(ふむ、良い眼をしている。どうやら、何かを狙っているようですな)
ヴィザは自身と相対する忍田の眼光を真っ向から受け止め、薄く笑みを零す。
彼程の高位の剣士と死合えるのは確かに僥倖ではあるが、このまま一騎打ちを続けたとしてもどちらに軍配が上がるかは目に見えている。
確かに、彼はこれ以上ない程の実力を持った
だが、斬り合いによる一騎打ちという
時間稼ぎに興じていた時ならばともかく、今の殲滅に切り替えたヴィザ相手に個人の武勇のみで挑んでも勝利を手にする事は出来ない。
武の至高。
神の国の剣聖は、そう易々と届くような位階にはいないのだから。
故に、今の彼を打倒するには「戦術」と「
目の前の剣士が、それを分かっていない筈はない。
だから、ある筈だ。
ヴィザを。
剣聖を打倒する為の、
(では、お手並み拝見と行きましょう。星の杖の使い手として、受けて立つとしましょうか)
「────────」
忍田は迫り来る不可視の斬撃を、神速の刃を受け流す。
受けて立つは、淡く輝く弧月の刀身。
その太刀は、既に旋空を起動していた。
だが、刀身の拡張は殆どない。
精々数センチ程度の伸縮であり、通常の旋空とは見た目も別物だ。
しかし、これもまた旋空である事に変わりはない。
旋空は効果時間の短さに反比例する形で、
生駒旋空はその性質を利用して効果時間を極限まで短縮する事で射程を伸ばした絶技だが、今忍田が持ちているのはその
即ち、効果時間を可能な限り伸ばして射程の拡張を最低限に抑え、旋空の「先端部位に近い程威力が増す」という性質のみを利用する形に。
これは彼の部下である沢村が得意とする技であるが、その上司であり剣の先達である忍田が同じ技術を使えない通りはない。
忍田は先程の攻防を経て、通常の旋空はヴィザ相手には
射程の拡張は近接攻撃を主とする攻撃手にとって確かに有用ではあるが、旋空の場合は取り回しの低下と引き換えになるからだ。
旋空は、斬撃を
つまり巨大化した剣を振るっているのと同義であり、下手をすれば自身の動きを阻害しかねない。
これが旋空をセットしている攻撃手の数に比して真にそれを
太刀川や生駒といった上位の旋空使いは各々のやり方で扱いの難しい旋空を使いこなしている為に、イルガーの両断といった離れ業が出来るのだ。
イルガーやラービットのような強固な装甲を持った相手を旋空で両断するには、ピンポイントで先端を対象にぶつける必要がある。
そういった繊細なコントロールが出来るからこそ、彼等は強靭な外皮を突破出来るのだ。
忍田もまた、当然彼等と同じ事が出来る。
彼にとっても旋空発動による行動の枷は殆どゼロに近いが、それでも皆無というワケではない。
それは並の相手にとっても些かの違いにすらならない、無いも同然の差異に過ぎないが────────────────この剣聖相手では、その僅かな差が致命と成りかねない。
先程の攻防で忍田が落とされなかったのは、ヴィザが周囲の
流石に相手も、何の策もなく忍田が此処に立っているとは思ってはいないだろう。
彼は卓越した剣士であるが、同時に指揮官の命令を実行する軍人でもある。
作戦行動の重要性は、言うまでもなく理解している筈だ。
(だが、それでも届かせてみせる。迅くんの
迅によれば、この戦いは七海が
その時の言葉のニュアンスからして
迅は、勝率は
ならば、どれだけ低い確率であろうと勝機を掴む事自体は出来る筈。
そも、そんな
たとえどれだけの圧倒的強者が相手であろうが、人間である以上何処かに隙は必ずある。
なければ、作り出すまでの事。
その為の仕込みは、既に済ませているのだから。
(それに、迅はこの作戦事態にも意味はあると言った。ならばたとえ失敗したとしても────────────────いや、だからこそ全霊を懸ける意義はある)
失敗を前提として作戦を進めるような思考は、忍田とは無縁だ。
敢えて手を抜くような器用さもまた、彼には無い。
あるのはただ、全霊を以て己の役目を遂行する。
強固にして堅固たる、絶対の意思だけだ。
「────────────────作戦開始だ。
『了解』
故に、躊躇いなく号令をかける。
神の国の剣聖。
