忍田瑠花が迅悠一と出会ったのは、今から6年前。
迅が13歳、彼女が10歳の時である。
その時、迅を始めとした旧ボーダーの面々は同盟が締結したアリステラの王宮を訪れていた。
それまでは使者を通じたやり取りに終始していたが、晴れて同盟が結ばれた事でようやく王宮へのお目通りが叶ったのだ。
彼女の父、アリステラの国王への謁見の際に、他と比べても特に幼い少年が他の大人達の中にありながら奇妙な空気を纏っていて決して無視出来ない存在感を持っていたのが、瑠花の興味を惹いた────────────────と、いうワケではない。
瑠花が気に入らなかったのは、彼の
自分より少し上くらいの年代だというのに、まるで人生に疲れ切った老人のような眼をしていたその少年が────────────────とにかく、癪に障ったのだ。
だから、瑠花は謁見の場から辞した迅を呼び止め、話をしようと個室に引っ張って行ったのだ。
一国の王女としては不用心極まりないが、幸いにして両親は彼等旧ボーダーの事を信頼していたし、多少の我が儘程度であれば構わないだろうと黙認する姿勢を取った。
故に遠慮なく、迅に対して瑠花は啖呵を切る事にしたのだ。
「あなた、名乗りなさい。私の事は、当然知っていますね?」
「…………はい、■■■■王女。おれ────────私は、迅悠一と言います。何か、御用でしょうか?」
「慣れない敬語も畏まる必要もありません。今の私は王女ではなく、一人の人間としてこの場に立っているのですから」
「ですが」
「私が良いと言ったのですから、それは世界のルールです。今この場において私の言葉以上に優先するものはありません。それを、忘れないように」
突然の言葉に呆気に取られた迅であるが、瑠花が引き下がるつもりがない事を察した為、溜め息を吐いて顔を上げる。
「分かったよ。これで良いかな」
「よろしい。では聞きますが、貴方は何故そんな眼をしているのです? まるで、人生に疲れた老人のような眼を」
「…………っ!」
そして、その少女の指摘に目を見開く事になる。
最初は、幼い王女の我が儘に付き合わされただけだと考えていたようだ。
しかし、彼女が年齢に見合わぬ見識と鋭い観察眼を持ち、彼の本質を見透かしていた事は想定外にも程があった。
しばし固まる迅に対し、ジロリと瑠花は目を細めた。
「貴方がそんな眼をしている原因が、何かしらの機密に関わると言うのであれば詳細を語らずとも構いません。ですが、どういう類の悩みを抱えているかくらいは言いなさい。私は、貴方方が同盟を組んだアリステラの王女────────────────同盟相手に不安点があるのなら、それを洗い出すのが務めです。聞き役くらいにはなってあげますから、言ってみなさい」
此処で、瑠花が迅を気遣う言葉を言っていたのであれば彼は口を噤んだだろう。
自身を心配する言葉など、彼はかけられ慣れている。
だから、善意を前面に出しても彼は口を開かなかったに違いない。
しかし、瑠花は敢えて自身の王女という立場を前面に出した。
彼女が何処まで考えていたかは、分からない。
けれど、彼に対しては「こちらの方が効く」と直感し、行動したのは確かだろう。
「────────実は…………」
結果として、迅は口を開いた。
自身の抱える葛藤、その根源たる
その旧ボーダーにとって核とも言える情報を、未だ幼くも確かな才気を見せる王女に告げた。
そして。
「────────心配は要らない。
「そうですか。では、歯を食い縛りなさいっ!」
「…………っ!!??」
当然、少女の膂力なのでトリオン体でいた迅にダメージはない。
しかし、当然それを承知していた瑠花は突然の事に彼が怯んだ隙に足払いをかけ、押し倒すように倒れ込んだ。
ただ足払いをかけられただけでは、迅は態勢を立て直しただろう。
だが、瑠花自身も倒れ込んで来た為、このまま避ければ彼女が怪我をしかねない。
