痛みを識るもの   作:デスイーター

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東隊⑥

「此処で東隊、ダミービーコンを起動……っ! これは、凄い数だね~」

「…………成程なァ、確かにこれなら那須の遠隔射撃を封じられる。相変わらず、東サンの戦い方は上手ェな」

 

 東の取った戦略に、弓場は感嘆の声をあげる。

 

 那須の遠隔射撃包囲網は、それまでチームメンバーが観測した情報を元に弾道経路を算出し、複雑な地下通路を迂回して放つものである。

 

 当然その情報はビーコンという()()()()()()()()()()の事は考慮されておらず、しかもビーコンは普通の障害物と違いゆっくりとだが()()

 

 この状態で射撃を敢行しても標的に到達するまでにビーコンに被弾してしまうのが目に見えており、不用意な射撃は那須の位置を晒す事にも繋がる。

 

 ビーコンが起動している限り、那須の遠隔射撃は実質封じられたと言っても過言ではない。

 

 東の一手が、完全に戦況を覆した。

 

 故に、あの場で奥寺を崩すには、七海自身がなんとかするしかない。

 

 しかし、今の七海は両腕を失っている。

 

 自力で奥寺を突破するのは、少々骨が折れそうだ。

 

「しっかしこのビーコンの数、大分トリオンを注ぎ込んでるわね。七海の戦いに横槍を入れるまでずっと動き回ってると思ったら、地下街中にビーコンばら撒いてたワケか」

「これでビーコンのトリオンが切れるまでの間は、東隊がかなり有利になるねー。本当なら、地上に逃げてビーコンがなくなるまで時間を稼ぎたい所だけど……」

「地上への入り口は、全部太一のエスクードが塞いでやがるからなァ。あいつの置き土産が、七海達の退路を断ったワケだ」

 

 そう、太一が落ちた今でも、エスクードは変わらず地上への出口を塞いでいる。

 

 エスクードは、出す時のトリオン消費こそ大きいが、一度展開してしまえば後はトリオンを継続して供給する必要はなく、使用者が消すか壊されるまではその場に残り続ける。

 

 使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という特性は、展開時にかかるトリオンを度外視すればこの上なく厄介だ。

 

 なにせ、一度エスクードを出してしまえばたとえ本人が脱落してもその場に残り続けるのである。

 

 そして、その耐久力は防御系のトリガーの中でも随一で、特に射撃トリガーに対しては圧倒的な耐久性能を発揮する。

 

 アイビスの狙撃でも破壊は出来ないし、メテオラでも破壊不能。

 

 防御不可能の攻撃力を持つ旋空やレイガストのスラスターを用いた斬撃であれば突破可能であるが、そのどちらも七海達【那須隊】のトリガーセットには存在していない。

 

 唯一奥寺だけが旋空をセットしているが、みすみす地上への脱出を許すような真似をする筈もない。

 

 そして、此処で東がダミービーコンを起動したという事は、ある一つの事実を示している。

 

 ダミービーコンは数分間でトリオンが切れ自動的に消滅する。

 

 つまり、長期戦で継続的に使用する事は出来ない。

 

 故に東隊は、ビーコンの起動中の数分間に勝負をかける気でいる筈だ。

 

 東は、ただ逃げたのではない。

 

 この陣形を用いて、那須隊を仕留める為に姿を晦ましたのだ。

 

 戦いは、最終局面に突入している。

 

 残っているのは、那須隊と東隊の面々のみ。

 

 東の知略が勝つか、那須隊がそれを上回れるか。

 

 各隊の選択が、試される。

 

「さあ、勝負を仕掛けてきた東隊に対し那須隊はどう切り返すのか。気合いの入れどころだね」

 

 

 

 

「────旋空弧月……ッ!」

 

 奥寺は旋空を起動し、七海へ拡張斬撃を飛ばす。

 

 無論、単発の旋空程度を喰らう七海ではない。

 

 グラスホッパーを踏み込み、跳躍。

 

 壁を、天井を駆け、奥寺の背後に回り込む。

 

