痛みを識るもの   作:デスイーター

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那須玲③

 

「…………うぅ、人前でこんなに泣いたのなんて初めてですよぉ。恥ずかしいです……」

 

 那須の腕の中で散々泣き腫らした小夜子は、目尻を擦りながら半泣きでぼやいた。

 

 最初は、那須に発破をかけるだけのつもりだったのだ。

 

 自分も七海が好きなのだと教え、那須の焦りを引き出して本音を表出させる。

 

 それが、()()()小夜子の考えだった。

 

 しかし自分を誤魔化し続ける那須の姿を見ているうちに怒りが沸き、ついつい必要以上に刺々しくなってしまった。

 

 その結果があの想いの告白からの大号泣であり、今更になって小夜子は自分の所業を振り返って恥ずかしくなっていた。

 

 しかし、それを言うなら那須も那須である。

 

 頬を叩かれる程度は覚悟していたものの、まさかノータイムで首を絞められるような事になるとは思っていなかった。

 

 小夜子の首筋には、くっきりと首を絞められた赤い痣が残されている。

 

 もし誰かにこれを見られてしまえば、何かあったのかと勘繰られる事は請け合いだ。

 

 マフラーか何かで隠すか、人前ではトリオン体でいる事にしよう、と小夜子は心に決めた。

 

 今の状況で小夜子にそのような蛮行をするまでに諍う可能性があるのは誰か、勘の良いものならすぐに察する事が出来る。

 

 小夜子としても、万が一にも那須の悪い風評が流布される事は避けたかった。

 

 先程は散々罵っていたが、それでも小夜子が那須に感じる友愛の情は本物だ。

 

 そもそも、那須も七海も大好きだからこそ、彼女は身を引く事を決めていたのだ。

 

 誰が好き好んで、敬愛する少女の評判を落としたいと言うのだ。

 

 確かに色々思う所はあるのだが、それとこれとは話が別だ。

 

 そも、悪評の流布による苦しみは小夜子自身も知っている。

 

 あんな想いを誰かにさせる事など、あってはならない。

 

 小夜子が那須に喧嘩を売りに来たのは確かだが、かといって那須が嫌いなワケではない。

 

 やっていい事と悪い事の区別は、出来ているつもりだった。

 

「…………その、ごめんなさい…………わたし、あんな……」

「いいですよ、別に。わざと怒らせたのは私なんですし、手を出される事くらい想定内です…………いきなり首絞めは、流石に驚きましたけどね」

 

 那須先輩の情念を舐めてました、と小夜子は苦笑する。

 

 そう言われてしまうと、那須としても閉口するしかない。

 

 あの時、那須は完全に正気を失っていた。

 

 自分の大切なもの(七海玲一)を奪おうとする、目の前の泥棒猫を許してはおけない。

 

 そんな想いが先行し、那須に本気の害意を抱かせた。

 

 もしも小夜子が何の抵抗もしなければ、あのまま首を絞め続けていた可能性が高い。

 

 とは言っても、元来病弱な那須である。

 

 生身の身体ではすぐに限界が来て、途中でバテて終わるのがオチだろう。

 

 現に、那須は先程激しい運動をした所為で息を切らしている。

 

 同様に、引き籠り故の虚弱体質の小夜子もまた、肩で息をしていた。

 

 双方共に生身の身体能力は最底辺である以上、当然の結果であった。

 

「その、えっと……」

「なんで私が七海先輩を好きになったか、ですよね? ちょっと長くなりますけど、傾聴願います」

 

 おずおずと尋ねる那須に対し、小夜子はその意図を察して自らが七海に想いを抱くに至った経緯を話し始めた。

 

 過去の心的外傷(トラウマ)から、男性不審が極まっていた事。

 

 最初は、七海の事も厄介者としか捉えていなかった事。

 

 七海の過去を知り、自らの行動に後悔を抱いた事。

 

 そして、実際に七海を家に呼び、直接話した結果、七海に自分を肯定されて嬉しかった事。

 

