「…………」
ヒュースは隣でぱくぱくとお好み焼きとやらを頬張る遊真を半眼で睨みながら、周囲の喧噪を垣間見る。
此処は、玄界のとある飲食店なのだという。
自分達が戦った敵、「ボーダー」という組織の一員が此処の店員を務めているらしく現在貸し切りになった店内にいるのはその隊員達だ。
おかしい。
何がおかしいかと言えば、先日の作戦でこの玄界に訪れ結果として捕虜になった自分が何の拘束もなくこんな場所に連れ出されている事自体がそうだ。
一体、何を考えているのか。
ヒュースには、皆目見当も付かなかった。
確かに、先日の戦いでヒュースが関わった隊員は直接戦った遊真と修、そして彼を連行したレイジの三人だけだ。
故に、他の隊員はヒュースの顔を直接見てはいない。
だが、敵の情報共有を怠るような愚鈍な組織には見えない為、ある程度自分の事は露見している筈だと彼は考えていた。
実は此処に連れ出される際にその事を理由に断ろうとしたのだが、あろう事か自分の軟禁されている支部の長だという男は「ヒュースの情報は自分の所で止めている」と言ってのけた。
勿論ボーダーのトップには情報共有されているらしいが、少なくとも一般隊員には彼の正体は知らされていないらしい。
少なくとも、一般隊員レベルで彼の事を知っているのは玉狛支部の面々だけのようだ。
何が目的かいまいち読めないが、大方自分に情報を喋らせる為の懐柔策だろうとヒュースは考えていた。
というよりも、彼の常識からしてみればそれくらいしかこんな温い扱いをされる覚えがないのだ。
通常、捕虜というのは人権がないものとして扱われる。
基本的に近界の戦争では捕虜を拷問する事は大量に鹵獲した場合を除き憂さ晴らしが目的だが、彼の国の兵士の場合は事情が異なる。
近界で最大規模の軍事国家であるアフトクラトルは相応の恨みを各国から買っており、もし捕虜になれば碌な扱いをされない事を覚悟する他ない。
やったら、やり返される。
その程度の覚悟なくして、軍務に身を置いてなどいない。
少なくとも、ヒュースはそのつもりで作戦に臨んでいた。
だから捕虜になった当初はどんな尋問でも来るなら来いと身構えていたのだが、一向にその気配はない。
確かに情報を聞いては来るが、それはあくまでも世間話のような感じであり彼が断わるとそれ以上は追及しなかった。
まだその時は、困惑まではしなかった。
当時は捕まえた捕虜が彼一人だけだから非効率な痛みを伴う尋問ではなく懐柔策に切り替えたのだろう、くらいの考えだったからだ。
しかし、かと思えば彼への対応は中途半端なものだった。
色々と自分たちの事情を聞かせて共感を抱かせようとするかと思えばそれもなく、自分の監視はあろう事は幼い子供に任せる始末。
食事は問題なく出て来るが要望が何でも通るというワケでもなく、しかし施設から出ないよう言われる程度で鍵のかかった部屋で軟禁される事すらない。
玉狛支部でのヒュースは専ら幼い子供────────────────陽太郎と同じ部屋で暇を潰す、という日々を送っていた。
しかし、暇を潰すと言っても鍛錬相手もおらず玄界の文字が読めるワケでもない。
故に暇を持て余すかと思えば、陽太郎が何くれと構って来るのでそういった事もなかった。
陽太郎はヒュース相手に近界の書籍を見せながら、熱心にその内容を解説していた。
最初は適当に無視していたヒュースだが、話を聞いているうちに彼の知能が見た目とは裏腹にある程度の成熟が見られる事に気が付いた。
勿論、知識レベルとしては年相応だ。
だが、陽太郎はヒュースの知る幼子とは何処か物の見方────────────────視点が、通常とは異なっていた。
子供にとって世界とは、自分の眼で見たものが全てだ。
けれど、陽太郎は自分が知る以外の世界の存在を既知のものとして扱っていた。
言葉こそたどたどしいものの言動には年齢不相応の知性が垣間見え、とてもではないが普通の子供には思えなかった。
だから、聞いてみたのだ。
お前は、何処かの貴人なのかと。
今思えば、下らない質問だった。
普通に考えて、貴き血筋の子供がこんな所に転がっているワケがない。
