かといって、祈るだけで勝てるなら苦労はない。
奇跡に縋ると言っても、明確な手段もなしに祈った所で意味はない。
絶望的な戦力差の相手に、唯一勝ち得る光明。
そんなものが、あるとすれば────────────────。
(七海、頼む。お前が、鍵だ。この戦いで、あれを使えるか否か────────────────それが、最大の分岐点になる)
それだけの戦力を埋められるだけの、
その存在に、他ならない。
(俺はお前なら出来ると信じる。無責任かもしれないが、此処までの道を踏破したお前ならきっと出来るさ。俺も、俺達も最善を尽くす────────────────皆で、最善の未来に辿り着こう)
迅は祈り、街を駆ける。
全ては、望んだ未来に辿り着く為に。
少年は、戦場を進んでいった。
『古寺くんと奈良坂くんがやられたわ。やったのは、敵の黒トリガーよ』
「…………了解した」
三輪はオペレーターからの通信を受け、神妙に頷いた。
その顔色は、険しい。
古寺と奈良坂は今回の大規模侵攻における作戦方針によって三輪隊とは別行動を取っていたが、今は遠巻きに敵の黒トリガーの動向を伺いチャンスがあれば狙撃で援護する。
そういう、手筈だった筈だ。
その二人が、やられた。
正直な話、古寺はまだ分かる。
師匠の奈良坂と比べて未熟な部分はあるし、隙もないとは言えない。
予想外の事態に陥れば、落とされる事もあるだろう。
だが。
奈良坂は、別だ。
狙撃手として高い完成度を誇る彼は、そう易々と落とされはしない。
基本に忠実な狙撃手の動きを、非常に高い
ユズルのような自由な発想も、当真のような型破りな天才性とも違う。
ただ、基本に堅実。
それを突き詰めた究極系こそが、彼だ。
狙撃手の基本である「撃ったら逃げる」事は当然理解しているし、高いレベルで実践してもいる。
その彼がやられたという事は、
即ち、それは。
彼の攻撃が凌がれると、同時。
その命脈を断たれたに、違いあるまい。
月見から送られた戦闘データが、それを肯定している。
敵はあろう事か奈良坂達の弾を、文字通り
そして返す刃の一撃で、二人を排除した。
言葉にしてみると、改めて信じ難い。
弾丸を、斬る。
言うは易しだが、これはそう簡単に実現出来て良い技術ではない。
弾丸は、点の攻撃だ。
しかも、敵にとっては何処から飛んで来るか分からない不意打ちを成すのが狙撃である。
その狙撃の弾を、いとも容易く斬ってみせた。
恐らく、その身に宿る経験から敵の位置に
改めて、理解する。
敵の本質を。
今戦っている敵は、文字通りの意味で格が違う。
敵の指揮官を倒して、後は消化試合だと思っていた。
だが、違った。
敵の最大戦力は、未だ健在。
しかも落とした指揮官の命により、本気でこちらを殲滅するつもりでいる。
その敵とはある程度離れた場所にいるというのに、彼等の所にまで翁の発する殺気の余波が届いている。
暗闇の中、血に塗れた刃の音が少しずつ忍び寄って来るかのような悪感。
そういった者を、彼等は感じ取っていた。
「うひゃー、弾を斬るとかとんでもねぇ事してんなぁ。京介、お前アレ使えば出来る?」
「流石に無理ですよ。太刀川さん並の剣の腕があるならともかく、俺は剣の腕に関しちゃそこそこ止まりですから」
それに、と烏丸は続ける。
「この相手は恐らく、迅さんが言っていた「まともに戦えば絶対に勝てない敵」です。こいつをどうにか出来るかで、未来が変わると言っていました」
『────────京介。後は俺が説明するよ』
不意に、その場にいた全員に通信が割り込んだ。
相手は、迅。
聞き耳でも立てていたのかというタイミングで、未来を視る少年は厳しい声で現実を告げた。
『今暴れてる剣士を倒せるかどうかで、この戦争の未来は180度変わる。最善の未来へ至るか、それとも最悪の結末に辿り着くか。だから、此処が正念場だ。本当の意味でのね』
迅は努めて淡々と話すが、その語調は何処かぎこちない。
流石の彼であっても、望んだ未来が得られるかどうかの瀬戸際で逼迫しているのだろう。
それ故の緊張が、らしくもなく声に出ている。
情けない、とは思わない。
むしろ、彼はこれまで巧くやり過ぎていた、とも言える。
自身を蔑ろにしてまで誰かの為に動き続ける迅は、徹底して悪い可能性を排除して回っていた。
今回はそれでも尚、どうにか出来るか分からない事態、という事だろう。
何せ、敵は小南を圧倒し、太刀川を落とした相手だ。
今回の顛末を聞く限りでも、その規格外ぶりはよく分かる。
この場には二宮や出水といった最高峰の戦力が揃っているが、敵は狙撃手に対してカウンターを放てるような相手だ。
迂闊に投入したところで、奈良坂達の二の舞になるのがオチだろう。
『ですので、此処からは俺が直接指揮を執ります。東さんには、戦略の助言をお願いします』
『心得た。此処からは、お前の方が適任だろうからな』
東は迅の言葉に、躊躇いなく頷いた。
戦術で打倒出来る相手であるならば、指揮官は東が最適だろう。
だが、今回の相手はただ戦術を組み上げるだけでは至る事の出来ない相手。
数々の修羅場を踏破した剣聖、ヴィザなのだ。
その相手をするならば、未来視を持ち、近界で多くの死線を潜り抜けた迅こそが指揮官としては相応しい。
東の理論だけでは迫れない部分に、彼は手をかけられるのだから。
『だが、どうするつもりだ? 七海に任せてあるとはいえ、それだけでは厳しいのだろう?』
『勿論、手は打ちました。もう新型追加の可能性は殆どないので、あの人に改めて頼んだんです』
そして、既に迅は手を打っていた。
先程まではラービット投下の可能性が否めなかった為に、切れなかった手札。
それを、彼は切っていた。
『忍田さんに、増援を頼みました。もう、現地に着いている頃です』
「────────────────忍田真史、現着した。これより対象との交戦に入る」
斬り裂かれ、倒壊した瓦礫の上。
そこに、コートを靡かせた一人の男が立っていた。
男の名は、忍田真史。
ボーダー本部長にして、ノーマルトリガー最強の男。
彼は弧月を抜刀し、視線の先に立つ修羅。
こちらを睥睨し、凄絶な笑みを浮かべるヴィザと相対していた。