「心臓の音、うるさいよ。告白でもしに行くワケ?」
「菊地原……」
『那須隊』の作戦室を出て、『ボーダー』本部の廊下を歩いていた七海に声をかけて来たのは、猫のようなイメージを持った中性的な顔の少年────『風間隊』の攻撃手、
言葉の内容は刺々しいが、じとっと七海を見上げるその眼には明らかな心配の色がある。
こちらの様子が気になって、声をかけて来たに違いあるまい。
菊地原は言葉は常に刺々しいが、その実とても仲間想いの少年だ。
それが分かる程度には、七海は菊地原と付き合いがあった。
『風間隊』と乱戦の訓練を重ねる中で、当然菊地原とも戦り合っている。
風間にある意味スカウトされて来た七海に菊地原も最初は良い顔をしなかったが、七海のストイックなスタンスと確かな実力を感じて、それなりに交流を深める仲にはなっていた。
「何しに行くか知らないけどさ、そんな心臓の音させてちゃ碌な事出来ないんじゃないの? ちょっとは考えてよね」
要約すれば、少し心の整理をしてから行け、という菊地原なりの気遣いだ。
その意味を正確に察した七海は、苦笑しながら頷く。
「ああ、そうだな。じゃあ、お言葉に甘えるとするか」
「…………ふぅん、割と冷静なんだ。今すぐにでも行きたいー、とか言うと思ってたけど」
「幸い、俺に良くしてくれる人が多くてな。そのお陰だ」
七海の言葉に菊地原は少しむすっとしながら、「そう……」とだけ呟き口を閉じた。
しかしその眼はちらちら七海を盗み見ており、何か話したい事があるのが分かる。
「もし良ければなんだが、そちらの隊室にお邪魔させて貰っても構わないか? ラウンジだと、ちょっとな」
「別にいいけど? ただ、今隊室には誰もいないからお茶とかも出さないからね。僕、自分でお茶入れた事ないし」
構わない、と七海が告げると菊地原は足早に踵を返し、隊室へと向かって行く。
七海もまた苦笑しながら、その後を追った。
「で? 今どんな感じなワケ? 折角だから、洗いざらい吐いて貰うからね」
隊室に着くなり、菊地原は後ろ手でドアを締めると開口一番そう切り出した。
なんだかんだで、『那須隊』の現状を…………というより七海の状態を気にしていたのだろう。
その顔には「早く話せ」という想いが張り付いており、誤魔化しは許してくれなさそうな勢いだ。
「分かってるよ。心配かけたのは、悪かったしな」
「別に心配とかしてないし。僕は単に、七海が風間さんに迷惑をかける事にならないか懸念してただけで……」
「まあとにかく、話すよ。こちらとしても、それくらいの誠意は見せたいからな」
ぶつぶつと文句を垂れ流す菊地原に苦笑しながら、七海はこれまでの経緯を語り始めた。
那須の暴走を止められず、情けない敗北を喫してしまった事。
試合の後、村上によって喝を入れられた事。
先程、熊谷と本音で語り合った事。
自分の想いを、改めて自覚した事。
そして、那須と話をしようと決めた事。
それらを傾聴していた菊地原は全てを聞き終えると溜め息を吐き、七海の顔を見詰めた。
「…………ふぅん、やっと正直になるつもりになったワケ? じゃあ、告白しに行くってのも間違いじゃないんだ」
「告白と言うか、互いの立場の再確認だな。とにかく、今のままじゃいけない事は分かったから、そのあたりについて話をするつもりだ」
加古さんにも助言されたしな、と七海が話すと菊地原はじとっとした目で七海を見る。
その眼には、何処か恨めし気な感情が伺えた。
「…………なんでそれを、もっと早くやれなかったワケ? 僕、前に言ったよね? 正直になれてないのはどうかと思う、って。それを聞き流しておきながら、加古さんの言葉は聞くの? 依怙贔屓じゃない? それ」
要は、自分のアドバイスは聞き入れなかったのに、他人の助言は聞き入れた事が少々気に食わなかったらしい。
そんな風に心配してくれていた菊地原の心情に申し訳なく思いながら、七海は答えた。
「いや、単にあの時は俺が言葉の意味を理解してなかっただけだよ。今回、身を以て思い知ったから、ようやくそれが分かっただけだ」
「今回、君無様だったからねー。那須さん庇って撃たれるとか、サイドエフェクトの持ち腐れじゃない。だから前から、あの地雷女は辞めとけって言ってたのに」