何処かから逃げて来た貴人であれば、それこそ存在そのものを隠匿する筈だがその気配もない。
故に、その質問に意味などなかった。
ただ、不意に思いついた────────────────しかし聞かなければと無意識に考えた、他愛のない世間話。
陽太郎はその質問に「おれはおうじなんだ」と答えたが、その時は子供の戯れだろうと気にもしなかった。
……………………後から思えば、あの時陽太郎は
その事を、後日支部にやって来た瑠花という少女によって思い知らされた。
「貴方がアフトクラトルの軍人ですね。私は忍田瑠花。今は亡き近界国家アリステラ、その王女で陽太郎の姉です」
彼女の言葉に受けた衝撃は、筆舌に尽くし難い。
アリステラ。
その国の名前は、当然知っていた。
四年前に滅びた、一つの近界国家。
通常、戦争で負けたとしても国そのものが滅びるといった事は稀だ。
近界国家同士の戦争では、相手国の母トリガーを抑えて属国にするのが普通だ。
これは単純に、その方が利益が得られるからだ。
危険極まりない技術と思想を持った国家であればともかく、普通の国を滅ぼす旨味など存在しない。
侵略戦争とは、それによって利益が得られるからこそ行われるものだ。
怨恨を元に戦争を行えるような
だからこそ、形骸的な亡国ではなく正しく
そういった意味で、アリステラの滅びは近界では相応に知る者の多い事柄だった。
滅びたアリステラの王女が、玄界の軍事組織に身を置いている。
その意味を考えない程、ヒュースは愚鈍ではない。
今は亡き国の王族がボーダーにいるという事は、即ち失われたと思われていたアリステラの
ここ数年の急激な玄界の成長には、恐らくアリステラの母トリガーが関わっているのだろう。
他の近界国家からすれば、この情報の持つ意味は大きい。
もし、この情報が拡散すれば玄界にとっては致命傷だ。
何せ、単なる資源の採掘地という認識でしかなかった玄界に、母トリガーが眠っているというのだ。
当然、どの国も血眼になってそれを奪いに来るだろう。
これまでとは、侵攻の質も量も俄然異なって来る事が予想される。
それを分かっていないような、暗愚な少女には見えない。
危険を承知で、軍事国家であるアフトクラトル所属の自分にその情報を明かした意味。
つまりこれは完全に玄界側に下るか、それとも処分されるかの二択を選べという事なのだろう。
これまでは積極的にヒュースを処分する口実がなかったからあのような扱いだったが、恐らく何も喋ろうとしない自分を邪魔に思ったボーダーが「王族を誑かし機密情報を喋らせた」という咎を理由にそれを実行しようとしているのだと。
もしくは、機密情報を知った事を恩に着せて自分達に付かせようと狙っている支部の独断か。
そのどちらかだろうと、ヒュースは結論付けた。
そうでなくては、通りが通らない。
「残念だが、俺は祖国を裏切るつもりはない。これまで告げた通りだ」
だから、改めて情報を喋る気はない事を通達した。
これで自分の処分は決定しただろうが、元より無駄に命乞いをするつもりはない。
気になる事はあるが、それでも尚主に対して恥ずべきと思う行いは出来ない。
そう自分を強引に納得させ、沙汰を待つヒュースに。
「ですが、そのままでは貴方の望みは叶いませんよ。エリン家の当主が、このままでは「神」にされてしまいますから」
「なに…………?」
────────────────少女は、聞き逃せない一言を言い放った。
それに反応したヒュースを見て薄笑いを浮かべ、瑠花は言葉を重ねた。
「捕虜としていたのは、貴方だけではないのです。エネドラという男もまた捕虜になっていたのですが、その彼から興味深い情報を聞けたのです。曰く、貴方をこの世界に放逐したのは貴方の主を「神」にする計画の障害となるから、だそうです」
「…………っ!」
ヒュースは眼を見開き、拳を握り締める。
気には、なっていた。
作戦当時は回収する余裕がない為に置いて行かれたのだと納得しようとしたが、そもそも彼が敗北し囚われの身となったのは戦闘開始から比較的早い段階である。
そして、彼が囚われて以降その身柄を奪還しようとする動きは一切見られなかった。
遂にはアフトクラトルは彼を置き去りにしたまま撤退し、祖国へ帰還した。
