…………ぱくぱくぱくぱくぱくぱく…………
「ん…………やっぱり美味しいわね。此処のどら焼き」
…………もぐもぐもぐもぐもぐもぐ…………
「上手いなホント。幾らでも食えるぞ」
────────自分は一体、何を見せられているのだろう。
ふと、七海はそんな事を考えた。
七海は、那須とデートをしていた筈だ。
なのに。
なのに。
何故、行った先の店で一心不乱に和菓子を食べている
全ては、先日の那須との間の一騒動の件まで遡る。
「────小夜ちゃんの匂いがする」
「え……?」
冷たい視線が、那須から七海に突き刺さる。
七海が隊室で小夜子と共に試合ログを見た日の夜、「お帰り」と言いながらコツン、と那須が七海の胸元に顔を埋めた直後、急に顔色を変えた那須がそう言い放ったのだ。
那須の視線には何処か怯えの色があり、同時に疑心の類も感じ取れる。
「……っ!」
そこで、七海が気付く。
那須の言葉に、思い当たる節があったからだ。
────…………少し、このままでいさせて下さい。大丈夫、すぐ済みますから……────
あの、作戦室での出来事。
何処か泣きそうな顔をした小夜子が抱き着いて来た時、七海は暫くの間小夜子の好きにさせていた。
小夜子がそうなった原因が分からなかった七海だが、あそこで小夜子を突き放すという選択は取れなかった。
あの時の小夜子は、今にも消えてしまいそうな────────とても、儚い存在に思えてならなかったのだ。
だから、単純な気遣いで七海は小夜子の行為を受け入れた。
七海は、必要だと判断しない限りは他人の内面には踏み込まない。
相手がそれを求めているのであればともかく、ただでさえ他人の心情を解するのが苦手な自分が下手に踏み込めば相手を傷付ける可能性がある以上、余計な干渉は得策ではない。
自分は、誰も彼もの事情を背負える程強くはないし、勝手に背負った所で相手にとっては迷惑だろう。
自分が背負えるのは、精々自分の身内だけ。
那須隊の面々と、玉狛の人達。
それ以上は、恐らく自分の手に余る。
『ボーダー』が様々な事情を抱えた者達が集う場である以上、それぞれ抱えるものがあるのは当然だ。
中には「自分の理由なんて大した事はない」と言う者はいるが、研鑽を積み正隊員となった以上は考えなしで戦っている者など誰もいない筈だ。
研鑽を積み、戦う中で葛藤し、それでも前を向く。
それが出来る者しか、正隊員にはなれないのだから。
そんな人々の事情を、所詮は他人に過ぎない自分が全て抱えるなど傲慢も良い所だ。
それが出来るとすれば、未来を視る事が出来る迅だけ────────とは、思わない。
迅は確かに
風船を膨らませ過ぎれば破裂するように、迅とて抱えられる荷物の限度はある。
むしろ、自分よりもずっと長く戦い続けてきた迅の抱える
だからこそ迅は、人との間に一定の距離を置いている。
自然に視えてしまうものだけでも手一杯なのに、個々人の事情にまで深く踏み込むような余裕はきっと彼にはないのだろう。
故に迅は人を煙に巻き、距離を置く。
その手に抱えた
七海のスタンスは、ある意味ではそんな迅の模倣である。
いや、模倣というのは言い過ぎだろう。
自分は、迅のような広い視野は持っていない。
だからこそ、その手に収めたものを溢さないように、他者への余計な干渉は控えている。
ただ、それだけなのだ。
やり方としては、間違っているワケではない。
なんでもかんでも背負い込めばいずれ自分の
しかし、だからといって他人に無関心ではコミュニケーションすらままならない。
そのあたり、『ボーダー』に入ったばかりの頃の七海は
七海のその極端な性質を何となく察して世話を焼いていたのが、影浦を始めとする攻撃手の面々である。
本来であれば玉狛支部の面々がその役割を担う筈であったが、当時の迅や小南は大切な仲間であった七海玲奈を喪った心の欠落を隠し切れておらず、心に余裕があるとは言い難かった。
特に小南は玲奈の面影が色濃く残る七海の顔を見ていると悲しみがぶり返すのか、意図的に七海の事を避けていた時期もあった。
一定期間を置いて自分の心に折り合いを付けて七海に積極的に絡むようになったあたり、小南の精神力は流石と言えるが、それでも七海と正面から向き合う事が出来ない時期があったのは事実である。
その間を埋めたのが、影浦や村上、荒船といった面々である。
影浦は
村上は真っ先に来間の所に連れて行き、隊の面々総出で親交を深めて人と関わり合う楽しさを教えた。
荒船は戦闘における基本的な動き方や勉強などを見てやり、時折映画に連れて行っては感想を聞いて共感について学ばせた。
