痛みを識るもの   作:デスイーター

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志岐小夜子②

 ────なんて、啖呵を切ってはみたけれど、結局殆ど勢い任せだ。

 

 加古相手だからある程度の見栄を張ったが、それでも小夜子の本質は人間関係から逃避した引き籠りだ。

 

 男の人は未だに信用出来ないし、例外と言えば七海くらいだ。

 

 それ以外の男性は、やっぱり怖い。

 

 そんな事はない、と分かってはいても、小夜子の記憶にはあの時先輩から向けられた心底悪意に満ちた視線が色濃く刻まれている。

 

 それが消えない限り、小夜子が七海以外の男性に心を許す事はないだろう。

 

 七海は、別だ。

 

 彼は自分の所為で那須のチームに入れずにいたというのに、小夜子に対し恨み言を言う事なく、むしろ彼女を励ましてくれた。

 

 他の男性とこの人は違う、と小夜子は思った。

 

 冷静になればあの先輩が特別()()であっただけで、他の男性がそうであるとは限らないのだが────それでも、小夜子の根底には男性に対する過剰な疑心がある。

 

 優しい言葉は、単に女に取り入って関係を迫る為ではないのか。

 

 そういった考えが、どうしても拭い切れない。

 

 過去の心的外傷(トラウマ)は、そう易々と払拭出来るものではないのだ。

 

 そんな弱い自分が、那須相手に喧嘩する?

 

 しかも、七海の事を引き合いに出して?

 

 ────有り得ない、と昔であれば思っただろう。

 

 那須は、女の小夜子から見ても絶世の、と形容するに相応しい美貌を持った少女だ。

 

 儚げなその容貌は男性の庇護欲をそそらせるし、気品すら漂わせるたおやかな仕草は男女問わずその眼を惹きつけるだろう。

 

 だが、小夜子は知っている。

 

 那須はその外面に反し────────否、その外面に相応しい()を持った少女であると。

 

 本当の意味で彼女の眼に入っている男性は七海だけであり、七海に関わる事柄でのみ初めて他人に興味を向ける。

 

 ()()()()()()()の線引きがしっかりし過ぎており、傍から見れば対応があからさまに違う。

 

 彼女が身内であると判断した者には心配りを欠かさず、親身になって対応するが、それ以外の者を()()()()()()と見る傾向が那須にはある。

 

 彼女が真の意味で心を許しているのは小夜子同様七海のみであり、チームメイトの熊谷や茜がそれに続く。

 

 自惚れでなければ、小夜子自身もその()()カウントに換算されている筈だ。

 

 那須は七海、それ以外の身内、身内がお世話になった人までは真摯に対応し、礼を尽くす。

 

 しかし、それ以外の人間に対しては当たり障りのない────────ハッキリ言って、関わる意義を見出していないとしか思えない対応をする場合がある。

 

 特に、身内を害されたと感じた時、那須はその内に秘めた激情を露わにする。

 

 ROUND3で、七海の右腕が吹き飛ばされた所をその眼で見た時のように。

 

 彼女は、大事な者が傷付けられれば()と化す。

 

 思慮分別を放り捨て、報復を果たすべく衝動的に動いてしまう。

 

 憤激に囚われた那須の怒り様は、仲間から見ても筆舌に尽くし難いものがあった。

 

 美人が怒ると怖い、という典型と言える。

 

 幸いと言うべきか、那須は生身の身体が病弱な為、トリオン体でなければ碌に運動も出来ないので普段の生活でその激情が発露してもそう大事にはならないだろう。

 

 怒らせて無事で済むかどうかは、別として。

 

 那須は理性的な見た目に反し、かなりの激情家である。

 

 眼の前で怒らせれば、流石に何をするかは分からない。

 

 自分は、今からそれをしに行くのだ。

 

 小夜子(引き籠り)那須(病弱少女)の生身の体力は、どちらも大して変わらない。

 

 ハッキリ言ってしまえば、どちらも体力はすぐ尽きる。

 

 トリオン体になれば那須の圧勝ではあるが、流石に生身の人間相手にトリオン体になって掴みかかるような真似はしないと信じたい。

 

 その為には、いっそ思い切り怒らせた方がいいかもしれない。

 

 那須は一定以上の沸点を超えると、全ての思考を放棄して突貫する悪癖がある。

 

 余計な事をさせない為には、思い切り怒らせた方がむしろ効果的かもしれない。

 

 小夜子は、こと此処に至ってそのような小賢しい事を考えていた。

 

 ハッキリ言ってしまえば、やりたくなどない。

 

 だが、加古にも言われたのだ。

 

 自分しか、この役を務める事は出来ないのだと。

 

 なんで自分が、と思わない事もない。

 

 確かに小夜子は七海に恋しているが、その想いは墓まで持って行くつもりであったのだ。

 

