「ふふ、まさか私が負ける事になろうとは。大言を吐いておきながら、情けない限りですな」
戦闘体が崩壊し、生身の身体となったヴィザ。
彼は敗れて尚変わらない笑みを浮かべながら、土煙の向こうで佇んでいた。
既に、ヴィザの背後には向こうの遠征艇へ繋がっている穴が空いている。
追撃をしようとしても間に合わないだろうし、深追いすれば生身とはいえどうなるか分かったものではない。
故に、此処は黙って逃がすのがベターだろう。
「それでは、縁があればまたお会いしましょう。その時も此度のような戦いが出来れば、幸いですな」
その言葉を最後に、ヴィザは背後の穴へと消えていく。
それを見届けてようやく、七海は大きく息を吐いた。
「……………………出来れば、これで最後にして貰いたいですよ。あんな人の相手は、一度で充分です」
「大丈夫さ。余程の事がない限り、君が彼と戦う事はもうないだろう。俺のサイドエフェクトも、そう言ってる」
「けど、ホントに大丈夫なの? あいつらの星が離れるまで、まだ期間があるんでしょ? だったら、トリオン体を再構築したらまた襲って来るんじゃない?」
小南の懸念は、当然だろう。
今回全ての敵を押し返す事は出来たが、彼等は死んだワケではない。
アフトクラトルがこの世界に近付いている間にトリオン体の再構築が完了するかどうかは分からないが、可能性としては確かにあるのだ。
もう一度、彼等が襲って来るケースというものは。
何せ、今回アフトクラトルは戦果と呼べるものを何一つ持ち帰ってはいない。
流石にトリオン兵は出し尽くしたであろうから同じ規模の襲撃があるとは思わないが、秘密裏にやって来て隊員を攫っていく可能性はある筈だ。
小南と同じ懸念を忍田も抱いており、やや心配そうに迅の返答を待っている。
そんな二人を見て迅は苦笑し、大丈夫だよ、と話した。
「いや、確かにそういう可能性も最初はあったけど、もう心配はないよ。あのおかっぱ頭の男────────────────エネドラって奴を、
それは、迅だけが知る分岐点。
当初はヴィザを撃退出来たとしても、後から少数精鋭で奇襲され隊員を攫われる、といった
だが、とある地点でその分岐は消え去った。
あの時。
エネドラを、生かしたまま捕虜にして基地に連れ帰った段階で。
「どうやら、彼等には此処に留まりたくない
「────────────────撤収だ。このままアフトクラトルに帰還する」
「よろしいのですか?」
アフトクラトル、遠征艇。
そこでヴィザを迎え入れたハイレインは、即座に撤退命令を下した。
そんな彼を、ミラはやや不安気に見詰める。
当然だ。
今回の作戦、確たる戦果は何も持ち帰れていないのだ。
確かにエネドラとヒュースの
この状態で帰ればわざわざ弱みを見せるようなものであり、それはハイレインとしても望ましい事ではない筈だ。
だが、彼は迷う事なく撤退の判断を下した。
当然そこには、彼なりの意図がある筈だった。
「エネドラが生きたまま捕虜となったのが、致命的だ。あいつはまず間違いなく、
「成る程、それは確かに…………」
ミラはハイレインの話を聞き、納得するしかなかった。
今回の作戦で、エネドラは文字通り
だからこそそう思わせない為に彼にはヒュースを置き去りにする計画を告げていたし、まさか自分まで
故にミラが彼の元を訪れた時無防備に手を差し出したのだし、
だが。
ミラはそのままエネドラの命を刈り取るつもりだったのだが、
他のメンバーと違い、ミラは戦闘が本分というワケではない。
というよりも、サポーターとしての価値が高過ぎて直接戦闘するのはリスクが大き過ぎるのだ。
エネドラをミラの凶刃から守ったあの兵はどう見ても手練れの相手であったし、無理に追撃しようとすれば返り討ちに遭っていた可能性もある。
その後の事を考えると<窓>を無駄遣いするワケにもいかなかった為に退いたのだが、その結果としてエネドラは生きて敵に捕らわれる事になった。
すると、どうなるか。
当然、エネドラは意趣返しを────────────────こちらへの仕返しを、考える筈だ。
この状況で、最もハイレイン達が嫌がる事は何か。
そんなもの、ヒュースに関する内情の暴露に決まっている。
