痛みを識るもの   作:デスイーター

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熊谷友子の憂鬱

 ────熊谷友子は、那須隊の攻撃手(アタッカー)である。

 

 同じ攻撃手でもその役割は積極的に敵に切り込む同じ隊の七海とは違い、仲間の護衛(ガード)が主である。

 

 彼女の『弧月』を用いた『返し』の技の練度は上位の攻撃手達にも評価されており、伊達に那須隊の守りの要を担って来たワケではない。

 

 この『返し』の技術は男性恐怖症を患う小夜子に関する事情で七海がこれまで隊に入る事が出来ていなかった為、ランク戦では七海がいない分を埋めようと必死になって磨いたものである。

 

 しかし、幾ら『返し』の技術を磨いても()()()()()()()()()()()()という弱点はどうにもならず、前期のランク戦では下位にこそ落ちなかったものの、最終順位はB級中位の中でも最下位(ワースト)

 

 あの時は、悔し涙で枕を濡らしたものである。

 

 …………けれど、今期のランク戦からは違う。

 

 どうやったのかは詳しく聞いていないが、どうやら七海が小夜子の壁を取り払う事に成功したらしい。

 

 小夜子の事情に関しては熊谷もその経緯を知っている為今まで口出しはなるべく控えていたのだが、男性恐怖症…………いや、()()()()()()()に陥っていた彼女と会話出来るようになったのだから、大したものだ。

 

 会話が出来るようになった証拠として小夜子が七海と共に作戦室にやって来て、和やかに話していた時は心底驚いた記憶がある。

 

 熊谷だけではなく、当然の如く茜も唖然としていた。

 

 那須だけは妙な様子でニコニコ笑っているだけだったが、何故かその時の彼女は触れてはならない感じがした為熊谷は怖くて理由を聞いていない。

 

 美人を怒らせると怖いのは、小夜子の食事事情を目の当たりにした時の那須の『お説教』で思い知っている。

 

 那須は人形のように整った美貌を持ち、同じ女である熊谷から見ても『美人』や『美少女』といった形容詞が有無を言わさず当て嵌まる存在だ。

 

 『ボーダー』内で那須と男性人気を二分する『嵐山隊』のオペレーターの綾辻遥(あやつじはるか)の人気ぶりも相当なものだが、あちらが親しみ易い近所のお姉さん的な人気なのに対し、那須の扱いは高嶺の花的なそれだ。

 

 その浮世離れした美貌も然る事ながら、ランク戦で魅せる普段の彼女からは想像もつかないハイスピードな機動戦の様子を知る『ボーダー』隊員からは畏怖と尊敬の入り混じった眼差しを向けられている。

 

 また、七海と那須の関係を知る隊員達にとっては、彼女の存在はまた別の意味を持つ。

 

 七海はそこまで積極的にコミュニケーションを取るタイプではないが、攻撃手達の間では割とその存在を知られており、特に彼と似たサイドエフェクトを持ち師匠筋の一人である影浦雅人は良い兄貴分として七海の面倒を見てくれている。

 

 影浦は見た目こそ威圧感があるが、その実裏表がなく一端身内と認定した相手には割と面倒見が良い側面がある。

 

 七海もなんだかんだ影浦の事は慕っており、彼との関係は仲の良い兄弟のようでもあった。

 

 彼が隊長を務める影浦隊との親交も厚く、七海はちょくちょく影浦隊の作戦室に出入りして交流を深めていた。

 

 影浦を通じた繋がりで荒船や村上といった面々とも仲が良く、休日には影浦の実家のお好み焼き屋で食事を共にする事もある。

 

 そんなこんなで外での七海は割と周囲に可愛がられているタチだが、熊谷の属する『那須隊』ではまたその立ち位置は変わって来る。

 

 熊谷にとっては対等な仲間にして訓練相手であり、茜にとっては高い実力を持った尊敬出来る先輩にあたる。

 

 小夜子に関しては会話出来るようになったのがつい最近である為、その関係性はよく分からない。

 

 だが、引き籠りの男性恐怖症だった小夜子が七海を前にすると積極的に話しかける様子がある為、そう悪い関係性ではない筈だ。

 

 そして那須との関係は、一言で言い表せるものではない。

 

 互いが互いを想い合い、相手の事を慮って行動しているのは事実だ。

 

 …………だが、ある程度付き合いが長い熊谷からして見ると、その関係性は正常なものとは言い難かった。

 

 七海の事情は、知っている。

 

 七海は過去の『近界民』の大規模侵攻で瓦礫から那須を救った代償として右腕を失い、その彼を助ける為に彼の姉である七海玲奈(ななみれいな)は自らの命に不可逆の変換を施し、黒トリガー(彼の右腕)になった。