その事に、疑問を持たなかったワケではない。
頭の中に過った最悪の可能性を、考えなかったと言えば嘘になる。
しかし、そんな真似を師であるヴィザが容認したなどととてもではないが受け入れられなかった。
されど、状況証拠は揃っている。
しかも、エネドラがそれを話したというのが真実味を高めていた。
ヒュースは作戦開始前に、エネドラを処分する計画について聞かされていた。
その時は最近の彼の行動を考えれば自業自得だと思っていたのだが、今思えばいち隊員に過ぎない自分にそんな秘密作戦の内容を聞かせる時点でおかしいと気付くべきだった。
恐らくあれは、自分を嵌める為の
エネドラを謀殺する側に加担させる事で、自分が陥れられる側だと認識させない為のハイレインの罠だったのだろう。
ハイレインは確かに優秀な人物ではあるが、同時に目的の為には手段を選ばない側面を持っている。
領主として当然の行動であり、逆にそういった人物でなければ軍事国家のトップの一人など務まらない。
だが、だからこそ必要なら彼はやると、認めざるを得なかった。
今回の遠征の目的は「神」の候補者の鹵獲だが、当然それが上手く行く保証など何処にもない。
だからこそ各国へ遠征部隊を差し向けて「神」を探しているのであり、こればかりは数を撃って当てるしか方法がなかった。
しかし、恐らくハイレインはそんな不確実性を嫌って「保険」をかけていたのだろう。
今回の遠征で「神」候補を捕まえる事が出来なければ、ヒュースの主であるエリン家当主を「神」に────────────────人柱にする、計画を。
当然、そんなふざけた真似はヒュースとしては容認出来ない。
たとえ直属の上司であれ、ヒュースの真の忠誠は彼ではなくエリン家当主に向いている。
ハイレインに刃を向けてでも、当主を守る為に動いた筈だ。
そんなヒュースの性根を、恐らくハイレインは見抜いていた。
だからこそ玄界に置き去りにするという方法で、ヒュースを処分したのだ。
(こんな事をしている場合ではない。どんな手段を使ってでも、アフトクラトルに戻らなければ────────)
先程までとは打って変わり、ヒュースの中に焦燥が芽生えた。
主の危機が確定的となった以上、こうしている時間すら惜しい。
国に残ったエリン家の者達が抵抗するだろうから、すぐに主が生贄とされる事はないだろう。
だが、勢力として分家であるエリン家と主家であるハイレイン側とでは保持する戦力に雲泥の差がある。
精鋭揃いのエリン家とはいえ、最終的に敗北するのは目に見えている。
だからこそ、何が何でもアフトクラトルに戻らなければならなかった。
「…………何が狙いだ? 祖国の情報は話さない。そこは変わらない」
「意地を張っていても無駄だと思いますが、それならそれで構いません。貴方は祖国へ帰りたい、しかし現実的な手段はない。そうですね?」
「そうだが、それがどうした」
煽るような瑠花の言葉にヒュースは若干苛立ちながら聞き返すが、そんな彼に少女は不敵な笑みを浮かべて見せた。
「その手段を用意出来る、と言ったらどうします?」
「なに?」
そして、想定外の言葉を口にした。
アフトクラトルへ、祖国へと帰還する手段。
それを、捕虜である自分に渡す?
有り得ない。
幾ら王族とは言っても、出来る事には限度がある。
王権が力を保っていた頃であればともかく、今の彼女は亡国の姫。
母トリガーを提供しているとはいえ、捕虜の解放など早々出来る事ではない。
だが、ハッタリとも思えない。
彼女の言葉には、確かな力があったのだから。
「今回の大規模侵攻では人的被害を0に抑える事は出来ましたが、侵攻があったという事実は消せません。なのでボーダーは市民の不満を組織に向かわせないようにする為に、公開遠征を行う事を公表しました」
「民の不安を抑え込むのも為政者の役目だ。別段おかしな事ではないな」
「鈍いですね。その公開遠征、貴方も行けると言ったらどうします?」
「なんだと」
今度こそ、ヒュースは仰天した。
玄界が、近界へ遠征へ向かう。
その事自体は、さほどおかしな事ではない。
しかし、その遠征に自分を同行させる?
