痛みを識るもの   作:デスイーター

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神はサイコロを振らない

 

(風間さんまで…………)

 

 七海は目の前で起きた光景に絶句し、唇を噛んだ。

 

 今の作戦は、彼の眼から見て上等なものだった。

 

 二宮の弾幕を目晦ましとしながら、忍田がヴィザを迎撃。

 

 カメレオンで姿を隠した歌川を囮として、足音さえ消した風間が仕留める。

 

 大抵の相手なら、無理なく落とせる。

 

 そういう、戦術だった筈だ。

 

 だが。

 

 それでも尚、剣聖(ヴィザ)には届かなかった。

 

 彼は二宮の弾幕、忍田の剣を冷静に捌きながら歌川を的確に処理し、本命の風間まで討ち取ってみせた。

 

 別段奥の手だとか、そういったものではなく。

 

 ただ、()()()()()()()()という、当たり前の手段を用いて。

 

 確かに、ヴィザに経験値で敵う者はいないだろう。

 

 彼の正確な年齢までは知る由もないが、恐らく60は超えている筈だ。

 

 その齢になるまで剣聖としてありとあらゆる戦場に立ち続けていたのであれば、その経験値は他とは比較にもならない。

 

 トリオン能力は使わなければ成人を境に徐々に衰えていくものだが、老齢になっても尚これ程までの戦闘力を誇っているのであればその人生の殆どを戦に費やしたであろう事が想像出来る。

 

 数多の戦場、数々の敵兵と幾多の戦術。

 

 それら全てを踏破して来たヴィザの経験値は、確実に彼の血肉となってその強さの根幹となっている。

 

 戦争経験。

 

 迅や小南といった旧ボーダー組が持つそれの、極地とも言えるのが彼だ。

 

 ボーダー隊員が経験して来た仮想空間での戦闘や、ほぼ作業と同義である散発的に現れるトリオン兵の駆除である防衛任務。

 

 それとは異なる、真の意味で命懸けの()()を踏破した経験。

 

 健全に生きるのであればなるべく体感すべきではないが、戦いに置いて一種の境地へ至る為の通過点である特殊な戦闘経験。

 

 それこそが、戦争経験。

 

 これを持つ者が戦闘に置いて如何に脅威であるかは、迅相手の戦いで身を以て識っていた。

 

 普通ならば通用する筈の戦術が、まるで最初から分かっていたかのように読み切られ、逆に詰み(チェック)をかけられる。

 

 裏をかいたつもりが、当然の如く対応される。

 

 そんな理不尽な脅威が、そこにはあった。

 

 故に、分かっていたつもりでいた。

 

 本物の戦場を踏破して来た修羅が、如何なる脅威と成り得るのか。

 

 それがただの()()()だった事を、此処に来て実感せざるを得なかった。

 

 確かに、迅のそれは脅威だった。

 

 全身全霊で手を尽くし、更に有利な条件を可能な限り整えた上で挑みようやく紙一重で届いた。

 

 迅相手の戦いは、そういったものだった。

 

 あれ程チームの()()を出し尽くした戦いは、後にも先にも一度だけだ。

 

 正真正銘、全員の持てる力を結集した戦闘の集大成。

 

 それが、あの試験だった。

 

 それを乗り越えた事で、皆共に新たな一歩を踏み出せた。

 

 そう思っていたのは、決して七海だけではなかった筈だ。

 

 あの戦いを経て得たものは、少なくない。

 

 風刃の、黒トリガーの尋常ではない攻撃速度をあの一戦で経験していなければ、ヴィザの不可視の高速斬撃を凌ぐ事は不可能だったろう。

 

 そういう意味で、あの戦いは無駄ではなかった。

 

 それだけは言える。

 

 だが、まだ()()()()

 

 優秀な戦術を以て、敵を追い込み仕留める。

 

 そんな真っ当な(当たり前の)手段だけでは、剣聖の高みには届かない。

 

 戦術を組むのは、大前提。

 