 自分が那須を差し置いて七海と一緒になるなど想像も出来なかったし、何より烏滸がましい。

 

 あの二人は、四年前の悲劇で心に大きな傷を負っている。

 

 なら、二人で一緒になってその疵を乗り越えて行くのが正しい道筋の筈だ。

 

 自分のような、人間関係で折れた程度の人間が、割って入るべきではない。

 

 小夜子はそう考えて、初恋を自ら終わらせようとしていたのだ。

 

 だが、加古がそれに待ったをかけた。

 

 何も、遠慮する必要はない。

 

 ただ、自分の思うが儘にやれば良いのだと。

 

 小夜子は、その言葉を突っぱねる事が出来なかった。

 

 彼女の言葉全てに、納得したのではない。

 

 ただ、加古の言葉に頷く自分がいたのも、確かだった。

 

 何故って、やっぱり小夜子は七海の事が好きなのだ。

 

 加古の言葉を拒絶出来なかった時点で、七海への未練の大きさは察して知るべしである。

 

 …………本当であれば、諦めたくはないのだ。

 

 七海に想いを告げて結ばれ、二人で共に生きていく。

 

 そんな夢想を、した事がなかったかと言われれば肯定するしかない。

 

 他の男性に触れられる事など死んでも嫌だが、七海が相手であればそうでもない。

 

 むしろ、抱き締めて欲しいとすら思う。

 

 その先に進む事すら、否はない。

 

 七海と恋人同士になった夢を見た事も、一度や二度ではない。

 

 小夜子の七海への恋慕は、そう簡単に振り切れるような軽いものではないのだ。

 

 元より、男性不審が極まっていた彼女の心を溶かした唯一の男性が七海である。

 

 那須程とは言わずとも、普通に考えれば重すぎる想いを小夜子は彼に抱いている。

 

 流石に那須のあれは常軌を逸している部分もあるが、小夜子も人の事が言える立場ではない。

 

 サブカル趣味にどっぷり浸かっている小夜子は、他人より想像力が豊かである。

 

 七海に迫られるシュチュエーションも、腐る程夢想して来た。

 

 以前その想いを抑え切れずこっそり妄想をパソコンで文章にしてみた事もあるのだが、18禁方面に振り切れてしまった為即座にデータフォルダの奥底に封印した。

 

 むっつりの称号を戴いてもなんらおかしくない内容だったので、あれを誰かに見せる事は未来永劫有り得ないだろう。

 

 むしろあれを見られたら死ねる。

 

 それくらいの内容だった。

 

 しかし、そうやって時折サブカル方面で発散出来ているから、彼女の想いを隠し続けて来れたのだろう。

 

 そうでなければ、何処かで爆発していた可能性は否定出来ない。

 

 そういう意味では、サブカル趣味はそう悪いものではない。

 

 否定的な見方をする者がいるのは事実だが、小夜子からしてみれば趣味に没頭するのは悪い事ではない。

 

 それがスポーツだろうがアニメやゲームだろうが、趣味である事に変わりはない。

 

 後ろ指刺される謂れは、何も無い筈だ。

 

 …………まあ、一般的な先入観(イメージ)というものはどうしても付いて回るので、仕方ない部分はあるのだが。

 

 サブカル趣味が周囲からどう見られているかは、過去の小夜子の体験が証明している。

 

 流石にこの『ボーダー』の正隊員にそんな事で他人を責める輩がいるとは思えないが、それでもサブカル趣味を大っぴらにして人付き合いをする程小夜子も気が強くはない。

 

 最近では身内の他にもゲーマーで有名な『太刀川隊』のオペレーターの国近や隠れてそういった趣味に興じていた『王子隊』の橘高等とオンラインで対戦する事もあり、小夜子のサブカル生活は概ね満足していた。

 

 同じ趣味を持つ者同士通じ合う事も多く、二人とは割と仲良しになっている。

 

 このままオペレーターの間でサブカル趣味を広めていければ、小夜子の交友関係も相応に広がっていくだろう。

 

 オペレーターは言うまでもなく女性だけなので、小夜子としても交流するのはそう吝かではない。

 

 中には苦手なタイプもいるものの、何も全員と仲良くなりたいというワケではない。

 

 同じ趣味を持つ相手が一人か二人増えるだけでも、割と満足である。

 

 那須程極端ではないにしろ、小夜子も狭く深い関係を好むタイプの人間であるからだ。

 

 そういう意味で、那須と一番感性が近いのは小夜子だと言える。

 

 どちらも内に溜め込みがちな性格で、あまり我を通すタイプでもない。

 

 かと思えば譲れない事は頑として譲らないし、融通が利かない部分も多い。

 