その牙城を打ち崩す為の一手が、放たれた。
「────────ほぅ、これは」
ヴィザは空から飛来する無数の光を見据え、笑みを零す。
それは、彼方より飛来した光弾の雨。
射程を限界まで拡張した、
繰り手の名は、二宮匡貴。
総合二位の実力者にして、射手の王。
彼が遠隔地から射程に限界まで割り振る事で到達させた、弾幕。
それが、ヴィザに向かって降り注いだ。
「ふむ、中々考えましたな。ですが────────」
回避する隙間もない、数多の光の雨。
その脅威を前に、ヴィザの余裕は崩れない。
狙撃と違い、撃ち落とすにはあまりにも数が多過ぎる。
幾らヴィザが超絶技巧の使い手とはいえ、この数の弾丸を迎撃するのはあまりにも無謀。
「────────────────この程度で届くと思われるのは、心外ですな」
「…………!」
だが。
それはあくまでも、並の相手であった場合の話。
ヴィザに。
神の国の剣聖相手に。
ただの
空から降り注ぐ、無数の弾丸。
ヴィザは、それを。
不可視の斬撃。
その攻防一体の刃を以て、
狙撃の時とは、ワケが違う。
単発の弾丸と、数重にも及ぶ追尾弾。
その迎撃の難度は、比較にもならない筈だ。
まさか、弾幕を文字通り
「────────旋空弧月」
否。
忍田は、理解していた。
ただ弾幕の雨を降らせるだけでは、到底この剣聖には届かないであろう事を。
だからこそ、この瞬間。
ヴィザが迎撃の為に足を止めた時をこそ、彼は狙っていた。
放たれる、射程拡張した旋空弧月。
先程の、切断力の付与のみを狙ったものではない。
正しく拡張斬撃としての旋空を、忍田は振るった。
無論、弾幕を薙ぎ払ったヴィザを仕留めんが為に。
「甘いですな」
「…………!」
されど。
ヴィザにとって、それは。
対処可能な攻撃、でしかなかった。
旋空に狙われたヴィザは、何の躊躇いもなく一歩を踏み出すと、次の瞬間には忍田の目の前へ肉薄。
仕込み刀の一閃により、忍田の弧月を弾き飛ばした。
一瞬で距離を詰めるその歩法は、まるで音に聞こえる縮地の如し。
瞬間移動のように刹那で踏み込んだヴィザは、旋空の根元を狙う事でいとも容易く迎撃してみせた。
旋空は先端こそ絶大な威力を誇るが、根本の強度や切れ味は通常の弧月とそう変わらない。
故に、距離を詰めて対処したヴィザの対応は正しいものだ。
ただ一点。
その速度が、尋常のものでなかった事を除けば。
加えて、手首や腕を狙うのではなく刀身を狙ったのも思惑あっての事だ。
身体を直接狙われれば、長く戦場にいた兵ほど反射的に反応するものだ。
武器は壊れてもまだどうにかなるが、身体の欠損は下手をすればそのまま戦闘能力の喪失を意味する。
特に、壊れてもトリオンを使えば容易に武器を代替出来る近界の戦争を多く経験した者ほど身体を守る為に武器を盾にする反射行動が染み付いているものなのだ。
だからこそ、ヴィザは身体ではなく武器を狙った。
忍田が近界の戦争を経験した、歴戦の兵である事を見抜き。
その経験をこそ、付け入る隙とする為に。
歴戦の兵は多くの経験によってあらゆる状況に対応可能となるが、同時に過去にあった判例を参考に最善の行動を選ぶようになる。
それは普通の戦闘において明確なアドバンテージとなるものであり、対応力や機転は新兵と比べるべくもない。
だが、ヴィザにとってはその堅実な行動こそが隙となる。
堅実で、手堅い一手。
或いは、成功率の高い常套手段。
それらは、数多の戦場を踏破して来た剣聖にとっては。
既に見慣れた、ありふれたものに過ぎない。
故に、対処など容易。
最善の行動を取るからこそ、彼にとっては
「さて」
そして、武器を失った忍田は今現在無防備。
たとえシールドを張ろうが、仮にも黒トリガーの一部たるブレードを防げるとは思えない。
回避するにも、距離が近過ぎる。
かといってこの場に射撃を撃ち込んでは、忍田も巻き添えとしてしまう。
王手。
目に見えた形での、詰み。
最強の剣士は、此処で落ちる。
「ほぅ」
否。
それこそ、忍田は想定していた。
弾かれた、彼の弧月。
それは空中に展開された光片に弾かれ、忍田の手元へ戻った。
七海の、グラスホッパー。
それを遠隔展開する事で、忍田の弧月を弾き返したのだ。