 

 紛うことなき、悲劇の経緯。

 

 この話を初めて那須から聞いた時には、熊谷は思わず瞳を潤ませたものだ。

 

 七海の過去には、目を覆うばかりの悲劇があった。

 

 それは、彼の事情を知る誰もが同意するところだろう。

 

 そして問題は、その悲劇の結末に対する彼等の()()()()()だ。

 

 那須は話した時の様子や普段の態度を見る限り、七海に多大な()()()を抱いている。

 

 恐らく、那須は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と考え、七海に寄り添っている。

 

 自分の本当の気持ちに、蓋をしたまま。

 

 那須が七海をどう思っているかは、普段の様子や話しぶりを見る限り明らかだ。

 

 しかし那須は、その負い目によって自身の想いから目を背け続けている。

 

 場合によっては、負い目と自分の想いを混同している可能性すら有り得る。

 

 この件に関しては第三者が易々と踏み込んでいい問題ではない為、熊谷としても対処をしかねている。

 

 …………そして、問題は那須の方だけではない。

 

 七海もまた、自分に正直になれてはいない。

 

 彼は那須とは違い、恐らく自分が那須に抱いている想いについてはある程度自覚している。

 

 しかし、彼は彼で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思い込んでいる為、自分の本当の気持ちを押し殺している。

 

 七海は割と聞き分けが良いように思えるが、自分で決めた事、思い込んだ事に関しては呆れる程に頑固だ。

 

 他者が彼についてどうこう言ったところで、彼は耳を貸そうとはしないだろう。

 

 こればかりは男女の問題に関わる為、普段彼が仲良くしている面々のサポートはあまり望めない。

 

 こう言うと失礼かもしれないが、影浦達は男女関係のあれこれに関して有効なアドバイスが出来るようには思えない。

 

 少なくとも、熊谷が知る彼等ではこの問題を解決出来るイメージはなかった。

 

 これはあくまで、二人の()()の問題なのだ。

 

 第三者がどうこう言ってなんとかなるものではなく、あくまで二人に自分の間違いを()()()()()必要がある。

 

 そうなると恋愛経験のある女性が相談相手として適役なのだが、生憎熊谷の知り合いは『ボーダー』の職務や戦闘が第一という者達ばかりだ。

 

 学校に友人は多いものの、流石に七海と直接接点のない相手に相談するのは憚られる。

 

 せめて那須の他に()()()()()()()()()()()がいれば良い刺激となったのだろうが、それを言っても詮無き事だ。

 

 七海と那須が親しい関係なのは、『ボーダー』のB級以上の面々にとっては周知の事実だ。

 

 那須もまた、七海への好意を()()()()()()()()()()()()()()()()()傍から見た感じでは隠そうとはしていない。

 

 彼女は七海が那須隊の面々以外の女子と二人きりで話しているとあからさまに不機嫌になるし、七海の帰りが遅いと自ら迎えに行こうとする事も珍しくない。

 

 以前七海が影浦の実家で食事を終えた後、話が弾んで帰りが遅れた時などは那須が直接店まで出向き、お好み焼き屋に超の付くような美少女が現れた事で場が騒然したというエピソードもあった。

 

 影浦は店を不必要に騒がせた事で若干不機嫌となり、荒船と村上はその様子を微笑まし気に眺めていた。

 

 七海はこの件に関しては自分の落ち度であるとし、菓子折りを持って影浦の所に向かったのを覚えている。

 

 那須も後になって自分のした事を自覚したのか、影浦隊の作戦室まで謝りに行った。

 

 それ以来、七海は多少遅れる時でも那須への連絡を欠かさないようになった。

 

 ともあれ、傍から見るだけでも那須は七海にべったりなのだ。

 

 そんな二人の関係を見ている以上、間に割り込んで七海に近付こうとする女子などいる筈がない。

 

 一度七海の整った容姿に惹かれて話しかけて来たC級の女子がいたのだが、背後から現れた那須ににっこりと微笑まれてすごすごと退散したという噂もある。

 

 その噂に関しては現場を見たワケではないが、那須ならば普通にやるだろうという確信が熊谷にはあった。

 

 那須は、七海に対し重度の依存癖がある。

 

 彼女は七海の一挙手一投足を逐一見続けており、七海の動向を常に気にしている。

 

 あまり長く七海と離れていると落ち着かなくなり、突拍子もない行動を取る事がある。

 

 また、七海が傷付く事を極度に恐れているきらいがあり、七海と模擬戦をした時には明らかに動きに精彩を欠いていた。

 

 …………彼等の時間は、四年前のあの時からずっと止まったままなのだ。

 