「ハウンド……ッ!」

「……っ!」

 

 だが、奥寺はハウンドでこれを迎撃。

 

 回避行動を余儀なくされた七海は、シールドを張りながらグラスホッパーで再度跳躍。

 

 奥寺から距離を取り、床面に着地した。

 

「旋空弧月……ッ!」

 

 そこへすかさず、奥寺は旋空を起動。

 

 七海はそれを回避し、距離を詰める為壁面を駆け抜ける。

 

「ハウンド……ッ!」

 

 しかし、そうはさせじと奥寺がハウンドを放つ。

 

 七海は止む無く回避を選択し、再び距離を取った。

 

(完全に俺を押し留める事に専念してるな。自分で獲る気はなく、あくまで東さんに()()()()気か)

 

 七海が奥寺相手に膠着状態に陥っているのは、奥寺に自分を無理に仕留めよう、という気がまるでないからだ。

 

 あくまで足止めに徹し、チャンスを伺っている。

 

 東に、七海を狙撃させる機会(チャンス)を。

 

 もし、奥寺が自分で七海を仕留めようと攻め込んで来ていれば、付け入る隙は幾らでもあった。

 

 今の七海には、影浦のそれを参考に鍛錬を積み重ね、習得したマンティスがある。

 

 懐に入り込んでさえくれれば、幾らでも奥寺を落とす手段はあった。

 

 だが、先程から奥寺は旋空とハウンドのみを使い、中距離戦に徹している。

 

 無論、七海のマンティスを警戒しての事だ。

 

 奥寺は、先程の村上と七海の戦いの一部始終をその目で見ている。

 

 七海が見せた隠し玉、マンティスについては最大限に警戒している筈だ。

 

 同じB級上位チームとして、奥寺には勿論影浦との戦闘経験が幾度もある。

 

 故にこそ、マンティスの厄介さについてはその身を以て知っている。

 

 だからこそ、無理に攻めはしない。

 

 攻撃手が隙を作り、狙撃手が獲る。

 

 奇しくも今の那須隊と似通ったその基本戦術を、奥寺は徹底している。

 

 自分の役割に徹した戦闘員は、崩し難い。

 

 特攻という選択肢を選ばない以上、両腕のない七海が彼を崩すのは至難の業だ。

 

 両腕があれば、幾らでもやりようはあった。

 

 マンティスを用いて隙を突く事も、不可能ではなかっただろう。

 

 だが、今の七海が自由に動かせるのは両足のみ。

 

 リーチを稼ぐ必要がある以上、奥寺を仕留めようとすれば必然的に蹴りから放つマンティスを使う事になる。

 

 つまりそれは、その場で足を止める事と同義だ。

 

 そんな隙を、あの東が逃す筈がない。

 

 そういった甘えた手を取った瞬間、東の狙撃は七海の身体を射抜くだろう。

 

 故に、取れる手は自然と限定される。

 

 ビーコンのトリオンが切れるのを待ち、遠隔射撃が通るようになった那須の援護を受けて奥寺を仕留めるか。

 

 被弾を覚悟で突っ込み、奥寺を仕留めるか、だ。

 

 奥寺を仕留める、それ自体はある程度の被弾さえ覚悟すれば充分に可能だ。

 

 だが、場合によっては東は奥寺ごと七海を撃つ事くらいは普通にやって来るだろう。

 

 奥寺自身も、自分を囮にする事に躊躇いはない筈だ。

 

 だから、一見するとビーコンのトリオン切れまで待つのが無難な選択肢に思える。

 

 それが、普通であれば常套手段だからだ。

 

 だが。

 

 だが。

 

 あの東が、常套手段を取った()()で崩せる程度の策を打つだろうか?

 

 東の戦略の巧みさは、これまでに充分思い知っている。

 

 そんな東が、ただ時間を稼ぐだけで崩せるような策を打って満足するだろうか?