 その時、七海に明確な恋心を抱いた事。

 

 それらを訥々と語る最中、那須は真剣な表情で小夜子の話に聞き入っていた。

 

 それは、恋敵を見るような目ではなく。

 

 何処か、眩しいものを見るような、そんな眼であった。

 

「…………とまあ、以上が私が七海先輩に想いを寄せるようになった経緯ですね。理解出来ました?」

「…………うん、概ね。けど、そんなに好きなら、なんで……」

「諦めたか、ですか?」

 

 こくり、と那須は小夜子の言葉を肯定する。

 

 同じ人を好きになった那須としては、何故彼女がその想いを諦める事が出来たのか、全く理解が及ばなかった。

 

 那須は素直になれていないだけで、七海への想い自体は抱え込み続けている。

 

 その想いの大きさは、時として理性を押し潰す。

 

 あれ程の想いを抱いておきながら、それを完全に御して隠し続ける事が出来た小夜子の事が、那須は理解出来なかったのだ。

 

 ある意味至極当然の疑問に、小夜子は溜め息を吐いた。

 

「…………あのですね。私も同じ人を好きになった女ですから、分かるんですよ。自分の好きな人の想いが、()()()()()()()()くらいは」

 

 私、そこまで鈍くないつもりですよ? と小夜子は言う。

 

 小夜子は、気付いていた。

 

 ずっと七海を見ていたからこそ、彼の想いが果たして誰に向いているのか、という事を。

 

 その想いが、自分が割り込めるような安いものではない事を。

 

「…………私、七海先輩に恋してますけど、那須先輩の事も大好きなんです。私が諦めるだけで、二人が幸せになれるなら────ホラ、迷う必要なんてないじゃないですか」

「…………小夜、ちゃん…………」

 

 那須は小夜子の言葉に、その覚悟に、絶句する。

 

 大切な人の幸せの為に、自分の幸せを諦める。

 

 同じような事は那須も先程言っていたが、それとはまたベクトルが違う。

 

 那須のそれは、負い目を隠れ蓑にした言い訳だ。

 

 本気で、幸せになりたくないと思っていたのではない。

 

 むしろ、「七海は誰にも渡さない」という想いは、誰よりも強い。

 

 だからこそ、小夜子の覚悟を前に言葉もなかった。

 

 小夜子は自分の幸せと大切な人の幸せを天秤に乗せて、躊躇なく前者を切り捨てたのだ。

 

 那須とは違って、自分の想いを自覚した上で。

 

 それは、並大抵の覚悟ではないだろう。

 

 もし、那須が同じ事をしろと言われれば、ハッキリと無理だと言える。

 

 それを、小夜子はやってのけた。

 

 那須が彼女を眩しく思うのも、当然だった。

 

 勝てない。

 

 覚悟の強さが、まるで違う。

 

 うじうじし続けた自分とは違い、ちゃんと前を向きながらも自分の想いに折り合いを付ける事が出来ている。

 

 とてもではないが、真似出来る気はしなかった。

 

「…………そんな、そんなの、重過ぎるよ…………私、そんな小夜ちゃんの想いを踏み躙ってまで、幸せには……」

「…………あのですね。もっかい叩かれなきゃ目が覚めませんか? 見当違いですよ、それ」

 

 小夜子の覚悟の大きさに圧倒され、弱気な発言を吐いた那須を、小夜子はジト目で睨みつける。

 

 そして小夜子は、がしっと那須の肩を掴んでその至近に詰め寄った。

 

「私は、七海先輩の幸せの為に身を引いたんです。ぶっちゃけると、()()()()()()()()()()()()()です。単に、七海先輩が幸せになるには那須先輩が必須なだけで、那須先輩の幸せ云々についてはそこまで気にしてません」

「……へ……?」

 

 突然のドライな発言に、那須はポカンと口を開く。

 