故に仕方なく、彼女を受け止める形で倒れ込んだ。
そして迅にのしかかるように密着した瑠花は、至近距離で顔を覗き込みジロリと目を細めた。
「まったく、勘違いをしているようですね。我々アリステラは、奴隷が欲しいのではありません。あくまでも、対等な同盟関係を望んでいます。だというのに、貴方のその物言いでは私たちが貴方に犠牲を強要しているようではありませんか」
「あ、えっと、ごめん」
「心の籠っていない謝意は必要ありません。貴方の性根はすぐに変わるとは思いませんし、気長に付き合うとしましょう」
ですが、と瑠花は続ける。
「自分の評価を不当に低く見るのは、止めなさい。貴方の力は、聞いた限りでは今後の世界に必要なものです。それだけのものを持っているのですから、相応に誇りを持つべきでしょう」
「俺はそんな、大した奴じゃないよ。ちょっと厄介な力を持って生まれただけの、ただのガキさ」
「────────ふぅ、言っても無駄なようですね。出来る事なら私がその心を解き解したいですが、いずれにせよ長期戦を覚悟する必要がありそうです」
未だに瑠花の意図を掴んでいない迅に対し、大きなため息を吐く。
どうやら、この少年は自分自身への評価が低過ぎる為に、自分を気遣う相手の言葉を話半分に聞いてしまう悪癖があるようだ。
こういう相手にただ言葉を尽くしても無駄である事は、瑠花には分かっていた。
幼くも王族として知識の収集を欠かさず、年齢不相応の聡明さを持っていた彼女は強引な手段だけではこの少年の葛藤は何も解決しない事を理解した。
最初に抱いた迅への苛立ち交じりの興味は、既に彼の未来を案ずる気遣いへと変化していた。
こいつは、放置していてはいけない。
放っておけば、何処かで道を踏み外して機械じみた生き方を自らに強要してしまう。
既に、その片鱗は充分見えているのだ。
何か大きな喪失があれば、それを契機に一気にそれが加速しかねない。
だから、決めた。
王女の立場上頻繁に会うのは難しくとも、少ない機会を活かして絡みまくってやろうと。
「しかし、仮にも私と密着しておいて顔を赤らめもしないとは無礼ですね。胸も足も押し付けたというのに、何か感想はないのですか?」
「いやあ、流石に幼女に興奮する性癖はないって────────ぺったんこだし」
「~~~~~っ!!」
だが、流石にその言葉は聞き流せなかった。
それまでの聡明な少女の仮面をかなぐり捨て、真っ赤になった瑠花は。
渾身の膝蹴りを迅の股間に叩き込み、彼を悶絶させたのだった。
見識が深く聡明とはいえ、まだ10歳の少女。
こうした面は、流石に年相応だったワケである。
「────────迅。貴方は、こうなる事が分かっていたのですか?」
「…………ああ、すまない。君と弟と助けるだけで、精一杯だった」
一年後。
とある近界国家がアリステラに侵攻し、旧ボーダーの面々が同盟契約に基づいて駆け付けた。
後にアリステラ防衛戦と呼ばれる戦争は相手国を撤退させる事には成功したが、彼女の両親は死亡。
崩壊するアリステラから迅達の手引きにより、瑠花と陽太郎は従者と共に脱出する事となった。
今、彼女は旧ボーダーの遠征艇に乗り滅びゆく故国を見下ろしていた。
「いえ、貴方が謝る事はありません。貴方方は同盟相手として、充分以上に義理を果たしてくれました。こうして私や弟が生きているのも、貴方のお陰です」
「でも、君の国を助けられなかったのは事実だ。それは、受け止めなくちゃいけない」
迅はあくまでも、アリステラの崩壊の責を自分の所為だと言う。
しかし、瑠花は。
そんな迅の顔を見据え、苛立ち交じりにジロリと睨みつけた。
「────────涙で腫れた顔で、よくそこまで虚勢を張れますね。無理をするのも、いい加減にしなさい」
「…………っ!」
迅が、目を見開く。
瑠花は、既に知っている。
