痛みを識るもの   作:デスイーター

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七海と那須②

「悪いな、急に呼び出して」

「いえ、私も話したい事があったし、丁度良かったわ」

 

 『ボーダー』本部の屋上、夜風に晒されたその場所で、那須と七海は向かい合っていた。

 

 二人きりで会いたいと告げた七海に対し、那須はこの場所で会う事を提案した。

 

 これからする話の内容を考えると一般人がいる場所でするのは気が引けるし、家でするのもなんだか違う感じがした。

 

 その点、『ボーダー』本部の中でも滅多に人が来ないこの場所であれば、話をするのに丁度良かった。

 

「…………なんだか、すっきりした顔をしてるな。何かあったか?」

「…………ええ、色々とね」

「そうか…………良い変化、だったんだろうな……」

 

 おずおずと、話を切り出すのを迷うように二人は話す。

 

 思えば、いつもそうだった。

 

 二人で話す時は肝心な話題をいつもぼかして、なあなあで済ませる。

 

 それが、二人の間で常態化していた。

 

 けれどきっと、それでは駄目なのだ。

 

 一歩を踏み込まなければ、とても前には進めない。

 

 だから七海は、那須は、息を大きく吸い込んで、告げる。

 

「「その、ごめんなさい(すまなかった)……っ! って、え……?」」

 

 二人同時に謝罪の言葉を口にして、それが被ってしまった。

 

 あまりのタイミングの良さに二人共空気を逸し、微妙な雰囲気がその場を包む。

 

 しばしの沈黙の後、七海がまず我に返った。

 

「な、なんで玲が謝るんだ……? 悪いのは、みすみす術中に嵌まった俺の方だろう……?」

「…………その切っ掛けを作ったのは、そもそも私よ。だから、私が悪いのは当然じゃない」

「いや俺が……」

「私が……」

 

 そんな感じで水掛け論になりそうだったので、七海は一旦仕切り直す事とした。

 

 自分はこれからの事を話しにしに来たのであって、水掛け論をしに来たのではない。

 

「…………どっちも悪い、って事でいいだろ。俺も玲も、両方悪かったって事だ」

「…………そうね。そういう事にしましょうか……」

 

 矢張り、同じ事を感じていたのだろう。

 

 那須は渋々、といった感じで七海の提案を受け入れる。

 

 そのあたり、似た者同士とも言えた。

 

「…………俺からで、いいか?」

「……ええ……」

 

 そう言ってこくりと頷く那須を見て、七海は話を始めた。

 

「俺さ、言われたんだよ。鋼さんから、()()()()()()()()ってな」

「それは……」

 

 七海が語る村上の言葉に、思う所があったのだろう。

 

 那須の表情が、変わる。

 

 それを見ながら、七海は続けた。

 

「俺、何もかも背負い込めば責任は俺一人で取ればいいから、それでいいと思ってた。けど、責任を背負い込まれる周りからしてみると、俺のやり方は気が気じゃなかったらしい」

 

 その事を村上だけじゃなく、色んな奴に言われた、と七海は話す。

 

 責任を背負い過ぎるのは、決して良い事ばかりではない。

 

 その事を実感したと、七海は語る。

 

 実際、七海の内罰的な思考は周囲からしてみればとても危なっかしい。

 

 何であろうと背負い込もうとするので、迂闊に頼みをする事すら出来ない。

 

 頼り難いし、頼ってくれない。

 

 七海は周囲から、そのような評価を受けていた。

 

 彼自身は、全く自覚していなかったのであるが。

 

「だから、これからは何かあれば必要に応じて遠慮なく他の人を頼るよ。そうした方が、良さそうだからな」

「…………そうね。その方が、ずっといいわ。玲一はもっと、肩の荷を下ろすべきなのよ」

 

 私が言えた事じゃないけどね、と自嘲する那須を見て、七海は口を開いた。

 

「…………それ、似たような事を熊谷にも言われたよ。正しくは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、って話だったけど」

「くまちゃんが……」

 

 ああ、と七海は頷く。

 

「結局、俺も玲も過保護だったんだよ。熊谷も日浦も、弱くはない。俺達はその事を、もっと考えるべきだった」

「…………そうね。そういう、事よね……」

 

 那須はそう言いながら、先日の試合の失態を思い出す。

 

 真っ先に熊谷が落とされた時、那須の思考を占めていたのは()()()()()()()()()()()()だった。

 

 それは裏を返せば、熊谷の事を戦う仲間としてではなく、()()()()として見ていた事を意味している。

 

 正直、ランク戦を共に戦う仲間に向ける感情として少々()()()()()いる。

 