 それを見てくすりと笑った小夜子は、敢えて唇を吊り上げた。

 

「私、別に聖人君子でもなんでもないですよ? 確かに那須先輩の事は好きですけど、()()()()()()()()恋敵である事に変わりはありませんから。私、恋敵の幸せを単純に願える程良い人じゃないですよ?」

 

 だから、と小夜子は続けた。

 

「那須先輩が幸せになれるかどうかは、ぶっちゃけどうでもいいです。肝心なのは、七海先輩が幸せになる事────これだけです。極論、それ以外は全て些事ですね」

 

 その言葉は敢えて偽悪的に振る舞っているのは事実だが、割と小夜子の本心ではあった。

 

 七海に恋しているし、那須の事が好きなのも本当だ。

 

 けれど、七海の心を独占する那須に何も思わない程、女を捨ててはいないというのもまた事実。

 

 そこらへんの折り合いとして、小夜子は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という結論を出したワケだ。

 

 極論、那須が幸せを感じていようがいまいが、七海さえ幸せなら小夜子はそれで良い。

 

 そして、七海が幸せになるには彼と那須が結ばれるのは必須事項だ。

 

 ならば手段を問わず、二人をくっつけてしまえばいい。

 

 今すぐでなくてもいいが、その為の()()くらいは欲しい。

 

 それが、小夜子の現在の目論見だった。

 

 先程那須を詰って焚き付けたのも、全てはその為。

 

 那須に自分の本心に正直になって貰い、七海との距離を近付ける為である。

 

 負い目があろうがなんであろうが、とにかく那須には七海と結ばれて貰う。

 

 細かい話は、全てそこから。

 

 そんな事を考えて、小夜子は此処までやって来ていたワケである。

 

「だから、別に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですよ。私はあくまで私の目的の為にやってる事なんで、那須先輩が申し訳なく思う必要はありません。なので那須先輩は、さっさと自分の気持ちに正直になっちゃって下さい」

「わたしの、気持ち……」

「分かってるでしょう? さっき、何で私の首を絞めるくらいに激昂したのか。それが答えである筈です」

 

 小夜子に問われ、那須は自問自答する。

 

 先程小夜子の首を絞めるまでに至ったのは、()()()()()()()()()()という一心故。

 

 そしてそれは明らかに、自分の想いから、()()から来ている。

 

 既に答えは、出たようなものであった。

 

「けど、けど、私に、七海と一緒になる資格は……」

「……っ! まだ言ってんですか貴方は……っ! そんなんだと、本気で七海先輩を寝取りますよ……っ!?」

 

 答えが出ているにも関わらず、尚もうじうじする那須を見て、流石に小夜子も激昂した。

 

 那須の悲観的な側面は知っているつもりだったが、まさか此処まで頑固だとは思いもしていなかった。

 

 故に容赦なく、小夜子は再び那須を責め立てる。

 

「さっき私の首を絞めたのは、七海先輩を私に奪われたくないから、七海先輩が好きだからでしょうが……っ! 人一人殺そうとするくらい好きなら、負い目だなんだ考える前に自分が何をすべきかくらい自覚して下さい……っ! 那須先輩のそれは、七海先輩に対しても私に対しても侮辱でしかありません……っ!」

 

 はぁはぁと、息を切らせながら小夜子は怒鳴る。

 

 そして激情のまま、那須の胸倉を掴み上げる。

 

「────これだけは、ハッキリさせて下さい。那須先輩は、七海先輩の事が好きなんですよね? 誤魔化しは許しません、正直に答えて下さい」

 

 さもないと、と小夜子はドスの効いた声を出す。

 

「もしも私が望む答え以外をほざいた場合、私はこの後七海先輩の所に行って既成事実を作ります。その為の薬なんかも用意してありますから、心して答えて下さいね」

 

 さあ、と小夜子は凄みのある笑顔で近付き、那須に答えを迫った。

 

 那須はしばし逡巡した後、か細い、消えるような声で呟く。

 

