那須玲/少女の想い
「ど、どうかな…………?」
「────────────────ああ、美味しいよ。ありがとう、玲。ちゃんと玲の作ったものを食べて味わう事が出来て、嬉しい」
七海はおずおずと顔色を伺うように彼を見る那須に対し、笑顔でそう答えた。
その手にはスプーンが握られており、目の前には食器に盛られたスープがある。
鶏肉の団子と白菜、コンニャク等で構成されたそのスープは、那須が家に着くなり作った代物だ。
那須自身肉類があまり好きではないのだが、このスープはあっさりめの味付けでそんな彼女でも好んで食べられるものだ。
しかし味付けは薄味が基本である為極端に濃い味付けでなければ味覚を感じ取れなかった今までの七海には、出しては来なかった。
だが、それはこれまでの話だ。
つい先ほど、七海は大規模侵攻最後の戦いの最中黒トリガーを起動させ、その結果として四年間失っていた
それはつまり、これまでとは違い味覚も正常に戻ったという事だ。
この四年間、七海は極端に濃い味付けでもしなければ味を感じ取る事が出来なかったが、今はそうではない。
普通の、何の変哲もない食事であっても味わって食べる事が出来る。
本当にそういった状態に戻ったかを確認する為に、那須は大規模侵攻の後始末だなんだを迅の計らいで全て他者に任せてこうして七海に料理を振舞っていたのだ。
勿論隊長として報告書を書く義務はあるが、迅曰くそれもそこまで急ぐ話ではなく、数日以内に提出してくれれば問題ないとの事。
一刻も早く今の七海に自分の料理を食べて貰いたかった那須はその言葉に甘え、誰よりも早く彼に料理を振舞ったワケだ。
もしも、七海が味覚を取り戻す事が出来たのなら。
その時は、一番に自分の料理を食べて欲しい。
それは彼女が密かに抱いていた、半ば諦めていた
原因不明の無痛症を患ってしまった七海の感覚が、もしも戻る事があれば。
そんな夢想を繰り返し、現実を直視して涙した夜は数知れない。
けれど、今。
その夢は、最高の形で叶ったのだ。
那須には、分かる。
今の七海の告げた「美味しい」という言葉は、決して彼女を気遣った
本当に料理を美味しいと感じて、そのままの感想を口にした顔だ。
だって、それは。
彼が影浦のお好み焼きを食べた時と、同じ顔と声だったのだから。
正直、比較対象が彼の師とはいえ男性なのはどうかと思う。
けれど、これまでの四年間で七海が何かを食べる際に最も喜んでいたのは、彼のお好み焼きだったのだ。
まあ、理屈は分かる。
影浦は七海の為に全力を尽くし、試行錯誤を繰り返した末に無痛症の七海であっても味を感じる事が出来るお好み焼きを完成させた。
それはきっと、食事を楽しむ事を半ば諦めていた七海にとって何より嬉しかったに違いない。
今の自分でも、食事を美味しいと感じる事が出来る。
四年間、感覚を喪失していた七海にとってそれはどれ程の救いとなった事かは想像に難くない。
そういった感慨もあって、七海の一番の好物は影浦のお好み焼きと言っても過言ではないのだ。
但し、理屈は理解出来ても女心がそれを認められるかは別の話だ。
恋する少女としては、
勿論七海に心を尽くしてくれた影浦には感謝しているが、これはそういう事ではないのだ。
感謝もしているし、恩義も感じている。
けれど、女のプライドというものがある。
好きな人には、自分の料理を一番だと言って欲しい。
そういう願望は、那須の中に確かにあるのだ。
だからこそ、那須は他の何よりも味覚の戻った七海に一番最初に料理を振舞う事に拘った。
「味覚を取り戻して最初に食べた料理」という、付加価値によるアドバンテージを獲得する為に。
人は、先入観────────────────つまりは付加価値というものに、思った以上に影響される。
「期間限定」や「数量限定」と名が付くものは何故かそれだけでお得な感じがするし、楽しい旅先で食べた食事はよほど酷いものでもない限り美味しく感じるものだ。
だからこそ、那須は「最初に食べた料理」という付加価値に拘ったのだ。
何よりも自分の料理で、七海に喜んで貰う為に。
彼の為に手を尽くしてくれた影浦やレイジには悪いが、こればっかりは譲れない。
影浦には師匠補正と漢気で、レイジには純粋に料理の腕で負けている事を自覚している那須としては、此処は絶対に譲れない一線だった。
(良かった。ちゃんと、喜んでくれてる)
しかし、その甲斐あって効果は絶大だった。
今の七海は、純粋に那須の料理を称賛し、心から「美味しい」と口にしている。
心なしか、普段より食べるスピードが早く思える。
矢張り、数年ぶりに生身で食事を楽しめると言う点が大きいのだろう。
付加価値に拘って良かった、と那須は安堵した。
お膳立てをしてくれた迅には、感謝してもしきれない。
後で菓子折りを持って行くべきよね、と密かに思案する那須であった。
七海は自分の料理を喜んでくれたし、後顧の憂いもない。
那須は純粋にその事を喜び、心の中でガッツポーズを取った。
(とにかく、折角味覚が戻ったんだもの。これからはしっかり胃袋を掴んで、私の料理なしじゃ駄目だ、ってくらいに染めなくちゃ。男の料理なんかに、私は負けないっ!)