 仲間の心配をする事は悪い事ではないが、那須のそれは少々度が過ぎていた。

 

 ランク戦である以上、力及ばず落とされる事も勿論あるだろう。

 

 だが、その度に怒って冷静な判断力を失っていては、とてもではないがやっていけない。

 

 ROUND2までは、奇跡的にそういった機会がなかっただけだ。

 

 B級上位でやっていくなら、幾らでも()()()()()()()()()()はやって来るだろう。

 

 ある意味、那須はその事に()()()必要があるのだ。

 

 今後の戦いを、勝ち抜く為には。

 

「茜の戦いを、見ただろう? あれだけの戦果を、一人で挙げて見せたんだ。だから、あいつ等は俺達が思うような弱い存在じゃない。戦場で背中を預け合う、()()だよ」

「戦友、か……」

 

 その些か物騒な響きに、那須は苦笑する。

 

 自分達がやっているのは、『近界民』との戦争なのだ。

 

 普段あまり意識していなかったその事を、改めて認識する。

 

 即ち、普通の10代の思考ではないな、と。

 

 しかし、これが現実なのだ。

 

 実際に異世界人(ネイバー)は襲来し、この世界の人々を脅かしている。

 

 自分達は、その脅威から人々を守る組織、『ボーダー』に属している。

 

 故に、自分達は()()なのだ。

 

 敵を駆逐する為、己が身を賭して戦う戦場の歯車。

 

 それが、自分達だ。

 

 普通の少年少女の思考とは言い難いが、『ボーダー』にとってはこれが日常だ。

 

 恐らく、『ボーダー』の面々とそれ以外の人間とでは、相当な温度差がある。

 

 一般人相手に戦闘員が同じ目線で話が出来るワケではないのだから、ある意味当然の事だ。

 

 故に、『ボーダー』の正隊員達は組織の内部でその交友関係を広げていく。

 

 入隊して、それまでの友人と疎遠になった経験をした隊員は、数多い。

 

 だからこそ、同じ『ボーダー』の仲間は、特に同じ隊の仲間の事は信頼しなければ駄目なのだ。

 

 共に背中を預け合えるようでなければ、真の意味での仲間とは言えない。

 

 守られるだけのヒロインなど、此処にはいない。

 

 いるのは、戦う覚悟を決めた戦士だけだ。

 

 戦士相手に、余計な気遣いはむしろ侮辱にあたる。

 

 頼り合う仲間として接し、共に切磋琢磨していく。

 

 それが出来てこそ、本当の()()と言えるだろう。

 

「だからお前も、もう少し熊谷達を頼ってやれ。俺もお前も、一人の手で掬い上げられるものには限度がある。自分の荷物を仲間に預ける事も、必要な事だぞ」

 

 受け売りだけどな、と七海は苦笑する。

 

 そんな七海の言葉を聞き、那須は頷く。

 

 確かに那須は、これまできちんと他人を頼って来たとは言い難い。

 

 トリオン体を得て、それまでと違って一人で動き回れるようになって、すっかり他人を頼る事をしなくなっていた。

 

 昔の、外出もままならなかった頃の那須であれば、そんな事有り得なかった筈なのに。

 

 今の那須は、なんでも一人でやろうとし過ぎている。

 

 その事を、那須は言われて初めて自覚した。

 

 そんな事はない、と言うのは簡単だ。

 

 けれど、心の深い部分が、七海の言葉を受け入れている。

 

 それは、彼の言葉に一理あると、那須の深層心理が認めた証だった。

 

 那須はその事を認め、深く息を吐いた。

 

 自分の誤りは、認めた。

 

 次は、自分の想いを吐露する時だ。

 

「…………私ね。ずっと、ずっと思ってたんだ。玲一の大切なものを奪ってしまったから、私が玲一を支えて償い続けてあげなくちゃって」

「それは……」

「玲一は、私は悪くないって言うよね? けど、無理だよ…………責任は、どうしても感じちゃう」

 

 だって、と那須は続ける。

 

「私を助けようとしなければ、玲一は右腕を失う事もなかったし、玲奈さんもいなくならずに済んだ。痛み(感覚)だって、失わなかったと思う。だから全部、私の所為なんだよ」

「それは……っ!」

「違わない。言っとくけど、これだけは譲るつもりはないから」

 

 それは違う、と反論しようとした七海を、那須はそう言って制する。

 

 七海が二の句を告げる前に、那須は畳みかけた。

 

「だから私ね、玲一は本当は私の事恨んでるじゃないか、私を気遣ってそれを隠してるだけじゃないかって、ずっと思ってた。そんな事、ある筈ないって分かってる筈なのにね」

「当然だろう。なんで俺が自分の意志でした事の責任を、玲に求める必要がある? そんな事、考えた事すらない」

「そう言うと思ったよ、玲一なら」

 