 

 有り得ない。

 

 東と二度に渡って戦った七海は、彼がそんな甘い男では無い事を知っている。

 

 同時に、そんな警戒をこそ利用しかねない相手でもある。

 

 ()()()()()()()()()()()()()という考え利用してこちらに特攻を強いるという策だったとしても、東であればやってのける。

 

 そのどちらも、充分に可能性があった。

 

 だからこそ、迷わざるを得ない。

 

 戦場で、迷いとは一番の敵だ。

 

 一分一秒の思考の遅れが、後の戦況を明確に作用する。

 

 戦場では、その場の情報と推測から的確な判断の即断即決が求められる。

 

 迷いは、敗北に繋がる陥穽だ。

 

 戦場で迷う事ほど、愚かな事はない。

 

 同時に、敵にその迷いを押し付ける事が出来れば、その動きを封じ込める事が出来る。

 

 そういった心理戦こそ、東の真骨頂。

 

 単純な技術、技巧だけの話ではない。

 

 心技体その全てを利用し、的確に相手を狩り立てる。

 

 それが、東春秋。

 

 始まりの狙撃手にして、ボーダー随一の戦略家。

 

 数々の戦場を踏破した、ボーダーの生き字引である。

 

(どうする……? 脱落を覚悟で特攻して、奥寺を仕留めておくか……? いや、東さんの攻略には俺が生き残る必要がある。捨て身の特攻は、出来ない)

 

 七海は、必死に頭を回転させる。

 

 何が最適か。

 

 何が一番有益で、何が一番リスクが高いか。

 

 それらの情報を必死に組み立て、最善の道を模索する。

 

 特攻────却下。リスクとリターンが釣り合わない。

 

 時間稼ぎ────推奨困難。東に時間を与えるリスクが不明瞭。

 

 撤退────下策。既に東が姿を晦まして相応の時間が経過している。闇雲に探しても、見つかる可能性は低い。

 

 東を攻略するにあたり、彼の()()を務める奥寺の排除は必要不可欠だ。

 

 だが、東の隠密能力はずば抜けて高い。

 

 最悪、奥寺を落とそうとした隙を突かれて七海が仕留められ、そのままタイムアップまで雲隠れされる可能性がある。

 

 東は、東隊は、無理に高得点を狙わない。

 

 堅実な策で獲れる点を獲り、そのまま逃げ切るのが彼らの常套手段だ。

 

 あの二宮ですら、隠密に徹した東を探し出す事は困難である。

 

 東の事をよく知る彼ですら、そうなのだ。

 

 戦ったのがROUND3を含めた二回だけである自分達が、雲隠れした東を発見出来るビジョンはどうしても浮かばなかった。

 

『玲一。ちょっと、聞いて欲しい事があるの』

「分かった」

 

 奥寺の攻撃を捌きながら思案を続ける七海の下に、那須からの通信が入る。

 

 七海の返事は短く、そして迷いはない。

 

 この状況で、那須が通信して来るとすれば。

 

 それは、現状の突破に関する献策に他ならない。

 

 故に、それを拒否する理由は何処にもない。

 

 以前の、那須に対する負い目からの追従ではない。

 

 チームメイトとして、隊長として、何より愛する少女として信頼している少女が、この苦しい局面で献策して来たのだ。

 

 今の那須は、以前の彼女ではない。

 

 己の感情に向き合わず、激情のままに暴走するだけだったあの頃とは違う。

 

 七海との対話を経て、那須は自分を見詰め直した。

 

 見詰め直して、ようやく彼女は前を向いた。

 

 四年前のあの時から凍り付いたままだった彼女の中の時計の針は、既に動き出している。

 

 七海もまた、那須の意見を肯定するだけのイエスマンではなくなっている。

 

 今の彼女となら、以前よりもより強く、頼り合える。

 

 協力して、どんな難局にも打ち勝てる。

 

 そう、七海は信じている。

 

 だからこそ、七海は彼女の()()を受け入れた。

 

 

 

 

「もう一度聞きますけど、大丈夫ですよね? 今の七海先輩を見ても、暴走したりはしませんか?」

『心配性ね、小夜ちゃん。もう、あの時の私とは違うわ』

 