 那須は冷静に見えて激情家であるし、小夜子もそこまで理性的な人間というワケでもない。

 

 生身の運動能力に関しても、そう違いはない。

 

 病弱な那須と引き籠り故の虚弱体質の小夜子で、同列に扱って良いかどうかは別として。

 

 色々思う所はあれど、小夜子としても那須の事はどちらにしろ放置は出来ないと思っていた。

 

 もし、このままの状態でROUND4に突入すれば、まず間違いなく負ける。

 

 そうなれば、流石にB級上位に残留は出来ないだろう。

 

 また、中位からやり直しだ。

 

 『那須隊』は、隊員の精神状態で大きく強さが左右されるチームだ。

 

 その精神状態がボロボロでは、勝てる試合でも勝てはしない。

 

 そして、最も()()と言えるのが那須だろう。

 

 熊谷は単に落とされた事と那須と七海の問題を放置していた事を気に病んでいただけで、明確な方向性が見えれば立ち直るだろう。

 

 七海もまた、仲の良い攻撃手の者達が世話を焼く筈だ。

 

 茜は元々折れてはおらず。チームメイトが戻って来るのを今も待ち望んでいる。

 

 つまり、最重要懸念事項は那須の問題解決にあるのだ。

 

 加古の言う通り、那須の交友関係は酷く狭い。

 

 そしてチームメイトに相談して来ない以上、彼女に世話を焼いてくれる相手もいない。

 

 小南に頼めばやってくれるかもしれないが、自分で何も試さずに他人に頼るのは小夜子としても嫌だった。

 

 仮にも、チームメイトなのだ。

 

 そして小夜子にとっては、()()でもある。

 

 此処で女を見せずして、何処で見せるというのか。

 

 そんな想いが、小夜子にはあった。

 

 …………それに、今の那須にも思う所は大いにある。

 

 七海の心を独占しておきながら、本人は自分の想いから目を背けている。

 

 彼女達を応援するべく身を引いた小夜子としては、何をやっているんだ、と言いたくもなる。

 

 小夜子は、那須達の幸せを願って身を引いたのだ。

 

 なのに、とうの本人達は負い目が絡まり合って素直になれずにいる。

 

 傍から見て、かなり焦れったい。

 

 思わず、横から蹴り飛ばしてやりたくなるくらいには。

 

 結局の所、小夜子が思い立った動機はそれだ。

 

 下らない事でうじうじしている那須に、蹴りを入れに行く。

 

 もしも那須が情けない姿を見せ続けるようであれば、そのまま七海に告白しに行く事も辞さないつもりだった。

 

 同じ人を好きになった者として、那須に喧嘩を売りに行く。

 

 小夜子には、その権利がある。

 

 その事は、加古も保証してくれている。

 

 七海や熊谷には迷惑をかけるかもしれないが、チームメイトのよしみで許して欲しい。

 

 具体的には、自分や那須の身体に青痣が残る展開になったとしても見逃して貰いたい。

 

 最初から物理的に喧嘩をするつもりはないのだが、結果としてそうなってしまう可能性は否定出来ない。

 

 引き籠りと病人の喧嘩なのでスケールは小さいかもしれないが、それでも手が出ない保証はない。

 

 むしろ、一発は頬をひっ叩いてやるつもりであった。

 

 右の頬を叩かれたら左の頬を差し出せと何処かで聞いたが、冗談ではない。

 

 右の頬を叩かれたら、当然相手の右頬も叩く。

 

 それも全力で。

 

 報復は、当然の権利である。

 

 そして今回に限り、小夜子は一切の我慢をするつもりはなかった。

 

 単純に、そうでもなければ那須には勝てないと思っているからだ。

 

 いや、勝ち負けの勝負をしに行くのではないが、心情的には似たようなものだ。

 

 今から彼女は、那須を殴り飛ばしてでも立ち直らせる為に彼女の家まで全力の喧嘩を売りに行く。

 

 その為に加古の車に乗り、彼女の家に向かっている。

 

 加古は先程から何も喋らず、時折小夜子の百面相を見て笑みを浮かべている。

 

 自分の貧相な考えなど、このモデル並の美女にはお見通しだろう。

 

 けれど敢えて言葉にせず見守ってくれている事が、本当にありがたい。

 

 これまでの道程で、気合は充分入れ直せた。

 

 後は、この想いを彼女にぶつけるだけである。

 

 志岐小夜子、一世一代の大喧嘩。

 

 相手は那須玲。『那須隊』隊長であり、小夜子が恋する七海の想い人。

 

 相手にとって、不足はない。

 

 加古の車が、那須邸に着いた。

 

 小夜子は車から降り、玄関の前に立つ。

 

 そして、意を決してインターホンを鳴らした。

 

 女同士、腹を割った話し合い(喧嘩)をする為に。


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