 されど、それだけでは決して届かない座にいるのがヴィザだ。

 

 かといって、黒トリガー相手だからと安易に遊真をぶつけるワケにはいかない。

 

 同じ黒トリガー使いとはいえ、前述の通り経験と実力は圧倒的にヴィザが上だ。

 

 如何に遊真が戦い慣れた元傭兵とはいえ、20にも満たない彼の経験と60を超えるヴィザのそれとでは文字通りものが違う。

 

 遊真は確かに戦闘の天才ではあるが、ヴィザは己の才覚を長年の修練と戦争経験によって極限まで研ぎ澄ませた文字通りの英傑だ。

 

 何の策もなしに遊真を投入しても、殲滅へ切り替えた今のヴィザ相手では斬って捨てられるのがオチだろう。

 

 そしてその場合、黒トリガーを使う遊真はその場に放り出される事になる。

 

 彼の命の揺り籠である、黒トリガーによって生成されたトリオン体が。

 

 黒トリガーの中に格納されている遊真の生身は、既に致命傷を負った状態で保存されている。

 

 いわばその生身を守る外殻である日常用のトリオン体が破壊されれば、遊真の生身が致命傷を負ったままの状態で排出される。

 

 そうなれば当然遊真の命はそこで終わる事となり、敵兵に容赦する余地は今のヴィザには一切ない。

 

 時間稼ぎに興じていた時であればともかく、己一人で任務をこなす必要がある今のヴィザは。

 

 あらゆる慈悲や容赦をかなぐり捨て、純粋に任務を達成する事に執心している。

 

 そんな彼が、黒トリガーの使い手という重要な駒を生かして帰すとは思えない。

 

 よって、安易に遊真を投入するのは彼を死なせに行くのと同義だ。

 

 だが、太刀川に続いて風間まで失った現状、真っ当な手段で彼に勝てるとは到底思えない。

 

 故に、必要なのだ。

 

 普通の手段ではない。

 

 彼の経験の内にあるものではない。

 

 ヴィザにとっての、()()が。

 

 それは、即ち────────。

 

()()を、起動させる事が出来れば────────────────でも、それには)

 

 ────────────────今まで起動させる事の出来なかった、彼の()()

 

 それを使う事が出来れば、或いは。

 

 特級の()()となって、剣聖の高みに手を伸ばす事も叶うだろう。

 

(今まで、何度繰り返そうと何の反応もなかったけれど────────────────それでも、今ならなんとかなる気がする。あとは、覚悟と()()か)

 

 ()()を手にして、四年。

 

 今まで幾度起動を試みても、姉の遺志が反応を示す事はなかった。

 

 その事に絶望し、心が折れそうになった夜も数えきれない。

 

 自分が不甲斐ないから、姉は応えてくれないのではないか。

 

 そう考え、挫けそうになった事もある。

 

 けれど、今ならば。

 

 過去と向き合い、那須との蟠りも消え。

 

 迅と相対し、その想いを理解し彼と言う壁を乗り越えた今ならば。

 

 きっと、姉は応えてくれる筈だ。

 

 そんな、予感があった。

 

 だけど、不安は消えない。

 

 ()()を起動する為には、一度トリガーを解除する必要がある。

 

 即ち、敵の────────────────剣聖の前に。

 

 生身を、曝け出す必要がある。

 

 周囲に存在するスイッチボックスは、これまでのヴィザの戦闘で瓦礫に埋まった。

 

 この場から一度離脱する余裕など、彼は与えてはくれないだろう。

 

 ヴィザはこちらを圧倒し続けているが、厄介極まりないのがそんな状況でも彼が一切の油断をしていない事だ。

 

 これ程隔絶した実力を持ちながら、ヴィザは自分の敗北を()()()()()()だと認識してはいない。

 

 ()()()が起こり得る可能性を決して見逃さず、逆転に繋がる芽は確実に潰す。

 

 それが、今のヴィザだ。

 

