痛みを識るもの   作:デスイーター

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旧東隊①

「くそ……っ!」

 

 ガン、と鈍い音と共に三輪の拳が壁に叩きつけられる。

 

 トリオン体ではなく生身である為壁が凹んだりはせず、三輪の苛立ちが空しく響くだけ。

 

 逃げるようにあの場を立ち去った三輪は、その心中に複雑な想いを抱え、感情のオーバーフローを起こしていた。

 

(『近界民(ネイバー)』と手を結ぶ? 『ボーダー』は元々それをやっていた……? 馬鹿な、有り得ない……っ! 『近界民』は全て、()()()()()()()の筈だろう……っ!?)

 

 三輪にとって『近界民』とは姉を殺した仇であり、何が何でも打ち滅ぼさなくては気が済まない()だ。

 

 たとえ人の姿をしていたとしても自分達とは相容れない外敵であり、未だにこの世界を脅かし続ける度し難い存在。

 

 それが三輪にとっての『近界民』であり、それは皆の共通認識だと思っていた。

 

 だからこそ親『近界民』派なんて世迷い事を言っている玉狛の事は蔑視していたし、特に迅の事は絶対認めてなるものか、と考えていた。

 

 迅悠一。

 

 あの時、四年前の大規模侵攻の時に致命傷を負った三輪の姉を見捨て、ただその場を立ち去った()()の男。

 

 その時の記憶は、今でも三輪の脳裏に焼き付いている。

 

 迅が自分に向ける、憐れむような、それでいて何かを諦めたような眼。

 

 今ならば、分かる。

 

 迅は、『未来視』のサイドエフェクトを持っていた。

 

 故に、分かったのだろう。

 

 自分の姉は、既にあの時点で手遅れであり、助かる未来は欠片も存在しなかった事が。

 

 だから迅は命の取捨選択(トリアージ)を行い、姉を見捨てて別の者を助けに行った。

 

 理屈では、分かっている。

 

 だが、理屈が、理由が分かるのと、それを納得出来るかどうかは別の話だ。

 

 三輪は、今でも考えずにはいられない。

 

 もしかすると、姉が助かる未来は、あったのではないか。

 

 迅はただ、その可能性が低過ぎるが故に切り捨てただけではないか。

 

 面と向かって、問い質した事はない。

 

 だが、()()()()()()()事を行動原理とするあの男なら、充分有り得るだろうと、三輪は考えていた。

 

 …………何故なら、そう考えれば迅を敵視し、行き場のない憎悪を一先ず向ける事が出来るからだ。

 

 三輪自身気付いてはいないが、彼はある意味で迅に依存している。

 

 そして恐らく、迅はそれを許容している。

 

 そうやって自分を敵視する事で三輪が奮起し、防衛力が上がるのであれば。

 

 自分が敵視される事くらい、取るに足らない事であると。

 

 その重過ぎる過去から自己評価が極端に低い迅なら、その程度の事は考えている筈だ。

 

 そして、薄々三輪もそれには気付いている。

 

 三輪の迅への反発は、言うなれば子供の癇癪だ。

 

 ぶつけどころのない怒りを、身近な対象に向ける事で鬱憤を晴らす。

 

 そういう側面は、間違いなくあった。

 

 憎悪を、怒りを持続させるという事は、思った以上に難しいものだ。

 

 たとえどれだけの怒りを抱こうと、日常の中でそれは希釈され、薄れていく。

 

 だからこそ三輪は迅を敵視し、あの日の悲しみと後悔をその都度思い出す事で怒りを持続させている。

 

 自分の憎悪を、忘れない為に。

 

 今の三輪には、『近界民』を倒す事以外何も見えていない。

 

 それ以外は全て些事であり、自分の人生すらどうでもいいと思っている。

 

 今現在進学の意思がないのも、『近界民』の殲滅だけしか考えていないからだ。

 

 野垂れ死ぬまで、一匹でも多くの『近界民』を駆逐する。

 

 そんな想いが、今の三輪を突き動かす原動力だった。

 

 だから、三輪には具体的な()()()()()()()()()がない。

 

 『近界民』を倒す、それ()()しか考えていない。

 

 どれだけ倒せばいいのか、どうすればより良い未来に繋げられるのか。

 

 そういった事を、全く考えていなかった。

 

 だから、七海が告げた()()()()()()()()()()()()()()()()()()()といったイフの展望は、まさに寝耳に水だった。

 

 『近界』は広大であり、そこに住まう全ての『近界民』を殲滅する事は、現実的ではない。

 

