「忍田本部長…………」
七海は目の前に立つ忍田を見据え、眼を見開く。
先程は未だにラービットの投下の危険があった為彼を送り出した側である七海であるが、今その彼が此処にいる意味を理解出来ない程愚鈍ではない。
忍田が、軽々な判断で迂闊な真似などする筈がないからだ。
ラービットの抑止力として敢えて
「迅から、新型の危険はほぼなくなったと聞いている。此処に来たのは彼の指示だ。一先ずは、任せて貰おう────────────────この場での、一番槍はな」
「…………!」
忍田はその宣言と共に、改めて弧月を構えヴィザの姿を見据える。
同時、その身体から凄まじい闘気が発せられる。
ヴィザの放つ極限まで凝縮された凄絶な殺気とはまた違う、清廉な闘志の発露。
「────────」
それを、直に感じたのだろう。
翁の口元が、戦の愉悦に歪む。
修羅が、その顔を見せた。
「────────名を、お聞かせ願えますかな」
凄絶な闘志を宿した視線が、忍田を射抜く。
忍田は修羅に至った剣聖の威圧を真っ向から受け、名乗りを挙げる。
「界境防衛組織ボーダー本部長、忍田真史」
「結構。では、私も名乗りを返すとしましょう」
そして、剣士の名乗りを受けた以上翁もまた応じる以外の選択肢はない。
誇りと、何よりも。
死合う相手に、己の名を刻む為に。
「私はヴィザ。国宝
ヴィザは名乗り、その手に持つ武具を────────────────星の杖を、構える。
「────────!」
「…………!」
それが、合図だった。
不可視の、絶死に至る斬撃。
何の前触れもなく襲い掛かったそれを、忍田は弧月で迎撃した。
あの太刀川でさえ、対応しきれなかった致死の攻撃を。
凌いで、みせたのだ。
「ほぅ」
「────────行くぞ」
一歩、前に出る。
武の至境、遥かな高みに座する翁へと。
その剣先を突き付け、彼の身に至らんが為に。
忍田は、ボーダー最強の剣士は。
進軍を、開始した。
「────────!」
一歩/一撃。
二歩/二撃。
三歩/三撃。
歩を進めるごとに苛烈さを増す不可視の斬撃を、忍田は必要最低限の動きでいなし、進撃する。
ヴィザ翁の太刀は、カメレオンのようにトリガーの効果で透明化されているワケではない。
ただ、とてつもなく
トリオン体で強化された動体視力でさえ、
それを剣一本で凌いでいる忍田の実力は、如何程のものか。
ノーマルトリガー最強の男。
その異名は比喩でも、なんでもない。
ボーダーのノーマルトリガーを用いた戦闘において、真実忍田の右に出る者はいない。
太刀川でさえ、風間でさえ。
こと真っ向勝負において、忍田に勝ち越す事は出来ていない。
そしてそれは、攻撃手以外も例外ではない。
弓場のような銃手でも、出水のような射手であっても、はたまた奈良坂のような狙撃手であっても。
彼を。
忍田真史に手を届かせる事は、至難の業だ。
距離がある場合は、近接武器では中距離以上の射程持ち相手には不利。
そんな
忍田は決して那須のような反則的な三次元機動も、韋駄天を使った黒江のような超加速は行わない。
ただ、堅実な足捌きと体動によって戦場を駆け、敵の攻撃を掻い潜りながらその刃を届かせる。
一見地味にも見える動きで、着実に、一歩一歩先へ先へと進んでいく。
真の武人にとって、派手な技も大仰な技巧も全てが些事。
ただ、己が極めた武の形を最高効率で叩き出し、戦果を獲得するまでアクセルを踏み抜く。
ただ、それだけなのだから。
基本の型、その鍛えに鍛えた果ての究極。