彼の師たる、最上という男が。
このアリステラ防衛戦で黒トリガーとなり、亡くなっている事を。
迅の腰に差された、一本の黒い筒。
それこそが、彼の師が遺した棺である事も。
「大切な人を亡くして悲しいのなら、幾らでも泣けば良いのです。玲奈にも、そう言われたのではありませんか?」
「────────ああ、だから涙はその時に流し切った。俺はもう、泣いている暇はないんだから」
「…………っ!」
尚も言葉を重ねようとして、気付く。
迅の、自身の決意を語るその眼が。
悲しみで曇り切り、自分を役目を果たす装置として生きる事を決めてしまっている事に。
(…………今の彼に、言葉は意味を成さないでしょうね。いえ、これも玲奈がいるからと努力を怠った私の責任ですか)
玲奈が迅を気にかけている事は、知っていた。
悔しいが、彼を支えるならば年上で包容力もある彼女の方が自分より適任だ。
そう思って迅への干渉を控えたというのに、結果はこれだ。
玲奈の所為、ではない。
そもそも、迅の抱える問題の根深さを見誤った自分にこそ責がある。
分かっていた筈だ。
彼は、容易くこうなるのだと。
母親に続いて師を、そして多くの仲間を失った事で。
迅の精神は、既に後戻りの出来ない所まで来てしまっている。
もしこれで、再び大切な人間を失うような事があれば。
彼は、今度こそ
(悔しいですが、今の私では彼を変える言葉は紡げません。こうなれば、当初の予定通り長期戦です。彼に何があろうと、何かしらの形で助力しなければ。この命は、彼に救って貰ったようなものなのですから)
今彼女が生きているのは、迅の予知によって旧ボーダーの増援が間に合ったからだ。
そうでなければ、王族であるこの身が見逃される事はなかっただろう。
対外的には、自分も弟も王宮の崩落に巻き込まれ死んだ事になっている筈だ。
母国が滅び、復興は最早望めない。
玄界に亡命しても、精々自分と弟が生きる環境を整える程度が限度だろう。
自分は母トリガーの制御を任されるだろうし、幼過ぎる弟は暫く誰かに預ける他ないだろう。
自由に出来る時間も多くは取れないだろうし、迅に何処まで寄り添えるかも分からない。
(ですが、言い訳をしている場合ではありません。救命の代価は、誠意を以て応えなければ。ええ、それ以上の理由などありません)
己自身を納得させる為に内心で檄を飛ばし、未だに心の鍵をかけたままの少年を見る。
すぐに彼を変える事は、出来ないだろう。
けれど、決めたのだ。
今後
それが、命を救われた自分に出来る恩返しであり。
未だ自覚していなかった恋心が突き動かした、彼女の決意だったのだから。
「迅、問いますがこれでも貴方は赤面しないのですか? あの時とは違って、ちゃんと胸も育っているというのに」
瑠花はここ数年で急成長した乳房を押し付けながら、迅の背中に寄りかかる。
今、彼女がいるのは玉狛支部の迅の部屋だ。
他に誰もいない時を見計らってやって来た彼女は、ベッドに座っていた迅に後ろから抱き着くように身体を預けている。
当然豊満に育った胸部は迅の身体にこれでもかと密着して潰れているが、とうの迅はといえば困ったような顔をするだけで赤面すらしていない。
瑠花はそれが、どうにも面白くなかった。
「あー、もしかしてあの時の事まだ根に持ってる? それなら謝るから、もう離れて欲しいんだけど」
「
だから、乗る筈のないだろう挑発をする。
迅なら彼女がこう言ったところで、呆れたような顔をしてはぐらかすだけだろう。
「じゃ、試してみる?」
「え…………? きゃっ!」
しかし、その時ばかりは違った。
迅は瑠花の肩を掴むとそのまま引っ張り、彼女をベッドに押し倒した。
目をぱちくりさせる瑠花を見て、迅はふぅ、とため息を吐いてやれやれとかぶりを振った。
「仮にも女の子なんだから、そういう迂闊な事は言うものじゃないよ。相手が俺だったからいいものの、もし本当に襲われたらどうするつもりなのかな」