 果てなく広がる『近界』の宙に浮かぶ星々を全て滅ぼす事など夢物語に過ぎず、たとえ『近界』に侵攻したとしても手痛いしっぺ返しを食らうのがオチだ。

 

 今の『近界民』の侵攻が散発的なトリオン兵の出兵に留められているのは、『近界民』がこの世界を()()()()()()()であるとは考えていないからだ。

 

 精々、都合の良い物資調達場所。

 

 その程度の、認識の筈である。

 

 だがもし、この世界が、『ボーダー』が本気で『近界』を滅ぼそうと動いた場合、待っているのは結末の見えた全面戦争だ。

 

 一つの国家相手でも手一杯だというのに、それらが手を結び攻め込んで来たらどうなるか。

 

 今の平和は、薄氷の上のものに過ぎない。

 

 だからこそ迅は暗躍を止めないし、それを理解している上層部は迅の意見を重要視する。

 

 上層部が殊更迅を重要視するのが三輪としては面白くなく、その理由を()()()()()()()()()()()()()という表面上の理屈だけで片付けてしまっている。

 

 だから、()()()()()()()()()()()()()なんて事は、三輪としては未知の概念に等しかった。

 

 『近界民』を、殺せれば良い。

 

 それしか、考えて来なかった。

 

 考えないように、していた。

 

 だって、そうしなければ喪失の重さに耐えられない。

 

 姉のいない世界で、生きる意味が見つけられない。

 

 自分から復讐を取ったら、最早何も残らない。

 

 だから、縋る。

 

 復讐に。

 

 それを肯定してくれる、城戸の言葉に。

 

 自分の憎悪を受け止めてくれる、迅の存在に。

 

 分からない。

 

 何故、こんなにも心が苦しいのか。

 

 何故、こんなにも七海の言葉が頭をかき乱すのか。

 

 全く以て、分からなかった。

 

「おいおい、酷い顔だぞ。秀次」

「…………東、さん……」

 

 不意にかけられた声に、三輪は顔を上げる。

 

 そこには、慣れ親しんだ声が、顔が。

 

 かつて自分の隊長だった、東春秋の姿があった。

 

 東は呆けている三輪の肩をポン、と叩くと軽く声をかけた。

 

「ちょっと、付き合わないか? 久々に、焼き肉連れてってやる」

 

 

 

 

 ────どうしてこうなったのだろう、と、三輪は茫然としていた。

 

 言われるがままに東に付いて来た結果、連れて来られたのは以前も東と共に来た事のある焼き肉屋、『寿寿苑(じゅじゅえん)』。

 

 そこに入ったまでは、良い。

 

「ホラ、三輪くんも食べないと。お腹空いてるでしょ?」

「無理に食わせるな。秀次はお前とは違って小食なんだ」

「あら、何よお兄さんぶって。変に見栄を張ると却って格好悪いわよ?」

 

 …………何故、加古と二宮(旧東隊の面々)が此処にいるのか。全く以て、理解不能だった。

 

 加古は、まだわかる。

 

 なんだかんだでお節介焼きな彼女が、東に誘われて付いて来たのは容易に想像できる。

 

 だが。

 

 だが。

 

 何故、二宮までいるのか。

 

 先程から二宮はジンジャーエールをちびちび飲みながら焼き肉をぱくぱく食べており、自分から積極的に三輪に話しかける様子はない。

 

 精々時折加古の言葉に反論するくらいで、三輪に対する能動的なアクションが皆無だ。

 

 あれか。

 

 もしかして、東さんに誘われたから深く考えずに付いて来ただけとか?

 

 昔から行動の読めない人ではあったので、充分有り得ると三輪は思った。

 

 加古に言わせれば「二宮くん程分かり易い人はいないわよー」との事らしいが、自分にはついぞ理解不能だった。

 

 同じ隊にいた時、外に連れ出され黙々と雪だるまを作り始めた時は何事かと思った。

 

 東曰く、少しでも自分に気分転換させたかったらしいが、長身の年上男性が無言で雪だるまを作り続ける光景を見て何故気分転換になるのか理解が及ばなかった。

 

 その事を加古に教えたら大笑いしながら二宮の下に直行し、それから暫くの間二宮は終始不機嫌になっていた。

 

 二宮が頓珍漢な事をやらかし、加古がそれを見て煽り、東が宥め、三輪が翻弄される。

 

 それが、旧『東隊』で良く見られた光景だった。

 

 悩みと混乱で思考が鈍化していた三輪は変なテンションの頭のまま、そんな事を考えていた。

 

 

 

 

 ────無論、そんな三輪の内心など東は百も承知である。

 