三者三様のやり方ではあるが、七海が当時のコミュ障とも言えるレベルから今の状態にまでなれたのは、この三人の奮闘が大きいと言える。
これがなければ、七海は那須以外の人間との関わり合いに価値を見出せず、必要最低限の事しか口にしない淡白な人間になっていただろう。
今の七海は表面上は淡白に見えるが、その実熱い想いを秘めた人間だ。
戦友達と競い合うのは楽しいし、鍛錬で己を磨いていく感覚も嫌いではない。
友人達と出かけるのは彼の楽しみの一つであるし、勿論那須達との交流も彼を構成する欠かせないファクターだ。
生きる上での楽しみを思い出させてくれた彼等には、七海としても感謝しかない。
だから、七海は
故にこそ、縋り付いてきた小夜子をそのまま受け止めてしまったのだ。
…………その行為の意味を、察する事なく。
那須は帰宅してきた七海の胸に顔を埋めた時点で、小夜子の匂いが彼に移っている事に気が付いた。
七海と違い、那須は
勿論、小夜子の事は信じてはいる。
だが、理解と納得はまた別だ。
頭では
だからこそ、那須は七海を正面から問い質す事にしたのだ。
ROUND3までの彼女であれば、その想いを押し殺したまま自分の中で抱えていただろう。
だが、あの時他ならぬ小夜子に発破をかけられた彼女に今更迷いや躊躇いはない。
七海が自分に向ける想いを確かに実感出来た那須は、正面からぶつかる事を覚えた。
以前よりも那須が自分の意見をハッキリと言うようになった事は、七海としても歓迎している。
だからこそ七海は、正直に隊室での小夜子との一件を話した。
「…………そう…………」
それを聞いた那須の心境は、複雑だ。
七海が自分に嘘をつく筈がなく、小夜子の行動も少し魔が差した程度の事だろう。
明確な裏切りとは、正直思っていない。
だからこそ、那須はどう反応するべきか迷っていた。
小夜子と距離を置け、とは流石に言えない。
七海は以前と違い、那須の言葉に唯々諾々と従う事は止めている。
そんな事を言えば、必ずその
小夜子の想いはあくまで彼女のものであり、自分が語って良いものではないと那須は考えている。
しかし、小夜子との一件を聞いて悶々としているのも確かだ。
どうするべきか。
「ん……?」
そう悩んでいた那須の下に、電話がかかってきた。
表示された名前は、渦中の小夜子。
那須はノータイムで通話ボタンを押し、小夜子からの電話を受けた。
『こんばんは、那須先輩。きっと、そろそろ修羅場ってるだろうなと思って連絡しました』
「…………小夜ちゃん…………なんで、そう思うの?」
『だって、那須先輩が七海先輩に他の女の匂いが付いてるのを見逃す筈がないじゃないですか』
あくまであっけらかんと言う小夜子の言葉には、妙な実感が籠っていた。
実際その通りではあるのだが、こうまでお見通しだとなんだかむず痒くなってくる。
どうにも、彼女には勝てそうにない。
色々な意味で、そう思った那須であった。
『一つ言っておきますと、七海先輩とは何にもなかったですよ? 私としてはそのまま押し倒されてもオールオッケーでしたけど、そんな展開にはなりませんでしたしね』
あくまで私が抱き着いただけです、と小夜子は言う。
その言葉に、誤魔化しの気配はない。
ただ本当に、魔が差しただけ。
そういった、ニュアンスだった。
『いやまあ、七海先輩にも参りましたよ。あんな事言われちゃ、甘えたくもなっちゃいますもん。それでも軽率な行動だったのは事実なので、こうして連絡したワケです』
敢えて軽く、小夜子は告げる。
この間のように女の情念たっぷりに言う事も出来た筈だが、小夜子としてはあまり那須に深刻になって貰いたくはないのだろう。
だからこそ敢えてお茶らけるように話し、那須の緊張を和らげているのだ。
勝手知ったる恋敵、そのあたりの機微は見逃さないのである。
『那須先輩には、七海先輩に私と距離を置けって言う権利はあると思いますけど、先輩の性格上それは無理ですよね? だったら、少し私が何かしても気にならないよう、七海先輩と距離を詰めて置くのをお勧めします』
「距離を、詰める……?」
ええ、と小夜子は那須の言葉を肯定する。
『ちょっと、デートでも行って来たらどうです? 少しは気晴らしになると思いますよ』
こうして、小夜子の提案を受けた那須と七海は翌日デートに洒落込む事になったのであった。
二人共、外出の為に日常用のトリオン体に換装済み。
七海は、黒のジャケットに白シャツとスラックスを。
那須は、グレーのチェスターコートとデニムシャツ、水色のカラーパンツをそれぞれ纏い、三門の街へ散策に向かった。