正直に言って、意味が分からなかった。
「正気か? 捕虜を遠征艇に乗せるなど、出来る筈がないだろう」
「貴方個人を乗せようとすれば、無理でしょうね。ですが、部隊の一員としてなら可能でしょう。貴方を入隊させる許可を、三雲くんが勝ち取れればの話ですが」
「ミクモ────────────────あいつか」
ヒュースの脳裏に、一人の少年が浮かぶ。
あの時、遊真との戦闘時に彼の敗北を決定付けた一手を打った兵士。
三雲修と、彼はそう名乗っていた。
「ええ、彼と遊真くん、そして千佳ちゃんがチームを組んでその遠征を目指しているわ。貴方はその部隊に参加して、遠征を目指せば良いという寸法です」
「可能なのか?」
「全ては三雲くんの交渉手腕次第ですが、彼なら出来ると考えています。貴方も、彼が隊長であれば文句はないでしょう?」
「…………そうだな。少なくとも、そこらの雑兵を指揮官とするよりはマシだろう」
ヒュースにとって修は手痛い敗北の経験に関わる人間だが、それ故に評価も高かった。
自身の実力不足を理解しながら、それでも尚的確な一手を打った少年。
彼がいなければ勝敗はどう転んだか分からず、少なくとも遊真に痛打を加える事は出来ただろう。
そういった意味で、指揮官とする最低限度のレベルはクリアしているとヒュースは修を評価していた。
彼自身認めないだけでこれは相当な高評価なのだが、ヒュース本人はそこまで自覚してはいない。
また、自身を直接下した遊真の実力に関しては何も心配はしていない。
加えて千佳という隊員は、この玉狛支部で何度か目にしている。
相当なトリオン量を保持しており、彼女が恐らくハイレインの言っていた「金の雛鳥」だろう。
仮に彼女を連れ帰れたとしても一度当主を切る決断を下したハイレインは最早信用に値せず、そもそも一度処分を決定した相手を生かしておくほど彼が温いようには思えない。
手土産を持ち帰ったところで、裏から手を回されて始末されるのがオチだろう。
今はその莫大なトリオンがチームにどれだけ貢献出来るかの方が急務であり、彼女の身柄に興味はない。
ともあれ、ヒュースと遊真のエース二枚看板と、トリオン量の怪物である千佳。
そして指揮官として有能さを垣間見せている修の
そう考えれば、悪い取引ではない。
これを提案したのがあの胡散臭い迅という男ならばまだごねただろうが、瑠花の言葉には真摯な重みがあった。
彼女の清廉潔白さは、その立ち振る舞いの端々から伝わって来る。
それに。
あの陽太郎の姉ならば、悪い人間ではないだろう。
そんな無意識の信頼があった事を、彼は自覚してはいなかった。
「いいだろう。その案に乗ってやる」
「賢明な判断です。その選択を、翻す事がないように」
「無論だ。だが、随分な博打を打ったな。俺が情報だけ持って逃げるとは思わなかったのか?」
ヒュースの疑問は、当然だ。
瑠花がアリステラの王族であるという情報は、どの国家であろうと欲しがる類のものだ。
もしもヒュースが情報を餌に他の近界国家に取り入れば、大惨事を招きかねない。
だというのに躊躇いなく情報開示をしたあたり、王族らしい豪胆さが垣間見える。
「あら、心配はしていませんでしたよ。貴方の事は、陽太郎から色々聞いていましたからね。そういった人間でない事は、初めから分かっていましたから」
「────────」
だから、思いも依らぬ
陽太郎にその意図はなかっただろうが、彼女は弟を通じて密かにヒュースの性格や思考傾向を調べた上でこの場に立っていたようだ。
矢張り、王族は王族。
侮って良い相手ではない事を、改めて理解したヒュースであった。
「ヒュース、良い食べっぷりだな」
「栄養補給は重要だ。倒れては話にならんからな」
そのヒュースは現在、お好み焼きに舌鼓を打っていた。
利用してやるだけだ、と息巻いてはいても彼の心は玄界の豊富なグルメにがっちり掴まれた後だったりする。
このお好み焼きも最初は素材をボールに入れた状態で出されて敬遠していたものの、いざ完成品を前にすればその香ばしい香りが食欲を刺激し自然に口に運んでいた。
割と健啖家なヒュースは早いペースでお好み焼きを食べ続けており、その豪胆な食いっぷりに注目を集めている事には気付いていない。
「後で陽太郎に持ち帰れるか聞いてみるか」と考えているヒュースは、最早すっかり毒気が抜かれている。
特に、陽太郎に関してはそれが顕著だった。
遠征に参加して故国に帰還出来る可能性を陽太郎に伝えたところ、彼は我が事のように喜んでくれた。
「さびしいけど、かえりたいならかえったほうがいいんだ」と言った時の彼の表情を、ヒュースは忘れていない。
せめて、この世界にいる間はあの涙に報いよう。
後にいなくなる人間として、良くしてくれた恩義には必ず報いる。
その上で目的を達成する事こそ陽太郎への恩返しだと、ヒュースは考えている。
道は長く、遠い。
けれど、光明が見えるだけマシな方だ。
必ず、帰る。
そう誓ったヒュースは、その食べっぷりを遊真達にからかわれながらボーダーの者達に囲まれていった。
『ひゅーす』
「丸くなった捕虜」
原作と異なり迅ではなく遊真と修によって敗北し囚われた為、最初から玉狛第二の面々への評価が高い状態で捕虜生活をスタートしている口だけツンデレ。
迅の事は生理的に受け付けないらしく印象は悪いが、打算抜きで良くしてくれた陽太郎の事はとても大事にしている。
姉の瑠花については若干苦手意識を持ってはいるが、ハイレインに裏切られた経験を多少なりとも引きずっている為清廉潔白である事が高評価に繋がっている。
隊員への面通しも済んでいるので、玉狛第二への参加時期は原作よりも早くなると思われる。
新たな主役の一員として、彼の物語は始まっていくだろう。