 だからこそ、加古だけではなく二宮を引っ張って来たのだ。

 

 三輪をフォローさせるにせよ、自家中毒に陥っている心中をまず落ち着かせなければ話にならない。

 

 だから三輪にどう接するか迷っていた二宮(ナチュラルに面白い行動をする男)を連れ出し、話を聞きつけた加古(最初からノリノリの女)と共に焼き肉屋にやって来たワケだ。

 

 二宮ショックは、三輪の葛藤を吹き飛ばすには丁度良かったらしい。

 

 知らず東の役に立っていた二宮に内心で感謝しつつ、東は話を切り出した。

 

「さて、悪いと思ったが、お前と七海の話は大体聞いていた。何か、知りたい事があれば答えるぞ」

「……っ!」

 

 東の言葉に、三輪の身体が硬直する。

 

 それを見て、東は畳みかけるように口を開いた。

 

「恐らくお前が気にしているのは、七海が言った()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という点だな。結論から言えば、それは事実だ。とは言っても、今の『ボーダー』が出来る前────迅や小南達が所属していた、『旧ボーダー』での話だがな」

「……な……」

 

 七海が告げた言葉は、真実だった。

 

 その事に瞠目し、三輪は激情のままに言葉を口にする。

 

「で、ですが、それはあくまで迅達がやった事でしょう……っ!? 今の『ボーダー』には関係ないんじゃ……っ!」

「何言ってる。他ならぬ城戸司令も、その『旧ボーダー』の一員だったんだぞ。つまり城戸司令も、当時はその事に賛同していたワケだ」

「そんな……」

 

 三輪の拠り所の一つである、()()()()()()()()()()()()()()()が『近界民』の存在を許容していたと知り、三輪は愕然となった。

 

 話としては、聞いた事はあった。

 

 城戸司令は今の『ボーダー』が出来る前の前身となる組織、『旧ボーダー』に所属していた事は。

 

 だが、その組織の詳細については、三輪は何も知らなかった。

 

 城戸が所属していたのだから、今と同じ『近界民』を駆除する為の組織なのだろう。

 

 その程度にしか、考えてはいなかった。

 

 だが、実際は違った。

 

 旧『ボーダー』は、あろう事か『近界民』と同盟を結んでいた。

 

 そんな組織に、城戸は属していた。

 

 信じていたものが、崩れていく。

 

 そんな感慨を、三輪は抱いていた。

 

「今その同盟がどうなっているかまでは知らないが、当時『近界』にある複数の国家と融和的な関係を築けていたのは確かだ」

 

 それに、と東は続けた。

 

「A級部隊が行ってる近界遠征だって、何も無差別に『近界民』に喧嘩を売りに行くんじゃない。時には平和裏に交渉して、トリガーを持ち帰って来る事もある。『旧ボーダー』の思想は、完全に消えたワケじゃないんだ」

「そん、な…………『近界民』は敵で、害虫で、滅ぼすべき、存在の、筈じゃ……」

「『近界』は、単に()()()()()()()()ってだけだ。技術格差や相互不理解なんかの所為で侵略される側に回っちゃいるが、別段全ての国に交渉の余地がないワケじゃない。仲の良い国と仲の悪い国があるのは、この世界を見ればわかるだろ?」

 

 そう、東の言う通り、『近界』にある国家はあくまで()なのだ。

 

 国である以上それぞれ違った思想があるし、この世界に対するスタンスが違うのも通りだ。

 

 互いに利益があれば手を結ぶし、相容れなければ争う。

 

 この世界の国と、なんら変わりはない。

 

 決して、単なる()()()()()()()()()ではないのだから。

 

「────だから、七海くんが言った事も間違ってないのよ。強大な『近界』の国家に対抗するには、同じ『近界』の国家の手を借りる。合理的だし、充分有り得る選択肢だと思うわ」

「それは……」

「要は、視点の違いよ。襲って来る『近界民』を撃退するのは当然だけど、どうやってその襲撃自体を減らせるか、この世界をより安全な状態に持って行くか。そういう未来の展望を、七海くんは語ってたってワケ」

 

 大切なものを守る事が、七海くんの最優先だしね、と加古は語った。

 

 未来の展望。

 

 それは、確かに三輪にはない視点だった。

 

 三輪は極論、()()()()()()()()()()()という事しか考えていない。

 

 対して七海は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という視点で話をしていた。

 

 三輪の問うた()()()()()()()()()()()()()()()という問いへの、七海なりの解答。

 

 それは即ち、()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 確かに『近界民』の襲撃は撃退する他ないが、それだけをやっていても平和が訪れるというワケではない。