(────────────────負けたわ)
数日後。
お好み焼き屋「かげうら」に訪れた那須は、目の前で楽しそうに影浦と談笑する七海を見てうなだれていた。
七海は「美味しいです」と言いながら、影浦に満面の笑みを向けている。
どう見ても、その姿は先日自分の料理を食べた時より楽しそうだ。
考えてみれば、当たり前の話だ。
七海にとって、影浦のお好み焼きはある意味で慣れ親しんだ味だ。
この四年間、七海が味を感じられる数少ない料理。
それが、影浦のお好み焼きであった。
つまり、それは。
人は、好物を食べる時に実際の味よりも美味しく感じる事があるのだという。
これは「この料理は美味しいものだ」という本人の認識が自己暗示となり、味覚にある種の
影浦のお好み焼きは、刷り込みには充分な期間七海の舌を刺激し続けた。
だからこそ、ある意味その完全版とも言える特別メニューではない影浦のお好み焼きは、七海にとって極上のご馳走であると言わざるを得ない。
加えて七海の影浦への慕いっぷりは尋常ではなく、こうなるのは割と目に見えていた事ではある。
勿論、納得など出来る筈もないが。
ちなみに、熊谷や茜といった面々はそんな那須の様子には気付いていない。
熊谷は柿崎と席を囲みながら談笑しているし、茜はユズルと話している。
元より熊谷はスポーツマンとしての側面が強く、少女らしい所も勿論あるが恋愛経験は皆無なのでこういった事には鈍い。
茜はそもそも料理をした経験自体があまりなく、恋愛についても同様だ。
唯一共感出来るであろう小夜子は男性恐怖症により外出出来ない為この場にはおらず、那須は一人敗北感に打ちひしがれていた。
「
「え…………?」
だが。
そんな那須に、同意の言葉をかける者がいた。
柿崎隊万能手、照屋文香。
才色兼備な柿崎隊の才女が、うな垂れる那須に手を差し伸べていた。
「出来るなら、自分の料理を一番に評価して貰いたい。その気持ちは分かります。私だって、女の子ですから」
「…………! そうよね。理屈は分かるけれど、納得は出来ないわよね」
「ええ、勿論。当然の感情ですから」
那須はそんな照屋の手を取り、しきりに頷いた。
同士を見つけた、そんな安心感が溢れ出る。
考えてみれば、照屋ほどこの場における適役はいない。
他の隊の恋愛事情には鈍い那須だが、確か彼女は自身の隊の隊長に想いを寄せていた筈だ。
その対象である柿崎は、今現在熊谷と共にお好み焼きに舌鼓を打っている。
恋慕を寄せる相手が、自分ではなく他の女性と話している。
自分に置き換えてみた。
まず、良い気分はしない。
場合によっては、適当な口実を作って割って入る事も充分に有り得る。
そう考えてみると、照屋が今の熊谷へどんな想いを抱いているか。
考えると怖くなり、ちらりと彼女の顔色を伺った。
「ああ、大丈夫です。熊谷さんは元々私や柿崎隊長とは休日にスポーツする仲ですし、彼女にそんな気がないのは知っています。その点については心配
「え…………?」
しかし、照屋はそんな那須の心配を他所に意味深な言い回しをしながら笑みを浮かべた。
訝し気な表情をする那須に、照屋はにこりと笑いかける。
「さり気なく、私が隊長の事をどう思っているかは熊谷さんに伝えてあります。一度そう伝えておけば、熊谷さんの性格上ある程度の一線は引いてくれますよ。彼女は、気配りが出来る方ですから」
「成る程。それは確かに」
那須は照屋の話を聞き、うんうんと納得する。
彼女の話は、非常に納得が出来るものだった。
何故なら、那須もまた過去に似たような事をやっているからだ。
熊谷は那須隊の仲でも特に社交的な性格をしており、男女分け隔てなく接する距離の近さがある。
昔は七海に対しても今より遠慮なく距離を詰めて接していたのだが、それを見て不安になった那須が彼女に自分の想いを伝えて
当時の那須は七海への感情を表向き認める事が出来ず色々と拗れていた為言いがかりに近い話し方をしてしまったが、熊谷は苦笑しながら「分かった」と言って七海との距離を配慮するようになってくれた。
そんな彼女であれば、照屋の想いも斟酌して振舞うだろう。