 故に七海が不審な行動を取れば、即座に狙い撃って来るだろう。

 

 武人ではなく、軍人として。

 

 容赦なく、こちらの命を刈り取りに来る筈だ。

 

 ()()を使うには、そんな相手の前で生身を一瞬であっても晒さなければならない。

 

 それに恐怖を感じないと言えば、嘘になる。

 

 死ぬのが怖い、からではない。

 

 姉に生かして貰ったこの命を、無為に捨ててしまうのが怖いのだ。

 

 玲奈が文字通りその身に替えて救ってくれたこの命は、今や自分一人のものではない。

 

 彼女の願いによって生かされたこの命を捨てる事は、姉への裏切りと同義だ。

 

 だからこそ、彼はこれまでどんなに苦しくとも自死という手段に縋らなかった。

 

 たとえ、どれだけ罪悪感に苛まれようとも。

 

 姉が自分の生を願ってくれた事だけは、確かな事だったのだから。

 

 故に、迂闊な行動は取れない。

 

 トリガーを解除して、ヴィザが動くまでに()()を起動出来なければ。

 

 自らの命を、無為に散らせてしまう事になるのだから。

 

 だから、失敗は許されない。

 

 故に、不安なのだ。

 

 もし、姉が応えてくれなければ。

 

 もし、右腕が何の反応も見せなければ。

 

 自分は剣聖の刃に斬られ、屍を晒す事になるだろう。

 

 姉を信じていないワケではない。

 

 自分の成果を認めないワケではない。

 

 けれど。

 

 自分を信じ切るには。

 

 四年間という成功を掴めなかった月日の重みは、決して小さくはない。

 

 今日こそは、と思い立ち起動させようとして────────────────結果、何の反応もなく消沈する。

 

 その繰り返しの日々の記憶が、七海の覚悟の邪魔をする。

 

 やるしかないと、分かってはいる。

 

 けれど、最後の一歩が踏み出せない。

 

 現在ヴィザと相対する忍田は、戦力という意味でこの上なく頼りになる。

 

 けれど、そんな彼であってもヴィザを前に劣勢を強いられている。

 

 加えて、迅や小南と異なり忍田は己の職務に実直過ぎるが故に、彼等ほど七海と親しくしていたワケではない。

 

 故に、七海の心を支える寄木としては、残念ながら役不足と言わざるを得ない。

 

 愛する少女は下手にこの場に赴けば即座に落とされるであろうし、他のチームメイトも同様だ。

 

 いや、誰であってもこの剣聖相手では即死しない方が難しいだろう。

 

 七海の副作用(サイドエフェクト)が察知出来るのは、彼自身に迫る危険のみ。

 

 仲間を呼んでも、その危機に関しては感知する事は出来ない。

 

 もし、一時でもこの力を与える事が出来るのなら。

 

 そう思わなかった事がないと言えば、嘘になる。

 

 自分の感覚(きもち)を識って欲しい。

 

 そういった想いも、心の内には確かに在ったのだから。

 

 ────────────────そっか。それなら、きっと────────────────

 

 刹那。

 

 微かな、声が聞こえた。

 

 そんな、気がした。

 

 

 

 

(不甲斐ない。何も出来ず、やられてしまうとはな)

 

 風間は隊室の緊急脱出用マットから起き上がり、唇を噛んだ。

 

 七海の力となるべく歌川を犠牲にする策を用いてまで乾坤一擲の勝負をかけたが、結果は敗北。

 

 相手に一太刀すら浴びせる事も出来ず、ただ無為に落とされた。

 

 敵の黒トリガーを撃破して、増長していたつもりはない。

 

 あの一戦とて、多くの頼り甲斐のある仲間達との連携の果てに紙一重で掴んだ勝利だった。

 

 エネドラは確かに慢心はしていたが、戦闘者としての隙はさほど見せてはいなかった。

 

 情緒不安定になっていたとはいえ、流石は軍事国家の精鋭の一人。

 