 

 『近界』の襲撃は散発的だが、裏を返せばそれだけ()()()()()()()()()()()()()だけだとも取れる。

 

 恐らく、今の散発的な襲撃は嵐の前の静けさに過ぎない。

 

 この世界の、『ボーダー』の戦力は昔と比べて充実している。

 

 以前はトリオン兵を派遣するだけで人を攫う事が出来たが、『ボーダー』の戦力の拡充によってトリオン兵は軒並み撃退されている。

 

 故に、今は『ボーダー』の戦力を図り、効率的な侵攻の為の準備をしている可能性は充分にある。

 

 事実、近いうちに大規模な侵攻が来ると迅は予知した。

 

 今まで様子見に徹していた国が、本気で牙を剥いてくる。

 

 そうなった時、味方となる『近界』国家があるとないのとでは、大分話が違って来る。

 

 だからこそ、『近界民』と手を結ぶという選択肢が現実味を帯びて来るワケだ。

 

 当然手を結ぶ相手は厳選しなくてはならないが、それでも『近界』側の助力を得られるに越した事はない。

 

 度重なる『近界』への遠征には同盟を結ぶ国家を探すという目的が含まれていてもおかしくはないし、そもそも城戸の『近界民』排斥という言葉自体が『ボーダー』に人を集める為の建前に過ぎない。

 

 必要ならば誰とでも手を結ぶし、どんな手段でも取る。

 

 それが、城戸正宗(きどまさむね)という男なのだから。

 

「秀次、加古の話は話半分に聞いておけ。別に、俺達はお前に復讐を捨てろと言うつもりはない」

「二宮さん……」

 

 そこで、初めて二宮が話に加わって来た。

 

 加古は珍しく茶々を入れず、事の成り行きを見守っている。

 

「復讐は、お前の戦う為のモチベーションそのものだろう。理屈でそれを否定した所で、納得出来るとは俺は思わない。それに、人は人だ。七海が何を考えていたところで、それはお前に関係あるのか?」

「それは……」

 

 確かに、関係はない。

 

 七海は、別に三輪の考えを否定したワケではない。

 

 ただ、()()()()()()()と言っただけだ。

 

 三輪は、ただその意見を生理的に受け付けなかっただけ。

 

 語ってみれば、それだけの事なのである。

 

「他人の意見など、有用なものだけ取り入れればそれで充分だ。必要ないと思った意見は一顧だにする必要はない。同じように、七海やこの女が何を言おうと、お前が気にする必要は一切ない」

「二宮さん……」

 

 二宮の言葉に、三輪は心のざわつきが落ち着くのを感じていた。

 

 そうだ。七海が何を言おうと、自分には関係ない。

 

 自分にとって『近界民』は敵だし、その認識が変わる事は有り得ない。

 

 それでいいのだ。

 

 それで良しとする他、ないのだ。

 

「あら、東さんから昔教わった内容を言葉を変えて話してるだけなのに、偉そうね。そんなだから天然とか言われるのよ」

「それはお前が言っているだけだろう。俺は別に天然じゃない」

「普通、天然ってそれを自覚しないものなのよね」

 

 相変わらず二宮に茶々を入れる加古とそれに応対する二宮のやり取りに、三輪は茫然と眺めている。

 

 それを見ていた東が、頃合いと見て声をかけた。

 

「ま、二宮の言う通りだ。他人の意見を受け入れる事は大事だが、必要以上に振り回される必要はない。意見を受け入れるよう強要したところで、そこに意味はないからな。今はただ、自分とは違う意見を持った相手もいるという事だけ覚えておけばそれで良い」

 

 東の言葉に、三輪は深く頷いた。

 

 今は、何も気にする必要はない。

 

 そう自分に言い聞かせ、三輪は顔を上げた。

 

「有象無象の言葉など気にする必要はない。つまりそういう事だ」

「何がつまりよ? 勝手に東さんの言葉を曲解しないでよね」

「はは、相変わらずだなお前らは」

 

 二宮が、加古が、東が、自分の前で笑っている。

 

 かつては良く見た光景で、何処か郷愁の匂いがした。

 

 自分の隊を持ってから、そういえば誰かと食事に行く機会など、果たしてあっただろうか。

 

 三人からは、この空間からは、温かな匂いがする。

 

 それは、かつて大切にしていた家の匂いとは違うけれど。

 

 これはこれで良いものだと、三輪は思った。

 

 こうして、旧『東隊』の面々は交流を深めていた。

 

 走り続けるだけが、戦いではない。

 

 時には、立ち止まる事も必要なのだと。

 

 そう、信じて。


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