ぶうぶうと文句を言いながら、更に菊地原は七海に詰め寄った。
「あの人、顔は良いけど内面グチャグチャし過ぎでしょ。常に心音が乱れてたし、常時情緒不安定とかどうなってるの? 七海が傍にいなくなると死人かって思うくらい逆に静かになるし、聞いててホント不気味だったんだけど」
「そうか……」
那須の事をボロクソに言っている菊地原だが、これには理由がある。
彼は、『強化聴覚』というサイドエフェクトを所持している。
文字通り他人より耳が良いというサイドエフェクトであり、傍目には地味に思えるが、その
たとえば物音から他人の位置を正確に探れるし、心音の乱れから精神状態を把握する事も出来る。
彼はその固有の能力によって、那須の内面の異様さを人一倍感じ取っていたのだろう。
…………菊地原から見て、那須は得体の知れない少女と言って差し支えなかった。
表面上はニコニコしているのに、常に心音が乱れている。
特に七海が他の者と話す時は大時化の海かと思うくらいの乱れようとなり、逆に七海が傍にいない時は凪の海のように静かになる。
菊地原から見ればその内面の異常性は明らかであり、その事を何度か七海相手に口にした事もある。
即ち、あの女だけは辞めておけ、と。
サイドエフェクトによって内面の異様さを知った菊地原からして見れば、それなりに付き合いの長くなったこの友人があのような少女の傍にいるのはあまり心穏やかではなかった。
何か切っ掛けがあれば、距離を置かせた方が良い。
そうとさえ、思っていた。
…………それを今まで実行しなかったのは、他ならぬ七海が那須の傍にいる事を望んでいたからだ。
確かに那須は、菊地原から見てお近付きになりたくない少女である。
しかし七海にとっては欠け替えのない幼馴染であり、好いている少女なのだ。
その事を那須を見る七海の心音のほのかな高まりから察していた菊地原は、二人の関係について強く口を挟む事をしなかった。
精々、思い出したように時折忠告を挟むくらいである。
今回も、七海がいつまでも自分の気持ちに正直にならないようであれば無理やりにでも那須と距離を置かせるつもりだったのだが────この様子では、その心配は懸念に終わったらしかった。
その事を喜んでいいのか残念に思うべきか分からず、菊地原は再び溜め息を吐いた。
「まあ、俺と玲の関係が普通じゃなかったのは承知してる。玲がああなってしまったのも、全部俺の責任だからな」
「それ、別に君の所為じゃなくない? あの女が勝手に色々思い込んで、暴走してるだけでしょ? 君の落ち度とか、見当たらないんだけど」
「俺が落ち度と思ってるから、そうなんだよ。それで納得しとけ」
えー、と明らかに不満気な菊地原だったが、七海の態度が変わらないのを見ると本日何度目か分からない溜め息を吐いた。
今日はつくづく、溜め息の多くなる日であるようだった。
「それ、ホント損な性分だよね。いつも自分が悪いって背負い込んで、疲れない?」
「性分だからな。それに────誰かに責任を押し付けるのは、嫌なんだ」
俺はな、と七海は続ける。
「────誰かに責任を押し付けるくらいなら、全部自分で背負い込んだ方がマシだ。全部自分一人の責任にしてしまえば、失敗した時に誰も巻き込まずに済む。だから、俺はそれで良い。そう思っていたんだ」
「けどそれは……っ!」
違う、と言い募ろうとした菊地原だったが、七海の顔を見て絶句した。
七海はとても穏やかな、何か吹っ切れたような顔をしていたからだ。
「…………けど、鋼さんに言われてな。
「当たり前だよ馬鹿」
はぁ、と菊地原は溜め息を繰り返しながら、告げる。
「あのね、君は全部背負い込んで満足かもしれないけど、背負い込まれた側からするとそれ、重荷でしかないんだからね。失敗しても自分一人の責任になるからいいって君は言うけど、それ、全部責任を持って行かれた側がどう思うか考えた事あるワケ?」
「…………まさに、その通りだな。俺はそのあたり、全く考えが及んでいなかった」
「だろうと思ったよ。まったく」
やれやれ、と菊地原は大袈裟に手を振り、見せつけるように嘆息した。