ウインドウショッピングを堪能し、書店で本を眺め、映画を見た。
そのいずれもが欠け替えのない時間であり、二人の顔には自然と笑顔が浮かんでいた。
例の
思考が近いうちに訪れる大きな戦いにばかり向いていて、いつの間にか日常というものを疎かにしがちだった気がする。
思いがけず訪れた日常の味を、二人はしっかりと噛み締めていた。
……………………此処までであれば、良い話で終わっていたのだ。
問題は、那須が和菓子が食べたいと言い出し、三門市でも有数の老舗である和菓子屋『
この店はボーダー女子の中でも好む者の多い『いいとこのどら焼き』が売っている店であり、奥の座敷で和菓子を頂く事も出来る。
折角だからと和菓子を購入して奥の座敷に向かった二人を待っていたのが、
どうやら大好きな和菓子を食べたくなった月見が偶然居合わせた太刀川を誘い、この店にやって来たらしい。
一人で来る事も考えたらしいが、月見は類い稀な美貌を持つ美女である。
そんな彼女が街を出歩けば、悪い虫が腐る程やって来るのは容易に想像出来る。
だから彼女は、
ボーダーの中でもトップクラスの実力を持つ太刀川は、広報部隊の嵐山隊程ではないが顔が知られている。
…………隊服が黒コートというある意味不審者ちっくな代物なので、通報されないように顔を広めたという側面がないワケでもない。
私生活は残念極まりない太刀川ではあるが、不思議な空気感がある為有象無象を遠ざけるには丁度良い
太刀川と月見は幼馴染の間柄である為、気心も知れている。
要は手軽に使えるボディーガードとして、太刀川を連れ出してきたらしい。
和菓子に目がないのは太刀川も同じなので、特に断る理由もなくほいほいと付いて来たらしい。
問題は。
二人の食べる和菓子の量が、尋常ではない事だ。
太刀川は両手に抱える程の餅系の和菓子を笑顔で食べ続けているし、月見は太刀川を通路側に配置して自分の手元が見えないようにした上で太刀川と同程度の量の様々な和菓子を黙々と食べている。
和菓子好きとは聞いていたが、どうやらちょっとやそっとの
もしかすると、何か良い事があって箸が進んでいるのかもしれない。
傍から見ると、長身の男性と長身の美女が淡々と和菓子をかっ喰らっているワケで、シュール極まりない絵面と言えた。
出水や月見がオペレーターを務める三輪隊の面々が目撃すれば、頭を抱えるであろう事は間違いない。
目撃者となってしまった那須と七海も、暫くは空いた口が塞がらなかった程なのだから。
「……はぁ……」
訂正。
少なくとも七海の方は、太刀川のオフの時の様子は見慣れている。
吐いた溜め息には、「またか」という感情がありありと見て取れた。
しかし月見の手前、口出しして良いかものなのか判断がつかない。
「御免なさい。ちょっと、見苦しい所を見せたわね」
そんな心情はとうに察していた月見は、一度和菓子を食べる手を止めるとそう言って謝意を見せた。
ぎょっとなる七海に対し、月見はくすりと笑みを浮かべる。
「知っての通り私生活は色々と論外な太刀川くんだけど、こういう時は便利なのよ。仮にも幼馴染という間柄なのだから、使えるものは使うべきでしょう?」
「おいおい、そりゃ幼馴染って言うよりメシ使いとかそこらじゃないか?」
「太刀川くんに召使いが務まるとは思えないわね。精々雑用が良い所じゃないかしら?」
召使いの発音が何処かおかしかった事は完全にスルーし、月見はそう言って太刀川の意見をばっさり切り捨てる。
幼馴染だけあって、慣れたものだ。
「ん? メシ使いってメシの為に使われる奴の事じゃないのか? なんで雑用になるんだ?」
「ねえ太刀川くん、ちょっとその色々ふざけた頭の中身を見せて貰っても良いかしら? 物理的に」
…………その月見も、太刀川の妄言ならぬ迷言に対してはノータイムで罵倒が飛ぶようではあるが。
とうの太刀川は何故自分が詰られたのか理解出来ず、首を捻る有り様だ。
流石はdangerをダンガーと読む男。
色々な意味で、規格外である。
「…………その、色々と大変ですね……」
「頭が痛くなる事は多いけれど、これはこれで慣れたものよ。私って、才能あるダメ男を見ると育てたくなるタイプみたいで、その点で言えば三輪くんといい太刀川くんといい逸材揃いで嬉しい限りだわ」
さり気なく太刀川だけでなく三輪もディスりながら、月見は続ける。
「折角才能はあるのに、それを伸ばさないなんて損失でしかないじゃない? 太刀川くんも、人間性は残念極まりないけど戦闘に限定すれば頭も回るようになるから、
「んー?