あくまでも目上の人間として、仮にも自分を押し倒しているにも関わらず保護者目線に徹する物言い。
それが、瑠花は。
どうしても、どうしても気に食わなかった。
「────────あら、私が貴方以外にこんな事を言うと思われていたとは心外ですね。心配せずとも、貴方以外に迂闊な真似はしませんよ。貴方だから、やっただけです」
だから、もう遠慮しない事に決めた。
瑠花は、自分の言葉に呆気に取られている迅の腕をがしりと掴み。
「────────それに、どうせなら最後までやりなさい。このヘタレ」
「!!??」
思い切り引っ張って、その腕を自分の胸に押し込んだ。
強制的に瑠花の胸を鷲掴みさせられた迅は、半ばパニックになりながら腕を引っ込めようとして。
「抵抗したり逃げたりしたら、この場で服を全て脱ぎます。そうなった時貴方が小南になんて言い訳するか、見ものですね」
「いや、ホント勘弁してよ。なんで、こんな事」
瑠花の脅迫に屈しつつ努めて自分の手が掴んでいるものの感触を意識しないようにしつつ、迅は彼女に抗議する。
そんな彼に対し、少女はニヤリと微笑んだ。
「前にも言ったでしょう?
「いや、別に俺は自分を蔑ろにするような発言をした覚えは」
「
「ごめんなさいホント勘弁して下さい」
「よろしい」
強迫に陥落した迅を見て、瑠花は胸のもやもやがすっきりした事を自覚する。
今の彼の眼は、既に曇ってはいない。
自分の手の届かない所で彼は立ち直り、本当の意味で未来を見るようになった。
それが悔しくない、と言えば嘘になる。
けれど、それでも。
こうして憂いのなくなった迅を見る事が出来たのは、何よりも嬉しい。
それが、偽りなき瑠花の本心だった。
「迅、貴方は今幸せですか?」
だから、聞いてみた。
もう、応えは分かり切っているけれど。
それでも。
彼の口から、聞きたかった。
「────────ああ、幸せだよ。玲奈の望んだ未来へ辿り着けて、大切な人も誰も失っていなくて。本当に、俺がこんなに幸せで良いのかって思うくらいだ」
「それで良いのです。今の貴方は、正当な報酬を受け取っただけなのですから。これまで散々苦しんだ分、人生を謳歌してもバチは当たりません。文句を言うような輩がいたら、私が許しません」
「ありがとう。そう言ってくれて、嬉しいよ」
そうですか、と瑠花は満足気に笑みを浮かべる。
経緯はどうあれ、迅は本当の意味で笑うようになった。
だから、それで良い。
アリステラの王女として、彼の友人として。
それは、紛れもない本心だった。
「それなら、今後の幸せの為に私を娶っては如何です? 私はこのまま、婚前交渉に至っても一向にかまいませんが」
「いや、なんでそうなるんだって」
「そう言って、私の胸を掴んで何の反応もしていないとは言わせませんよ。その気があるなら、さっさとやりなさい。早くしないと、小南が帰って来ますよ」
しかし、女としては別だ。
色々と悔しいのは事実なので、9割本気の冗談で迅をからかう。
ついでに服の一つでも脱いでみるか、と思い立ち。
「────────────────残念だけど、タイムアップよ。人の留守に、何してんのアンタ等」
────────────────扉を蹴り開けた小南が、実行されようとしていた暴挙を制止した。
今現在、瑠花は自分の胸に迅の腕を押し付けた上で押し倒されている状態。
そんな光景を見て、小南が黙っている筈もない。
「あら、早かったですね。もう少しだったんですが」
「何がもう少しだったのよ、この馬鹿…………っ!」
だから、瑠花はすぐさま小南をからかう方向にシフトして身を起こした。
誰に非があるかは明白であっても、元来口で小南が瑠花に勝てる筈もない。
すぐさま攻守は逆転し、小南は顔を真っ赤にしてベッドに倒れ込む事になったのだった。