良く見て見れば今も熊谷は柿崎とは一定の距離を保って話しており、内容も爽やかオーラが見えるようなスポーツ関連の健全な話題オンリーだ。
那須隊屈指のリア充オーラを放つ彼女を何処か眩しく思いながら、あれなら心配は要らないわよねと親友に対し割と重い感情を向けている少女は納得したのであった。
「今回のケースも、それと同じですよ。同性に対する親愛と、異性に対する情愛は別物ですから気にするだけ無駄です────────────────とは言っても、それで納得するなら乙女心という言葉は存在しないでしょう」
「そうよね。理屈と感情は別だもの」
恋する少女達は、互いの言葉に納得し頷き合う。
理屈は分かるのだ。
同性に対する友情と、異性に対する愛情が別であるのは当たり前の事だ。
だが、これはそういった理屈の問題ではない。
女としての、想いを向ける相手に対する感情の話なのだ。
理解は出来ても、納得は出来ない。
この問題の本質は、そういうものなのだから。
「だから、こう考えれば良いんです。那須先輩は那須先輩にしか出来ない方法で、影浦先輩に勝れば良いと。女の子である事を、最大限に活かして」
「それって…………」
「告白しましょう。両想いなのは見て分かりますが、まだ正式に付き合っているワケではないんですよね?」
那須はいきなりの照屋の言葉に面食らい、目をぱちくりさせた。
確かに彼女の言う通り、まだ那須と七海は正式に付き合っているワケではない。
両想いなのはお互いに知ってはいるものの、それをちゃんと言葉にするのは後回しにしていたのだ。
────────然るべき時が来たら、言うよ。玲に、告げるべき言葉を。だから今は────────
あの時の言葉が、蘇る。
ラウンド3での失態の後、様々な人の助けで七海との関係の拗れを修復出来た際に結んだ約束。
片時も忘れた事がなかったそれを、改めて思い出す。
然るべき時が、来たら。
それは、確かに。
今を置いて、他にはない。
最大の懸念事項であった、大規模侵攻。
それを乗り越える事が出来た今こそ、何の憂いもなくお互いの気持ちに向き合える。
考えてみれば、これ以上ない好機であった。
無論、その事は照屋は知らない筈だ。
けれど、確かに。
この悶々とした気持ちに決着を着けるには、これ以上ない良策と言えた。
「男女として正式にお付き合いをするようになれば、多少の事には目を瞑れるようにはなる筈です。特別な関係になれば、見えて来るものもまた違って来るでしょうから」
「そうね。そうよね。うん、そうだわ。ありがとう。目が覚めたわ」
「いいえ、まだ準備段階である私に比べればすぐにそれが実行出来る分那須先輩は良い方です。こちらは、まだまだですから」
那須の感謝の言葉に対し、照屋は苦笑する。
確かに、彼女が柿崎に想いを寄せているのは見れば分かるが、向こうの方は完全に年下の庇護対象として照屋を見ている。
これは柿崎の自己評価が低い事に加え、彼の世話焼きな保護者気質が強く出ている為だろう。
「大変ね」
「ええ、でも仕込みはしている最中ですので問題はありません。意識改革の為の布石は打っていますし、長期戦は覚悟の上です。私が高校生の間はまず手を出してはくれないでしょうし、卒業してからが勝負ですね」
「応援しているわ。頑張ってね」
「はい、ありがとうございます。那須先輩も。健闘をお祈りしています」
恋する少女達は、笑みを浮かべ手を握り合った。
照屋に背中を押された那須は、この日七海に想いを告げる事になる。
どうやら七海もそのつもりだったらしく、結果は言うまでもない。
こうして、数年来の少女の想いは結実した。
これが切っ掛けとなり、那須と照屋の仲は以前より親密になったという。
尚、付き合う事になって色々開き直った那須が色々とはしゃぐ事になるのだが。
それはまた、別の話である。
というワケで、那須さんの背中を押したてるてるの話でした。
時系列としては最終話のお好み焼き屋の話と、ラストの告白シーンの間の話になります。
アフターエピソードは今後も順次追加していきますので、お楽しみに。