それを使いこなす者こそ、忍田真史。
ボーダー最強の剣士の名を轟かせる、古強者の武人である。
ヴィザと忍田。
二人の剣士は剣戟の音を響かせ、至境の死闘を演じ始めた。
『玲一、無事っ!?』
「ああ、なんとかな。玲は大丈夫だったか?」
『ええ、ギリギリ攻撃範囲外にいたのが功を奏した形ね』
一歩下がり、二人の剣戟を見守っていた七海は那須からの通信を受けていた。
離れた場所から
緊急脱出の報告はなかった為落とされてはいない事は分かっていたが、こうして声を聞けて一安心、といったところだ。
『それで、どうする? 一応、援護は出来なくもないけど…………』
「いや、駄目だ。さっきの攻撃であたりの障害物が軒並み薙ぎ払われてしまったから、弾道を隠すのが難しくなってる」
それに、と七海は続ける。
「敵の射程の
『了解したわ。でも、玲一はどうするの?』
「この場で待機しつつ、機会を見計らう。それが忍田本部長の────────────────迅さんの意思だ」
七海はこの場の忍田が単身来た意味を考え、彼から託された
忍田本部長というボーダー最強クラスの駒を、此処で躊躇なく単騎投入する理由。
それは────────。
(この途方もない相手に、
七海は警戒を怠らず、視界の先で斬り合う二人の剣士を見据える。
流れ弾ならぬ流れ刃一つだけでも、致死に至る死線領域。
それを築いている、剣聖と剣豪。
これまで見た事もないようなハイレベルの戦いを見逃さず、そして機あらば介入する為に。
七海は、視線を外さず神経を張り巡らせる。
全てはあの羅刹を乗り越え、未来を掴み取る為に。
一時、七海は
(────────────────このご老人、想定以上が過ぎる。まさか、此処までの存在とは)
ヴィザと対峙している、忍田。
彼は致死の刃を掻い潜りながら、斬り合う相手の途方も無さに瞠目していた。
文字通りの不可視を実現している程の、超々高速斬撃の連射。
それを今まで切り抜けて来れたのは、忍田が旧ボーダー時代に培った戦争経験のお陰だ。
迅や小南と同様、忍田もまたアリステラ防衛戦の生還者だ。
当時の激しい戦いは身体が覚えているし、その凄惨な光景も忘れてはいない。
アリステラ防衛戦を代表する数々の近界の戦場で命を担保に戦い続けて来たからこそ、今の忍田の常人離れした強さがある。
もう二度と、大切な人達を失わないようにする為に。
彼は、この日まで己が刃を研ぎ続けていたのだ。
(この剣士こそ、迅くんが言っていた最善の未来に辿り着く為の最後にして最大の壁。私一人では到底敵わない高みにいる存在であるが、だからといって屈する事など許されない)
今彼が相対しているのは、そういった経験を集大成して尚届かない高みにいる武の極地────────────────剣聖だ。
これがもし尋常な試合であれば胸を借りるつもりで挑んだであろうが、今この場は本物の戦場。
負けて屈する事など許されないが故に、剣士としての意地と誇りは捨てている。
これは、試合ではなく死合い。
互いの全てを懸けた、正真正銘の奪い合いなのだ。
故に手は抜かないのは勿論の事、あらゆる手段を取る事に躊躇いもない。
忍田は剣士である前にこの
ならば、たとえどんな手段を使おうが己が役割を果たす義務がある。
未だ成人すらしていない子供を、よりにもよって
仕方ない面が多々あったとはいえ、それだけの事をしているのだ。
ならば、何が何でも己が任された役割をこなす他ないというもの。
(此処が正念場だ。なんとしてでも、この翁を抑える…………!)