 でもね、と那須は続ける。

 

「私、ずっとその事ばっかり考えてた。玲一に嫌われたくないから、何が何でも玲一の傍にいて、支え続けなきゃいけないって。玲一にどう思われてるか確認するのが怖くて、自分の本当の気持ちを隠してた」

「玲……」

「だからね、玲一。教えて欲しいの。玲一の気持ちは、ずっと変わってない? 変わらず、私の事を……」

 

 好きでいてくれてた? と、那須は言外に告げる。

 

 那須は、七海が自分に向ける好意自体には気が付いていた。

 

 その上で、気付かない振りをしていた。

 

 四年前の悲劇があってからは、意図的に。

 

 七海が自分を見る眼が変わっていないか、確認するのが怖かった。

 

 だから、負い目を理由にして、向き合う事を避けていた。

 

 けれどその欺瞞は、小夜子によって打ち破られた。

 

 小夜子は那須と本音でぶつかり合い、彼女の本心を強制的に気付かせた。

 

 那須の想いそのものは、七海と出会った時から何も変わっていない。

 

 彼に対する好意も、変わらず心に刻み込まれている。

 

 ただ、そこから目を背けていただけで。

 

 見る眼が変わったという可能性を、考えたくない。

 

 もう、自分を好きでいてくれないのではないか、という疑念を捨てきれない。

 

 だから、逃げていた。

 

 自分と、七海の気持ちと向き合う事を。

 

 けれど、それも今日まで。

 

 那須は、自分の気持ちと、七海と向き合う覚悟を決めた。

 

 その那須の想いは、正確に七海へと伝わった。

 

 七海は、居住まいを正した。

 

 こればかりは、真摯に答えなければならない。

 

 彼の男としての矜持が、そう語っていた。

 

「俺の気持ちは、何も変わってないよ。俺の想いは、昔から何一つ変わっていない。玲も、同じと考えていいのか?」

「勿論よ。私は、片時も貴方の事を想わなかった日はないわ」

 

 決定的な言葉は省き、二人は意志を疎通させる。

 

 今日語り合ったのは、関係を変えたいからじゃない。

 

 お互いの想いを、改めて確認する為だ。

 

 まずはお互いの想いを正確に知り、その上で向き合い方を考える。

 

 決定的に関係を変えるとすれば、まだ先。

 

 ある程度、様々な()()が着いた後だろう。

 

 それまでは、チームメイトとして付き合っていく。

 

 ある種それは、二人の暗黙の了解だった。

 

 関係を変えるのならば、もっと相応しい機会があるのだと。

 

「…………俺は、玲を俺への負い目の所為で俺に縛り付けてしまっている、と考えていた。玲が俺の傍にいてくれるのはその為であって、玲の本意じゃないんじゃないかって」

「そんな事、ある筈ないじゃない。私は、ずっと……」

「…………ああ、そんな当然の事を、俺は今まで信じる事が出来ていなかったんだ」

 

 お互い様だな、と七海は苦笑する。

 

 那須は七海の気持ちが変わってしまったのではないか、と確認するのが怖くて一歩を踏み出せず。

 

 七海は、那須が傍にいてくれるのはただ負い目の為だけではないか、と憂慮した。

 

 お互い、余計な疑心がその想いを縛っていた。

 

 だから、自分に正直になる事が出来なかった。

 

 自分を、誤魔化し続けていた。

 

 加古の言葉は、それを正確に言い当てていた。

 

 自分に、正直になる。

 

 ただそれだけで、改善する関係であるのだと。

 

「然るべき時が来たら、言うよ。玲に、告げるべき言葉を。だから今は────」

「────ええ、今は、お互いの気持ちが変わっていない事を確認出来た。それだけで、充分よ」

 

 だから、と那須は七海に近付き、その身体を抱き締めた。

 

「…………これくらいは、いいでしょう? 折角、長年の心配事が解消されたんだもの。少しくらい、役得があってもいいと思うわ」

「…………ああ、このくらいで良ければ、幾らでも。こんな所、誰かに見られたら何言われるか分かったものじゃないな」

「言わせておけばいいじゃない。まあ、こんな所に来る物好きなんて、滅多にいないだろうけど」

 

 二人はそう言い合って、くすくすと笑い合った。

 

 二人の関係の歪みは、遂に解消された。

 

 全てが元通り、とはいかないけれど。

 

 それでも、お互いの心に刺さっていた棘は抜けた。

 

 それを、証明するかのように。

 

 二人の顔には、晴れやかな笑顔が浮かんでいた。


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