ヒュースは形式上ハイレインの部下ではあるが、その忠誠は彼の直属の上司にして拾い主であるエリン家当主に捧げられている。
ハイレインは今回の遠征で金の雛鳥を、神の候補を確保出来なかった場合にはそのエリン家当主を人柱にする計画を立てていた。
故に、その時本国にヒュースが残っていれば間違いなくその計画の障害となる。
彼一人に本家である自分達が負けるとまでは思わないが、問題は彼の捨て身さえ厭わない忠誠心と人望だ。
ヒュースの高い忠誠はエリン家の誰もが知るところであるし、愚直ながらも意外と面倒見が良い為彼に味方する者も数多い。
彼が旗頭となってハイレインに反旗を翻せば、そう簡単には収まらない騒動となる。
場合によっては、ヒュースは自分を犠牲にしてでも当主を逃がしかねない。
そんな騒ぎを起こせば他の領主はチャンスと見て干渉して来る可能性が高い上、最悪「神」探しを先んじられては取り返しがつかなくなる。
だからこそ、ヒュースは「遠征任務先で捕まり本国の情報を売った咎人」として置き去りにしなければならなかったのだ。
そうする事で彼の落ち度を口実にしてエリン家の力を削ぐ事が出来るし、当主を「神」にする計画もやり易くなる。
政治の世界というものは、たとえ目に見えた策謀であろうとも
「ヒュースが真実を知った場合、玄界の兵と手を組んででも遠征艇に戻って来かねない。その懸念がある以上、今の玄界に手を出すリスクは冒せない」
故に、万が一にでもヒュースに遠征艇に戻って来られては困るのだ。
忠誠心の塊のような、彼の事だ。
当主を守る為に自分諸共
そうでなくとも、この艦の中で彼を殺してしまえばどうしたって足が付く。
ヒュースはあくまでも置き去りにしなければ当主を生贄にする口実には使えず、彼をハイレイン達が殺めたと知れば事態が拗れるであろう事は言うまでもない。
加えて、ヴィザはヒュースの師だ。
彼を置き去りにする事には渋々同意した剣聖ではあるが、殺したとなればどう出て来るかは分からない。
こちらの都合を、理解はするだろう。
だが、どう考えてもハイレインへの心証は最悪になる筈だ。
今後の事を考えれば、それは避けたい。
帰還してから妙に上機嫌なのが気にはなるが、彼は完全なハイレインの味方というワケではない。
藪を突いて蛇を出すような真似は、控えた方が得策である。
「ヴィザ翁には申し訳ありませんが、これは決定事項です。残念ですが、ヒュースは連れては帰れません」
「致し方、ないでしょうな。そも、負けてしまった私に止める権利などありますまい」
「いやあ、それには驚いたぞ。まさか、ヴィザ翁を負かす奴がいるなんてな」
だが、何処にでも空気を読まない輩はいるものだ。
ランバネインはハイレインの心情など何処吹く風といった有り様で、ヴィザの敗北を蒸し返した。
ギロリ、とミラの厳しい視線が飛ぶ。
折角巧く纏まりそうなのに、という無言の抗議である。
ランバネインは下手な口笛を吹いて誤魔化そうとするが、ミラの視線の温度は変わらない。
どう考えても悪いのは彼の方なので、当たり前といえば当たり前なのだが。
「いえいえ、まさか私も負けるとは思いませんでしたとも。
「まあ、俺も結局碌に戦果を挙げられずに落とされたから人の事は言えんがな。良き戦いが出来たから、俺としては満足だが」
「はは、そうですな」
互いに不敵な笑みを浮かべ、笑い合う
それを頭痛と共に眺めるミラの肩に手を置いて宥め、ハイレインは改めて告げた。
「現時刻を以て、作戦を終了する。回収可能なトリオン兵を回収し、
「空が…………」
────────────────その光景を、彼等は忘れないだろう。
一筋の光が立ち上り、大規模侵攻の開始と同時に立ち込めていた暗雲が晴れる。
それまで空を覆っていた漆黒の雲は消失し、日の光が三門市を照らす。
街の至る所を闊歩していたトリオン兵はいつの間にか一機残らず消え去り、後に残るのは瓦礫の山。
晴れ渡る青空が戻り、眩い光が降り注ぐ。
14時00分。
四年前の悪夢、その再来。
そうなりかねなかったその日の戦いは、最高の形で終わりを迎えた。
「終わった、んですね」
「ああ、終わったよ。この上なく、最高な形で────────────────最善の、
七海の問いかけに、迅は曇りのない笑顔で応える。