忍田は迫り来る不可視の刃を受け流しながら、改めてヴィザを睨みつける。
迅から頼まれた
正直、この状態がそう長く続くとは思えない。
相手は、剣聖。
武の究極、頂に座する者。
この膠着状態も、数分保てば良い方だろう。
それだけヴィザという翁の振るう黒トリガーは────────────────否。
剣聖として相応しい実力と自負を兼ね備えた翁の厚みは、多少腕が立つ程度で埋められるものではない。
黒トリガーの高出力の恩恵も勿論存在するだろうが、何よりもそれを振るうヴィザの底がまるで見えない。
全力を出してはいるのだろうが、これが
神の国の剣聖。
その高みに至る
今、忍田はそれを試されている一人だ。
作戦は聞いている。
だが、それを成功させる為にはこの拮抗を維持する必要がある。
同じ手など二度通用する筈のない武の極み、ヴィザ翁を相手に。
(絡め手も、小細工もまず通用しない。信ずるは、この身で培った剣ただ一つ────────────────全霊を以て、役目を果たしてみせるとも)
迫る致死の刃を受け流し、忍田は弧月を持つ手に力を籠める。
そして。
「旋空弧月」
己の必殺、拡張斬撃の連打を。
ヴィザに向け、撃ち放った。
旋空弧月、三連。
ほぼ同時に三撃を繰り出すという常識外れの真似をあっさりやってのけた忍田の刃が、剣の結界の中にいるヴィザへと繰り出される。
「甘い」
だが、それもまた通用はしない。
忍田が旋空を撃ち放った、その直後。
ヴィザは星の杖の機構────────────────仕込み刀を抜刀し、踏み込み一閃。
響く、鈍い金属音。
それは。
防御不能の筈の斬撃、旋空を受け流してみせた証だった。
「やりますね」
「ほっほ、大した事はしておりません。先ほどから貴方は、その伸びる斬撃を振るう際にこちらに先端に近い部分を当てるよう腕を振るっておりました────────────────それはつまり、その伸びる斬撃は、先端部が最も威力が高い攻撃、という事なのでしょう」
ですので、とヴィザは続ける。
「ならば、
謙遜しているかのように見えるヴィザだが、言っている事はとんでもない。
この短期間で旋空のカラクリを見抜き、最適な対処法を実行する。
その観察眼に、得た情報を元に即時対処を行う対応能力。
流石に、格が違うと言わざるを得ない。
(鋭い。これが、軍事国家アフトクラトルの剣聖か…………!)
忍田はその所業に、内心瞠目する。
確かに字面だけなら簡単そうにも思えるが、これは完全に言うは易し行うは難しというやつだ。
似たような事ならば忍田も可能ではあるが、彼の場合どちらかというと敵の戦術に対応するよりも自分の戦いを如何なる時でも貫き通す剛の剣に近い。
一見ヴィザの側も力を前面に押し出した剛健に見えるが、彼はその気が遠くなるような戦争経験の積み重ねにより凡そあらゆる状況への対処を的確に行う事が出来る。
まさに、戦に生きる修羅にして羅刹。
その尋常ではない威圧感を前に忍田は足を竦ませる────────────────事など、ある筈がなかった。
(敵は正真正銘の剣聖にして修羅。相手にとって、不足はない────────────────最初から負けるつもりで剣を振るう事など、在ってはならないのだから)
むしろ、忍田は己の心を奮い立たせていた。
これまでの戦争でもまずお目にかかった事のない遥か高みに座する存在にして、武の極地たる剣聖。
そんな存在と相対出来る事に、彼は武人としての喜びを感じていた事は否定出来ない。
強者との戦いは、いつ如何なる時であっても血沸き肉躍るものなのだから。
(だが、私は武人である前にボーダーの本部長でもある。この武の至極の前に心震えるのは確かだが、それ以上にこの戦いに勝つ事が最優先だ────────────────もっとも、生半な戦術は通用しないだろうが)
しかし、忍田は己の武人としての本能を抑え込んだ。
無論の事、一騎打ちに興じたい気持ちはある。
だが、これは試合ではなく戦争だ。
何よりも
それが、戦争の実態。
どんな綺麗なお題目があろうとも、その本質は喪失の押し付け合いだ。
誇りも、正義も、矜持でさえも、力を示せなければただの戯れ言に成り果てる。
それだけの地獄を、彼等は潜り抜けて来たのだから。
(配置はもうすぐ完了する。作戦開始まで、あと僅かだ)
楽し気な様子でこちらを伺うヴィザを睨みつけながら、忍田は再び弧月を握り締め剣聖と対峙する。
全ては、勝つ為に。
勝って、迅が望む未来へ歩みを進める為に。
「────────行くぞ」
ノーマルトリガー最強の男。
忍田真史は、至高の剣聖との剣戟を再開した。