「…………好き、よ…………本当に、大好き……」

「…………それが聞ければ、充分です」

 

 はぁ、と溜め息を吐いて小夜子はへなへなと脱力した。

 

 その変わり様に呆然とする那須に対し、小夜子は苦笑する。

 

「たったこれだけの事を聞きだすだけの為に、どれだけ労力が必要だったと思ってますか? 振り回されるこっちの身にもなって下さいよ」

「ご、ごめんなさい…………」

「…………まあ、いいですけどね。言いたい事が言えてスカッとしたのは、まあ事実ですし」

 

 ふぅ、と再度深く溜め息を吐いて、小夜子はその身をベッドに投げ出した。

 

「…………あーあ、失恋しちゃったなあ。いや、告白して断られたワケじゃないけど、似たようなものですよねえ……」

「小夜ちゃん……」

「独り言ですよ、独り言。恨み言、って言い換えてもいいですけど」

 

 やれやれ、と小夜子はかぶりを振り、天井を見詰めた。

 

「…………相手が那須先輩でなければ、私は諦めたりしませんでしたからね? そこの所、忘れないで下さいよ? 本当に、感謝して欲しいくらいなんですから」

「…………そう、よね…………ごめ…………いえ、ありがとう」

「それでいいんですよそれで。私の食生活を改善しに来た時みたいに、堂々としていればいいんです」

 

 美人は笑っていた方が得ですよ、と小夜子は乾いた笑みを浮かべた。

 

 そんな小夜子に何も言えず、那須はしばし閉口する。

 

 またもやうじうじし始めた那須を見て、小夜子は再び溜め息を吐いた。

 

「…………もう、何回言わせる気です? 私は那須先輩の為じゃなくて七海先輩の為に行動したんであって、那須先輩がどうなろうが関係ありませんから、負い目を感じる必要はありませんよ? そこの所、しっかりしていて下さいね」

 

 でも、と小夜子は悪戯っぽく笑った。

 

「もしも負い目を感じて仕方ないって思うなら、時々七海先輩を貸して下さい。()()()お世話になってみたいのも事実なので、少しくらいレンタルしても罰は当たらないと思いませんか?」

「な、何をする気なのよ、小夜ちゃん……?」

「そりゃ、()()ですよ、色々。那須先輩は、何を想像したんですか?」

 

 う、と言葉を詰まらせ那須は顔を赤くする。

 

 そんな那須の反応に満足した小夜子は、くすり、と笑みを浮かべた。

 

「ま、色々問題は山積ですけど、取り敢えず私の言いたい事は全部言い切りました。そろそろ、加古さんの言った言葉も思い出せた頃じゃないですか?」

「あ……」

 

 ────()()()()()()()()()()。以上よ────

 

 加古は、あのROUND3が終わる時、確かにそう言った。

 

 ()()()()()()()()。それが、加古の助言。

 

 この上なく真実を突いた、加古なりのエール。

 

 それを、那須は今更になって思い出した。

 

 あの時は、何を言われているのか分からなかった。

 

 けれど、小夜子と本音でぶつかり合って、ようやくその意味が見えて来た。

 

 自分を誤魔化さず、向き合うべきものと向き合う。

 

 彼女が取り得る()()は、それしかないのだと。

 

「…………ごめんね。そして、ありがとう」

 

 那須はそう告げると、ベッドの上から起き上がる。

 

 小夜子は無言で頷き、立ち上がって歩き出す那須を見送った。

 

「私、行って来るね。上手く言えるかどうかは、分からないけど…………自分の気持ちに────────これ以上、嘘をつかない為に」

 

 だから、と那須は満面の笑みを浮かべた。

 

「────玲一の所に、行って来るね」

 

 ────そう言い残し、那須はその場を後にした。

 

 その後姿を見据えながら、小夜子は溜め息を吐き────。

 

「…………勝てないなあ、ホント……」

 

 ────その瞳から、一筋の涙を、流した。

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