 黒トリガー泥の王(ボルボロス)の特殊性も相俟って、一歩間違えれば自分が落とされていた可能性は0ではない。

 

 だからこそ、エネドラを仕留められた事が一つの自信に繋がった事は確かだ。

 

 七海の、迅にとっての四年間の集大成であるこの大規模侵攻。

 

 その最中、自分が出来る事があるのだと。

 

 誇らしく思った事は、確かだ。

 

 けれど、同じようにヴィザを下せるとまでは思っていなかった。

 

 視認した時点で、彼の脅威の底知れなさは理解出来た。

 

 黒トリガー争奪戦の時に見せた、本気の迅。

 

 それに匹敵する────────────────否。

 

 その時の彼を遥かに凌駕する、正真正銘の羅刹の気配を。

 

 ヴィザは。

 

 神の国の剣聖は、纏っていた。

 

 だから、接近には細心の注意を払った。

 

 足音も完全に消し、ギリギリまでカメレオンを展開。

 

 必殺の間合いまで踏み込み、その刃を届かせんとした。

 

 だが、それは無為に終わった。

 

 圧倒的な経験則という、長年の戦いの重みに押し潰される形で。

 

 格が違う。

 

 風間が本気でそう思ったのは、後にも先にもあの時だけだ。

 

 単純な実力者という意味では太刀川や迅とも刃を交えた事はあるが、ヴィザのそれは彼等とは文字通り一線を画していた。

 

 どれだけ足掻こうと辿り着ける気のしない、幾千もの戦歴の積み重ね。

 

 血風に塗れたその刃の重みは、風間の想像を超えていた。

 

 真っ当な手段では、まず辿り着けない高み。

 

 彼は間違いなく、そんな位階にいるのだと。

 

 そう、確信せざるを得ない程に。

 

(後悔は今すべき事ではない。重要なのは、俺が今出来る事をやる事だ)

 

 自責の思考を、風間は使命感で中断する。

 

 起きた事を後悔するのは、全てが終わった後で良い。

 

 重要なのは、自身の体感した事を鑑みて次へ繋げる事。

 

 その為に、何が必要なのか。

 

 それを見極め、実行する事だ。

 

(迅の狙いは、恐らく────────────────なら、俺のやるべき事は一つだ)

 

 風間は素早くマットから降りると、部屋を出て三上と合流。

 

 とある指示を出し、通信を繋いだ。

 

「────────────────というワケだ。七海の下へ行ってくれ。やる事は分かるな?」

『言われるまでもねぇよ。つーか、もう向かってるトコだしな』

「なら良い。頼んだぞ」

 

 風間は自分が言うまでもなく行動に移っていた通信相手に内心苦笑し、三上に指示して目的地までの最短ルートを転送した。

 

 勝利条件の一つは、察している。

 

 なら、自分なりの方法でサポートを行うだけだ。

 

 それが、無為に落とされてしまった自分の果たすべき責任の取り方であり。

 

 七海の師である自分への、誓いでもあった。

 

(お膳立てくらい、幾らでもやってやる。だから、恐れるなよ七海。お前はもう、いつでも壁を超える事が出来る────────────────それを教えてやるのが俺でない事は、少し悔しいがな)

 

 風間はしばしの感慨の後、再び三上へ指示を飛ばす。

 

 その眼に不安はなく、また焦りもない。

 

 彼ならばきっと、最後の後押しをしてくれるだろうと。

 

 そう、確信しているからだ。

 

 既に、賽は投げられている。

 

 後は、どう転がすかだけだ。

 

 戦いは、戦争は佳境。

 

 一歩間違えれば、最悪へと転がり落ちる運命の最中。

 

 自分たちに出来る事は、あらゆる手を尽くして転がるサイコロを後押しするだけだ。

 

 奇跡は、祈るのではなく手繰り寄せるもの。

 

 いつだって、賽を投げるのは神ではなく。

 

 強き意思を持った、人間なのだから。

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