最善の、未来。
この四年間迅が、そして七海が求め続けた結末であり────────────────他ならぬ、玲奈の
これまで、彼等はその為にあらゆる苦難を乗り越えて来た。
那須との関係が拗れ、燻っていた七海も。
玲奈の死を受け入れきれず、
罪悪感故に前に進めず、立ち止まっていた那須も。
信頼出来る仲間の助けによって止まっていた時計の針が動き、今日この日を迎えられた。
そう思うと、とても感慨深い。
誰が欠けても有り得なかった、最善の未来。
それが、今この手に。
ようやく、掴めたのだから。
「やったじゃねぇか、七海。後で祝ってやっからウチ来いよ」
影浦雅人。
彼がいなければ、敬愛するこの兄貴分が導いてくれなければ。
きっと、今の七海は此処にはいなかった。
そう思うと、幾ら感謝しても足りないだろう。
「ようやく、お前の力になれた気がするよ。やったな、七海」
「おう、俺も少しくれぇは手伝えたみたいだな」
村上鋼に、荒船哲司。
好敵手にして、戦友。
彼等と切磋琢磨して来たからこそ、七海はこれまでの戦いを乗り越えられた。
ライバルとしても、友としても。
掛け替えのない存在である事は、確かだ。
『あの爺さんをやっちまうなんてな。また強くなったじゃねぇか、七海』
『よくやった。それでこそ、七海だ』
太刀川慶に、風間蒼也。
今でも強さの底が見えない二人の師匠は、言葉少なに七海を労う。
トップクラスの実力者である彼等との鍛錬があったからこそ、こうして勝てたと言っても過言ではないだろう。
太刀川の人間性はともかくとして、戦いの先達としては今尚敬愛する師匠達である。
「やったね、七海」
『やりましたね、七海先輩っ!』
『お疲れ様です。成し遂げられたようで、何よりです』
熊谷友子、日浦茜、志岐小夜子。
共に戦って来た、同じ隊の仲間達。
彼女達とだからこそ、此処まで駆け上がって来れた。
迷惑もたくさんかけたけれど、それでも。
なくてはならない、大切な仲間達だ。
これからも彼女たちと共に戦って行けるのならば、何処までだって行けるだろう。
「玲一」
「玲」
そして。
那須玲。
幼馴染にして、この世で最も大切な少女。
此処まで、急いで駆け付けたのだろう。
目は潤み、顔も赤らんでいる。
何を言ったらいいか、分からない。
どうやらそんな様子であった那須を見て苦笑し、七海はトリオン体を解除する。
たとえ何も感じられずとも、愛する少女を生身で受け止めてやりたい。
そう思って、七海は生身の身体を曝け出し────────────────。
「え…………?」
有り得ない。
七海は無痛症により、触感が皆無だったのだ。
特注の日常用トリオン体がなければ、まともに外を出歩く事も出来ない。
そんな有り様だった、その筈なのだ。
────────────────あの時、私はとにかく玲一の痛みを取ってあげたい、って思考で一杯だった。だから黒トリガーの機能が暴走して、玲一から痛みや感覚を奪っちゃったの────────────────
────────────────大丈夫。もう、そのトリガーに不具合はないよ。
七海の脳裏に、あの時の白昼夢での姉の言葉が蘇る。
あれがなんだったのかは、分からない。
彼の見た都合の良い幻覚かもしれないし、もしかすると本当に姉の意識の残滓が黒トリガーから語り掛けてくれたのかもしれない。
けれど、もし玲奈の言葉通りなのだとしたら。
黒トリガーの暴走でなくなっていたという七海の痛覚は、触覚は。
元に戻った、という事だ。
「玲一、まさか…………」
「うん、痛みが、感覚が────────────────元に、戻ったみたいだ。姉さんの、お陰でね」
「…………っ!!」
何も、言えなかった。
ただ、迸る想いのまま、那須は愛する少年を抱き締めた。
ふわりと、少女の甘い匂いが、柔らかな感触が七海を包み込む。
それは、この四年間遠ざかっていたもの。
愛する少女の存在をその身で実感し、七海は周囲の眼など気にするものかと那須を抱き返す。
口を出す野暮は、誰もしなかった。
今は、この時だけは。
七海の腕の中という特等席は、彼女だけのもので。
抱き合い感じる、その温もりは。
二人にとっての、何よりの報酬だったのだから。