 表面上は悲劇を乗り越えているように見えるが、それはあくまで表層的にそう見えるだけに過ぎない。

 

 彼等は、未だにあの悪夢に囚われている。

 

 それをどうにかしてやれない事が、熊谷の一番大きな悩みだった。

 

 …………その件について、頼れそうは相手は実は一人だけいる。

 

 迅悠一(じんゆういち)

 

 過去の大規模侵攻の時に表に出て来た『旧ボーダー』のメンバーの一人であり、七海の姉であった玲奈の旧知でもある。

 

 現在は『玉狛(たまこま)支部』という『ボーダー』の支部に属しており、『黒トリガー』の一つである『風刃』を持つ『S級隊員』でもある。

 

 ()()()()()()()()()()()を持ち、『ボーダー』にとってなくてはならない存在ではあるが、彼はこれまでに七海に関する事で様々な便宜を図って来た経緯がある。

 

 無痛症になった彼を『ボーダー』に勧誘したのも彼であるし、起動出来ない七海の右腕(黒トリガー)の所有権を彼に残すよう手を回した事もある。

 

 迅はその立ち位置故にあまり他人の事情に深く関わろうとしないのが常ではあるが、七海に関しては例外的に干渉を続けているように思う。

 

 そのくせ、七海本人の事は避けている節がある。

 

 必要な事があれば他者を通じて伝え、七海の前に姿を現わさないようにしているように見える。

 

 元々神出鬼没な男でもあり、趣味が暗躍と言うだけあって何時何処にいるか分かったものではない。

 

 女性のお尻を触るという褒められない趣味を持っているらしいが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()為に最終手段である自分を囮に彼を連れ出す作戦も使えない。

 

 それに、たとえ話す事が出来たところで適当にはぐらかされるのがオチだろう。

 

 生憎、熊谷はコミュニケーション能力は高くとも常に煙に巻くような会話を行う迅のような曲者相手に渡り合えるような器用さはない。

 

 そもそも、迅はそのサイドエフェクトの関係もあって()()()()()()事は非常に難しい。

 

 少なくとも、熊谷には無理だ。

 

 …………それに、薄々は気付いている。

 

 迅が七海と那須の関係について何も口出ししないのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事を識っているからだ。

 

 結果が分かっている徒労をする程、迅は暇ではない。

 

 もしかすると()()()()()()()()()()だけかもしれないが、現時点で彼が介入して来ないという事はそういう事だ。

 

「…………はぁ、やんなっちゃうわね。ホント」

 

 熊谷は一人、個人ランク戦のブースでぼやいた。

 

 気晴らしの為に来たのだが、生憎中々相手が見つからなかった。

 

 というのも、今は丁度太刀川と生駒(いこま)という好カードでの対戦が行われており、多くの隊員はその観戦に熱中しているからだ。

 

 熊谷としても同じ『弧月』使いのトップランカーの対戦は非常に見応えがあったが、そもそも彼等の対戦は痕跡(ログ)で腐る程見ている。

 

 生での対戦は矢張り熱が違うものの、今は身体を動かしたかった熊谷としては消化不良は否めなかった。

 

「……熊谷……?」

「あ、七海。此処にいたのね、アンタ」

 

 そんな熊谷に声をかけて来たのは、同じコンセプトの隊服に身を包んだ七海である。

 

 七海はランク戦のブースから出て行く荒船に会釈をしており、どうやら彼と一戦交えた後らしかった。

 

「珍しいな。熊谷は個人ランク戦はそこまで熱心な記憶はなかったんだが」

「あたしもたまには此処で剣を振るいたい事もあるのよ。それで、アンタ今暇? なら、一戦やらない?」

「構わない。丁度、身体も温まって来たところだ」

 

 同じ隊の隊員同士だが、個人ランク戦で鎬を削り合うのは訓練とはまた違った趣がある。

 

 普段戦えない相手と戦うのもいいが、こういうのも案外悪くない。

 

 なんだかんだ言いつつも、熊谷は七海の事が同じ隊の仲間として好ましく思っているのだ。

 

 攻撃手としての実力は残念ながら七海の方が上ではあるが、熊谷もただでやられる程ヤワではない。

 

 熊谷は落ち込んでいた気分を払拭し、七海と共にブースの中に入って行った。 




 というわけでくまちゃん回でした。

 ちょこちょこ伏線を撒きつつ、ななみんの那須隊での立ち位置を描写したつもりです。

 うちの那須さんのキャラについては、まあお察しの通り相当『重い』です。

 その為に第一話のあの悲劇を挿入して性格の根本に手入れをしたワケですからね。

 理由のない性格改変はあってはならないのでね。

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