 小夜子は作戦室で、那須と通信を繋いでいた。

 

 那須の言葉は何処か苦笑交じりで、ROUND3の時のような制御不能の激情の発露は見られない。

 

 以前の、危うい感じは既に成りを潜めていた。

 

『…………まあ、あんな醜態を見せておいて何を言うかと思われるかもしれないけど、大丈夫よ。自分のやるべき事は、分かってるわ』

「玲……」

「それなら構いません。バックアップは任せて下さい」

 

 隣で心配そうな表情を浮かべる熊谷とは対照的に、小夜子はあくまでさばさばした口調で那須にそう告げた。

 

 小夜子の眼から見ても、今の那須に不安要素は感じられない。

 

 那須の献策は、小夜子と彼女が相談の末決めた事だ。

 

 作戦が通用するかどうかはともかくとして、作戦の前段階で躓くといった最悪の事態を迎える事はないだろう。

 

 小夜子は同じ男を好いた女としての感覚で、那須が虚勢を張っているワケではない事を理解出来ていた。

 

 こればかりは、直接ぶつかり合った女同士でしか分からない感覚だ。

 

 熊谷には悪いが、小夜子には今の那須の一番の理解者は自分だという自負がある。

 

 伊達に、本音を曝け出して喧嘩したワケではないのだ。

 

 雨降って地固まるという言葉があるが、今の自分達の関係はまさにそれだと思っている。

 

 今の那須なら、信じて任せても大丈夫。

 

 そんな信頼が、小夜子にはあった。

 

 恋敵として、那須に向ける感情は正直複雑だ。

 

 だが、それは彼女を嫌う理由にも、協力しない理由にもならない。

 

 小夜子にとっての最優先事項は、あくまで七海(好いた男)の幸せである。

 

 その為の努力を惜しむ必要が、何故あるだろうか。

 

 傍から見れば、やり過ぎとも思えるだろう。

 

 人によっては、理解出来ないかもしれない。

 

 恋敵の為に、力を尽くす女など。

 

 だが、それは小夜子が自分で選んだ道なのだ。

 

 何も知らない他人にどう思われようが、知った事か。

 

 自分は単に、七海の事を愛しているし、那須の事も大好きなだけだ。

 

 昔、女は友情より愛情を取る、という言葉を聞いた事がある。

 

 確かに、恋愛の()というのは厄介だ。

 

 時として理性すら焼き切るそれに従って、大事なものすら捨ててしまう気持ちは理解出来る。

 

 しかし、理解出来るからと言って、自分のケースにそれを当て嵌めて欲しくなどない。

 

 自分にとって、七海への愛情と那須への友情は両立可能なものだ。

 

 負け犬の思考、と言う人もあるだろう。

 

 だが、女が一度決めた事を覆す方が、よっぽど無様だと小夜子は思う。

 

 それに何も、七海を完全に諦め切ったワケではない。

 

 那須との仲は応援するが、それはそれとしてチャンスがあれば掻っ攫いに行くのは当然だ。

 

 どの道、自分は七海以外の男性に心を許す事など不可能だ。

 

 彼女の心に刻まれた(トラウマ)は、それだけ深い。

 

 ならば、いざという時の駆け込み寺になる事は、別に悪い事ではないだろう。

 

 那須への友情は不変だが、それとこれとは話が別だ。

 

 もしもそんな時が来るとすれば、色々な意味で七海を受け止める事も吝かではない。

 

 そんな益体もない事を考えながら、小夜子はにこりと微笑んだ。

 

 それは傍で見ていた熊谷が息を呑む程、好戦的な笑みだった。

 

(さあ、始めましょうか。相手は百戦錬磨の戦術家、容易く落とせるとは思いません────ですが、決して不可能ではない筈です。私達の(どく)を、必ず届かせて見せましょう)

 

 小夜子は唇を釣り上げ、笑う。

 

 魔女達の火は、既に窯へとくべられた。

 

 燃え盛る炎をその胸に宿し、少女達は動き出す。

 

 決着の時は、近い。


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