「戦闘以外は脳みそ空っぽなのも矯正すべきだったかしら」
でもそうなると戦闘能力が落ちちゃうのよね、と月見はさらっと容赦ない批評を下している。
このあたりの遠慮のなさは、七海達からしてみると新鮮に映る。
同じ幼馴染でも、この二人の間には甘酸っぱい匂いなんて一切しない。
ただただドライな、本当の意味で遠慮のない関係に見えた。
「でも、太刀川さんを虫除けにし続けると男性との出会いなんかもないのでは?」
「そうなったら太刀川くんを婿入りさせるから問題ないわ。彼、お相手が見つかるとはとてもとてもとても思えないし。下手に野に放つより、首に縄かけておいた方が良さそうな気がするのよね」
「…………あー…………」
「その方が調…………矯正もやり易いし」と、聞きようによっては猟奇的に思える月見の発言だが、那須はその言葉の裏に本気の色を見て取った。
どうやら、この二人の関係性も自分達に負けず劣らず複雑なようだ。
「では、俺達はこのあたりで」
「はい、お邪魔しました」
触らぬ神に祟りなしとばかりに、二人は踵を返して座敷の前から立ち去った。
これ以上、此処にいるのはなんだか不味い気がする。
そんな予感に従い、二人はその場を後にした。
「お似合いね。あの二人」
「前と違って那須の言いなりにはなってないみたいだしな。これまで以上に七海が強くなるなら、俺としちゃ大歓迎だ」
二人が立ち去った後、月見と太刀川はそう言って笑みを浮かべていた。
特に太刀川の笑みは肉食獣のそれであり、獰猛な戦闘欲が見て取れる。
そんな幼馴染を見て、月見は薄っすらと笑みを浮かべた。
「あの太刀川くんが師匠だなんて、初めて聞いた時には耳を疑ったけれど…………案外、良い師匠をやれてるみたいね」
「どういう意味だそりゃ? けど、お前も意地が悪いよな。俺を婿にとかどうとか冗談言って、あいつ等を追い出す事はなかっただろ」
「あら、聞こえていたのね」
月見はそう言うと身を乗り出し、太刀川の顔を覗き込んだ。
その様子に太刀川は妙な迫力を感じ、息を呑む。
「冗談だと思うの? ねえ、太刀川くん」
「…………へ…………?」
────その時程、目の前の幼馴染が怖いと思った事はない。
後日、冷や汗を流しながらそんな言葉を漏らす太刀川の姿があったとのことだった。
デート回書くつもりが色々予定外に。筆が滑った結果なので致し方なし。
仕方ないんや。和菓子屋書こうと思った時点で脳内で太刀川と月見さんが「和菓子食いたい」ってアポ取って来たもんでつい。
創作仲間に文章に【】が多すぎて読み難いって指摘を受けて直してみたらその通りだったので、これまでの話の戦闘シーンに修正かけてます。
それからスクエアのワートリ最新話、見たで。
ネタバレになるんで深くは語らないけど。
帯島ちゃん、仕草がいちいち女の子らしくて可愛い。