「君はね、もう少し自分が周りにどう思われてるか自覚するべきだと僕は思うよ。少なくとも、君がヘマをしたら心配する人達は一定数いるんだから、もう少し周りに気を配る事を考えたら? それだけで、大分こっちの負担は減って来ると思うんだけど」
「…………返す言葉もないな」
菊地原の説教を受け、七海は閉口する。
まさしく、彼の言う通りであるからだ。
七海はそれまで
その事を、村上の言葉によって気付かされた。
七海は周りを気遣ったつもりでいながら、全く気を配っていなかった。
何もかも自己完結して、周りを頼って来なかった。
それは、彼と親しくなった者達からしてみれば、とても寂しいものであったのだ。
頼られない、という事は、即ち信頼してくれていない、という事である。
たとえ七海にそのつもりがなくとも、相手はそう考えても不思議ではない。
今までそんな心労を強いて来たのだと思うと、七海としても非常に申し訳なかった。
今度、きっちり謝った方がいいだろう。
七海は深く、そう反省していた。
「…………ま、他の人から言われて気付いたってのは釈然としないけど、そこに気付いたんならそこそこの進歩じゃない? 君、今までが内に籠り過ぎなんだよ。精神的に、殆ど陰キャの域にいたからね。君のネガティブ思考、ホント苛々してたんだから」
「すまんな、色々心配かけてて」
「自覚したんならこれからは気を付けてよね、もう」
はぁぁぁぁ、と菊地原は最後に盛大な溜め息を吐き、顔を上げた。
「で? 落ち着いた? 今から那須さんに会っても大丈夫そうなの?」
「ああ、お陰様でな。そろそろ行くよ、ありがとな」
「さっさと行けばいいじゃん。もう」
じゃあまたな、と言い残し、七海は『風間隊』の隊室を立ち去った。
後には、菊地原一人だけが残された。
────菊地原士郎にとって七海玲一は、
隊長の風間が「隠密戦闘の練習相手として連れて来た」と言い、連れて来た七海は何処か困惑しつつも、確かな強い意志をその眼に秘めていた。
問答無用で模擬戦に突入すると、菊地原は七海の心音の
七海は、普通の人と比べて心拍の上下が酷く
普通、戦闘中であれば心拍は上昇し、絶え間ない攻防の中でその心音は跳ね上がっていくものだ。
だが、七海はたとえ乱戦の最中であろうと、殆ど心音の変化がなかった。
変化自体は、ある。
だが、他の人と比べても酷く薄い。
それが何故かと菊地原は試合中常に疑問に思っていたが、七海が
無痛症という事は、つまり触覚等の
曲がりなりにも心音が聞き取れていたのは七海が無痛症を克服する為に用意されたトリオン体を使用していたからであり、生身の七海は心音の変化がトリオン体以上に鈍かった。
七海は、感情そのものが他の人と比べて希薄なのだ。
幸いだと言えるのは、七海が
先天性の無痛症であれば、痛みという感覚そのものを理解出来ず、他人に全く共感を抱けない人間になっていた可能性すらある。
だが、七海は後天的な無痛症だ。
その原因については定かではないが、七海はある日突然痛みという感覚が消え失せた。
だから今の七海が持つ情動は、痛みをなくす前の彼の感覚を想起しながら再現しているものだろう。
故にこそ、彼の那須への情動は他の何よりも強い。
自分の右腕を失ってまで、助けた幼馴染である。
その心の深い所に、彼女の存在があるのは容易に伺い知れた。
正直な話、あの常時心音が乱れている那須という少女の何処がそんなに良いのかと思ったが、七海に「一目惚れだよ」と笑顔で言われては引き下がるしかない。
ともあれ、当初はどうなるか散々気を揉んだものの、どうやら七海は自分の知らない所で悩みを快方に向かわせたらしい。
自分がそこに立ち会えなかった事はつくづく気に食わないが、間が悪かっただけだと考えて納得する事にする。
…………逆に言えば、そうとでも考えなければ納得は出来なかったのだが。
「…………まったく、精々上手くやりなよ。僕にこれだけ心配させたんだから、ちゃんと出来なきゃ承知しないんだから」
菊地原は大きく嘆息しながら身体を倒し、ソファーに横になった。
その後、隊室に戻って来た風間達にその姿を見られ、結果として七海とのあれこれを洗いざらい吐く事になってしまった。
なんだかんだで、身内に甘いのは菊地原も同じである。
菊地原は那須の所に向かった七海の動向に想いを馳せながら、盛大に溜め息を吐いたのであった。