彼の手に、己が愛刀が戻るように。
予め指示を受けていた七海が、サポートしたのだ。
グラスホッパーによって手元に戻った弧月を、忍田はすぐさま掴み取る。
そして。
振るわれたヴィザの一刀を、その刃を以て受け止めた。
そのまま鍔迫り合いは────────────────しない。
すぐさまその場から飛び退いた忍田のいた場所を、不可視の斬撃が通過する。
ヴィザの刃は、その手に持つ仕込み刀だけではない。
むしろ、未だに刀身すら見えない遠隔高速即死斬撃の方こそが本体だ。
故に、彼相手に一瞬でも足を止めればその場こそが死地となる。
それを理解しているからこそ、迂闊に鍔迫り合う事はしない。
ヒット&アウェイ。
彼を相手にするには、それこそが基本であるが故に。
そして、両者共にこの結果は想定内。
忍田は、この程度で剣聖の裏をかけるとは思っておらず。
ヴィザもまた、彼ならば当然の如く切り返して来ると考えていた。
「そこですな」
「…………っ!!」
故に。
背後から奇襲を狙っていた歌川は、一瞥もされないまま不可視の斬撃によって斬り捨てられた。
『戦闘体活動限界。
それを用いて姿を消し、一瞬の隙を狙っていた彼は。
カメレオンを解除するよりも先に、致死の刃を受けて散った。
隠密を解除し、姿を晒した時であればいざ知らず。
ヴィザは姿を消したままの歌川の位置を正確に探り当て、一瞥もせず斬って捨てた。
歌川は恐らく、何が起こったか分からないまま落とされただろう。
「────────────────透明化のトリガーについて、報告は受けていました。足音は弾幕で紛れさせたつもりでしょうが、殺気を消せないようではまだまだですな」
「…………!」
そう、ヴィザの指摘通り二宮の弾幕は隠れていた歌川の足音を消すという役目もあった。
歌川は風間ほどではないとはいえ、足音を消す訓練は受けている。
故に二宮の弾幕の雨の中であれば、足音は殆ど紛れていた筈だ。
だが。
ヴィザは、殺気だけでその位置を特定し迎撃してみせた。
否。
殺気というのは、恐らく比喩表現。
彼には影浦のような
故に、彼が察知した────────────────いや、
この局面であれば何処に駒を配置し、どう動かすのが最適であるか。
ヴィザはそれを瞬時に計算し、経験を元とした直観も組み合わせて歌川の位置を割り出したのだ。
戦争経験。
その極地による、未来予測じみた戦闘論理。
それが、カメレオンによる奇襲を読み切り歌川を落としてみせた。
ものが違う。
経験が違う。
「────────」
だからこそ、歌川は敢えて殺気を消さずに囮となった。
全ては。
足音を完全に消し、ヴィザの背後に忍び寄った暗殺者。
風間は、無言のままカメレオンを解除しスコーピオンを手にした右手を突き出した。
二宮による弾幕も、忍田の攻防も。
そして、歌川による陽動も。
全ては、この一撃に繋げる為に。
生半可な手では、剣聖には届かない。
だからこそ、犠牲を前提とした一手を打った。
この一撃を、通す為に。
「一手、遅かったですな」
「…………っ!!??」
されど。
剣聖は、その戦術の上を行く。
風間がスコーピオンを叩き込もうとした、刹那。
ヴィザは一歩横へ滑るように動き、そして。
居合いの如き一撃を以て、風間の胴を両断した。
まるで。
そこに風間が来る事を、読み切っていたかのように。
「少し、殺気がわざとらし過ぎましたな。あれでは、
「く…………」
『戦闘体活動限界。
悔し気に顔を歪ませ、風間の戦闘体が崩壊。
満を持して投入された暗殺者は、何も為せずに脱落した。
「戦術は良い。戦場のセオリーというものも、分かっている」
恐るべきは、その手腕と戦闘勘。
ボーダーの戦術を読み切り、文字通り斬って捨てた怪物。
「ですが、優秀だからこそ読み易い。私を超えるつもりならば、それだけでは到底足りない」
これこそが、剣聖。
武の頂きに至る、至高の剣士。
文字通りの一騎当千を体現する、神域の強者である。
「さあ、見せて下さい。貴方方が、果たして
ヴィザは星の杖を掲げ、微笑む。
修羅は未だ、地に落ちず。
神の国の剣聖は、その武威を示し戦場に君臨していた。